教科書には載っていない人類館事件。
1903年に大阪・天王寺で開かれた第5回内国勧業博覧会の「学術人類館」において、
アイヌ・台湾高砂族(生蕃)・沖縄県(琉球人)・朝鮮(大韓帝国)・清国・インド・ジャワ・バルガリー(ベンガル)・トルコ・アフリカなど合計32名の人々が、
民族衣装姿で一定の区域内に住みながら日常生活を見せる展示を行ったところ、沖縄県と清国が自分たちの展示に抗議し、問題となった事件である。 (wikipediaより)
この事件を題材にした歌
佐渡山豊の『人類館事件の歌』
この歌を知ったのは以前僕が書いた
佐渡山豊の「変わりゆく時代の中で」のブログで
フォロワーからのコメントにこの歌について書かれていて知った。
もちろん人類館事件のことも知らなかった。
「人類館事件の歌」
これは今からちょうど百年前のこと
この国であった本当の話だ
日清戦争や日露戦争があって
皇国ニッポン帝国主義バリバリの頃のこと
ところは大阪天王寺公園あたり
明治国家主義による天下の一大イベント
第5回内国勧業博覧会と銘打った
万国博まがいのお祭り会場でのこと
例のごとく 商売上手なニッポンジンたち
人の集まるところ必ずお金がおちるよと
文明の産物やその展示物をあざ笑うかのように
正門前に立ち並ぶは営利目的のパピリオン
その場外余興のパピリオンの一角に
みすぼらしい茅葺の見世物小屋があって
ふとみればサーカスの調教師のような男が
「コイツらは琉球の貴婦人ナリ」 などと
鞭でさしてえばっているんだ
そう数百万人がその小屋で見たもの
モノでなく動物でなく写真でなく人形でもなかった
その陳列された出し物に民衆は誰もが目を疑った
なんとそこには生身のニンゲンが展示されていたんだ
マレー人がいて・朝鮮人がいて・アイヌがいて
台湾人・インド人・そしてザンジバル人がいた
ジャワ人・トルコ人・アフリカ人
それから沖縄人が展示されたんだ
誰がつけたか そのパピリオンの名は 『人類館』
「ニンゲン動物園」 でもあるまいし
ニンゲンが人間を優越感のまなざしで眺められようものか
これを以て 『アジアの一大帝国たる実力』 を強調せんとしたのか
それとも 「民族は色分けすべきものだ」 と言いたかったのか
だが問題はその後に重大な尾を引いたんだ
それを見た1人の沖縄人が新聞に投書した
「わが琉球民族は大和民族と同じなんだから
アイヌや朝鮮人なんぞとは一緒にするな」 と言い出したのだ
これには誰もが呆れ返ったはずだ
差別された者が同じ差別を受けるものを見下したのだ
差別する側につくことでぬけぬけと生き延びようとしたんだ
そこまで言わしめ駆り立てたものは一体何だったんだろうか
この歌を聴いてどう思うかは自由だ
10年を一昔というから百年はもっと昔だというならそれもよし
それは時代錯誤よとそっぽをむかれたってかまわないけど
足元がほらなんとなく ぐらぐら揺れているのがわかるだろうか?
ニンゲンという生き物は本当に恐ろしい動物で
いい加減な理由を正当化して 他国に攻め入ったりもすれば
ただムシャクシャしたからと言って通行人を切りつけたりもする
進化するより 退化の一途を辿っているような悲しい生き物だ
だがぼくらは悲しんでばかりもいられないんだ
人類館や人間動物園の話をもう少し聴いておくれ
ヨーロッパじゃもっと以前からそんな話があったというんだ
サムライ姿の福沢諭吉もロンドンで 「青い視線」 を浴びたそうな
産業革命から植民地主義時代へと移るヨーロッパじゃ
ダーウィンの進化論もいつしか 『ニンゲン不平等論』 にまでこじつけられ
文明というものはニンゲンのつまらない優越意識まであぶり出したんだ
とうとう彼らは 『植民地のニンゲンたち』 を展示するに至ったのだ
もともと 「人類館」 も西洋のそれに倣ったもので
坪井正五郎なる博士が パリ博で観たものを真似たものだった
檻の中に展示された 『生身のニンゲン』 を鑑賞しているうちに
このおぞましい光景を 当り前のようにニッポンにまで持ち帰ったのだ
その後も人間動物園はとどまることを知らなかった
イギリスで・イタリアで・ベルギーで・ポルトガルで・
デンマークで・オランダでも
アメリカじゃインディアンにエスキモーにハワイ人に黒人も
みんな展示されたんだ
そして1200人ものフィリピン人が一度に展示されたこともあったとさ
これはたかだか百年前に この国であった本当の話だ
人類館事件という名の世にも恐ろしいノンフィクションなのだ
だが今日も何処かで同じようなことが起きていないとも言い切れないし
歴史は繰り返されるものだといわれるでしょう
これは今からちょうど百年前のこと
この国であった本当の話だ
日清戦争や日露戦争があって
皇国ニッポン帝国主義バリバリの頃のこと
ところは大阪天王寺公園あたり
明治国家主義による天下の一大イベント
第5回内国勧業博覧会と銘打った
万国博まがいのお祭り会場でのこと
例のごとく 商売上手なニッポンジンたち
人の集まるところ必ずお金がおちるよと
文明の産物やその展示物をあざ笑うかのように
正門前に立ち並ぶは営利目的のパピリオン
その場外余興のパピリオンの一角に
みすぼらしい茅葺の見世物小屋があって
ふとみればサーカスの調教師のような男が
「コイツらは琉球の貴婦人ナリ」 などと
鞭でさしてえばっているんだ
そう数百万人がその小屋で見たもの
モノでなく動物でなく写真でなく人形でもなかった
その陳列された出し物に民衆は誰もが目を疑った
なんとそこには生身のニンゲンが展示されていたんだ
マレー人がいて・朝鮮人がいて・アイヌがいて
台湾人・インド人・そしてザンジバル人がいた
ジャワ人・トルコ人・アフリカ人
それから沖縄人が展示されたんだ
誰がつけたか そのパピリオンの名は 『人類館』
「ニンゲン動物園」 でもあるまいし
ニンゲンが人間を優越感のまなざしで眺められようものか
これを以て 『アジアの一大帝国たる実力』 を強調せんとしたのか
それとも 「民族は色分けすべきものだ」 と言いたかったのか
だが問題はその後に重大な尾を引いたんだ
それを見た1人の沖縄人が新聞に投書した
「わが琉球民族は大和民族と同じなんだから
アイヌや朝鮮人なんぞとは一緒にするな」 と言い出したのだ
これには誰もが呆れ返ったはずだ
差別された者が同じ差別を受けるものを見下したのだ
差別する側につくことでぬけぬけと生き延びようとしたんだ
そこまで言わしめ駆り立てたものは一体何だったんだろうか
この歌を聴いてどう思うかは自由だ
10年を一昔というから百年はもっと昔だというならそれもよし
それは時代錯誤よとそっぽをむかれたってかまわないけど
足元がほらなんとなく ぐらぐら揺れているのがわかるだろうか?
ニンゲンという生き物は本当に恐ろしい動物で
いい加減な理由を正当化して 他国に攻め入ったりもすれば
ただムシャクシャしたからと言って通行人を切りつけたりもする
進化するより 退化の一途を辿っているような悲しい生き物だ
だがぼくらは悲しんでばかりもいられないんだ
人類館や人間動物園の話をもう少し聴いておくれ
ヨーロッパじゃもっと以前からそんな話があったというんだ
サムライ姿の福沢諭吉もロンドンで 「青い視線」 を浴びたそうな
産業革命から植民地主義時代へと移るヨーロッパじゃ
ダーウィンの進化論もいつしか 『ニンゲン不平等論』 にまでこじつけられ
文明というものはニンゲンのつまらない優越意識まであぶり出したんだ
とうとう彼らは 『植民地のニンゲンたち』 を展示するに至ったのだ
もともと 「人類館」 も西洋のそれに倣ったもので
坪井正五郎なる博士が パリ博で観たものを真似たものだった
檻の中に展示された 『生身のニンゲン』 を鑑賞しているうちに
このおぞましい光景を 当り前のようにニッポンにまで持ち帰ったのだ
その後も人間動物園はとどまることを知らなかった
イギリスで・イタリアで・ベルギーで・ポルトガルで・
デンマークで・オランダでも
アメリカじゃインディアンにエスキモーにハワイ人に黒人も
みんな展示されたんだ
そして1200人ものフィリピン人が一度に展示されたこともあったとさ
これはたかだか百年前に この国であった本当の話だ
人類館事件という名の世にも恐ろしいノンフィクションなのだ
だが今日も何処かで同じようなことが起きていないとも言い切れないし
歴史は繰り返されるものだといわれるでしょう
歌詞の内容は事実だという。
日本人が行った歴史を歌によって知った。
100年経った今でも差別が起こっていることは悲しい。
この歌を聴いている子供たちは
何を感じたのだろうか。
佐渡山豊 人類館事件の歌 大分県宇佐市津房小学校にて
知らなかったわ。いわゆる「見世物小屋」みたいな感覚だったんでしょうか?
天王寺公園でですか?
知ってるところだけに恐いわ。
沖縄の人に対する差別みたいの今はないでしょうが、昔はあったみたいですね。
1903年て、もう沖縄県になってるのに琉球人って・・・
恐いお話ですね。
沖縄や奄美、台湾大好きなんですよ。
だって食べ物おいしいですから。
1970年大阪万博「人類の進歩と調和」
そして半世紀たった今。
本当に人々との調和はとれているのだろうか。
コロナ差別まででてきてしまった。
差別ほど悲しいものはないなと思っています。
沖縄はまだ行ったことがないなぁ。
死ぬまでに一度は行ってみたいです。