想うこと、願うこと

人生のひと時、その時に想ったこと、こうありたいと願うことを書き残したい。

故郷の侘しさを憂う

2005-10-30 16:06:22 | 願望
 過日今年100歳を迎える実母に会う為帰省した。
 妹に面倒を看て貰っているため、年に一度も帰らないのであるが、歳のせいか、故郷の街が年々寂しくなってゆくことに、強い侘しさを感ずる。
 と言うのは、現在は中野市になっているが、小生が住んでいた高校生位までは人口1万人を超える中野町であり、市街地と呼べるのは東西で歩いても20分くらい、南北はその半分位しかなく、あとは田畑と村落に囲まれた、小さな町であった。
 現在は周辺の町村と合併し、中野市となり、旧市街地周辺の田畑の宅地化が進み、道路が整備されるにつれて、郊外に大型のスーパーが出来、住宅の密集地は倍以上に広がっている様ではある。
 この旧市街の中央北端に長野電鉄の「信濃松川駅」と「中野小学校」があり、その隣にあるのが我が家の菩提寺「南照寺」である。
 妹の家は街の西端に近く、そこから南に歩いて7~8分のところに長野電鉄の「信州中野駅」がある。
 そして、南照寺から東の端に控える東山の麓迄歩いても10分足らずである。
 
 と言うことで、帰省の都度、大体平日、昼間(今回は午後1時~3時の間)お墓参りに行き、帰りに散歩がてらに、昔「中野銀座」などと呼ばれて、結構賑わっていた様に記憶している市街地を歩いてみる。
 ここ数年は殆ど同様であるが、今回も歩いていて誰とも会わないし、道端で見かけたのは親子一組のみ。商店もお客も無く、扉も閉めたまま、明かりだけが灯っている状況。土産を買いに行った菓子店も扉を開けるとベルが鳴り、店の女主人が出てきて応対するといった有様せある。
 一体、いつからこの街はこんなに活気がなくなってしまったのだろうか?
 
 この町の宣伝を少しすると,作曲家「中山晋平」が生まれた所で,彼が作曲した町歌「中野小唄」は結構有名であった。
 歌の中にもある通り、江戸時代は天領地であり、明治維新直後の廃藩置県では中野県となり(その後、長野県に組み込まれたが)、一時ではあるが中野県庁も置かれた。
 町には碁盤の目の様に道路が走り、そして、南北に走る主要道路3本の道は真ん中には清流が走り、川の両側に柳の木が植えられており、結構風情があった。
 (確か、未だ小生が子供の頃は歌の文句の戸売りであり、その後道路の舗装工事が進むにつれて、無くなっていったと思う。)
 
 つい最近TVで故郷を見たのはアスパラガスの生産地としてで、街ではなく、街周辺の農家と畑の映る田園風景であった。
 この町の特産品は古くは「アケビ細工」「柳行李」等の民芸品が当地の名産として知られ、その後は「りんご」「桃(白桃)」で、更に最近では「さくらんぼ」や「巨砲」などの果物が名産品となった。
 さらにはきのこの「マイタケ」、「エリンゲ」など、そして、先の「アスパラガス」といった野菜など、各種農産物の産地として少しずつ名前も知られてきている様である。

 しかし、これらは郊外の畑やそれを作る農家の人達の努力の成果である。
 肝心の、街の中心部の活気の無さは、市全体の活気の無さに繋がり、一部農家・農協が元気であっても、街に住む住人たちを元気にしてはくれない。

 実は隣に小布施町という、葛飾北斎が滞在し、お寺に描き残した天井画と栗菓子で有名な観光の町がある。更にはその隣に、武家屋敷の残る須坂市がある。
 いずれも一点集中主義の観光名所を持つが、中野市にも旧県庁跡や全国で三ケ所しかないと言われる「土雛人形」の産地であり、その展示館や中山晋平の生誕地としての記念館などもある。

 小生に言わせればそれらの資源を住民に遠慮して分散して配置した為に、主客である観光客から見れば無駄な時間を移動に取られる不便さから、見捨てられたとしか考えられない。

 実はこうしたことは政治家やお役人の認識不足から来ていると思う。
 市の経営も企業経営と同じで、「如何に収入を増やすか」を考えるとき、今迄の様に国会議員や県会議員を通して、国や県に働きかけて税金の配分を多くして貰おうとする、いわばゴマスリ行動を少なくして、いかに、他所から人を呼び、お金を使って貰うか考えることである。
 
 たまたま、今日のテレビでも放送していたが、韓国のソウルで市街地の高速道路を壊して、昔の川に戻したとのニュースをみた。日本からも小池環境大臣が視察に行かれたようであるが、これなど、街中を車が殆ど通らなくなった中野市のメイン道路を昔の姿に戻したらどうか・・良いヒントとなろう。
 
 いずれにしても政治の貧困さは市幹部の能力次第でどんどん改善される時代であり、一日も早く経営の能力のある市長・幹部が出て来てこの侘しい市街の状況を改善してくれることを切に願うものである。


カナダ旅行(そのⅧ)

2005-10-25 12:56:36 | 楽しき事・時
 日本に帰るための長いフライトの旅については、カルガリーから再び米国の、それも逆戻りして、ミネオポリスに行き、そこで日本向けの飛行機に乗るという次第。ただひたすら眠ろうとし、ウトウトして過ごした十数時間デアッタ。
 10/11(火)の朝7.30時にホテルを出発し、途中日付変更線を通った為、到着は10/12(水)の17時になる。
 無事に到着して思わず「ヤレヤレ・・・」とつぶやく。

 今回の旅は費用40万円を切る、割安ツアーであったが、まあ、それなりの満足感があったと思う。

 ただし、今回のツアーで悟ったことは、
 ①カナダや米国の様な大きな国を横断するような旅は避けた方が良い。
  東と西とで移動するのが大変と言うことも含め、東と西では相当気候も異なり、例えば紅葉でも、今回西の紅葉(イチョウの黄葉が主とのこと)は間善意終わっていた。
 ②ツアーの時期の選択は一番良い(ツアー料金の高い)時期を選ぶべし。
  天気は自然が決める、我々にはフリーハンドの部分ではあるが、それにしても旅行業者は少しでも多くの観光客を加入する為に、時節外れの期間も募集をすると言う。
  聞くところによれば、10月20日過ぎの出発さえ、募集している由。そうなればナイアガラ瀑布の乙女号からの観光は駄目、紅葉も精々メイプル街道の一部・・と言うことになり、かなり観光の内容(質)は落ちざるを得ない。それが、料金の安さに見合うか、どうか。到底見合わないと思う。
 ③最後に年齢に見合ったペースのツアーを探せば、未だ未だ行けるかなと言う、体力的な自信を持てたのは副産物としては最高である。
                             (完)

カナダ旅行(そのⅦ)

2005-10-23 18:21:14 | 楽しき事・時
 今日は10月10日(月)、日本では体育の日であるが、カナダでは秋の稔りを祝う「感謝祭」で、矢張り8日(土)から三連休の最後の日ということであった。 それが我々の観光にどう影響するのか、頭の端を過ぎったが、国土の広いカナダではこの有数の観光地でも、道路の渋滞は無縁の様であった。

 さて、朝7時半にはもうホテルを出発し、バスの車中からカナディアンロッキーの山々を眺めながら、バンフを経由、ひたすらコロンビア大氷河に向かう。
 今日は約600キロにも及ぶ走行とのことで、腰がやられないか心配する。(そうでなくても、我が友人達は腰が悪いので長時間の空旅も敬遠する人たちだから)

 そして、朝陽を浴びて、聳え立つカナディアンロッキーのキャッスル山をはじめとする、山々には圧倒され、何とか写真を残そうと奮闘したが、バスからの撮影は殆ど失敗していた。結局、この眼に写し、脳に記憶されたものが一番なのだろう。

 そして、途中バンフの駅前で今日1日ガイドしてくれる若い日本人の女性がバスに乗り込み案内してくれることに。
 最初にバスを降り、観光したのが、カナディアンロッキー観光のパンフレットに写真が載っている「レイクルイーズ」である。湖畔を歩いている内に少し雲が出て来て山々が隠れてゆくが、しかし、パンフレットの写真に近い光景を目に出来て満足であった。
 湖畔のホテル「シャトーレイクルィーズホ」に宿泊して、何日か過ごせたら・・など、と語りながら同所を後にした。
 
 更に、バスの中から「クロウフット氷河」やCローキーの山々の様様な姿を堪能しながら、昼前漸く、コロンビア大氷河に到着した。
 そこで相変わらずのトコロテン式での昼食を済ませ、予約した時間に先ず専用のバスで、雪上車の乗り場まで行く。バス降りた氷河の入り口近くでは氷河から吹き降ろす風が冷たく、身震いする。
 
 そういえば昨夜カルガリー空港に着いた時の気温が6度と標示されており、例年ならここは雪も降り,氷点下の気温が当たり前なのだと思い出す。それが、今日の日中の温度は16度とか、暖かかったわけで、氷河に来てこの程度は当然かもしれない。
 
 世界でここにしかない、まるで観光バスの様な雪上車に乗り、氷河の中央部へ(といっても、数百メートル入ったところで雪上車から氷上に降りた。
 氷の上と言うよりザラメ状の雪の上と言う感じで、それは次々と来る雪上車で削られ、沢山の観光客に踏みしめられるのだから当然かもしれない。
 結局、ここが雪山の上でなく、何百メートルの氷の上とは実感が湧かなかった。 
 予想したより、寒さも強く感じず、氷上で歩きまわり、写真撮影などをして雪上車に戻ったが、この間30分程であった。
 少し雲が出て、それに氷上からの風で山側の景色は霞んで見えなかったが、下方の景色は良く見えて、十分満足であった。
 聞けば、今年も残り5日、今月15日でこの雪上車の運行もストップする由で、ギリギリの時期に来て、陽気にも恵まれたわけで文句の言えるはずも無い。これもツキであろうと自己満足する。
 
 コロンビア大氷河を後にして、今日来た道をそのままバックし、一路今夜宿泊するカルガリーへ向かう。
 途中、(ホウレイク)でバスを降り、観光する。ホウ氷河から流れ出た水が溜まり湖となつた由であるが、午後も3時頃となり静寂とした風景であった。
 そして、夕陽に輝くCロッキーの山々をもう一度、バスの窓から眺めながら、「バンフ」まで戻った。

 バンフの街で約1時間半の観光をしたが、買い物が出来る最後のチャンスとばかりに同行者の皆さんは大張り切り、ここでも飽くなき意欲の持ち主のご婦人方に只脱帽するばかり。
 我々男3人は、バンフの僅か200m足らずの商店街をゆっくり往復したが、もう直ぐ冬が来てこの街もすっかり人足が少なくなる前兆のような寂しさを感じながら歩いた。
 
 ここで、又ガイドさんにはさよならをして今度こそカルガリーへ。もう、疲れが出て眠るだけであったが、カルガリーのホテルに着いたときは真っ暗で、午後の8時を過ぎていた。
 折角、冬季オリンピックガ開催されて有名なカルガリーの街であるが、ダウンタウンの中のホテルに宿泊しても、街の観光が出来ないことは今日も同様である。
 明日は日本に向けての長い1日、荷物を整理してただ眠るのみ。


カナダ旅行(そのⅥ)

2005-10-23 11:22:56 | 楽しき事・時
 今日は移動日。
 カナダ国内(ナイアガラからカルガリーへ)の移動であるが、そこは格安ツアーのこと、米国ノースウエスト航空を使う為、カルガリー~ミネアポリス~(米国)~カルガリーと移動した。
 カナダから米国への入国はカナダの空港内で入国手続きを行う様で、トロント空港内に米国税関がある。
 
 これで、2回目の米国入り、しかし、空港内だけの短時間滞在で、しかも、折角ミネアポリスという、ノースウエスト航空の本拠地の空港で大きな空港で、店も多いため、ゆっくりショッピングを楽しもうとしたが、乗り換え時間少ない、間の悪さで、誠に残念であった。

 時差1時間(1日が延びた)カルガリー空港におり、そこからバスで2時間のカナディアンロッキーの麓の村(カナナスキス)の「デルタロッジアットカナタスキス」へ。
 到着したのはもう午後の9時半過ぎ。今朝9時にホテルを出発してから実質13時間経過していた。
 実はこのホテルカナダ主要六カ国首脳会議の会場にもなったという名門中の名門ホテルでその設備は勿論、周囲の眺望が抜群と言うことであったが、真っ暗な外から眺めた星空のみが唯一の土産であった。
 ただ、深夜11時過ぎ(閉店直前に飛び込んだ)ホテル内のお店で探し物をしていた折対応してくれたのは何と男女3人の日本人の若者であつたことにはビックリした。
 日本人観光客が多いということで日本人を雇う側と日本を飛び出し、この地に見せられそのまま居ついた日本人の若者の希望が一致した結果であろうと思うが、ある意味で世の中の変化(国際化)を痛感させられた。

 兎に角、移動で疲れを少しでも癒したいこと、そして明日の出発も早く、しかも
強行軍であることを考え、早めに就寝す。(と言ってもとっくに1時を回っていたが。)

 

カナダ旅行(そのⅤ)

2005-10-22 15:10:18 | 楽しき事・時
 現地の日付けで10月8日(土)、今回の旅行も折り返し点を過ぎ、今日はナイアガラ瀑布の観光と午後はナイアガラ オンザ レイクの観光である。
 
 その前に朝早めに起床したため、昨夜遅いため行けなかった瀑布の方に散歩に行くことになり、同行者3人でブラブラと歩き、瀑布近くまで30分位散歩した。
 途中「シェラトン オンザ フォールズ」ホテルの中のスターバッックスで一服したことは既述の通りであるが、7時前のホテルフロントには我々同様に日本から来たと思われる日本人観光客が次々とバスで出発して行った。
 ここが外国:カナダのホテルかと一瞬疑うほどであった。
 兎に角、ナイアガラフォールズやトロントの空港では日本人観光客が多く、ビックリさせられた。

 ところで、我々の宿泊したホテルから瀑布の方に少し歩いて行くと、カナダ側と米国側を結ぶ「レインボー ブリッジ」が懸かっていたが、実はその直ぐ近くに、大きく「免税店TAX FREE」と書かれた店があり、時間もあったのでその店に入り、何か良いものが無いか見て回った。
 結構安くて、気に入ったものがあり、それを買う為にレジに行き、パシポートを見せ、お金を払って、さて、品物を受け取ろうとすると、品物は橋のたもとのゲートで渡すので、車のナンバーはと問い合わせられた。
 一瞬何のことか理解できず、それも英語が不案内の我々には何を言われているのかチンプンカンプンで、「Are you japanese?」 「Yes!」というと、日本語で書かれた説明書を出して来て、漸く解った次第。
 払ったお金を返して貰い(それも、カードで支払ったものもあり、大変だったが
)、何とか一件落着した。何ともお粗末な一幕であった。

 さて、ナイアガラ大瀑布の観光であるが、あいにく昨日からの天候の余波が残っており、瀑布を観光した午前中は少し雨が残る曇り空の天気で、しかも気温は依然高めであり、カナダ滝の方は水飛沫が霧雨のごとく降りかかる状況で、陸上から観た感じはもう一つ迫力を欠いたと思う。(特に、カナダ滝は)
 しかし、カナダ側から乗った「霧の乙女号」船上からの眺めは一味違って,特にカナダ滝の下から水の飛沫に濡れながら見上げる滝の迫力は矢張りすごかった。
 この観光船ももう直ぐ(10月中旬には)終わる由で、ギリギリ間に合ったと聞きホットした。
 お天気がもっと良ければ素晴らしい青空とのコントラスを楽しめたのかも知れないが、諸般の事情を考えれば贅沢を言っておれないな・・と自分を納得させた。

 そして、午後はバスでオンタリオ湖湖畔の街、その背後の丘陵地帯に広がるナイアガラオンザレイクを観光した。
 ナイアガラ ホールズとオンザレイクは真っ直ぐ走れば1時間ほどと思うが、途中ナイアガラ園芸学校の生徒が造った「花時計」や最近アイスワインでとみに有名になったこの地方のワイナリーの一つを観光した。たまたまか、案内されたワイナリーの奥さん(?)は日本人女性であった。

 オンタリオ湖湖畔の街の通称クイーンストリートの店々をウインドーショッピングをしたり、オンタリオ湖畔で撮影したりして、約2時間を過ごして、ナイアガラフォールズへ引き返した。

 夕食はライトアップされたナイアガラ瀑布が見えるホテルのレストランで摂ったが、料理の方は残念ながら今ひとつであった。

 今日は比較的ノンビリ出来た(後で振り返ると唯一と言える)1日であった。

カナダ旅行(そのⅣ)

2005-10-21 15:27:59 | 楽しき事・時
 いよいよ今日はモントリオール(ケベック州)に別れを告げて、ナイアガラ瀑布のあるオンタリオ州へ移動だ。
 残念ながら、少し天気が変わり目に来ており、朝からドンヨリした空模様である。
 ホテルを出て、地下街を通り、大陸横断鉄道(VIAレール)のモントリオール中央駅へ行き、漸く、乗車して発車を待つが、何と他所から来る接続列車の到着が遅れているというので出発が凡そ1時間も遅れることになった。
 しかし、そこはカナダのお国柄、実にノンビリしたもので、一切の説明も無し。黙って発車を待つだけと言う感じだ。
 発車して町はずれにくれば最早はるかに地平線の見えそうなノッパラをただ走るだけ、どんより雨模様のお天気では景色も何も無く、従って目的地(キングストン)駅に着くまでの2時間余はお眠みタイムとなった。
 兎に角、狭い日本に住む小生には「ただっ広いな」という感じしか持テなかった。

 キングストンと言う歴史のある街に着き、列車を降りた。
 列車から我々のスーツケースなど荷物を降ろすのに時間が掛かり、待たされたので、列車を背景に記念写真でも撮ろうと思ったら、急患が発生し、列車から急患を運び出し救急車に乗せる為、その間は撮影禁止とのお達しが出てストップ。
 結局殆ど写真は撮れずに出発した。

 それから、セントローレンス河に浮かぶサウザンド アイランド(千個もの島) クルーズの乗り場にバスで向かい、湖畔のレストランで昼食となった。
 しかし、この昼食が最低で、小生には食べれるものがないという有様であった。

 小雨模様の中でのクルーズであったが、セントローレンス河に浮かぶ島々(カナダ有数の避暑地、というよりも、米国の大金持ちの北米有数の別荘地の由)に建つ、いろいろ大小様々な家、そして伝説の城などが建っており、見ごたえはあった。
 ここは河の中央部がカナダと米国の国境線となっている由で、その象徴として河中の小さな島に橋が掛けられ、その橋の両端にカナダと米国の国旗が掲げられていた。

 この観光が終了した後はひたすらバスに揺られて、宿泊の地、ナイアガラ瀑布市へ向かったが、途中、トロントで夕食を摂った。
 折角のカナダ有数の都市:トロントも今日を含め、2回も素通りするハメになった。
 
 到着したホテルは「スカイライン イン」というところで、ナイアガラ瀑布に歩いて10分位のところにあり、古いカジノの直ぐ前にあった。
 今回のツアーで最もランクの落ちるホテルであるが、それでも日本のビジネスホテルに比較すればユッタリとしており、小生は余り気にしなかったが、同僚の諸氏には不満の様子であった。
 ここに2泊したが2日共、朝6時過ぎに、散歩がてら瀑布の方に少し歩いたところにある、シェラトンホテルの1階にあるコーヒーショップ「スターバックス」で
モーニングコーヒーを楽しんだ。

カナダ旅行(そのⅢ)

2005-10-20 12:30:52 | 楽しき事・時
 モントリオール泊二日目の観光は同市から北西へバスで約2時間いったところにある、「ロレーシャン高原」の紅葉観光であった。
 昨日ケベック市へ向かう途中(メイプル街道)の紅葉が遅れていて、もう一つであった分、逆に紅葉の早いローレンシャン高原の紅葉に期待していたが、同地に向かうに従って紅葉の鮮やかさが目立って来た。
 ただ、少し空に雲が出はじめてお天気が気がかりになってきた。
 
 途中の小さな絵本に出てくるような街に寄り、そこの小さなレストランで昼食後目的地、東カナダ最初のリゾート地と言われる「トレブラント」の街に到着した。

 その背面にある、「トレブラント山」へケーブルに乗って上がる。
 一つ目の短めのケーブルは街の高台までのもので、無料であり、その上にあるケーブルがトレブラント山の頂上まで上る本格的なケーブルで有料である。
 このケーブルに乗って上る途中の紅葉とそして頂上から見下ろす街や山々の紅葉は今が盛りで、今回のハイライトであった。
 日本からはるばると東カナダ迄長時間のフライトを我慢してきた甲斐があったと仲間達と話し合った。
 
 頂上でケーブルの降りた場所から更に、200~300m離れた先に小高い場所があり、そこに3階建ての展望台があり、そこまで何とか行って眺望を楽しんだものの、丁度かかってきた雲に遮られ、一瞬の間に景色がクスンデしまったのは何とも残念であった。
 
 これで、2日目のハイライトは終わりであるが、夕食はホテルを出て街中のレストランまで行ったが歩いたのは地下街で、沢山の商店がある。
 しかし、食事を終わって帰る(午後8時過ぎにはカナダ横断鉄道の中央駅の一部地域を除き、殆どの店は閉まっており、そのためホテルの近くの地下街も閉まっており、買い物は出来なかった。
 と言うことで、モントリオールの街中での買い物も今回の夜遅く到着、朝早い出発というツアーでは難しい状況であった。 

カナダ旅行(そのⅡ)

2005-10-18 12:20:17 | 楽しき事・時
 最初に行ったモントリオールはモントリオール島というセントローレンス河にある島に出来た街であるとの事前知識も無く訪問したが、とてもそのようには思えない街であつた。(貰った地図で確かめると間違いの無い事実であるが)
 ここには10/4(火)夜9時頃到着し、その夜からホテルは当市ではAランクの「フェアモンドザクイーンエリザベス」に3泊した。
 但し、残念ながら、街のあちこちを散策する時間が殆ど無く、ただホテル近辺を歩いた程度でおわってしまった。

 ここでは三つだけ記録したいことがある。それは
 ①モントリオールは歴史的な背景から、使用言語のメインはフランス語ということであり、貰った市の案内図もフランス語で解らず困った。
 ②ペットボトルの水を買いたいと思い泊まったホテルの周辺を歩いたが、コンビニの様な店は全く無く困った。
 後で知ったが、当地は冬が雪が多く、そのため街の交通機関も地下鉄、そして、地下街が非常に整備されており、冬は殆ど表は人通りはなくなる由。
 事実、ホテルの地下へ行き、地下街に出ると非常に多くの店があり、しかも、直ぐ近くに後に乗るカナダ横断鉄道(VIAレイル)の中央駅がある。
 ③宿泊したホテルの直ぐ隣に教会があり、これがパリにあるノートルダム大聖堂を一回り小さくした、そっくりの教会で、移住して来た人達の心の支えであったことがわかる。(2泊目の朝、同教会に行き、中に入った途端,もう7年位前にパリに行った折に観光したノートルダム大聖堂の雰囲気を想い出した。)

 さて、モントリオールを基点に観光したの最初の日は世界文化遺産都市の「ケベック市」である。
 といってもダウンタウンではなく、高台にある旧市街地、ケベック州議事堂や州政府の建物、そして、英仏戦争の跡地としての戦場記念公園などを観光した。
 戦場公園の中にある名門ホテル「シャトー・フロントナック」の食堂で昼食後その周辺(戦場公園を含め)散策したが、ホテルはまるで城であり、又見下ろすダウンタウンなどの景観も又一興であった。
 更に、戦場公園の下にある旧市街(お土産店の並ぶ、通称シャンゼリゼ通り)を散策した。そして、この市街にもノートルダム大聖堂の小さくした教会があった。
 但し、旧市街は建物の外部が新しく、キレイに塗り替えられており、古さは全く感じられない為、これが1800年代のもので、150年以上経っている町というう感じは受けず、その点は世界遺産ということとギャップを感じた。
 
 なお、モントリオールからケベックまではバスで片道3時間余掛かるが、途中は所謂、メイプルの林の多い(メイプル街道と呼ばれる)地域に入っている様である
が、今年の陽気の所為で、確かに紅葉が始まり、その広々した、絨毯の様な景色は楽しめたが、一寸残念であった。

 又、このケベック州、確かに英国領であるが、その歴史的な背景から、州としての公定言語はフランス語として決められている由。
 英語でないことを認めているカナダ政府、更には、英国政府の度量の深さには感心した。

 ところで、観光とは別のことだがどうしても記録しておかなければならないサプライズが10/4(火)ホテルの当着時にあった。
 それは以前勤めていた会社で仕事上度々米国でお世話になったK氏に合ったことである。
 K氏は日本で一緒に仕事をしていたが、社命で米国に子会社を創立した折、その責任者として米国ロスアンジェルスに赴任し、以来在米20年余になる。
 小生が会社を辞めて、連絡を取れなくなって、7年近くなる。
 たまたま,同氏の姉上が同じツアーに参加されていて、お姉さんに合う為にニューヨークからカナダ迄、会いに来られた由であった。
 彼に、偶然会うことが出来、しかもお互いが元気でいたことを大いに喜び合った。
 同行の仲間も旧知の間柄であり、その夜と翌日の夜に僅かな時間であるが歓談した。

カナダ旅行(そのⅠ)

2005-10-17 13:00:57 | 楽しき事・時
 去る10/4(火)~10/12(水)の間、元の勤務先の同期の友人合計3人で(現地7泊)のツアーでカナダに行って来た。
 帰国後5日目未だ腰が痛む今日である。
 退職後、今年で3回目の海外旅行であるが、今年は初めて一般のツアー(JTBの「彩りカナダ」ツアーという)に参加した。 

 我々の気持としては余りあちこち走り回らず、ゆっくりとした旅行をしたいということで、過去二回のものは、1~2箇所に泊まって、その周辺を歩きまわる形で、あったが、今回は完全に旅行者(コンダクター)任せのツアーであった。
 但し、料金も安いものを選んだこともあり、ITBの人気ツアーとのことで、なんと40人の団体旅行となった。余談であるが、我々男性3人の外,ご夫婦の方5~6組の外は、女性と言うことで、女性パワーも十分に伺うことが出来た。
 
 今回の旅行は前に記した通り、料金が安いというのが特徴の一つであるが、それはカナダへ行くのに米国の飛行機(ノースウエスト)を利用してゆくと言うことで、成田から直接カナダの空港には入れないものであった。
 そのため、何と3回も米国(空港)へ入り、その度に上着や靴を脱がされ、両手人指し指の指紋と顔写真を撮られるという、世界一厳重な米国の入国審査を受けなければならないハメになった。
 そして、往復の丸2日(米国との往復24時間プラス、カナダ~米国間6時間)とカナダ東部(トロント)から、西部(カルガリー)への移動に丸1日といった具合で、兎に角、滞空時間は今迄に経験したことが無いほど長く,疲れた。

 ところで、それでも今回のツアーはモントリオール市に3泊、ナイアガラ瀑布市に2泊、そして、カナナスキス村、カルガリー市に夫々1泊と比較的余裕のあるツアーと考えて選んだのだが、都市間の移動を含め朝早く出発、夜遅くホテル着と大変に強行スケジュールが多かった。
 幸い、同行の若い女性のコンダクターがテキパキしており、その点余りいらいらせず助かった。
 
 そして、何よりも恵まれたのは天候で、今年はカナダも日本同様に気温が高い日が続いているとのことであったが、予想より暖かく、そして、モントリオールからトロントへ移動した1日を除き、観光日和に恵まれたことである。(その1日でも、曇り時折雨といった程度で、観光には支障は無かった)
 まあ、我々3人をはじめ、同行の人たちの日ごろの行いが良かったことへの語法日であろうが,とにかく、よかった。

 今回の観光の目玉は
 ①カナダ東部(メイプル街道やローレンシャン高原)の紅葉と世界遺産都市(ケベック)の観光
 ②ナイアガラ瀑布の観光(観光船「霧の乙女号」からの遊覧)
 ③カナディアンロッキーの景観とコロンビア大氷河観光
の3点であった。

 詳細は後述することにして、ローレンシャン高原の紅葉とカナディアンロッキーの朝・夕の景観はカナダに来て良かったと心底感じるものであった。(まあ、疲れたが、それでも来て良かったというのが実感であった。)