想うこと、願うこと

人生のひと時、その時に想ったこと、こうありたいと願うことを書き残したい。

定年退職男性の居場所(3)

2005-12-10 19:17:57 | 願望
定年後の自分がやりたいことそれは趣味のある人はその趣味を極めることであると思うが、小生の様に無趣味な人間には仕事の中で特に興味を持ったことを続けることである。
 恐らく、多くのサラリーマン退職者も同様であると思う。その中でチャンスに恵まれた人は引き続き仕事の場を与えられる。
 それは経理の仕事であったり、セールスの仕事であったりする。特に、我々の年代では余り得意でないコンピューター関連に詳しい人は引っ張りだこであろう。 
 
 しかし、現役時代と同じ様な勤務を期待する人は意外に多くないのではないか。
 我侭な様であるが、週に2~3日、それも何かあればいつでも気兼ねなく休めるそんな勤めがあればと考える人が多いのではないだろうか。

 なんと、贅沢な・・と想われるかも知れないが、それが定年を迎えた者のせめてもの特権として認めて欲しい。
 その代わりと言ってはなんだが、給与もそれ程高くなくて良いし、仕事については習熟した、責任ある仕事をする。それ等が雇い主にとってのメリットであろう。
 (実は創造していた以上に定年退職者を雇うメリットは多いと思う。小生自身も中小企業の経営をしたり、手伝ったり、あるいは同業の中小企業を見ていて感ずることは多くあった。)

 少し話がそれてしまったが小生がこのテーマで書きたかったことは、「家に閉じこもり、自身の健康を損ない、寿命を縮める様な生活から抜け出し、同じ様な仲間と屈託なく話、楽しく過ごせる場所を得て、その上に、本当に自信のある業務について、それを必要とする雇い主に提供する」という形が取れれば理想的であると思うのである。

 ということでそういう場所を造りたいと言うのが小生の長年の夢である。

定年退職男性の居場所(2)

2005-12-09 15:56:43 | 願望
「サラリーマンが退職をする」と言うことについては、「大変なことである」と言うことは前にも記したし、その立場になれば「如何に深刻な問題か・・」も、誰でも分ることである。
 しかし、一番近くにいる奥さんでさえその本当の所は分からないのではないかと思う。
 
 自分の経験がイコール、皆のことであるとは言わないが、しかし、相当多くの方は同じだと思うので少し記して見たい。

 退職することは最早自分を必要としないと言うことを宣言されたことと同じである。
 しかし、本当は今までの会社は制度上、やむなく必要としないと言うことであるが、長年培ってきた経験やノウハウが0になるわけではない。
 どこか他の所ではまだまだ必要とされる(活かせる)筈であり、それを時間が掛かっても探すべきであると思う。
 
 実は小生も経験があるが退職すると失業保険を受ける為の手続きをしに、地区の公共職業安定所に行く。
 そこで、失業したことの届出をするのであるが、出来れば新たな仕事先を探そうという気持もある。
そのために、求職票というものに、自分の今迄のキャリアやそれを基に今後どうしたいのかを書こうとするが、記入欄もそれ程細かくなく、その上、同所の担当者が十分な相談に乗ってくれることもない。
 用紙を記入させたら提出し、別のところにおいてある求人票で興味があったら詳細を説明するから言って来い・・といった場所である。
 
 長年勤め上げて定年を迎えた人達がこういう扱いをされて、果たしてそこの担当者に何とか適当な仕事を紹介して欲しいと頭を下げるだろうか。プライドが高い(?)訳ではないが、とてもそんな気持にはならなかったのが、今から6年位前の小生の姿である。
 
 更には、どこの市町村にも「シルバー人材センター」と言うところがあり、年配者で働きたい人(就職ではなく、少しでも働いて、お小遣い程度の収入になる・・
というキャッチフレーズで仕事を斡旋してくれる場所もある。
 しかし、そこで紹介してくれる仕事の大半は駐車場の管理人とか、公園などの公共施設の掃除など、兎に角、「体を動かしていれば病気にならなくても済む・・」
仕事が大半で、とても長年のノウハウを活かせル「シロモノ」ではない。

 そんなわけで、特にホワイトカラーなどと呼ばれたサラリーマンには満足の行くものではない。

 とすれば、仕事をしないんならば家にいるしかないわけで、そこで家内と二人だけの長い時間を過ごすことになる。
 もともと小生は営業の仕事が長く、朝は早くから夜遅くまで家を空け、その上に出張も多かったので、夫婦揃って家にいるのが珍しい為か、それこそ、2週間くらいは何とか大きな声も立てずに毎日を送ることが出来た。
 それでも、だんだんと飽きて来てか、「たまにはどこか行くところがないのか・・?」と言い出した。
 前にも述べたが、我が家はそれ程仲の良い夫婦ではない(?)・・、だからどこかへ一緒に旅行をしようとか、家内がどこかに行くときに付いて行こうとかする事は全くないので、ヌレオチバ派ではない。それでも、邪魔にされ、家にも居場所がないのである。
 従って、用もないのに電車に乗り、隣の町までショッピングに出掛けたり、近くの図書館へ行ったりして時間を潰した。
 
 そこで、サラリーマン時代の仕事に関連した何かをしたいと思い、あれこれ模索していた時に、ある会社から手伝って欲しいと声を掛けられ、雇われると言う形でなく、業務を受託すると言う形で仕事を手伝って、日中の家からの脱出が出来たわけである。
 たまたま運良く仕事を頼まれたから良かったものの、若し、頼まれなかったらどうしていたであろうか。
 恐らく、小生か家内が鬱病になるなど・・・していたであろうと想う。
 
 実はその時に考えていたのは「どこか昼間だけ行ける場所を仲間と作れないか」と言うことであった。
 
 このことについては又、後日に記したい。

官の無責任さと厚かましさ

2005-12-08 14:36:16 | 社会との繋がり
 建築物構造設計欠陥問題が愈々佳境に入って来たが、その中でまたぞろ官僚の無責任と厚かましさがあちこちに姿を現してきた。
 「国にも責任がある・・」と言う大臣の言葉のみで、自分達のミスや都合の悪いことは一切説明責任を果さず、「検査業務の様な重要な業務を民営に移管したのは誤りだった」などと言い出している。
 そして、今更ながら、「検査業務は官がやらないといけないと嘯いておる」その厚かましさは腹に据えかねる。

 なぜあっさりと検査業務を民間に移管したのか?・・小生の考えるには
 ①こんな大変な業務を完全に実施するにはとても人手が足りないし、忙しくてやり手もいない。(くしくも、平塚市の市長が市の検査担当の検査ミスを弁解して、同意のことをまくし立てていた。)
 ②民営化すれば職員の天下り先が増える。
  事実、今回問題を起こした民間の検査機関2社にも沢山の天下り社員がいた由報道されている。 
 などがその理由であろう。

 それなのに、今更に、民間に任せれば何か起こったときに無責任に倒産などにより、責任を放棄するから民間では駄目で、官なら何とか援け舟を出せるから官なら良いという話は間違っている。
 何か起こっても官僚は何の責任も取らず、全て我々が納めた税金を使って、さも責任を取ったフリをするだけではないか。

 今回の木村建設の様にあっさり自己破産をする会社があるのは事実であるが、本来であればそのような卑劣な行為が許されない様に予め、何かの折に責任が取れるような資産を持つものしかこの様な業務に携われないようにすべきなのである。
 今頃になって、マンションなどの建築主(売主)はその瑕疵責任を100%果せるだけの資産がないものには認めないようにしたらどうか・・などの話が出ているが。遅すぎた議論であろう。
 
 本当の民間の業者で自分の会社を簡単に倒産させても良いと考えている者などいない。なんとしても会社を存続させようと努力する。
 それを民間になれば競争が激化し、その結果質が悪くなり、今回のようなことが頻繁に起こるであろうから、再び官に戻そうと嘯いている。
 
 そして、今後はしっかりした検査をする為に人も増やすし、コストアップも止むを得ない・・・と言う議論になって行くことは目に見えるようである。
 
 そんなことは絶対に許してはならないと考える。そういう意味でももう少しマスコミの人達もしっかりして貰いたいものである。 
 
 最後になるが、被害者の方達に、追い討ちを掛ける様で申し訳ないが、「世間の相場より最高40%も安い物件が存在すること自体不思議と思わない買主にも大きな責任がある」わけで、結束して加害者に対して損害賠償を要求することは当然であるが国に補償せよと言うのは少し行き過ぎではなかろうかと思つたのは小生だけだろうか。

定年退職男性の居場所(1)

2005-12-07 13:45:13 | 願望
 「定年退職」・・経験した者だけが知る人生で最大の転機・・がもたらす様様な社会現象が来る2007年に始まる団塊の世代の人たちの定年退職を前に問題視されている。
 例えば
 ①働き手の(それも熟年労働者の)大量退職に伴う企業の人手不足や技術力低下に伴う製品トラブルの多発が予測されること。
 ②高齢の無職者の増加が及ぼす社会的な変化・・・高齢者層の経済力の二極分化や、今話題になっている熟年離婚の増加など
 である。

 ①のことは世界に誇るわが国の経済人(日経連の人たち)が解決策を考え、実行するであろうから何等心配していないが、②のことは実は個人の問題として放置され、その結果、一部の勝ち組の人たちは良いとして、、大多数を占める一般の人達はその社会現象に巻き込まれざるを得ないと考える。

 実は一番影響を受けるのはサラリーマンとして定年退職を迎える人達(特に男性)であり、現状ではある日を境にそれまで長年積み重ねてきた知識も経験も「御用納め」となり、自宅にいるしかない生活を強いられることになる。
 そして、一番の問題は夫婦二人だけで送る毎日の生活である。定年を迎えても、一緒にいるだけで幸せという仲が良い夫婦はどの位おられるのだろうか。
 
 実は、女性の方は自分の社会での居場所をキチンと持っているはずであるが、殆どの男性は仕事以外に特別な趣味もなく、会社の中にのみ真の生活基盤があり、気の置けない友人も又会社の関係者にしかいないと言うのが実態であろう。
 これが勤務先と言う行き先を失った男性は家に籠もりがちになり(所謂、ヌレオチバと呼ばれるようになり)、一方奥さんの方はそんな男性に嫌気をさして離婚を迫る(所謂、熟年離婚)と言うことになる。
 
 実は我が女房曰く「お金がある人が離婚をする」ので、お金が無い人は離婚も出来ない。なぜなら、熟年離婚をしてもお互いが元気で過ごせればよいが、それにはある程度のお金が要る訳である。明日の生活にも困るかも・・・と言う人が離婚をするわけが無いというわけである。
その生活は年金により最低限の生活は保障されるといっても贅沢を出来るような人は極一部であろう。
 
 と言うことで、毎日沢山のストレスを貯めながら我慢して毎日を送っている人がどの位いるか?
 その人達が結局ストレスから鬱病などの病気になり,定年後数年の間に亡くなってしまうという人が小生の知り合いにも何人かいる。

 と言うこともあり、小生自身その解決策を種々検討中であるが、取り敢えずは、 ①ブログにも記載したが、夫婦ではなく会社時代の友人達と一緒に海外旅行を楽しむ。(勿論家内は家内の友人達との旅行を楽しんでいる。)
 ②日常の生活でも買い物などを含め、昼間家に夫婦で一緒にいる時間を少なくするために、お互いの行動は自由にしている。(小生の家は狭い為、自分の部屋など持てないという事情もあるが)

 そして、そのほかにも積年の夢として考えているものもあるが、長くなり過ぎたので、後日に記載したい。