想うこと、願うこと

人生のひと時、その時に想ったこと、こうありたいと願うことを書き残したい。

私の起業顛末記(そのⅥ:商品完成)

2005-06-29 12:39:40 | ビジネスに関すること
 以前「商品造り」の項で商品を造るまでの理念的な記述をしたので、重要な項目についてのみ、その時間的な経過を含め記述しておきたい。
 
 1.商標登録について
    商標については一昨年頃から、若し何か良いものがあればと考えていたが、具体的にはH16年2月、特許事務所に依頼し、申請の手続きをした。そして、昨年10月には商標として登録が承認され、10年間の登録手続きをした。
   (商標登録の費用は調査費用を含め総額で465.240円を要した。)
 
 2.商品の試製はH16年5月及び7月の2回実施した。
 
 3.商品のデザインについては商標を申請したH16年2月頃から、元会社の同僚のデザイナーに
依頼した。途中、その友人の予想外の入院で3~7の間・約5ケ月のブランクが出来たが、漸く9月に完成し、印刷会社にて印刷し、製造会社に納品されたのは11月初めであった。
   (化粧箱など印刷物の制作費用は288,000円であった。デザイン料は本来は100万円
   円位は支払うべきであるが今回は薄謝で勘弁して貰う。)

 4.商品のロットは製造委託先と交渉し、最少の数と言うことで15kg(500個)で委託したが
最終的に出来上がって来たのは415個(歩留まり83%)であった。製品の賞味期間(当初は12ケ月に設定)を考えれば歩留まりの悪いのは仕方がない。
    (製造に要した費用は645,089円)

 5.品質検査について
   品質の検査は一つは公共機関ということで食品分析センターに依頼し、もう一方の品質検査は以前から個人的に付き合いのある会社に依頼し、品質及び保存(経時変化)のテストを外部委託することにした。 
    分析センターによる栄養成分の分析には約2週間を要し、保存テストは一般・負荷テスト
を実施して、賞味期間の12ケ月以上問題なしとの結論を得ている。
    なお、今回の検査費用は分析センター分74.000円のみで、一般検査分はサービスして貰った。)

 ということで、待望の商品が11月15日及び26日に分納されてきた。


わたしの起業顛末記(そのⅤ:販売戦略)

2005-06-26 11:15:53 | ビジネスに関すること
 実は当初は「長い間の経験と自分が飲用する為にどうしても一度は造ってみたい」ということであった。
 しかし、製品化を進めてゆく過程で、食品であるある以上は品質的に安全であることは当然であるが、それ以上に製品に対する信頼感を高める為には、名前(商標)が、そして、包装(デザイン)も必要など・・次々と必要と思われることがでてきた。
 そこで、販売するとすればどうするかを考えるようになった。

 物を売ると言うことは難しい。物余りの時代で、買う立場から言っても、余り欲しい物が無い。
だから、普通の売り方即ち、一般的な卸店・小売店経由での販売やどこかの会社に販売を依頼するということは全く考えていなかった。
 直接自分の手で売る。即ち、直接販売(ダイレクトセール)を考えていた。
 直接販売といっても訪問販売やパーティ販売、そして通信販売などがある。その中で、現在では投資額も少なく、小規模で、しかも今すぐに誰でも出来るもの考えられ、通信販売が全盛である。
 しかし、実は通信販売については過去にコンサルタント会社の指導を受けながら、某中小企業のお手伝いをしたことがある。そこで、学んだことは通信販売の成功の必須条件は「他社が造れない独自の商品を持つか」、「中途半端でない資金力があるか」のいずれかである。
(この事は最近通信販売で成功している会社の大半は大企業であることからも明白である。)

 上記のことを十分に承知しながら、通信販売を選んだ。
 相当リスクが高いことは前述からも明らかであるが、一方で、マーケティングを業としている身として、何かやり方があるのではないか。それに挑戦してみようということになった。
 細かいことは省くが基本的な考え方として、「会員制といった、限られたマーケット」の中で、通信販売を実施したらどうかということである。 



 

わたしの起業顛末記(そのⅣ:起業資金について)

2005-06-25 11:44:01 | ビジネスに関すること
 少し順序が違ったが、起業の資金をどの様に考えていたのかを記しておきたい。
 もともと、一生をサラリーマンで送ってきた小生には残念ながら、余裕資金は無く、精々これからの老後の年金生活の足しにする程度の蓄えしかない。
 その中で自分なりに捻出したのが2000年に退社後コンサルタントの個人事業主として、積み立てた資金で、昨年3月末時点で、約400万円あり、当面それを起業の資金とした。
 更に、若し必要となれば何とか100万円は上乗せ可能であると考えていた。

 起業資金の500万円というのは多いのか、少ないのかはともかく、この資金を限度として出来る限りのことをして、事業の将来の見極めようと考えた。

 そのため、事務所は自宅とし、従業員は当面雇わないで、留守の折の連絡は家内か留守電を活用するなどと決め、固定費用としては電話を1回線新たに敷くことにした。(幸い自宅の電話はケーブル回線とした為、NTTの回線使用を中止しており、それを活用した為、電話の敷設費用は最小限で済んだ。)

 もうひとつは、小生の人件費でありこれも給料を取れるような余裕はない為、コンサルタント業の方で業務を請け負うことにした。
 1ケ月税込み:52,500円とし、それで、交通費などを含めた全ての費用を賄うことにした。

 ということは外部に支払う費用を最優先して計上するため,製品製造に関する費用(サンプル試製・製品本製造・品質検査などの)、商品化に要する費用(印刷費用・デザイン謝礼・包装材料購入費など)、そして、以後の販売に関連する費用がその大部分を占めることになる。
 外部への支払いを優先することで、従来からの繋がりで付き合って貰うにしても、企業の信用を築いて行かないと将来困ることになると考えていた為であった。

 以上の通りで、小生自身の置かれた立場(高齢・後継者不在など)から、当初から起業に当って外部からの借り入れは全く考えていなかった。

わたしの起業顛末記(そのⅢ:商品造り)

2005-06-24 12:49:45 | ビジネスに関すること
今回の起業の最大のポイントとして、商品「アニメイト」を造るまでを纏めておきたい。

1.機能性原料の選定:
  いわゆる栄養補助食品の製造に当っては製品のコンセプトに基づく、機能性を持った原料の選定が重要である。
  小生の場合は以前勤めていた会社での仕事の関連もあり、最初の商品及びそれに続く幾つかについては、それほど多くの時間を要さずに決まった。
  即ち、現在の健康ー頭(脳)・体(運動機能)ーの維持と病気などの予防という観点からの選択になる。
  細かいことは省くとして、その機能性原料としては最初の製品には次の3つに絞り込んだ。   即ち、

 ①ローヤルゼリー:
   小生が1977年、当時の日本では大変に貴重品であった頃から、認知しており、自身で も20年以上の飲用経験があることで、成分内容の中心に据えることにした。
   その効能を記せばいくらでも記せるが、現在日本国内で販売されているいわゆる健康食品 の原料としてはビタミンやミネラルなどの栄養素を除くと、断然ナンバーワンの位置を続けている(ヘルスフードレポート2004:山の下出版より)ことが何よりの証拠である。
    
 ②大豆イソフラボン:
   最近の豆乳ブームでも分かる通り、日本人にとって大豆はたんぱく質・アミノ酸の様様な働きが分かってくる程に、その人気が高くなっている。
   実は、長島茂雄氏が毎朝「牛乳にゴマ・きな粉・蜂蜜を混ぜたもの」を飲んでいると話されていたが、小生も50歳代に約10年間牛乳(ビヒズス菌入り)・ゴマ・きな粉を混ぜて飲んでいた。そして、その頃、病院で尿の出が悪いのは前立腺が肥大していると言われたが、飲み続けていたらすっかり正常に戻り、現在も夜中に1回以上起きることはない程である。
   勿論、現在も豆腐・納豆など大豆製品を毎日欠かすことはない。
    
 ③コエンザイムーQ10:
   4~5年前、未だ日本では食品として使うことは許されていない時代に、米国に出張した折、ドラックストアでたまたま入手し、試飲していたところ、特に家内が疲れがとれてよかったということで、日本でも許可になり、日清フアルマ社が製品を発売されており、それを継続飲用していた。   
 
  といった様なわけで3つの機能性原料を選定し、それに、抗酸化ビタミンとして知られるビタミンCとEを配合することにした。

 2.製品化:
   そして、原料の性状、製造ロットの規模、保存性など・・から、錠剤タイプとし、遮光瓶に詰めて、製品とした。

 3.商品化:
   製品はあくまでも製造した品物であり、それに名前を付け、お化粧(化粧箱に入れるなど包装して)、最後に価格を決めて商品になる。いわゆる、商品化の作業がある。 
   
  イ)商品名の決定:
    1品毎の商品名は都度決めることにし、商品群(グループ、アンブレラ)名を種々検討し最終的に「アニメイトANIMATE」(元気づける、生き生きさせるの意味)に決め、商標登録をした。
    
  ロ)化粧箱などのデザイン:
    化粧箱のデザインは前の勤務先の同僚でデザイナーであった友人に依頼した。
    十分にコミニュケーションも取れ、コンセプトも理解して貰ったため、満足すべきものが出来た。
 
  ハ)価格の決定:
    同業他社の商品価格を調査の結果で次の通り決定。 
    1瓶(約1ケ月分)を9,870円(税込み、本体価格9,400円)

 4.有限会社の設立:
   商品化ならびに今後の営業を進める上で必要と判断し、有限会社を設立することを決め、約1ケ月を要し、自力で設立登記を済ませ、2004年10月1日付で会社を設立した。

  少し長くなってしまったが、実は商品を造るには並行して種々実施することがあり、昨年4 以降徐々に進めて来た結果である。

わたしの起業顛末記(そのⅡ:製品開発コンセプト)

2005-06-21 12:03:39 | ビジネスに関すること
 起業に当って栄養補助食品(サプリメント*サプリ)の製造と通信販売をしようと決めたが、それでは誰をターゲットとして、どういう内容の商品を造り、販売するか。そのコンセプトを決めなければならなかった。
 
 しかし、これも従来から漠然と考えていたことではあった。即ち、
近い将来(2007年以降)団塊の世代と呼ばれる第二次世界大戦後に生まれた人達がどんどん定年になり、仕事を辞めて、家庭に戻ってくるの。丁度今の自分の様に「健康第一」、「一日も長く元気で過ごしたい」・・等と考えるだろうから、今、自分が摂りたいと考えるサプリメントを造れば良いだろうと考えた。

 歳を取れば「病気になったり」、「身体の一部が不自由になったり」することは避けられない。
 しかし、もし今健康で不自由な事が何も無い状況であれば、その状態を一日も長く、継続できれば一番良い事は言うまでもない。
 そこで、開発のコンセプトを「今の元気な状態を続ける事が出来るためのサプリ」ということに
した。

 コンセプトを決めるのに並行して、マーケティング上のコンセプトも決める必要があった。
 即ち、50歳以上の人をターゲットとし、元気な状態が維持できるサプリを販売するというのがそれである。しかし、それだけでは同じ様なことを考えて営業をしている同業者との間に何の相違点(差別化)も無い為、ユーザーから見ても魅力が感じられないだろう。

 そこで、サプリの原料について「安全・安心」感を持ってもらう為、過去に自身が飲用体験があること、及び、自分自身が直接学会や文献でその成分の有効性について確たる自信を持ったものであること。そして、更に、原料の製造(又は供給)メーカーが信用できること等、原料の段階から拘って行くことにした。
(実は、このことが今回の事業休業に大きな原因となった。)



わたくしの起業顛末記(そのⅠ:起業に至るまでの想い)

2005-06-20 16:46:09 | ビジネスに関すること
 昨年10月起業した事業は残念ながら、僅か8ケ月(準備期間を入れても1年余)で、今年6月末には休業せざるを得なくなった。 その顛末を記録に残して置きたい。

 上場企業でのサラリーマン生活は終わりの6年間を子会社の中小企業で経営者として過ごし、満61歳余で終了した。(この経営者としての経験が今回の起業に大きく影響したと想う)
 
 しかし、小生は、そのまま隠居生活に入ることは望まず、なんとか、ビジネス社会との繋がりを続けることを願って、退職後あれこれ思考していた。
 そんな折、知り合いの中小企業の社長に頼まれて、同社の東京営業所の立ち上げなどで、約3年間お手伝いし、更にもう1年間は別の会社で、サラリーマン時代と同様に長時間拘束される生活を続け、4年後の昨年3月、満66歳余で、その生活を終わった。
 
 そして、今後も認知症等にならない為にも,更に何かを続けたいと考え、結局自分で会社を造ること(即ち起業)を決意した。
 というと格好は良いが、要は一人企業の起業であり、順調に育てばその時は他人も入れ、組織化して行けば良いと考えた。(これがある意味で、今回の失敗に繋がったのかもしれない)

 それではどういう仕事をしようか、いうことになるが、これは、小生が長年に亘って経験し、培って来た人間関係などがある食品、それも健康食品に関連する事業にしようと直ぐに決めた。
 
 もともと、小生は薬科大学を卒業して、薬剤師になったが、余り薬のことは良く知らないし、本当に病気で必要な時以外は薬は使わないほうが良いと考えており、健康の基は食品であると確信していた。
 更に、昔と違って食べ物が豊富な今の方が、個人差があるが、どうしても食生活に偏りがあり、
その分、栄養素を補給するための健康食品(小生は栄養補助食品=サプリメントという言葉の方が妥当と考えるので、以後はサプリメントと記述する)は必需品であると考えていた。
 実際のところ、小生は仕事でも扱ったサプリメントの愛用者であり、そのお陰か、67歳の現在も歯・目・XX共に健全な状態にある。
 
 ということで、サプリメント原料に関する知識と拘り、培って来た人脈による製造・品質管理、そして、最後の販売に関するノウハウは自身の長い経験とノウハウを活かせば、十分に成功出来ると考えていた。
 そうして、結論として「私のために、私自身が造る、私のサプリメント」は、その延長線上に
「仲間の為に、仲間(私)が造る、仲間(皆)のサプリメント」というコンセプトで事業を始めようという想に至った。
 
 以上が起業までの経過と起業に当っての想いである。

自分のことは自分で決める。その当たり前のことが、

2005-06-11 16:38:01 | 社会との繋がり
 今日の新聞に「国会議員年金改革案先送り・・」という記事が出ていた。
 一方で、我々国民の年金に関する改革は昨年10月より確実に実施され、その上で、国民年金・厚生年金・共済年金の一元化云々・・という出来もしないお題目を唱え、国会で細々と討議されている由である。
 
 これらの事を見ても前にも書いたが、わが国では「主権在官僚(政治家)」で、自分のことを決められるのは彼らだけであり、国民は彼らの決めたことを守るだけという構図である。
 だから,彼ら自身に不利になることを自ら決めることはある筈が無く,非難されないように、いずれ国民が忘れてくれる迄、先延ばしを続けるのが常套手段である。
 
 国民が不利になることが明らかでも、国民に選ばれた者が決めることは当然であるということで、平然と決定し、反面、国会議員の数や公務員の数の削減、議員・公務員の年金改革問題などはあれこれ言って、実施を先送りする。

 こんな見え透いたことが何故まかり通るのであろうか。小生が思うには、国民がノホホンとしていて、なんら疑問を持たないか、あるいは、議員や官僚にベッタリくっ付いて、その恩恵に与っている輩が多い為であろう。
 
 何度も言うが、国民が現状を改革し、よりよい状況にしたいと思うのならば、矢張り選挙の折に
投票する相手をキチンと選ぶことである。
 その一歩が来る7月実施の東京都都会議員の選挙であると思う。(今回投票出来るのは東京都民だけであるが)

 その証拠に、今朝の新聞に依れば、今最大の国会での議題の「郵政改革法案」の採決を、都議選のある7/3(日)以降まで先延しすることが話合われている様である。それほど、郵政改革審議でいろいろ議論され、決定されることが、都議選で政府・与党側にとって不利であると考えているのである。
 
 とにかく、選挙で我々国民の意思を尊重しない人を当選させないことである。現在の議員の評価が分からないというのであれば、先ず、選挙で投票せず、落選させることである。そうしないと絶対変わらない事を是非し認識しておきたいものである。

信州塩尻市片丘の旅

2005-06-11 15:14:17 | 楽しき事・時
 およそ1ケ月振りの投稿になるが、この1ケ月ビジネス上の問題で悩みに悩んだ。齢67歳にして挑んだ新規事業の経営は想わぬことから中止を余儀なくされた。
 この件は改めてまとめて書き残したい。
 
 その間、6/2~3に1泊2日で中学時代の同級会があり、信州の塩尻市片丘の「アスティかたおか」というJA長野が経営する温泉宿泊施設に泊まった。
 翌日は天気予報では雨であったが、朝からドンドン天気が回復してきた。そのおかげで、近くの高ボッチ高原という所に言った。
 信州生まれの小生でも始めて行くところで、つつじの花の満開には少し早過ぎたが、その高原から見るう360度の景色は素晴らしいものであった。
 一方の180度は槍・穂高などの北アルプス連峰の山々が一望に出来、他方の180度は諏訪湖越しに八ヶ岳・富士山が眺められるという贅沢さであった。
 小生は母親が安曇野・穂高町の出身であり、あずみ野地区へは何度か行ったことがあるが、直ぐ近くの塩尻にこの様な場所があることを知らなかった。あずみ野方面に行かれる方は、是非一度行かれることをお奨めしたい。
 なお、塩尻から高ボッチ高原への道が狭いことから車で行くと運転が大変だが、バスなどの便を考えれば車で行くしかないので、是非運転にはルールと互譲精神を持って行って欲しい。
 いずれにしても、小生にとっては良いストレス解消の旅になった。