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美の五色 bino_gosiki ~ 美しい空間,モノ,コトをリスペクト

展覧会,美術,お寺,行事,遺産,観光スポット 美しい理由を背景,歴史,人間模様からブログします

北野天満宮は驚きの日本画と名刀を所蔵_至宝展 4/14まで

2019年03月06日 | お寺・神社・特別公開

梅が見頃を迎えている北野天満宮で、所蔵する名刀や江戸・明治期の絵画を披露する展覧会「北野天満宮の至宝」が宝物殿を会場に開かれています。

  • 北野天満宮は神社としては日本有数の江戸・明治期の絵画コレクター
  • 源氏伝来の名刀・鬼切丸を含む25振の刀剣はファンにはたまらない
  • 京都文化博物館でも北野天満宮の展覧会を並行して開催、回遊がおすすめ


国宝の北野天神縁起絵巻は、京都文化博物館で展示中です。あわせて鑑賞することで北野天満宮が所蔵する美術品や史料の奥深さを体験することができます。



宝物殿は常時公開ではなく、観梅・紅葉シーズンや毎月25日の縁日の日など、多客期を中心に公開されています。この展覧会は京都文化博物館の展覧会とジョイント開催もあり、1月から4月までと異例の長さで開催されています。



北野天満宮は、言わずもがな菅原道真をまつるために、平安時代半ばの947(天暦元)に朝廷によって創建されました。朝廷、藤原氏、足利将軍家、豊臣秀吉など一貫して権力者からの信奉を受け続けます。江戸時代には現在のように学問の神として知られるようになり、全国に普及した寺子屋の守護神として多くの分祀が行われます。

北野天満宮が多数の美術品を所蔵するのは、時代を通じて上流階級からたくさんの寄進を受けるほど信奉を集め続けていたためにほかなりません。


宝物殿

宝物殿は、上品な緑色が美しい唐破風屋根が特徴です。展示室はコンパクトですが、見応えのある作品が並んでいます。

入口では輝かしい刀身の名刀「鬼切丸」が出迎えます。展示は3/17までですが、3/19以降は京都文化博物館の展示替えに合わせ、秀頼が奉納した「圀広」が展示されると予想されます。いずれも重要文化財です。昨年2018年秋に京都国立博物館で行われた「京のかたな」展と同様、若い女性が熱心に見つめる姿が目立ちました。”かたな”のファン層はしっかりと根付いているようです。

【北野天満宮公式サイト】 ご紹介した作品の画像の一部が掲載されています

江戸・明治の日本画も名品が並んでいます。北野天満宮だけあって、梅がモチーフの作品が目立ちます。竹内栖鳳の「紅白梅図」は、梅の香りが漂ってくるかの如く、生命感あふれる描写が見事です。背景を描かず梅だけをクローズアップさせていることで、春の訪れを強調しているかのようです。

幕末から明治にかけて宮中の御用絵師だった望月玉泉(もちづきぎょくせん)の「梅花臘月図」は、おぼろ月を梅の枝に重なるよう描いています。月夜の梅の美しさを絶妙に表現しています。


長五郎餅 境内売店

北野天満宮は昔から門前グルメが充実していることでも知られています。近くの中立売通の商店街にある「長五郎餅」は天満宮境内に出店があります。参道入口の鳥居から今出川通りをはさんだ向かい側には、粟餅の「澤屋」と豆腐料理の「とようけ茶屋」があります。いずれの店もいつも行列ができていますのですぐにわかります。

人々から愛され続けている神社で、充実した展覧会と一緒にグルメをお楽しみください。

こんなところがあります。
ここにしかない「空間」があります。



日本一の学業成就のお守り、これしかない

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北野天満宮の至宝 宝物殿公開中
【神社による展覧会公式サイト】

会場:宝物殿
会期:2019年1月1日(火)~4月14日(日)
原則休館日:2/18-2/22
入館(拝観)受付時間:9:00~16:00

※2/17までの第1期展示、2/23以降の第2期展示で一部展示作品/場面が入れ替えされます。
※1期・2期展示期間内でも、展示期間が限られている作品/場面があります。
※宝物殿は常時公開されていません。

北野天満宮 梅苑公開
【神社による行事公式サイト】

会期:毎年2月上旬~3月下旬
原則休館日:なし
入館(拝観)受付時間:9:00~16:00
  2/22-3/17金土日曜はライトアップ公開:日没~20:00



◆おすすめ交通機関◆

地下鉄「今出川」駅下車、3番出口から市バスに乗換「北野天満宮前」バス停下車、徒歩1分
JR京都駅から一般的なルートを利用した平常時の所要時間の目安:30分
京都駅→地下鉄烏丸線→今出川駅(烏丸今出川)→市バス51/102/203系統→北野天満宮前

【公式サイト】 アクセス案内

※京都駅から直行するバスもありますが、地下鉄とバスを乗り継ぐ方が、時間が早くて正確です。
※この施設には無料の駐車場があります。
※渋滞と駐車場不足により、健常者のクルマによる訪問は非現実的です。


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奈良 法華寺 絶世の美仏が春の公開_国宝 十一面観音 3/20から

2019年03月05日 | お寺・神社・特別公開

尼寺らしい優しい趣の境内で知られる奈良・法華寺(ほっけじ)で、国宝の十一面観音の春の公開が間もなく始まります。女性的な美しさでは日本有数の美仏です。

  • 奈良時代に全国に設けられた国分尼寺の総本山、光明皇后ゆかり
  • 門跡尼寺の伝統があり、境内の雰囲気はとても女性的
  • 十一面観音のほか維摩居士坐像も国宝、伝わる文化財の質は高い
  • 奈良市では数少ない江戸初期の名勝庭園も春に限って公開


東大寺や興福寺と比べ観光客は少ないため、落ち着いて1300年続く空間を味わうことができます。天平の名残を体感するには、法華寺は欠かせません。


シンプルな境内にほのかな桜が合う

法華寺の境内は隣接する海龍王寺と共に、光明(こうみょう)皇后の父・藤原不比等の邸宅でした。745(天平17)年に光明皇后が寺にした後、総国分尼寺となり、奈良時代には大伽藍が形成されます。平安京に遷都後は、他の奈良の寺院と同様、衰退していきます。南都焼討の後、東大寺を復興した重源や西大寺を中興した叡尊によって復興されますが、戦国時代に再び戦火で焼失します。

現在の本堂は1601(慶長6)年に豊臣秀頼と淀殿によって再建されたものです。名勝庭園が作庭されたのは、江戸時代初めに後水尾天皇の皇女が入寺し、尼門跡寺院となった頃と考えられています。


浴室

境内の堂宇はいずれもコンパクトで、女性的な趣を感じさせます。浴室(からぶろ)は江戸時代半ばの建築ですが、光明皇后が庶民に沐浴(もくよく)を推奨し、病気治療に努めたという伝説があります。光明皇后は、貧者を救済する悲田院(ひでんいん)や、薬草を施す施薬院(やくいん)を設立しています。大阪・四天王寺に同様の施設を設けた聖徳太子と並んで、日本の社会福祉の第一人者と言えます。


本堂

【奈良県観光公式サイトの画像】法華寺 十一面観音

本尊の十一面観音は、光明皇后の姿を彫り上げたという伝説がありますが、お顔に密教的な表現があります。実際の制作は平安時代初期と考えられます。絶世の美女にも美少年にも見えるお姿は、究極の中性的な造形として絶品です。一部の彩色を除いてカヤの木肌の美しさを強調する素地仕上げであることも、仏様の印象を一層神秘的に感じさせます。

細い枝の先にハスのつぼみと葉だけが付けられた珍しい光背は、天竺を思わせるエキゾチックなお顔とも絶妙に調和しています。像高1mの小振りな立像ですが、美しく洗練された存在感があります。素晴らしい国宝です。江戸時代初期の本堂再建時に、本尊とされたようです。特別公開時以外は、本物のビャクダンで造られた御分身像を拝むことができます。こちらも必見です。

本堂には2017年に国宝になった維摩居士(ゆいまこじ)坐像も安置されており、こちらは通年公開です。奈良時代末期の造立で、釈迦の弟子の姿を表したものです。口を開けて話し出す瞬間を写真のように見事に表現しています。天平時代の肖像彫刻の傑作です。


名勝庭園

名勝庭園は、毎年4月1日から6月上旬の期間だけの公開です。5月のカキツバタがよく知られていますが、4月も新緑を楽しむことができます。木々の密度が濃いことがこの庭園の特徴で、池の周囲を回遊しながら緑の豊かさをより味わうことができます。



法華寺は平城宮跡の東隣にあります。東院庭園や海龍王寺とセットにした散策がおすすめです。奈良の大きな青空は、春にはことさら明るく感じられます。

こんなところがあります。
ここにしかない「空間」があります。



聖武天皇以上に存在感のあった皇后の実像に迫る

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法華寺
十一面観音 特別開扉 春季
【奈良県観光公式サイト】

会場:本堂
会期:2019年3月20日(水)~2019年4月7日(日)
原則休館日:なし
入館(拝観)受付時間:9:00~16:30

※この特別公開は、毎年ほぼ同日程で行われています。秋季(10/25頃~11/10頃)にも公開されます。
※この寺は観光目的で常時公開されています。

国史跡名勝庭園 特別公開
【奈良県観光公式サイト】

会期:毎年4月1日~6月10日頃
入館(拝観)受付時間:9:00~16:30

法華寺
【公式サイト】http://www.hokkeji-nara.jp/

原則休館日:なし
入館(拝観)受付時間:9:00~16:30

※公開期間が限られている仏像や建物・美術品があります。



◆おすすめ交通機関◆

近鉄奈良線「新大宮」駅下車、徒歩20分

JR大阪駅から一般的なルートを利用した平常時の所要時間の目安:1時間10分
JR大阪駅→JR環状線→鶴橋駅→近鉄奈良線→新大宮駅

【公式サイト】 アクセス案内

※この施設には無料の駐車場があります。


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素朴な境内で天平空間と鎌倉美仏を味わう_奈良 海龍王寺 3/23から

2019年03月04日 | お寺・神社・特別公開

こじんまりした境内で、奈良の素朴な風情と天平の香りが味わえる古刹があります。平城宮跡のすぐ東にある海龍王寺(かいりゅうおうじ)です。

  • 天平時代の国宝・五重小塔は保存状態が良く、1200年前の荘厳な姿を今につたえる
  • 本尊・十一面観音は慶派仏師による端正なマスクが個性的
  • 3月下旬には雪柳の白い花が境内を埋め尽くし、桜とのハーモニーが絶品


十一面観音は春秋それぞれ約2週間のみしか公開されません。お会いすると、とても記憶に残る美仏です。


咲き乱れる雪柳が訪れる人を出迎える

海龍王寺は、731(天平3)年に光明(こうみょう)皇后によって開かれ、聖武天皇治世後半に権勢をふるった僧・玄昉(げんぼう)が初代住職になったという創建縁起を、寺は公式見解としています。同時代の史料ではこの創建縁起が確認できないことから学術的には立証されていませんが、史実から推測するとこの創建縁起は合理的に解釈することができます。

海龍王寺は、奈良時代に全国の国分尼寺(こくぶんにじ)の総本山として建立された法華寺(ほっけじ)と境内が隣接しています。両寺とも光明皇后の父・藤原不比等(ふじわらのふひと)の邸宅が境内になっています。

海龍王寺は平城京遷都前から存在し、不比等が邸宅を構える際に藤原家の私的な祈願所として取り込まれました。光明皇后は父の邸宅を相続し、祈願所は宮廷の私的な寺である内道場(ないどうじょう)となります。平城宮に隣接しており、通うには便利な立地です。

同じ頃、玄昉が聖武天皇の母の病気を祈祷で回復させ、宮廷内で発言力を増します。こうした史実から、玄昉が海龍王寺を拠点に行動したことは合理的に推測できます。


西金堂の中にある五重小塔

国宝・五重小塔が収められた西金堂は、奈良時代前半建立の重要文化財です。鎌倉時代に大規模な修理が施されています。本尊の十一面観音も鎌倉時代の慶派仏師による造像です。鎌倉時代前半には、真言律宗の宗祖・叡尊(えいそん)が住しています。隣接する法華寺と共に南都焼討に巻き込まれて荒廃していた寺は、叡尊以降に復興された可能性が高いと考えられます。

五重小塔は、当初から室内に安置する”小塔”として造られたと考えられています。通常の塔を建立できるほどの敷地が境内にはなく、宮廷の私的な寺院であって、人目につかせる必要がなかったからかもしれません。



結果的に1,200年以上室内にあったため、彩色はとても綺麗にのこっています。最上階の屋根までは3mもないため、木組みが間近にとてもリアルに見えます。通常の数十mもある塔では決して体験することができない距離感です。”小塔”と聞くと”模型”のように見下してしまいがちですが、そんな思い込みを後悔するほどの出来栄えと美しさです。

奈良にはもう一つ国宝の五重小塔が元興寺(がんごうじ)にあります。元興寺の五重小塔は通常の塔と同じく部材を組み合わせて造られており、内部構造まで見ることができます。海龍王寺の五重小塔は内部構造がない箱状の構造物に木組みや屋根を張り付けたものですが、制作はより古いと考えられています。創建時とほぼ同じ室内空間に安置され続けています。天平時代を体験できる稀有な空間です。


本堂

【海龍王寺公式サイトの画像】十一面観音像

春秋の約2週間ずつ限定公開の本尊・十一面観音は、戦後まで秘仏でした。金地の保存状態がとてもよく、800年前の輝くような美しさを見事に今に伝えています。

十一面観音は千手観音と並んで”悩み事は何でも聞きます”系のターゲットの広い仏様です。柔和なお顔立ちが一般的ですが、海龍王寺本尊は”端正”です。鎌倉仏という制作時期の特徴もあり、仏様としてモダンに感じます。快慶的な静かな表情がさらにスタイリッシュになっています。奈良に数ある美仏の中でも、特に個性的です。


雪柳の上に桜

海龍王寺のある、近鉄奈良線から北に広がるエリアは佐保(さほ)と呼ばれます。閑静な住宅街の中に名だたる法華寺などの古刹や聖武天皇陵などの遺跡が点在しており、散策しながら楽しむ人がとても多いエリアです。春は色とりどりの花もあちこちに咲いています。奈良の大きな青空は、近づく春の陽気を充分に楽しませてくれます。

こんなところがあります。
ここにしかない「空間」があります。



住職と親交が深いみうらじゅんのこだわりグッズは芸術的

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海龍王寺
十一面観音開帳 春季特別公開
【奈良県観光公式サイト】

会場:本堂
会期:2019年3月23日(土)~4月7日(日)、5月1日(水)~5月9日(木)
原則休館日:なし
入館(拝観)受付時間:9:00~16:50(5/9は~11:50)

※荒天中止の場合があります。
※この特別公開は、毎年ほぼ同日程で行われています。秋季(10/25頃~11/10頃)も行われます。
※この寺は観光目的で常時公開されています。

海龍王寺
【公式サイト】 http://www.kairyuouji.jp/

原則休館日:8/12-17、12/24-31
入館(拝観)受付時間:9:00~16:30

※荒天時は拝観中止になる場合があります。
※公開期間が限られている仏像や建物・美術品があります。



◆おすすめ交通機関◆

近鉄奈良線「新大宮」駅下車、徒歩15分

JR大阪駅から一般的なルートを利用した平常時の所要時間の目安:1時間10分
JR大阪駅→JR環状線→鶴橋駅→近鉄奈良線→新大宮駅

【公式サイト】 アクセス案内

※この施設には無料の駐車場があります。


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凄腕P足利義政の美的センスを体感_銀閣寺 東求堂 特別公開 3/16から

2019年03月02日 | お寺・神社・特別公開

銀閣寺で観音堂・銀閣に引けを取らない美しい国宝建築・東求堂(とうぐどう)の内部公開が間もなく始まります。名プロデューサー・足利義政が今に遺す、日本文化の原点になったかけがえのない空間を鑑賞できます。

  • 床の間や座敷があり、書院造の原型となった室町時代半ばの建築
  • 足利義政の美意識を表現したしつらえは、500年後の現代でもとても洗練された印象を受ける
  • あわせて公開される方丈では蕪村と大雅の襖絵も鑑賞できる


観音堂・銀閣の室内が公開されることはまずありません。義政の遺した美意識は東求堂でしか味わえません。


方丈と東求堂の間の坪庭にある袈裟形の手水鉢

東求堂は、足利義政が存命中の1486(文明18)年に、持仏堂として完成しました。義政の美意識が徹底して表現されていると考えることができます。観音堂・銀閣は完成前に義政がこの世を去っているため、義政の美意識の表現が100%なされているとは言い切れません。

銀閣寺の前身で義政が造営した別荘・東山殿には当初、文化サロンだった会所や義政が居住した常御所、複数の茶室など多くの建物がありました。1550(天文19)年には、観音堂と東求堂を除いて戦災でことごとく焼失します。観音堂と東求堂は義政の執念によって守られたようなロマンすら感じてしまう、義政の美意識のアバターのような存在です。


方丈からのぞむ銀沙灘の白砂と銀閣

特別公開は定員20名のガイドによるツアー制で、自由拝観はできません。東求堂を守るためには合理的なシステムです。ただし先着順で事前予約はできません。ネットで事前予約できて、英語や中国語でのツアーも設けられると観光面ではとても理想的です。京都でもトップクラスの拝観者数がある銀閣寺にぜひ、新しいやり方の率先をお願いしたいものです。

通常の拝観料を収めた後、方丈前に設置された申込書、といっても飲食店の順番待ちの際に名前を書くボードのようなものに名前を記入した順番にツアーに参加できます。東求堂は銀閣と比べて圧倒的に知名度が低いこともあり、私が訪問した平日の午前中はスタート直前でも参加できていました。

しかし好天の週末は混雑することも予測されます。受付が始まるツアー1時間前に受付を済ませ、その間に庭園を回遊して鑑賞するのが効率の良い時間の使い方でしょう。


東求堂

東求堂では、書院造の原型と言われるしつらえを最も感じることができる部屋・同仁斎(どうじんさい)に、義政が客人に宝物を披露した飾り付けが再現されています。この部屋は義政が書斎や茶室として使っており、現在に続く四畳半の間取りや茶室の原点でもあります。義政から500年後に生きる私たちが見てもその美しさは深く記憶に残ります。床の間が障子で開くようになっており、庭園を掛軸のように見せるアイデアは感動的です。義政は500年間も美的価値を損なわせない表現ができた凄腕Pだったことは間違いありません。

義政はこの部屋以外にも、敷地内にあった会所(かいしょ)に上流階級の客人を招き、歌会や茶会を催していました。いわば都の最高級の文化サロンであり、日明貿易で入手した最高級の宝物である唐物(からもの)を披露していました。これらコレクションは東山御物(ひがしやまごもつ)と呼ばれ、作品や作家を品評した美術書・君台観左右帳記(くんだいかんそうちょうき)は現代も、中世の中国や日本美術を知る重要な基礎史料となっています。


銀閣の鳳凰

現代の生活から文芸まであらゆる日本文化はおおむね室町時代に始まっています。現代日本文化の原点が、痕跡として同仁斎に遺されているのです。知名度では完敗の観音堂・銀閣に比べ、日本文化への影響の偉大さでは東求堂が完勝です。日本文化の奥深さを味わうには、必見のスポットです。

こんなところがあります。
ここにしかない「空間」があります。



中世の権力者は理想郷をどう作ろうとしたのか?

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銀閣寺(正式名称:慈照寺)
春の特別拝観(本堂、国宝東求堂、弄清亭)
【京都市観光協会公式サイト】銀閣寺 春の特別公開「東山文化の原点 国宝東求堂」

公開箇所:
本堂   :本尊・釈迦牟尼仏置、与謝蕪村と池大雅襖絵(複製)
国宝東求堂:阿弥陀如来像、足利義政公坐像、四畳半書院「同仁斎」、書院飾りの再現
弄清亭  :御香座敷(香座敷の本歌)、奥田元宗襖絵
会期:2019年3月16日(土)~5月6日(月)
原則休館日:なし
案内スタート時間:毎日10:00/11:00/12:00/13:30/14:30/15:30の6回、所要約30分
定員:各回20名(当日各回60分前に本堂前に掲示される申込書への名前記入順)

※案内申し込みのために本堂へ向かうには入山料が必要です。特別拝観料も別途必要です。
※申込書への名前記入後、案内スタート時間10分前までに本堂前に集合
※ガイドによる案内のみです、自由拝観できません。
※6名以上のグループ・団体は拝観できません。
※特定の時間帯の案内が休止される場合があります。

※この特別拝観は、おおむね春(3~5月頃)と秋(10~12月頃)に定期的に行われています。
※この寺は観光目的で常時公開されています。庭園と国宝銀閣の外観の鑑賞は常時可能です。

銀閣寺
【公式サイト】 http://www.shokoku-ji.jp/g_about.html

原則休館日:なし
入館(拝観)受付時間:8:30~17:00(12-2月は9:00~16:30)

※公開期間が限られている仏像や建物・美術品があります。
※公開されていない仏像や建物・美術品があります。



◆おすすめ交通機関◆

地下鉄「今出川」駅下車、3番出口から市バスに乗換「銀閣寺道」バス停下車、徒歩10分
JR京都駅から一般的なルートを利用した平常時の所要時間の目安:35分
京都駅→地下鉄烏丸線→今出川駅(烏丸今出川)→市バス59/102/203系統→銀閣寺道

【公式サイト】 アクセス案内

※京都駅から直行するバスもありますが、地下鉄とバスを乗り継ぐ方が、時間が早くて正確です。
※この施設には駐車場はありません。
※道路の狭さ、渋滞と駐車場不足により、健常者のクルマによる訪問は非現実的です。


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京都 真如堂 元禄時代の最先端博物学にふれる_涅槃図公開 3/1から

2019年02月24日 | お寺・神社・特別公開

新暦3月15日前後は、釈迦の年忌法要である涅槃会(ねはんえ)が多くの寺で行われ、釈迦の入滅の様子を描いた涅槃図が公開される寺があります。京都・真如堂(しんにょどう)もその一つで、毎年3月の一か月間、涅槃図が公開されます。

  • 高台にあり、四季の移ろいや庭の美しさでは京都有数の寺だが、案外知名度が低い
  • 涅槃図では日本最多の127種の生き物が生き生きと描かれ、時間の経過を忘れて見とれてしまう
  • 公開期間中に授与される、無病息災に利益がある餅菓子「花供曽(はなくそ)」も人気


三井家の菩提寺で、海北友松の墓もあります。境内の雰囲気は女性的でとても優美です。



京都の東、京都大学と平安神宮を見下ろす小高い丘・吉田山に真如堂はあります。洛中を見渡せる絶景で知られる金戒光明寺の北に隣接しています。真如堂からは洛中は見渡せませんが、逆に五山送り火の大文字山を真正面にのぞむことができます。

真如堂は通称で、正式には真正極楽寺(しんしょうごくらくじ)と言います。正式名称は京都人の間でもあまり知られていないほどで、寺の公式サイトのURLもshin-nyo-do.jpです。真如堂という通称は創建時の本堂の名称に由来します。

平安時代半ば、藤原道長による摂関政治の絶頂期を迎える直前の984(永観2)年、後の一条天皇の生母・藤原詮子(ふじわらのせんし)の別荘があった神楽岡(かぐらおか)に”真如堂”を設けたのが寺の始まりです。神楽岡とは吉田山の旧称で、創建時の真如堂は現在地の北の隣接地にありました。

その後、応仁の乱や秀吉の都市政策の影響で寺地を転々とし、現在地に落ち着いたのは江戸時代半ばの1693(元禄6)年になってからです。



真如堂が現在地に落ち着いた頃、京都では三井家の繁栄の礎を築いた三井高利が松阪から拠点を移し、晩年を過ごしていました。祖先の縁で三井家の菩提寺になった真如堂は、三井家から多くの寄進を受けることになります。

【寺公式サイトの画像】涅槃図

3月に公開される涅槃図も、三井家からの寄進です。1709(宝永6)年に海北派の絵師によって制作されました。涅槃図は仏画ですが、荘厳というよりも若冲が描く生き物のように、まさに”生き生きと”描かれています。

京や大坂で上方文化が絶頂期を迎えていた元禄時代らしい華やかさにつつまれています。127種も描かれた生き物は、当時の博物知識の集大成のようです。三井家が金に糸目をつけずに発注したことをうかがわせます。元禄時代の上方には、日本の最先端の文化が集積していたのです。


随縁の庭

3月の涅槃図公開時には、以下の一級の寺宝は公開されませんが、常時公開の二つの庭園の絶景を楽しむことができます。

  • 重文の本尊「うなずきの阿弥陀」
  • 国宝の運慶が書写した「法華経」
  • 重文で応仁の乱の様子が史実として確認できる「真如堂縁起」
  • 狩野山雪の重文「寒山拾得図」


随縁(ずいえん)の庭は、現代を代表する名庭です。2010年に昭和の名作庭家・重森三玲の孫・重森千靑(しげもりちさを)による作品です。日本庭園におけるアール・デコのような幾何学的なデザインが、何より目を引きます。伝統的な日本庭園の意匠に、現代の魅力を付加した逸品です。数百年後に特別名勝(=庭の国宝)になっているかもしれません。


涅槃の庭

涅槃の庭からは、東側の大文字山を借景にした絶景をのぞむことができます。高台にあるため高層建築が目に入らず、いにしえのナチュラルな風景を味わえます。枯山水ながらも1988年の作庭と新しく、こちらもモダンな名庭です。

桃山時代の代表的な絵師・海北友松(かいほうゆうしょう)は、本能寺の変直後の天王山の戦いで敗れた明智光秀の重臣・斎藤利三と親交を深めていました。利三の処刑後に真如堂に手厚く葬ったことで、三代将軍・家光の乳母で利三の娘・春日局から海北家と真如堂は庇護されることになります。

3月の涅槃図公開中に授与される”はなくそ”は、刺激的なネーミングですが、実に素朴な菓子です。ほのかな甘さと餅を揚げたかりかりした食感が絶妙です。創建時から女人の庇護を伝統とした真如堂の優雅さが現れた授与品です。


野路菊

3月になると随所で植物がうなり声を発し始めます。いかにも新鮮で瑞々しい緑を楽しめます。水をはじくピチピチした葉の質感は、春の訪れを象徴しています。

こんなところがあります。
ここにしかない「空間」があります。



涅槃図はなぜこんなにも多様な描写をしているのか?

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真如堂(正式名称:真正極楽寺)
涅槃図公開
【JR東海 そうだ京都、行こう。】真如堂 涅槃図公開

会場:真如堂 本堂
会期:毎年3月1日~31日(日付で固定)
原則休館日:なし
入館(拝観)受付時間:9:00~15:45

※この寺は観光目的で常時公開されています。
※公開期間が限られている仏像や建物・美術品があります。

真如堂(正式名称:真正極楽寺)
【公式サイト】 http://shin-nyo-do.jp/



◆おすすめ交通機関◆

地下鉄烏丸線「丸太町」駅下車、1番出口から市バス乗り換え「真如堂前」下車、徒歩8分
京阪鴨東線「神宮丸太町」駅下車、5番出口から徒歩25分
地下鉄東西線「蹴上」駅下車、1番出口から徒歩25分

JR京都駅から一般的なルートを利用した平常時の所要時間の目安:40分
京都駅→地下鉄烏丸線→丸太町駅(烏丸丸太町)→市バス93/204系統→真如堂前

※京都駅から直行するバスもありますが、地下鉄とバスを乗り継ぐ方が、時間が早くて正確です。
※この施設には駐車場があります。
※道路の狭さ、渋滞と駐車場不足により、健常者のクルマによる訪問は非現実的です。


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岐阜 永保寺 見事な中世空間が3/15に特別公開

2019年02月23日 | お寺・神社・特別公開

名古屋からJR中央線で40分ほどのところにある岐阜県多治見市に、中世の趣を如実に伝える禅寺があります。永保寺(えいほうじ)です。国宝の観音堂と開山堂が年に一日だけ公開される日を間もなく迎えます。

  • 観音堂は鎌倉時代末期の建立、禅寺にのこる建造物としては日本最古クラス
  • 夢窓疎石の作庭と伝えられる庭園は借景の岩山を巧みに利用、観音堂と庭の調和も見事
  • 中世がタイムスリップしたような空間を最も如実に体験できる国内随一の寺


南北朝時代の禅僧のスーパースター・夢窓疎石(むそうそせき)が開いた寺です。山中の隠遁生活を好んだ夢窓疎石らしい、自然と見事に調和した境内です。


国宝・観音堂と無際橋

永保寺は鎌倉時代末期の1313(正和2)年、兄弟弟子で行動を共にしていた夢窓疎石と元翁本元(げんのうほんげん)によって開かれました。夢窓疎石が鎌倉で修行していたころ、美濃の守護大名・土岐頼貞(ときよりさだ)と懇意になり、当地に招かれたことが開山のきっかけです。

夢窓疎石・元翁本元ともに後醍醐天皇の帰依を受けていましたが、建武の新政の失敗後は北朝の光明天皇の帰依を受けることになります。夢窓疎石は都と距離を置いた人物とされていますが、それを上回る人望を集めたひとかどの高僧だったのです。


山に囲まれた境内には道を下って入る

境内は西側を山に、東側を土岐川に囲まれており、天然の要害のような立地です。境内に入るには西側の山から参道を下っていくため、山に上っていく通常の寺とは逆の感覚になります。非日常感をより強く感じます。

参道を下ると、檜皮葺(ひわだぶき)の美しい屋根の堂宇が見えてきます。国宝の観音堂で、禅寺で本尊を安置する仏殿に相当する堂宇です。

1314(正和3)年の建立は、いずれも国宝で、1320(元応2)年建立の下関・功山寺(こうざんじ)仏殿、1327(嘉暦2)年建立の和歌山・海南・善福院(ぜんぷくいん)釈迦堂を上回る、日本最古の禅寺建築と考えられています。四隅が鋭く反り返りながらとんがった檜皮葺きの屋根が一層、中世の趣を感じさせています。


観音堂の天井

観音堂の外観は明らかに禅宗様(ぜんしゅうよう)建築ですが、室内は天井板があって床は板張りの和様(わよう)建築です。流木で組まれた岩窟のような厨子には本尊の聖観世音が祀られています。流木は700年の時を経たことを感じさせる質感を示しており、室内でも中世の趣を濃厚に感じることができます。

観音堂の前の池には太鼓橋の無際橋(むさいきょう)が架けられており、観音堂の外観と絶妙に調和しています。橋の中央には屋根のある亭舎が設けられています。亭舎は明治になってから付加されたものと考えられています。きっと観音堂との景観の調和を計算したものでしょう。池をはさんでのぞむ観音堂と無際橋の景観はまさに完璧です。


国宝・開山堂

観音堂から無際橋を渡って池を回り込むと、山を借景にした境内の最も奥に国宝の開山堂(かいざんどう)があります。観音堂建立から少し後の1352(文和元)年、夢窓疎石の死の翌年に足利尊氏の寄進で建立されたと考えられています。後部の祠堂と前部の礼堂を相の間でつなげた建築は、日光東照宮で知られる神社の権現造建築の原点になっているに感じます。

開山堂は建物内外とも純粋な禅宗様の意匠です。天井板がなく瓦床の室内の奥には二人の開祖の色彩豊かな像がまつられています、中国の中世にタイムスリップしたようです。


庫院 玄関

2003年の焼失後に再建された庫院と方丈では、寺宝が当日のみ展示されています。白木の実に心地よい香りが漂うピカピカの空間は、建立直後の寺院建築の美しさを実感することができます。

年に一日だけですが、素晴らしい体験ができます。普段は観音堂と開山堂を近づいて観ることはできません。お帰りには多治見名物のうなぎもぜひ。

こんなところがあります。
ここにしかない「空間」があります。



仏教と美術の第一人者がスーパースターの魅力を斬りこむ

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永保寺
観音堂、開山堂、宝物 特別公開

会期:毎年3月15日(日付で固定)
入館(拝観)受付時間:9:00~15:00

※この寺の境内は観光目的で常時公開されています。

永保寺
【公式サイト】http://www.kokei.or.jp/

原則休館日:なし
入館(拝観)受付時間:5:00~17:00



◆おすすめ交通機関◆

JR中央線「多治見」駅北口下車、東鉄バス「虎渓山」下車、徒歩7分
JR中央線「多治見」駅北口から車で10分
中央道「多治見」ICから車で10分

JR名古屋駅から一般的なルートを利用した平常時の所要時間の目安:1時間10分
名古屋駅→JR中央線快速→多治見駅→北口N番バス乗り場→東鉄バス小名田線→虎渓山

※鉄道やバスは本数が少ないため、事前にダイヤを確認の上、利用されることをおすすめします。
※無料の駐車場があります。
※現地付近のタクシー利用は事前予約をおすすめします。


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東福寺の”文化財の質”を物語る光明宝殿_京の冬の旅 公開 3/1から

2019年02月18日 | お寺・神社・特別公開

普段は非公開の京都・東福寺の宝物館、光明宝殿(こうみょうほうでん)がまもなく特別公開されます。2019年の「京の冬の旅」による特別公開で唯一、3月だけに公開される施設です。

  • 京都でも有数の質と量を誇る東福寺の文化財にじっくり向き合える
  • 伝運慶作の金剛力士像、万寿寺の阿弥陀如来など、禅寺としては美仏が多い
  • 渡辺了慶の障壁画や応挙らの江戸絵画の名品もずらり


東福寺の持つ文化財の質と量をふまえれば、展示品を入れ替えて「常時公開できるとのでは?」思えるほど充実しています。



東福寺は、鎌倉時代初めに絶大な権勢を誇った九条道家(くじょうみちいえ)によって創建され、以来九条家との密接な関係を保ってきました。京都の禅寺でも最大規模を誇る伽藍は、近衛家と並んで江戸時代に五摂家最大級の石高を得ていた九条家の威光、そのものでもあります。

妙心寺と並んで塔頭も非常に多く、現在も25か寺あります。普門寺や万寿寺といった京都の禅寺の名門も影響下に治め、光明宝殿に数多くの文化財が集まる背景となっています。

普門寺(ふもんじ)は、東福寺に開山として迎えられた聖一国師円爾(しょういちこくしえんに)が、東福寺の伽藍完成に先立って住するために開かれました。東福寺の原点のような寺ですが、おそらく江戸時代に廃寺となります。現在は東福寺の開山堂があるエリアにある常楽庵(じょうらくあん)の庫裏や客殿に、名称だけが伝えられています。


万寿寺

万寿寺(まんじゅじ)は禅寺として創建されたのではなく、平安時代後期に絶大な権勢を誇った白河上皇が、皇女の菩提を弔うために建てた御堂が起源です。鎌倉時代に禅寺となり、当時あった境内地は現在の五条通の一筋北・万寿寺通に名を残しています。

室町時代には京都五山の第五位にまで昇格します。戦国時代には衰退し、現在地へと移転します。現在地には東福寺末寺の三聖寺(さんしょうじ)もありましたが、明治になって万寿寺に吸収合併されます。万寿寺は明治に東福寺の塔頭となって現在に至ります。


光明宝殿の入口

光明宝殿にある阿弥陀如来坐像は、平安時代後期の定朝様式の巨像です。万寿寺創建時の造立と考えられており、平等院の阿弥陀如来のようなふくよかな表情が、平安貴族の信仰の証であることを物語っています。

金剛力士像は三聖寺にありました。運慶作と伝えられており、東大寺南大門を思わせるダイナミックでリアルな造形が目を引きます。

普門寺にあったと伝わる渡辺了慶(わたなべりょうけい)の障壁画「柳松遊禽図」「桜梅遊禽図」は江戸時代初期の名品です。安土桃山時代から江戸初期に上流階級をもてなした障壁画の典型例です。普門寺は、上流階級の大切な交際の場であるサロンだったのです。渡辺了慶は狩野永徳の嫡男・光信の高弟で、狩野探幽とほぼ同世代の絵師です。西本願寺の国宝・白書院の障壁画の作者として知られています。

応挙や幕末の塩川文麟といった江戸絵画も見応えがあります。東福寺が上流階級との交流を保ってきた証でもあります。



現在の東福寺・本堂にある本尊釈迦三尊像は、1881(明治14)年に本堂と本尊が焼失した際に万寿寺から移されたものです。この釈迦三尊のルーツは三聖寺です。京都の1,200年の雄大な歴史を物語るようなオーナーの変遷を、東福寺で確かめることができます。

こんなところがあります。
ここにしかない「空間」があります。



古寺巡礼、古刹の魅力を知る教科書

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第53回 京の冬の旅
非公開文化財特別公開 ~秘められた京の美をたずねて~
東福寺 光明法殿
【主催者による特別公開公式サイト】

主催:京都市観光協会
会場:東福寺 光明法殿
会期:2019年3月1日(金)~3月18日(月)
原則休館日:会期中無休
入館(拝観)受付時間:10:00~16:00

※京の冬の旅の他の公開施設とは、公開期間が異なります。
※この特別公開は定期的に行われるものではありません。
※この堂宇は観光目的では常時公開されていません。次の公開時期は未定です。

東福寺
【公式サイト】 www.tofukuji.jp



◆おすすめ交通機関◆

JR奈良線・京阪電車「東福寺」駅下車、徒歩10分
JR京都駅から一般的なルートを利用した平常時の所要時間の目安:20分
京都駅→JR奈良線→東福寺駅

【公式サイト】 アクセス案内

※この施設には無料の駐車場があります。
※道路の狭さ、渋滞と駐車場不足により、健常者のクルマによる訪問は非現実的です。


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こんぴらさん、応挙の襖絵空間も素晴らしい

2019年02月14日 | お寺・神社・特別公開

香川・金刀比羅宮、通称:こんぴらさんには、前回お伝えした高橋由一作品と並ぶ目玉コレクション、円山応挙の障壁画もとても見応えがあります。

  • 三井家からの寄進で円熟期の応挙が描いた代表作の一つ、もちろん重要文化財
  • 金刀比羅宮を訪れる大名ら上流階級の客人をもてなした表書院にふさわしい圧巻の表現力
  • 表書院は建物も重要文化財、京都の上質な寺のようで別世界のような空間


江戸時代を通じて参拝者で賑わったこんぴらさんの繁栄の証のような空間です。こんぴらさんの懐の深さを感じさせます。


本堂横の高台

表書院は、江戸時代初めの萬治年間(1658-1660)、神仏習合の江戸時代に存在した松尾寺金光院が上流階級の客人をもてなす客殿として建立しました。表書院のあるエリアが神社的でないのはこのためです。現在の表書院と本宮の中間に位置し、本宮からの帰路で参拝する旭社は、松尾寺金光院の金堂だった建物で、こちらも重要文化財です。

表書院には、玄関を含めて8間あり、内5間に応挙による障壁画があります。

【金刀比羅宮公式サイトの画像】 表書院「鶴之間」

玄関を通った後の最初の間は、使者の控室となった「鶴之間」です。身を寄せ合う姿や雄大に空を舞う姿など様々な鶴が表現されており、ここが特別な空間であることをうかがわせます。とてもやさしい趣にしつらえられています。

【金刀比羅宮公式サイトの画像】 表書院「虎之間」

「鶴之間」の隣の「虎之間」は、役人や商人が通された部屋です。こちらも、にらみ合う二匹がいる一方で愛くるしい親子の姿が描かれています。この部屋ではリアルな交渉も行われたのでしょう。緊張感を保つのにふさわしい表現がなされています。

【金刀比羅宮公式サイトの画像】 表書院「七賢之間」から「虎之間」「上段之間」をのぞむ

「虎之間」の隣の「七賢之間」は、松尾寺金光院の別当(べっとう、トップ職)が座った間です。教養や文芸を象徴する七賢は、別当が理想とした姿だったのでしょう。隣接する「虎之間」と「上段之間」との趣の違いがとても印象的です。

【金刀比羅宮公式サイトの画像】 表書院「上段之間」

「上段之間」は来客としては最も身分の高い大名を通す間で、表書院の一番奥にあります。瀑布図は表書院の応挙による障壁画の中でも最も著名な作品です。応挙の最高傑作、国宝「雪松図」をおもわせるような生命感のある水の流れの表現が秀逸です。深山幽谷の幻想的な表現には、時間を忘れて見入ってしまいます。

応挙は琴平に足を運んではおらず、京都で制作して届けています。写真もなかった時代に実際の建物を見ずに、見事に空間にマッチした作品を制作しています。あらためて応挙が巨匠であることを実感できます。



表書院では、幕末の森寛斎や明治の邨田丹陵による障壁画も鑑賞できます。また奥につながる奥書院には伊藤若冲の「花丸図」がありますが、こちらは公開されていません。

宝物館にも狩野探幽らによる三十六歌仙額など数多くの名品があります。こんぴらさんは、美術品の所蔵でも驚きのスケールを誇ります。


大門からのぞむ讃岐平野

こんなところがあります。
ここにしかない「空間」があります。



江戸時代、庶民の代わりに犬がこんぴらさんに詣っていた

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金刀比羅宮
表書院
【神社公式サイト】 表書院

原則休館日:なし
入館(拝観)受付時間:8:30~16:30

※この施設は、コレクションの常設展示を行っています。



◆おすすめ交通機関◆

JR土讃線「琴平」駅下車、ことでん琴平線「琴電琴平」駅下車、徒歩20~30分
※約450段の石段を昇る必要があります。クルマで境内には行けません。
※琴電琴平駅の方がJR琴平駅より200mほど金刀比羅宮に近くなります。

JR琴平駅まで、JR岡山駅から在来線特急で60分、JR高松駅から在来線普通で65分、
JR岡山駅まで山陽新幹線で新大阪駅から45分、東京駅から3時間20分
琴電琴平駅まで、高松築港駅から60分

【公式サイト】 アクセス案内

※鉄道は本数が少ないため、事前にダイヤを確認の上、利用されることをおすすめします。
※この施設には有料の駐車場があります。
※道路の狭さ、渋滞と駐車場不足により、健常者のクルマによる訪問は非現実的です。


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近代洋画の先駆者 高橋由一の名品が、こんぴらさんに27点も揃う

2019年02月13日 | お寺・神社・特別公開

四国・香川県の金刀比羅宮、通称:こんぴらさんは、海上交通の守り神である金刀比羅神社の総本宮としてよく知られています。境内に多くの建物が並んでいますが、その中に日本の近代洋画の先駆者・高橋由一(たかはしゆいち)作品を展示する高橋由一館があります。

  • 1879(明治12)年、脂ののっていた高橋由一から金刀比羅宮が35点を一括購入
  • 由一作品は、同年金刀比羅宮で行われた琴平山博覧会で展示された
  • 由一の実直な描写からは、本格的な油絵を日本で広めようとした情熱が伝わってくる


由一の代表作「花魁」「鮭」の描写に通じる名品が揃っています。こんぴらさんに、これだけまとまって由一作品がのこされているとは驚きです。


桜馬場、高橋由一館はこの先

西洋風の構図の取り方や描き方で描く「洋画」は、江戸時代半ばの18cに蘭学の一分野として輸入されたものです。芸術というよりも博物学のスケッチを行う技法という位置づけでした。蘭学者・平賀源内が秋田藩士・小田野直武(おだのなおたけ)に教えた洋画の技法は、秋田蘭画を経て司馬江漢(しばこうかん)や亜欧堂田善(あおうどうでんぜん)に引き継がれます。

彼らは遠近法や影を描いて立体感を表現する西洋風の描き方をしますが、日本絵具を用いていました。江戸時代にはこの”西洋風絵画”は、絵画手法として一世風靡することはありませんでした。幕末から明治初めにかけて西洋人が油絵具をもたらします。

不透明な絵具でモチーフをはっきりと表現できる、油絵の先駆者となったのが1828(文政11)年生まれの高橋由一と、1855(安政2)年生まれの五姓田義松(ごせだよしまつ)です。

1861(文久元)年に来日していたイギリス人新聞記者で、日本のマンガの原点とも言われる新聞挿絵をもたらしたチャールズ・ワーグマン(Charles Wirgman)は由一と義松に洋画の技法を教えます。二人は入手が容易でなかった貴重な油絵具を用いて少しずつ洋画作品を描き始めます。

【東京藝大公式サイトの画像】 五姓田義松「自画像」
【東京藝大公式サイトの画像】 高橋由一「花魁」

東京藝大が所蔵する五姓田義松「自画像」は、1868(明治元)年の作品です。日本人画家が描いた現存する最も古い油絵かもしれません。高橋由一の代表作として重文になっている「花魁」よりも4年早い作品です。両作品とも激動の時代を生きた人物を、日本画に比べ圧倒的に生命感にあふれた表現をしています。油絵のなせる業です。

二人は1876年(明治9年)にお雇い外国人で、日本で初めて本格的な美術教育を行ったイタリア人画家・アントニオ・フォンタネージ(Antonio Fontanesi)にも学びます。二人は本物の油絵との接触機会がとにかく早かったのです。


こんぴらさんは今も昔も海の安全の神

由一は1873(明治6)年に画塾・天絵舎を創設し、独自に油絵を広めようとします。1879(明治12)年に金刀比羅宮で行われた琴平山博覧会に向けて琴平に滞在し、35点の油絵を奉納します。画塾の活動資金を得るとともに、日本人がまだ見たことのなかった油絵の表現を博覧会で大々的に紹介しようと努めます。

現在の高橋由一館では27点が常設展示されています。

【金刀比羅宮公式サイトの画像】 「豆腐」

「豆腐」は、豆腐や揚げの質感が見事に表現されています。モチーフの選択自体にも驚きますが、輝くように明るい素材の色彩表現が何より目を引きます。

【金刀比羅宮公式サイトの画像】 「鯛」

「鯛」は写真のようにリアルな表現で、うろこの質感表現は油絵ならではです。明治初期にこの絵を見た人が圧倒されるようなシーンが目に浮かんできます。

【金刀比羅宮公式サイトの画像】 「琴陵宥常像」

「琴陵宥常像」は由一がいた当時の宮司の肖像です。永らく行方不明になっていましたが2001年に発見され話題になりました。モデルの一瞬の表情をとらえており、とても臨場感があります。代表作「花魁」のように強いオーラを発する作品です。

【東京藝大公式サイトの画像】 高橋由一「鮭」

教科書でもおなじみの由一の代表作「鮭」は、1877(明治10)年頃の作品で、一連の金刀比羅宮にのこした作品のほんの少し前に描かれたと考えられます。金刀比羅宮の作品も「鮭」に負けるとも劣らないとても生命感のある作品が揃っています。


とても昭和なJR琴平駅

金刀比羅宮は神社としては近世以降の名品を比較的多く所蔵しています。次回は金刀比羅宮のもう一つの目玉コレクション、円山応挙の障壁画をお伝えします。

こんなところがあります。
ここにしかない「空間」があります。



由一と芳崖、同い年の二人が切り開いた日本の近代美術

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金刀比羅宮
高橋由一館
【神社公式サイト】 高橋由一館

原則休館日:なし
入館(拝観)受付時間:8:30~16:30

※この施設は、コレクションの常設展示を行っています。



◆おすすめ交通機関◆

JR土讃線「琴平」駅下車、ことでん琴平線「琴電琴平」駅下車、徒歩20~30分
※約400段の石段を昇る必要があります。クルマで境内には行けません。
※琴電琴平駅の方がJR琴平駅より200mほど金刀比羅宮に近くなります。

JR琴平駅まで、JR岡山駅から在来線特急で60分、JR高松駅から在来線普通で65分、
JR岡山駅まで山陽新幹線で新大阪駅から45分、東京駅から3時間20分
琴電琴平駅まで、高松築港駅から60分

【公式サイト】 アクセス案内

※鉄道は本数が少ないため、事前にダイヤを確認の上、利用されることをおすすめします。
※この施設には有料の駐車場があります。
※道路の狭さ、渋滞と駐車場不足により、健常者のクルマによる訪問は非現実的です。


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香川 善通寺 空海が生まれた八十八ヶ所遍路の聖地_戒壇めぐりにびっくり

2019年02月12日 | お寺・神社・特別公開

香川県にある善通寺(ぜんつうじ)は、真言宗にとっては東寺と高野山に並ぶ聖地です。開祖・空海の生誕地に建てられたとされているためです。

  • 空海の聖地であり、四国八十八ヶ所の中でも人気の寺、遍路姿の巡礼者でいっぱい
  • 重文の五重塔が讃岐平野にそびえたつ姿は神聖で勇壮
  • 地方の寺としては国宝・重文の所有が多く、宝物館は必見


自由に出入りできる境内はとてもほのぼのとしています。地元の人や多くのお遍路さんたちから愛されてきたことがわかります。


五重塔

空海は774(宝亀5年)年、現在の善通寺境内の西半分を占める誕生院(西院)にあった実家・佐伯家の邸宅で生まれました。空海は唐への留学から帰国し京の都へ入ることを許される前の807(大同2)年に、現在の善通寺境内の東半分を占める伽藍(東院)の建立を始め、6年後に完成したと寺伝が伝えています。

善通寺では807年を開創の年としていますが、寺伝以外の文書に記録が見られないことから、佐伯家の氏寺が善通寺の前身であるとする説もあります。

平安時代後期以降は空海の生誕地として信奉を集めるようになり、1249(建長元)年には西院に誕生院が建立されます。以降明治になるまでは善通寺と誕生院は別の寺でした。江戸時代になると近くにあるこんぴらさん詣りや八十八ヶ所遍路が一般的になり、参拝者が増えたと考えられます。現代の善通寺の伽藍の大部分は江戸時代から明治にかけての再建です。


金堂

東院の金堂はいつもお遍路さんたちで賑わっているようです。金堂は1699(元禄12)年の再建で、重要文化財です。禅宗様の優美な屋根のデザインが、コンパクトな建物に存在感を与えています。本堂再建時に造立された本尊・薬師如来にお詣りすることができます。

善通寺にもう一つある重文建造物が、金堂のそばにそびえる五重塔です。1902(明治35)年の完成と比較的新しい建造物ですが、黒色に見えるシックなボディが大きな空によく映えます。五智如来の内、1Fに安置された4体だけは、ゴールデンウィーク中に特別公開されます。

【寺公式サイトの案内】 五重塔特別公開



西院の中心は御影堂(みえどう)です。弘法大師を祀る、最も聖なる建物です。本尊は瞬目大師(ひきめたいし)と呼ばれる弘法大師の肖像で、50年に一度しか公開されない秘仏です。

御影堂の地下では、弘法大師と結縁できると信じられ、暗闇の中を手探りで進む「戒壇めぐり」を体験できます。100mもあり、全国に数ある戒壇めぐりの中でも有数の長さでしょう。時間がかかるため、寺が言うように自己を見つめなおすには最適です。

【寺公式サイトの画像】 宝物館

宝物館では善通寺が所蔵する国宝2点の写真パネルとレプリカが常時展示されています。金銅錫杖頭(こんどうしゃくじょうとう)は空海が塔から持ち帰った法具で、音を鳴らして邪気を払うために用います。阿弥陀三尊と四天王の彫刻が見事です。原本は毎年6月の弘法大師御誕生会にあわせて公開されます。

【寺公式サイトの案内】 弘法大師御誕生会

一字一仏法華経序品(いちじいちぶつほけきょうじょほん)は、経文と仏像を一行おきにあらわした珍しい経典です。詳細に描写された仏像が規則正しく並んでおり、文字だけの経典に比べてかなりオーラを感じます。原本は毎年11月の空海まつりにあわせて公開されます。

【寺公式サイトの案内】 空海まつり

この他、重文の吉祥天立像や地蔵菩薩立像は常設展示されています。いずれも美しい平安仏です。この寺にとても多くの文化財が伝わっていることがわかる宝物館です。


瀬戸大橋はいつも清々しい

こんぴらさんはJRで一駅しか離れていません。四国の聖地をぜひ一緒に体験してみてください。

こんなところがあります。
ここにしかない「空間」があります。



四国八十八所遍路はどのように成立してきたのか?

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善通寺
【公式サイト】https://www.zentsuji.com/

原則休館日:なし
入館(拝観)受付時間:7:00~17:00(主要堂宇)
※戒壇めぐり/宝物館拝観は8:00~16:30

※境内の拝観・見学に条件はありません。いつでも無料で拝観・見学できます。
※公開期間が限られている仏像や建物・美術品があります。
※公開されていない仏像や建物・美術品があります。



◆おすすめ交通機関◆

JR土讃線「善通寺」駅下車、徒歩20分

JR善通寺駅まで、JR岡山駅から在来線特急で60分、JR高松駅から在来線普通で60分、
JR岡山駅まで山陽新幹線で新大阪駅から45分、東京駅から3時間20分

【公式サイト】 アクセス案内

※鉄道やバスは本数が少ないため、事前にダイヤを確認の上、利用されることをおすすめします。
※この施設には有料の駐車場があります。


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京都 妙心寺の塔頭でモダンな庭が常時公開_大心院

2019年02月08日 | お寺・神社・特別公開

京都・妙心寺の広大な境内に39もの塔頭(たっちゅう)がありますが、常時公開されているのは3か寺だけです。その中の一つ、大心院(だいしんいん)を訪れました。

  • 応仁の乱後の権力者・細川政元が建立し、細川幽斎が中興した由緒のある寺
  • 僧の宿舎だったスタイルをとどめる宿坊を今も続けている
  • 阿吽庭(あうんてい)と切石の庭(きりいしのにわ)、個性的な2つの庭が素晴らしい


禅寺らしいとてもシンプルな空間を体験できます。伝統的なスタイルの寺の朝食をいただける宿坊体験も魅力的です。


大心院名物? 猫が廊下の真ん中で昼寝中

大心院は妙心寺の塔頭ではなく、独立した禅寺として1479(文明11)年に室町幕府の花の御所の北に開かれました。その後一時衰えましたが、天正年間(1573-93)に細川幽斎の尽力で妙心寺内の現在地に移転、塔頭となります。

現在の本堂(方丈)は、1634(寛永11)年頃、伊予松山藩主・蒲生忠知(がもうただとも)によって建てられたものです。


切石の庭、奥の建物は祖堂

本堂南側に切石の庭があります。縁側に近い方の白砂の中に、まっすぐに長石が敷き詰められているのが目につきます。長石は奥にある祖堂に向かう通路にもなりますが、通路としては周囲が苔であることが一般的です。そのため一見通路には見えず、庭のデザインとしてモダンな印象を与えています。


阿吽庭

本堂東側の阿吽庭は、昭和の名作庭家・中根金作による作庭です。中根はほぼ同時期に、同じ妙心寺の退蔵院の余香苑も手掛けています。

苔と白砂を分ける州浜の幾何学的な曲線の美しさが抜群です。築山部分には背が高い木が植えられており、コンパクトな空間に躍動感を与えています。木に比べ、配された石は小振りです。石が大きいと荒々しくなってしまうため、小さいことで空間を引き締めています。こちらも洗練されたモダンな印象を受けます。

いずれの庭園も、モダンな趣が魅力的です。小さいながらも空間を生かすよう計算されたデザインも秀逸です。妙心寺の庭園の中でもかなり個性的な庭です。



宿坊を開いているのに、公式サイトがないことには驚きます。宿泊は往復はがきで申し込みます。昔のスタイルを貫いていることを感じさせる一例です。こうしたスタイルを逆に斬新に感じる人が少なくないのでしょう。

こんなところがあります。
ここにしかない「空間」があります。



グローバルに活躍する妙心寺塔頭副住職が語る京都の禅の庭

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妙心寺 塔頭
大心院
【京都市観光協会サイト】 大心院

原則休館日:なし
入館(拝観)受付時間:9:00~17:00

※この塔頭は観光目的で常時公開されています。



◆おすすめ交通機関◆

JR嵯峨野線「花園」駅下車、北口から徒歩10分
JR京都駅から一般的なルートを利用した平常時の所要時間の目安:30分
京都駅→JR嵯峨野線→花園駅

【妙心寺公式サイト】 アクセス案内

※この施設には有料の駐車場があります。
※道路の狭さ、渋滞と駐車場不足により、健常者のクルマによる訪問は非現実的です。


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尾道 浄土寺、坂のまちに中世建築の至宝がのこされている

2019年02月06日 | お寺・神社・特別公開

広島県東部、旧:備後国にある国宝建造物の2か所目、尾道の浄土寺(じょうどじ)を訪ねました。「坂のまち」尾道を代表するような情景が境内に広がっています。

  • 本堂/多宝塔の2棟とともに境内全体が国宝に指定されており、文化財の数でも尾道最多
  • 大きな空に映えるスタイリッシュな多宝塔は、日本有数の美しさ
  • 高野山/西大寺や足利尊氏との縁が深い悠久の歴史を持つ
  • 現在まで700年ほど災害から免れており、中世の伽藍が坂のまちの独特の情景を形成する


地方にある寺院としては京都や奈良との関係の深さがとても目立つ寺です。それだけ長い間、尾道の繁栄が続いてきたのです。


高台にある境内からしまなみ海道の橋が見える

浄土寺は聖徳太子による創建伝説がありますが、記録に現れるのは平安時代の末期です。この頃、尾道周辺は高野山領となっており、高野山へ内陸部の物産品を運ぶ港として繁栄の歴史が始まります。

瀬戸内海の東西の往来は古代より活発で、湊は近隣の鞆の浦など随所にありました。その多くは風向きが変わるのを待つ汐待ち湊でしたが、尾道は当初から内陸部の物資を積み出す役割が強かったことが特徴です。他の湊に比べ有力な商人が現れ、町は発展していきます。尾道の古刹が中世以来続いているのは、町の繁栄と畿内との交流の活発さが背景になっていると考えられます。

浄土寺は鎌倉時代に一時的に衰退しますが、奈良・西大寺中興の祖・叡尊(えいそん)の弟子・定証(じょうしょう)により14cになって再興されます。その再興伽藍は、鎌倉時代末期の1325(正中2)年に焼失しますが、わずか2年後には尾道の有力商人の寄進で国宝の本堂が再建されています。多宝塔も含め、現在の浄土寺の伽藍の東半分にある4棟の国宝・重文建築はみなこの時期の再建です。

前回ご紹介した福山・明王院の国宝の五重塔もほぼ同時期に、町衆の寄進によって建立されています。尾道にも貴族・武家の寄進ではない中世の寺院建築がのこっていることには驚きを隠せません。自らの防災努力もありますが、浄土寺は高台にあることが類焼を免れやすかった可能性があります。


JR山陽線のガード

海岸線に沿って走る国道2号線からは、石段で境内にあがります。途中でJR山陽線のガードの下を石段がくぐっており、海を借景に電車が横切る光景は何とも言えず”尾道的”です。石段から朱塗りの重文・山門をくぐると正面に本堂があります。

【浄土寺公式サイトの画像】 本堂
【明王院公式サイトの画像】 本堂

国宝の本堂の第一印象は「明王院本堂とよく似ている」ことでした。入母屋造りで瓦葺き、柱間は縦横5間ずつ、屋根は禅宗様だが全体として折衷様、建立は明王院が6年早いだけ、両地点は20kmほどの道のりしか離れていない。どうも両堂は同系統の大工が手掛けたような気がしてなりません。

しかしながらそれぞれの美しさには甲乙つけることはできません。浄土寺の方が本堂と塔の間に阿弥陀堂があり、塔も五重塔ほどは高くありません。借景の山もなだらかで、境内全体として柔らかな落ち着いた印象を受けます。


多宝塔

国宝の多宝塔は、上層の円形部分が細いウエストのように見え、建物全体のフォルムを引き締めています。本堂から1年遅れただけで完成しています。湊から見える高台に燦然と輝く密教空間が現れた様子は、尾道の町の底力を見せつけていたかのようです。

境内西半分にある方丈や庫裏は江戸時代の商人からの寄進です。方丈裏の名勝指定庭園はきちんと手入れされており、方丈と共に江戸時代の豪商たちをもてなしていた贅沢な空間がのこっています。


本堂の鬼瓦

【寺公式サイト】 拝観案内(拝観箇所)

拝観を申し込むと、国宝の本堂内陣や庭園、宝物館が案内されます。浄土寺は建造物もさることながら仏像や絵画でも数多くの重要文化財を所有しています。富裕な商人との交流が活発だった証です。宝物館もぜひ見るべきところです。

本尊の重文・十一面観音は33年に一度の開帳で次回は2028年です。なお今年2019年は新天皇が即位します。秘仏を有する寺は、新天皇即位時に開帳するところが少なくありません。浄土寺に限らず、今年は秘仏の開帳ラッシュが期待されます。新天皇が即位する5月、もしくは即位の礼が行われる10月以降に開帳の発表が集中するかもしれません。


重文・山門

足利尊氏は、ライバルの新田義貞に敗れて九州に下向する際、反撃のために京に上る際、いずれも浄土寺に立ち寄って戦勝祈願を行っています。完成したばかりの本堂と多宝塔の美しさは、尊氏の耳にも入っていたのでしょう。浄土寺ではそれ以来、寺紋に足利家と同じ「二つ引」を使っています。

こんなところがあります。
ここにしかない「空間」があります。



土地勘のないエリアの寺社巡りにとても便利

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浄土寺(広島県尾道市)
【公式サイト】http://www.ermjp.com/j/temple/

原則休館日:なし
入館(拝観)受付時間:9:00~16:00

※公開期間が限られている仏像や建物・美術品があります。



◆おすすめ交通機関◆

JR山陽線「尾道」駅下車、おのみちバスで「浄土寺下」下車、徒歩3分
JR山陽線「尾道」駅下車、南口から徒歩25分

JR尾道駅から一般的なルートを利用した平常時の所要時間の目安:15分
尾道駅南口1番バスのりば→おのみちバス本線東行/市民病院線/向東線→浄土寺下

山陽新幹線・福山駅で在来線に乗換、JR尾道駅まで
新大阪駅から1時間30分、東京駅から4時間

【公式サイト】 アクセス案内

※鉄道やバスは本数が少ないため、事前にダイヤを確認の上、利用されることをおすすめします。
※この施設には無料の駐車場があります。


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広島 優美で明るい国宝の本堂と五重塔_福山 明王院

2019年02月05日 | お寺・神社・特別公開

広島県の福山市に鎌倉時代の国宝建築が二棟伝えられています。明王院(みょうおういん)の本堂と五重塔です。

  • 鎌倉時代末期建立の本堂は、和様と禅宗様がブレンドした折衷様の建築では日本最古クラス
  • 優美な五重塔は中世に貿易港として繁栄した門前町からの寄進で完成した稀有な建造物
  • 広島県東部は、国宝建造物5棟が伝わる歴史エリア


近くには江戸時代の港町の風情がそのまま残る鞆の浦(とものうら)もあります。周遊するのもおすすめです。


賑わう境内

福山市は、現在は広島県東部(旧:備後国)の中心都市として栄えていますが、現在の中心市街地は古代には海の底でした。明王院の目の前を流れる芦田川の堆積作用で徐々に陸地となっていき、江戸時代に福山城が築かれてから本格的に市街地化が進みました。

福山市の貿易港としては、風待ち港として古代から栄えた鞆の浦(とものうら)がよく知られていますが、海だった福山市中心市街地周辺にも複数の港がありました。風待ちや北部を通過する山陽道の外港として使われたのです。その一つ・草戸(くさど)は、鎌倉時代から室町時代にかけて大きく繁栄しており、明王院の門前町ともなっていました。

明王院は平安時代の初めの創建と考えられており、江戸時代初めまでは常福寺(じょうふくじ)という寺名でした。現在本尊となっている重文・十一面観音は平安時代前期御作風です。寺の創建当初からつたわっている可能性があります。


本堂

国宝の本堂は鎌倉時代末期の1321(元応3)年の建立です。屋根が低い和風の特徴を見せますが、屋根の四隅の反りは禅宗様です。朱塗りの柱と明るい瓦の色が輝くように見え、非日常の空間であることを現しています。

もう一つの国宝・五重塔は、本堂よりやや時代が下った南北朝時代の1348(貞和4)年に、草戸の町衆からの寄進で建立されました。貴族・武家ではなく町衆の寄進で建てられた中世の堂宇がのこっているという話は、きちんと調べられていませんが、他に聞いたことがありません。

近隣に草戸や鞆の浦という経済都市があったこと、戦乱や火災から免れていたこと、町衆の寄進という記録がのこされていたこと、の3点が驚きの話を支えています。


五重塔

五重塔は和様建築です。朱塗りの柱や戸が背後の緑に映え、とても優美な姿を見せています。瓦葺きの屋根は隣の本堂と同様に明るく輝いています。山口の瑠璃光寺。五重塔は檜皮葺きの屋根がシックで洗練された印象を与えるのに対し、明王院・五重塔は後光がさしたような明るい印象です。真言宗の寺院として真言密教ワールドを、美しいプロポーションで表現しているようです。



明王院の境内は芦田川を眼下にした高台にあり、福山市内を一望できます。江戸時代初めに福山城を築いた水野勝成(みずのかつなり)もこの風景を愛したのでしょう。

勝成は常福寺を庇護するとともに、近隣にあった明王院を福山城築城の鎮守と水野家の祈願寺とします。しかし明王院はまもなく衰えを見せたようで、勝成の孫の勝貞(かつさだ)の代になって、常福寺の境内に両寺を合併し、名を明王院としました。

以降は福山城下きっての大寺となり、水野家から藩を引き継いだ阿部家でも祈願寺として庇護が続きます。貴重な国宝建造物がのこされたのも、江戸時代の藩主による庇護が大きく影響しているでしょう。


蘇鉄がとても元気でした

境内は明るく、多くの参拝者で賑わっていました。現在も地元で愛され続けているようです。

こんなところがあります。
ここにしかない「空間」があります。



地方にも驚きの国宝がたくさんある

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明王院(広島県福山市)
【公式サイト】http://www.chisan.net/myooin/

原則休館日:なし
入館(拝観)受付時間:8:00~18:00

※この寺の境内は観光目的で常時公開されています。
※建物内部は観光目的では常時公開されていません。公開は毎年11月中旬に開催される「紅葉と歴史まつり」に限られます。
※本尊は秘仏で33年に一度の開帳です。次の開帳は2024年の予定です。



◆おすすめ交通機関◆

JR山陽線・山陽新幹線「福山」駅からトモテツバス「神島橋西詰」下車、徒歩7分
JR福山駅から車で7分

JR福山駅まで山陽新幹線「のぞみ」で、新大阪駅から60分、東京駅から3時間30分

JR福山駅から一般的なルートを利用した平常時の所要時間の目安:15分
福山駅南口6番バス乗り場→トモテツバス瀬戸経由新川線→神島橋西詰

※鉄道やバスは本数が少ないため、事前にダイヤを確認の上、利用されることをおすすめします。
※この施設には無料の駐車場があります。
※現地付近のタクシー利用は事前予約をおすすめします。


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きれいになった出雲大社はとても元気でした

2019年02月03日 | お寺・神社・特別公開

出雲大社を訪れました。幾多ある神社の中でも境内の趣は、伊勢神宮と並んでやはり格別なものがあります。この趣が、日本最高の縁結びの神として信奉される由縁でしょう。

  • 高さのある国宝の本殿は檜皮葺きの屋根が葺き替えられ、優美さを増している
  • 巨大な大しめ縄を見ると、日本随一のパワースポットであることを実感できる
  • 2012年にできたご縁横丁は、伊勢のおかげ横丁のようにグルメや土産に便利


出雲大社は正式には「いずもおおやしろ」と読むそうです。「いずもたいしゃ」と読んでも怒られませんが、特別感のある正式な読み方にものすごくひかれます。


本殿

出雲大社が伊勢神宮と並んで格別の存在感を古来より持ち続けているのは、祭神の格式が何といっても大きいでしょう。出雲大社の祭神は大国主神(おおくにぬしのかみ)で、地に存在し古くから国土を治めていた国津神(くにつかみ)の中の最高神です。

伊勢神宮・内宮の祭神は、よく知られる天照大御神(あまてらすおおみかみ)です。天にいて地に降臨する天津神(あまつかみ)の最高神です。皇室の祖先である皇祖神(こうそしん)、かつ日本国民の総氏神でもあります。

天照大御神の方が”えらい”ように位置付けられていることから、天津神は支配者となったヤマト王権が信奉していた神、国津神は地方を中心にヤマト王権に平定された勢力が信奉していた神、と考えられています。こう聞くと、両神の違いがわかりやすくなります。


松の参道

ご縁横丁ができているところから境内の参道が始まり、3つの鳥居を順にくぐります。神社では珍しい下り坂を進むと、途中から松の参道と呼ばれる鬱蒼とした松並木になります。パワースポット感を徐々に増していきます。

3つ目の鳥居・銅鳥居をくぐると広場の奥に本殿に祈りをささげる拝殿があります。拝殿にも大しめ縄が見えますが、格段に大きいもう一つのしめ縄は別の一角にあります。拝殿で本殿に鎮座する縁結びの最高神・大国主神に祈ります。本殿の屋根は平成の大遷宮で60年ぶりに葺き替えられ、優美さをさらに増しています。

出雲大社の参拝作法は「2礼4拍手1礼」です。一般的な神社より拍手が2回多くなりますが、それがかえって縁結びがかなうパワーを授かったような気分を高めてくれます


銅鳥居から見た拝殿

拝殿での参拝を終えると、祈祷や結婚式が行われる神楽殿(かぐらでん)が次の見せ場です。日本一の大きさを誇る2つ、大しめ縄と国旗掲揚台があります。

【大社公式サイトの画像】 神楽殿の大しめ縄

大しめ縄は長さ13m、重さ約4.5tあります。神楽殿の屋根に架けられていますが、その下を通ると落ちてこないかと不安になるくらい迫力があります。前庭にある国旗掲揚台は高さ47m、日章旗の大きさは畳75枚分あります。それなりの風の強さがないとなびかないほどの巨大さです。



【大社公式サイト】 神祜殿

宝物殿である神祜殿(しんこでん)には、現代の2倍の高さだったとされる古代の本殿の復元模型や、発掘調査で出土した古代の本殿の心柱が展示されています。とても神々しい(こうごうしい)展示ばかりです。

【公式サイト】 島根県立古代出雲歴史博物館

島根県立古代出雲歴史博物館では、古代出雲を中心に石見銀山も含めた島根県の歴史が学べます。出雲神話や出雲風土記の展示は特に興味深く見ることができます。

【公式サイト】 ご縁横丁

神社の周囲には名物の割込(わりこ)そばの店がたくさんあります。ご縁横丁ができてグルメの選択肢も増えました。外国人観光客も多くなり、出雲大社はさらに元気になっていました。

こんなところがあります。
ここにしかない「空間」があります。



縁結びから出雲神話まで、出雲大社徹底ガイドの最新版

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出雲大社
【公式サイト】http://www.izumooyashiro.or.jp/

原則休館日:なし
入館(拝観)受付時間:6:00~20:00(11-2月は6:30~)
※神祜殿(宝物殿)は8:30~16:00、無休
※彰古館は8:30~16:00、土日祝日と祭典日のみ開館
【神社公式サイト】 彰古館の開館日変更について



◆おすすめ交通機関◆

JR山陰線「出雲市」駅下車、北口1番のりばから一畑バス「出雲大社・日御碕・宇竜」行で「正門前」もしくは「連絡所」下車、徒歩10分
出雲市駅まで
JR伯備線特急「やくも」で、岡山から3時間、米子から 45分、松江から30分
岡山まで
山陽新幹線「のぞみ」で、新大阪から45分、東京から3時間25分、博多から1時間45分

一畑電車「出雲大社前」駅下車、徒歩15分
出雲大社前駅まで、松江しんじ湖温泉駅から60分、出雲市駅から川跡駅で乗り換え20分

山陰道「出雲」ICから車で20分

【公式サイト】 アクセス案内

※鉄道やバスは本数が少ないため、事前にダイヤを確認の上、利用されることをおすすめします。
※この施設には無料の駐車場があります。休日を中心に混雑します。


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京都 龍安寺に帰還した金碧の襖絵は石庭に妙に合う_6/10まで公開

2019年01月28日 | お寺・神社・特別公開

京都・龍安寺(りょうあんじ)は、何といっても石庭(せきてい)が世界的に有名です。その石庭ぬ向き合う方丈(ほうじょう)の襖絵は戦後に描かれたものですが、明治までは狩野派による襖絵がありました。廃仏毀釈の混乱で散逸したのです。龍安寺は近年、その襖絵を買い戻すことで寺への帰還を実現させています。

  • 昨年2018年に龍安寺が新たに買戻した襖絵の一部が、9年前に買い戻した作品と共に公開される
  • 石庭のシンプルさと、金碧の豪勢な襖絵が、両極端ながらも空間の雰囲気に妙に調和している
  • 葉の大きさが特徴のバショウを、武家の城の松のようにとても雄大に描いている構図が面白い


禅寺は庭が売り物のことが多いので、背後にある方丈の障壁画を案外見落としがちです。振り返って見てみると、方丈と一体となった庭の空間の豊かな表情が見えてきます。


受付から石庭と方丈へ進む

龍安寺は、応仁の乱で東軍の総大将となった実力者・細川勝元(ほそかわかつもと)によって1450(宝徳2)年に創建されました。足利義満が築いた金閣のある北山殿も近く、一帯は古来より上流階級の別荘地のようなところでした。

安土桃山時代にも信長や秀吉がたびたび訪れており、境内にある鏡容池(きょうようち)を楽しんでいたようです。山門付近から鏡容池をのぞむと、現代でも中国の山水画に出てくるような趣を感じます。


鏡容池

鏡容池は、江戸時代の旅行ガイド・都名所図会(みやこめいしょずえ)でもオシドリの名所として紹介されています。江戸時代は、石庭はさほど有名ではなかった可能性も指摘されています。龍安寺の石庭は、1975(昭和50)年のイギリスのエリザベス女王拝観のニュースがきっかけとなって、国内外で有名になったとされています。大きなきっかけがないと、誰も価値に気付かないケースは少なくありません。

石庭は創建時、もしくは応仁の乱で焼失した方丈が勝元の子・政元(まさもと)によって1499(明応8)年に再建された時、いずれかの作庭と考えるのが最も自然ですが、作者や作庭の意図と共によくわかっていません。

しかしながら時の最高クラスの政治権力者が創建・再建していることから、トップクラスの作庭家が携わっていたことは間違いないでしょう。方丈・土壁との空間バランスを配慮した石組みのデザインの素晴らしさが、石庭のミステリーを一人歩きさせている感もあります。


鏡容池から石庭入口の庫裏に至る石段が美しい

現在の方丈は、1499年再建の方丈が1797(寛政9)年に焼失した際に、塔頭・西源院から移築したものです。1606(慶長11)年に織田信長の弟によって建立され、重要文化財です。この移築された方丈の上間一の間(じょうかんいちのま)に明治まであった襖絵の一部が、今回特別公開されている芭蕉図9面です。

【メトロポリタン美術館公式サイトの画像】 琴棋書画図4面
【メトロポリタン美術館公式サイトの画像】 群仙図(列子図)4面

方丈の襖絵は、明治半ばに一旦福岡県の炭鉱王・伊藤伝右衛門の手に渡ります。昭和26年ごろには行方不明になっていましたが、一部がニューヨークのメトロポリタン美術館やシアトル美術館に所蔵されているのが確認されました。龍安寺に帰還した2010年の6面と今回公開される9面は、いずれもオークション会社を通じてコレクターから買い戻したものです。

それでも全71面中、所在がわかっているのは27面に過ぎません。まとまって存在していた美術品が一旦散逸すると、このような憂き目にあうことは避けらえません。

【龍安寺公式サイトの画像】 今回公開される芭蕉図9面
【龍安寺公式サイトの画像】 今回公開される琴棋書画図4面
【龍安寺公式サイトの画像】 今回公開される群仙図2面

展示されている作品は、いずれも金碧の彩色がよく残っており、往時の趣をしのぶことができます。芭蕉図は連続する9枚が途切れていないため、見応えがあります。はめられていた上間一の間は方丈の入口から最も奥にあり、大切な客人を通していた部屋と考えられます。生命力の強さを感じさせる豊かな描写と、究極にシンプルな石庭との対比がとても興味深く感じます。



方丈の襖絵は狩野派の制作と考えられていますが、芭蕉図は海北派による作との説もあるようです。ミステリーが人々の心をとらえて離さない龍安寺に、新たなミステリーが追加されました。これを機会に庭を見た後は、後ろを振り返るようにしていただければ幸いです。



こんなところがあります。
ここにしかない「空間」があります。



そろそろ単眼鏡デビューを

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龍安寺
ふすま絵(芭蕉図)特別公開
【寺による特別公開サイト】

会場:方丈
会期:2019年1月10日(木)~6月10日(月)
原則休館日:なし
入館(拝観)受付時間:8:30~16:30(3~11月は8:00~17:00)

※この特別公開では、方丈室内の撮影が可能です。
※この特別公開は定期的に行われるものではありません。
※この堂宇は観光目的で常時公開されています。

龍安寺
【公式サイト】 http://www.ryoanji.jp/



◆おすすめ交通機関◆

京都市バス「竜安寺前」バス停下車、徒歩1分
京福電鉄・北野線「龍安寺」駅下車 徒歩10分

JR京都駅から一般的なルートを利用した平常時の所要時間の目安:45分
京都駅→地下鉄烏丸線→今出川駅→烏丸今出川バス停→市バス59系統→竜安寺前

【公式サイト】 アクセス案内

※京都駅から直行するバスもありますが、地下鉄とバスを乗り継ぐ方が、時間が早くて正確です。
※この施設には無料の駐車場があります。(拝観者のみ1時間まで)
※道路の狭さ、渋滞と駐車場不足により、健常者のクルマによる訪問は非現実的です。


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