Joyeux Balletからのお知らせ

レッスンスケジュールのお知らせとバレエ上達のヒントなど


ソ連へ行った話 5 再びモスクワ

2022-03-30 16:01:00 | Weblog
ご無沙汰しております。
諸事情により、なかなか続きを書けずにいたのですが
NOAのクラスに来てくださっている生徒さんから
続き楽しみにしています!
と、言っていただき
ようやく復活致しました





ビリニュスから夜行列車で朝モスクワに到着
駅からバスでダンチェンコ劇場バレエ団
正式名称
スタニスラフスキー&ネミロヴィチ=ダンチェンコ記念 国立モスクワ音楽劇場バレエ
でレッスン
捻挫の痛みがあり、センターの途中でリタイアして見学した。






レッスン後はグルジア料理レストラン
今はジョージ料理かな?
で、昼食
シャシリーク(羊の串焼き)、グルジアパンが美味しかった






食事のあとはバスでモスクワ観光
ボリショイ劇場は改装工事中で道路の反対側から見ただけ
赤の広場とグム百貨店にちょっと寄って空港へ
ロシア人通訳さんとお別れして
搭乗口へ






帰りのアエロフロートはなんと自由席でみんな搭乗口へ並んでいた。
私に懐いている小6と中1の子たちが
飛行機一緒に座ろう!
と言ってくれて
すばしっこい小6女子がパーっと駆け出して良い席を3席取ってくれて
膝掛けもゲットして快適に帰国した






成田には母が迎えに来てくれて
京成スカイライナーで上野に出て
うなぎを食べてアメ横に寄った。
ここでソ連で探しても見つからなかったこぐまのミーシャのバッジを見つけて購入
なぜアメ横で入手出来たのかは謎






このソ連旅
1989年3月24日に出発して4月10日ごろ帰国したと記憶している。
忘れもしない、帰国したら4月1日から消費税が導入されていた年だ





その後ソ連、ロシアに行く機会はなく
コロナで海外に行けなくなりストレスが溜まりユーチューバーの旅動画を見て
ウラジオストクに行きたくなった。
モスクワ、サンクトペテルブルクはずっとずっと行きたい都市
旧ソ連のウクライナ、ジョージアにも行きたいと思っていたらロシアのウクライナ侵攻ですよ…





ボルシー(ボルシチ)はウクライナ発祥らしいので、ぜひ美しいキエフの街で本場のボルシーが食べたい
ジョージアにはハチャプリというチーズと卵のパンがあって
どうしてもこれを食べに行きたいと思っているので
1日も早く平和が戻ることを願って止みません。



ハチャプリ
(画像はcookpadさまより拝借いたしました)




FIN





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本日、休講いたします。

2022-03-22 15:33:00 | Weblog

緊急のお知らせです

本日の沼袋のクラスは
夕方以降停電の恐れがあるとの東電の発表を受けて、休講とさせていただきます。
今日の分は来週3月29日(火)に振替させていただきます。



3月27日(日)11:15〜12:30
自宅配信のオンラインレッスンもございますので、こちらもご活用くださいね

ストレッチ+バーレッスン+ほぼその場センター

レッスンフィー 

会員価格¥1,100(税込)

会員でない方¥1,650(税込)


完全予約制です。

ご予約・お問い合わせはこちらから

または
川嶋までメール、LINEなどで連絡をお願いします。


では、また来週



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ソ連へ行った話 4 ビリニュス

2022-03-08 18:44:00 | Weblog
記憶が定かではないけど
3時間くらいバスに揺られて
バルト三国のリトアニアの首都ビリニュスに到着
ミンスクとは雰囲気が違って
ホテルも西側っぽく感じた。





ビリニュスでは3日程滞在して
レッスンはバレエ団のスタジオで行われた。
ビリニュスのオペラ劇場は近代的な建築で
スタジオもミンスクよりずっと綺麗だった
ここで3回くらいレッスンしたのだけど
なんと2回めのレッスン中に捻挫した
歩くのは問題なかったけどレッスンはリタイア






ビリニュスでは教会や古城を観光に行った。
すでに4月に入っていたのに雪が降ってきて、すごく寒かった





フリータイムには懐いていた小学生と中学生を連れてデパートに行った。
行列が出来ているソフトクリーム屋さんがあって
ここで食べないと一生後悔すると思って列に並んで食べたのは黄色いソフトクリーム





近代的なオペラ劇場では『くるみ割り人形』を鑑賞
そのほか日本人の通訳さん、付き添いの先生方と成人受講者数名でタクシーに乗って少し遠くのベリョースカ(免税店)に買い物に行った。






ホテルは駅の近くだった気がする。
冒頭に書いたとおりヨーロピアンな感じで
朝食はビュッフェだった。
朝からブリヌイ(ロシアのクレープ)やボルシー(ボルシチ)もあったし
ロシア人通訳さんに夏限定と言われた飲み物クワスもあったし
コーヒーはエスプレッソだった。



ブリヌイの画像
spice &herbさんのサイトより拝借いたしました。





ビリニュスからモスクワへ
また夜行寝台で一晩かけて移動
往路は歳上の現役ダンサー先生と一緒だったけど復路は
それぞれ一人参加で同室になった中学生2人が揉めたらしく(思春期の女の子はいろいろ面倒くさい)
中学生の1人と私が、もう1人と現役ダンサー先生が同じコンパートメントになった。






復路も4人用のコンパートメントに2人ずつだったけど
ツアコンのお兄さんに「部屋が取れなくてロシア人通訳さんが他のお客さん3人と一緒でゆっくり出来ないから、こちらの部屋に入れてあげてほしい」と言われた。
当時ロシア語を勉強していた私はもちろんOK
通訳さんにロシア語の読み方を習ったり、発音を教わったりして楽しく過ごした






翌朝モスクワへ到着
すぐに空港へ
行くわけもなく
まだまだスケジュールをこなすのであった


つづく…


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ソ連へ行った話 3 ミンスク続き

2022-03-06 15:17:00 | Weblog
前回のお話

ミンスクでのレッスン

10日間同じ女性の先生のレッスンを受けた。
下は6年生からアラサー現役ダンサーまで一緒のクラス
ジュニア世代の中には1年間の留学許可をもらっている子も
今も昔もロシア人教師たちは1番ポジションの足を180度に開くことを要求する。
たとえ土踏まずが落ちようが、小指が浮こうが、脚の付け根がターンアウトしてなかろうが…
国立バレエ学校にはターンアウトが出来ていない生徒なんかいないんだから仕方ない








スタジオは木の床で、日本と違って乾燥しているせいか、暖房のせいか木の床はデコボコで
あっという間にバレエシューズに穴が開いた
たまたま同じサイズの高校生が予備の新品のシューズを譲ってくれてことなきを得た
名前は覚えてないけど、お顔の小さいバレリーナ体型の綺麗なJKちゃんだったよ
あのときは助かりました。ありがとう





最終日近くの夜
バレエシューズとトウシューズの即売会があった。
ソ連のバレエダンサーのバレエシューズやトウシューズは各劇場に工房があって
そこで作られたものを支給されていた。
バレエ学校も同じ。
即売会は工房で余分に作られたもののようだったけど
ジャストサイズのトウシューズを一足GETした。
確か一律トウシューズが¥3,000 バレエシューズが¥1,000
こちらからしたら格安だけど
劇場側は十分儲かったと思われる。






このとき買ったソ連のトウシューズが足に合ったので
後々カチカチのグリシコ、Rクラスを好んで履くようになった。
今はもっとラクに立てるものを選んでいるけどね





ミンスクではサーカスを観に行ったのと
幼稚園訪問が楽しかった
サーカスはなぜか懐いてくれた同行メンバーで最年少の小学生と中学生と観た。
志村けん似のクラウンに3人で大笑い
幼稚園訪問では園児に誘われて簡単なダンスをペアで踊るコーナーで一番の美少年が私を誘ってくれたことは一生の思い出
たぶん私はママくらいの年齢だったと分析





次はバルト三国のリトアニアの首都
ビリニュスへバス移動
途中の標識に【Poland】と書いてあるのを見て、ヨーロッパは地続きだなぁと感じた





つづく…








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ソ連へ行った話 2 ミンスク

2022-03-05 12:49:00 | Weblog
前回のお話

夜行寝台列車に揺られて10数時間後
ミンスクに到着
バスでホテルへと移動
ホテルは2人部屋でルームメイトは某バレエ団の団員で付属バレエ学校で教えている先生…大先輩だった(コンパートメントも同室)
モスクワからはドイツ系ロシア人の通訳さんも合流
レーナさんという方





ホテル到着後すぐに民謡の練習があった
持ち物に浴衣が指定されていて
浴衣を来て日本の踊りを見せる機会が2回あって
同室の先生はメンバーにはなっていなかったが、若輩者の私はメンバーに入っていた。
2曲の振りをすぐに覚えなくてはならなかった
1曲めは何の曲か覚えてないけど2曲めは花笠音頭だった。
翌日ベラルーシの民族舞踊団の公演に特別ゲストのような形で舞台に出た寄せ集めの日本の子供たち(一部は成人)
プロ集団の公演で踊るにはあまりにもお粗末であった






ミンスクでのスケジュール

朝食後毎日日替わりで

観光 美術館や遺跡
舞台鑑賞
ピオネール宮殿訪問=ソ連における子供たちの課外活動施設(ここでもなんちゃって日本舞踊披露)
バレエ団のレッスン、リハ見学
バレエ学校レッスン見学
幼稚園訪問
学校訪問

昼食
レッスン→これは毎日
フリータイム

バレエ鑑賞
サーカス

夕食

フリータイム

就寝



両替はホテルで出来たし
すぐ近くにベリョースカと呼ばれる外国人専用の免税店があった。
水は水道水を飲んで大丈夫と言われたので
ジュースやお菓子を買いに行っていた。
当時のソ連は日本円で3万円あれば家族4人が普通に暮らせるくらいの物価だったから
私たちはみんなお金持ちだった






食事について
朝食:パン(白パンと黒パンがテーブルに山盛り)
ハム、ソーセージなど
野菜は少なくてサラダはだいたい1種類の野菜しかなかった。
カーシャ(お粥)バターがのっていて、ロシア人は砂糖をかけて食べるらしいが
日本から持参した、えびすめ(昆布の佃煮)をのせても美味しくいただけました
デザート的にお菓子もテーブルにセットされていて
何度も来ている付き添いの先生方が「これもお土産になるのよ」と毎回部屋に持ち帰っていたので、マネしてみた
飲み物はコーヒーか紅茶





昼食:レッスン前だというのに1日のうちで最もボリューミー
スープ
メインディッシュ(肉か魚に付け合わせ)
サラダ(野菜は少ない)
デザート(主にアイスクリーム)
パン
コーヒーか紅茶





夕食:その日のスケジュールによって先に食事をしてからバレエを観に行ったり
帰って来てから夕食だったりだけど
ボリュームは昼より少なめ
メインディッシュ
サラダ
パン
最後の晩餐だけは豪華だった気がする
前菜
メインディッシュ(特産のキノコ料理)
パン
デザート(スペシャルなアイスクリーム)




このホテルに10日間も滞在する団体はほとんどいないので
ホテル側は食事のメニューに苦慮していたらしい。
みんな肉料理や魚料理に持参した醤油をかけて味変してしのいだ。
キノコのスープやクリーム煮、ボルシーは美味しかった




ボルシー イメージ画像
snap dishさんより拝借いたしました。





ひとりでの外出は禁止されていたけれど
当時ロシア語を勉強していた私は
どうしてもひとりで街に買い物に行きたくて、こっそり決行(良い子はマネしないでね)
パン屋さんへ行って丸い小型のパンを指差して、おばさんに
このパン3個ください
と言ったつもりだったが
なぜか13個渡された
添乗員さんにもバレずに無事ホテルには戻ったけど大量のパンは食べきれず
夕刻サーカスを観に行くバスの中で
近くの席のコたちに配って事なきを得た
パンはほんのり甘くてフワフワで美味しかったけど
ロシア語って難しいね



つづく…

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ソ連へ行った話 1 モスクワ

2022-03-04 15:05:00 | Weblog
10歳のときにボリショイバレエ団の日本公演を観に行ったら
当時ボリショイの名花と言われていたマイヤ・プリセツカヤの『瀕死の白鳥』が大トリで
私は彼女の白鳥に魅了されて
ロシアのバレエが大好きになった





身の程知らずにもソ連にバレエ留学したいとまで考えるようになったが
特別なコネクションのあるバレエの先生の娘さんくらいしか
それも長くても2〜3週間程度しかソ連でバレエを学ぶことは許されない時代であった。






母はなぜか、私の海外留学に積極的で
ソ連が無理でもアメリカならと
アメリカ大使館まで調べに行って
いくつかの可能性を提示してきた。
しかし、私はあくまでもロシアバレエがやりたくて触手が動かなかったのと
英語が好きではなくて(今のように中学校にネイティブの先生などいなくて、ジャパニーズイングリッシュを聞くのがイヤだった)





結局母から
県立高校に合格したら、ソ連への短期留学ツアーに行かせてあげる!
と、言われ
県立高校に入学→卒業😂





それから数年かかったが
母は有言実行で
私はソ連へ約3週間
短期留学ツアーへ行くことになった。





ベラルーシの首都ミンスクの国立劇場附属バレエ学校でレッスン後
バルト三国のリトアニアの首都ビリニュスの国立オペラ劇場バレエ団でのレッスン
最後にモスクワダンチェンコ劇場でレッスン
合間にバレエ鑑賞
サーカス
美術館などの観光
現地の方々との交流などなど盛り沢山な内容






箱崎シティエアターミナルに集合したら
下は小6から上はすでに先生をしている方まで+付き添いの先生や添乗員さんやらで
総勢30名くらい
私は恩師の紹介で単身乗り込み
初対面の人ばかりの中で成田からアエロフロート直行便でモスクワへ





今はモスクワの空港も増えたみたいだけど
シェレメーチボ2だったかな?
国際線専用の空港に到着した。
独特なタバコの匂いのする空港だった

そこからバスでホテルへ(どこのホテルかは覚えてない)
夕食だけ食べて再びバスに乗せられて
夜行列車の出発する駅へ到着






4人用のコンパートメントに2人ずつで(みんな大きなスーツケース持ってたからね)
人生初の夜行寝台に乗ってミンスクへ
なぜかコンパートメントでは紅茶が無料だった(私はコーヒー派)






このときはまだ各共和国は独立しておらず
ぜーんぶソ連…ロシア語でCCCP(エスエスエスエル)であった。
まだゴルバチョフ氏が書記長の頃だった。

つづく…
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