田舎へ行ってご/見てご!

二地域居住(田舎暮らし)、花・写真、古民家めぐり、旅、日々のあれこれなど。

旧五十嵐歯科医院、志田邸など:静岡市(蒲原宿)

2018年05月16日 | 古民家っていいなぁ。(県外)
5月13日(日)、静岡市清水区蒲原(JR東海道線新蒲原駅徒歩7分)にある「旧五十嵐歯科医院(旧五十嵐邸)」(H12年:国登録有形文化財)を訪れました。
午後から強雨で翌日仕事がある娘夫婦は帰宅しましたが、毎日が日曜日の我々夫婦はもう1泊沼津で宿泊して帰ることにし、蒲原宿に来ました。
「由比宿」には何度か来たことがありますが「蒲原宿」は初めて。

旧五十嵐邸は旧東海道蒲原宿の街道沿いにあり、大正期以前に町屋建築として建てられ、当主の故五十嵐準氏が東京歯科専門学校(現東京歯科大学)を卒業した大正3年(1914年)頃に歯科医院を開業するにあたり、町家を洋風に改築。



その後、西側部分を増築、更に東側を増築し、一体的な洋館として改築。敷地面積は546㎡、延床面積355㎡

中庭から見た母屋。

四室が縦に並ぶ町家の間取り

1階の中の間に設置された金庫。入れ歯に使用する金などが保管されていたそうです。

富士と松原の欄間に花鳥風月が描かれた襖。



1階の通り土間を持つ純粋な町家。2階の診療室には洋風の階段を上がる。

2階の診療室。ガラス窓が多い構造で、採光・換気が良く、開放的な空間。床はリノリウムで和洋折衷の造り。

診察椅子

2階西側の座敷。特別な人の待合室に使用されていた部屋。

中庭には診療用の水を組み上げたポンプや池などがあります。

中庭。

2階から見た北側の中庭。蔵と赤いトタン屋根の建物(非公開)までが五十嵐家。更に奥に見えるのが東名高速道路。
ウナギの寝床のように奥行きがあります。

トイレの外壁「なまこ壁」と装飾が施された窓ガラス。今では作れる人がいないそうです。

御勝手(おかって)

かまど(へっつい)

五右衛門風呂・・・。洗出しの流し、氷を入れる冷蔵庫、網戸入りの食器棚などの装置もありました。

「志田邸」
志田邸は木造2階建、切妻造、平入で、西側の平屋部は昭和初期の増築。土間の戸口に大戸の痕跡、道路に面した開口部に蔀度を残し、蒲原宿の往時の佇まいを今に伝えています。

安政年間(1855年頃)に再建された元商家で、国登録有形文化財。屋号を「やま六」といい、しょう油・味噌・油などを扱っていました。

玄関横の部屋は「店の間」と呼ばれる「商いの部屋」で箱階段や火鉢などな備えられている。
今日まで電気を引いたことのない、安政建築そのままの部屋です。

「蔀戸(しとみど)」や店の間・中の間など商家の面影がよく残されています。
(蔀戸は風雨と陽を遮る戸で、上から3分の2は吊り、下3分の1は取り外す方式)

明治時代の五月飾り。中の間は一間半(一畳半)の縁なしの畳が使用されている。

昔のお膳、食器類など。

明治年間に増設された西側平屋の8畳の座敷。

醤油の醸造所の土壁。下は三和土(タタキ)、周囲は竹を芯にした土壁で囲み、外側は石積の防火構造となっています。

屋号の「やま六」の看板。この醤油工場は東海道の宿場内でほぼ当時のまま現存・公開されている唯一の工場と言われているそうです。
この日は、東京在住のオーナー(志田威さん)がちょうどいらっしゃって、展示物などを詳細に解説してくれました。
東海道は五十三次ではなく、実は五十七次だそうです。初めて知りました。

志田邸の後は、旧五十嵐歯科医院のガイドボランティアの方に紹介して頂いた蒲原の味処「よし川」で昼食。
この時間は土砂降りで往生しました。

定番の「桜海老としらすの紅白定食」、あーちゃんは「桜えびの黄金丼」を注文。

桜えびは由比の揚げ方と違うとのことで食べやすい物でした。(桜海老としらすが水揚げされたのは由比漁港です。)

和泉屋

江戸時代「和泉屋」の屋号で旅籠として使われていた国登録有形文化財。看板かけや2階の手すりは天保年間当時のままのもの。

右側のみ、「お休みどころ」として無料開放されています。

玄関を入ったところ。館内では織り・染め・銀細工・粘土クラフトなどの体験もできるそうです。

昔の排煙口?。現在はトップライト(明り取り)になっています。

この日は生憎の雨で寒い日でしたが「蒲原宿」を堪能することが出来ました。
これから「静岡県富士山世界遺産センター」へ向かいます。(別ページで後日紹介します)

駿府城公園さんぽ:静岡市

2018年05月16日 | 日々のあれこれ

12日(土)に静岡で姪の結婚式があり、この日は静岡駅前のホテルに宿泊しました。
完全退職後は早寝早起き(じじいモード)になり、翌日は5:20起床。

ホテルの朝食は6:45からなので「松屋」の朝食券と交換してもらい、5:40にひとり朝食を食べ、近くの「駿府城公園」(JR静岡駅から徒歩約15分)を散歩しました。(かみさん、娘夫婦はぐっすり就寝中)

「駿府城」は徳川家康が、天正13年(1585)から居城として駿府城の築城をはじめ、慶長12年(1607)に本丸が完成しますが、同年12月失火焼失してしまいます。
家康は、直ちに再建に取り掛かり、慶長13年(1608)本丸御殿完成、慶長15年(1610)天守を完成させました。
寛永12年(1635)城下より出火、城内に延焼し天守・御殿・櫓・塀等大半を焼失。以降天守が再建されることはありませんでした。
明治維新後、明治6年(1873)陸軍省より「保存が必要な城郭」に指定されましたが、荒廃したまま放置されていました。

公園の奥に見える建物は静岡県庁(外堀の内側)



駿府城には三重の掘がありましたが、市街地化などによって埋め立てられ、幅が狭くなり、現在では二ノ丸堀(中堀)より内側が駿府城公園となっています。

中堀

北御門橋

戦後、駿府城は静岡市が所有することとなり、本丸、二ノ丸部分は、駿府公園として整備され、静岡市民の憩いの場として親しまれてきました。

平成元年(1989)には、市制100周年記念事業として、巽櫓(たつみやぐら)が復元され、

平成8年(1996)には、東御門(ひがしごもん)が復元されました。

櫓門 (帯刀御門、浄慶御門とも呼ばれ、主に重臣たちの出入り口として利用)

平成26年(2014)4月に復元された「坤櫓(ひつじさるやぐら)

園内の「シナサワグルミ(支那沢胡桃)

中国原産の落葉高木。淡緑色の花は、糸のように垂れ下がった軸に多数つき、翼のある果実が実る。

コウヨウザン(広葉杉)

中国南部、台湾原産の常緑樹。直幹性で高さ30mに達する。

ナギ(梛) 」の花、初めて見ました。

四国及び九州の海岸域にわずかに自生する常緑針葉樹。庭木としては主に静岡以西の暖地に植栽される。

家康手植えのミカン。「紀州コミカン」の一種。(静岡県指定天然記念物)


駿府城跡天守台発掘調査現場。16年度から、天守台跡約1万5000㎡を対象に発掘調査を開始。
天守閣については詳細な設計図がないことなどから、「現時点では天守閣の復元を行うべきではない」としていたが、絵図などをもとに天守閣の再建を目指すことになりました。
ただ、天守閣の再建費は少なくとも、鉄筋コンクリート造で約100億円、木造で240億~250億円程度かかるそうなので、巨額の財政支出が本当に実現するかは?です。どうせ造るのなら木造にしてほしいものです。
因みに名古屋城の現天守閣は鉄骨鉄筋コンクリート造(1959年再建)。築後56年が経過しており、老朽化による耐震性能の低下が問題となっていて、震度6強程度の地震に対して倒壊または崩壊する可能性が高く、29億円をかけて耐震改修をしても40年程度しか持たないという調査結果が出たとのこと。
そこで東京五輪の開催に合わせて2020年7月までに木造で復元することになったそうですが、なんと事業費の概算は473億~504億円だそうです。

この日の散歩は約2時間。8:10頃ホテルに戻りました。