華麗なるメジロ一族。スピッツ / 空も飛べるはず

2012年11月14日 | 店長のひとりごと&音楽

現P

「店長のひとりごと&音楽」

おはよ~うございます。

今日は、ダス。

 

14日(水)定休日です。

 

日々更新きつい日もありますが

 

最近の店長、古い事書き杉 良太郎!?

ネタがないのよ!?

 

 

 

 

我が思い出の一曲

スピッツ / 空も飛べるはず

 

 

 

 

ぴいこ&ふうこさん、思い出のテスコガビーです。

 

 

1975年 第36回オークス テスコガビー

 

 

 

 

テスコガビー、懐かしいですね。

牝馬で、1975年三冠逃した馬でしたね。いまでも、ハッキリ覚えてますよ。

オークス。府中の2400メートル逃げ切っちゃいましたね。

おまけに、2着場に8馬身もつけてぶっちぎりでした。

だれもが、3冠疑わなかったですよね。

しかし、残酷な事に怪我で出走できませんでしたね。

1977年に心臓麻痺で急死でした。

ご冥福をお祈りします。。。

 

 

店長にとって、競馬はロマンでした。

 

 

華麗なるメジロ一族

 

長くなりますので、興味のない方はスルーして下さい。

 

約40数年前の華麗なるメジロ一族についてお話しましょう。
やはりメジロ一族というと、メジロアサマ・メジロムサシの二頭が
思いだします。メジロアサマは、初の芦毛の天皇賞馬です。
父は、名種牡馬のパーソロンです。騎手は池上昌弘、白地に緑の
勝負服だったと思います。私が、競馬を始めた時、ダービーを勝った
ダイシンボルガードの十数着だったとおもいます。しかし、のちに
大器晩成、天皇賞を勝ってしまいました。引退の時は、府中までいって
ただ一頭池上をのせた芦毛の馬体が直線を走りさったのが脳裏に
やきついてます。私も、拍手・拍手・拍手の涙でした。


メジロムサシは、クラッシックをにぎわしたタニノムーティエ・アローエクスプレスの
同世代です。とにかく、黒光りして黒鹿毛で500kを越す巨漢馬です。
騎手は、横山富雄で重馬場じょうずでした。
思い出されるのは、パドックで黒光りして、はみをぐうーーーとかんで
闘志まんまんでした。いまでも、脳裏に焼きついています。
1971年の春の天皇賞はテレビ観戦でした。大雨が降って
京都競馬場は田んぼ同様の不良馬場で、直線重得意の
オオクラと叩きあい競い勝って優勝しました。
両馬500キロをこす馬で、叩きあいはすごい迫力でした。
それから、62キロを背負わされても、函館記念を
勝ってしまいました。また当時馬インフルエンザ騒動もありました。

 


もう一頭すばらしい馬がいました。それは、


名馬メジロラモーヌです。

1986年の牝馬の三冠馬です。

またいつの日か、メジロラモーヌについてお話します。

 

See you