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イスラエル王国について

2024-03-28 21:56:00 | 世界史

【サウル】 

 サウルは、イスラエル王国の初代国王で、パレスチナの地に王国の基礎を築きました。ただし、歴史的には、その存在は不確実だとされています。当時、イスラエルは、巨人ゴリアテが率いるペリシテ人の侵略に苦戦していました。そのゴリアテを倒したのが、イスラエルの羊飼いの青年ダビデです。ダビデは、この功績によって国民的英雄とされました。しかし、サウルは、ダビデの人気に嫉妬し、命を狙うようになったとされています。そのダビデを助けたのが、サウルの息子ヨナタンでした。ヨナタンとダビデは、固い友情で結ばれていたとされています。その後、サウルとヨナタンが、ペリシテ人との戦いで死んだので、ダビデが新しい王となりました。

 【ダビデ王】 

 イスラエル王国2代目の王となったのがダビデです。ダビデは、イスラエル人の理想の王者だとされています。その名前の由来は「親愛なる人」です。一説では、旧約聖書の詩篇の作者だとされています。ダビデは、もともと、ベツレヘム出身のただの羊飼いにすぎませんでした。しかし、竪琴の名手だったので、サウルに召し抱えられたとされています。ペリシテのゴリアテを倒してからは、将軍としても活躍しました。活躍出来たのは、もともと勇敢で頭が良く、軍事的な才能もあったからです。

 王になってからは、宿敵ペリシテ人を降伏させ、最終的には、周辺民族のほとんどを征服したとされています。ダビデは、エルサレムの地を征服し「契約の箱」を置いて、そこを都としました。契約の箱とは、宗教的なシンボルで、イスラエル人の団結のしるしだとされています。ダビデの正妻は、サウルの娘ミカルです。しかし、家臣の妻バドシェバとの間にも不倫で出来た子供がいました。これは、当時の倫理観からも、よくなかったとされています。そのため、ダビデは、後世の潔癖なピューリタンからは嫌われました。

 【ソロモン】 

 イスラエルの3代目の国王となったがソロモンです。ソロモンは、バドシェバとの子で、ダビデの末子でした。その名前の由来は「平和に満ちた」です。父ダビデの命令で後継者に指名されました。ソロモンは、大変賢い王だったとされています。特に赤ん坊の所有権を争った2人の女を裁いた逸話は有名です。また、イスラエルを訪問した「シバの女王」の難問にも全て解答することが出来ました。一説では、旧約聖書の「雅歌」と「箴言」の著者だとされています。

 ソロモンは、ヤーウェ神殿をエルサレムに建設しました。ヤーウェとは、イスラエル人の神様のことです。ユダヤ教は、一神教なので、神様はヤーウェしかいません。ユダヤとは、他称であり、自称は、イスラエルです。 ソロモンは、従来の部族制を解体した上で、行政区域を12分割し、それぞれに長官を派遣しました。その住民には、徴税や賦役の義務があったとされています。商業では、広範な海上交易網で、通商を盛んにし、軍事面では、常備軍を設置しました。ソロモン王の治世は「ソロモンの栄華」と呼ばれるイスラエル王国の絶頂期だったとされています。

 しかし、晩年のソロモンは、オリーブ山で、ハーレムのような生活を送ったので、評価を落としました。そのため、オリーブ山は「冒涜の丘」と呼ばれています。ソロモンは、アシタロテ、モロクなど異教の神を祭るようになりました。この頃に、ヤーウェからは、見放されたとされます。ソロモンの死後、イスラエル王国は、北と南に分裂しました。




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