【キュロス大王】
ペルシャ人は、もともとトルキスタン地方の遊牧民で、自分たちのことは、イラン人と呼んでいました。イランとは「アーリヤ人の国」という意味です。ペルシャ人は、古代世界において、ひたすら巨大化の道を進み「アケメネス朝ペルシャ」という史上空前の大帝国を築きました。アケメネス朝ペルシャの初代国王だったのが、キュロス大王「2世」です。キュロス大王は、イラン人の始祖とされています。古代エジプトを除く全オリエントを統一し、ペルシャの建国者となりました。アケメネス朝ペルシャは、世界で最初の本格的な帝国だったとされています。その君主の称号は「大王」や「諸王の王」です。キュロス大王は、ユダヤ人をバビロン捕囚から解放し、故郷パレスチナに戻しました。そのため旧約聖書においては、寛大で理想的な君主とされています。
【不滅隊】
ペルシャ軍の中心は「騎兵」です。その騎兵は「乗馬術」と「弓術」に長けていました。特に敵から恐れられていたのが「不滅隊」とよばれる「常備軍」です。不滅隊とは、一万人からなる武勇に優れた精鋭部隊のことで、不屈の闘志と必殺の突撃作戦によって、敵に大打撃を与えました。一人の兵士が倒されたら、すぐに新しい兵士が補充されたので、その様子が、あたかも戦士が蘇ったかのように見えたそうです。再生される兵士として、アタナトイ「不死の意」と名付けられました。その他の軍隊は、1000人のペルシア貴族からなる親衛隊です。この親衛隊は、千人隊長が指揮しました。千人隊長の役目は、軍の指揮だけではありません。宮廷の要職として、財政管理の権限もありました。
【ダレイオス1世】
アケメネス朝の第3代国王となった「ダレイオス1世」は、帝国の領土を最大にしたので「野獣の支配者」「英雄王」「制服王」などと呼ばれました。ちなみにダレイオス1世は、キュロス大王の血族ではありません。征服された民族は「兵役」と「納税」の義務を果たしていれば、ペルシャの制度や慣習を強制されることはありませんでした。アケメネス朝ペルシャは「多民族国家」だったので、このような寛容な政策は、帝国を安定的に支配するために有効だったとされています。その他、ダレイオス1世は、王家を中央集権化し、ペルセポリスを帝国の新しい首都と定めました。ペルセポリスは、どちらかと言えば、政治の中心というより王の神聖な都だったとされています。ペルセポリスの建設作業には、各州から職人が集められ、ダレイオス以後も、歴代諸王が増築を続けました。
【州制度】
ダレイオス1世は、帝国の行政区分を約20の州に分割しました。各州を統治させるために任命したのが「サトラップ」とよばれる総督です。この制度をサトラップ制と言います。サトラップ制の州の管理は厳格で、中央から派遣された、地方行政の監視役「王の目」と、その補佐官「王の耳」が、各州の様子を絶えず王に報告していました。また、広い帝国を支配するためには、地方と中央の情報伝達が迅速でなくてはいけません。そのために整備されたのが道路網で、連絡手段としては「駅伝制」が導入されました。こうした州制度を受け継いだのが、後のローマ帝国です。
【ゾロアスター教】
ダレイオス1世は、帝国内の宗教を統一せず、征服した民族の宗教にも寛容でした。その王自身が信仰したのはゾロアスター教です。ゾロアスター教は、アケメネス朝ペルシャの国教的な存在でした。漢字では、拝火教と書きます。火を聖なるものとし、永遠に消えない聖火を灯し続けていました。ゾロアスター教は、開祖の実在がはっきりしている世界最古の宗教とされています。その根本教典は「アベスター」で、聖職者は「マギ」です。マギは、英語のマジックの語源とされています。ゾロアスター教は、偶像や神殿を尊重しました。その宗教的象徴だったのが「有翼日輪」です。また、ダフメ「沈黙の塔」で行われる、鳥・風葬などの独得な祭祀もありました。
ゾロアスター教の世界観は二元論的です。世界は、善神アフラ=マズダと暗黒神アーリマンの対立だとされました。ただし、最終的に勝利するのは、アフラ=マズダの方だとされています。また、ゾロアスター教は、終未論的でした。最後の審判と世界浄化の後に、新しく完全な世界が再生するとされています。こうした終未論は、ユダヤ教にも影響を与えました。ユダヤ教の天使という存在も、ゾロアスターの影響です。ゾロアスター教は、現在でも信徒がいます。