なくもの哲学と歴史ブログ

哲学と歴史のブログです。
フォロバはします。気軽にフォローしてください。
西洋、東洋哲学
世界史、日本史
西洋神話

インド哲学、ブラフマンとは何か?

2024-10-02 12:30:00 | インド哲学

【ブラフマン】

 ブラフマンは、宇宙の根本原理を神格化した神です。そのため、ヒンドゥー教では、最高神の1人とされています。ただし、漠然とした神様だったので、インドや日本では、民衆に広まりませんでした。そのブラフマンと同一視されるのが、原人プルシャです。プルシャは、自分の体の各部位から、世界を創造したとされています。

ブラフマンも、万物そのものが身体です、もともとは、たった1人で存在していました。それでも自分自身には満足していたとされています。ある時「梵卵」と呼ばれる卵を二分割しました。それが、天と地に分れたとされています。ブラフマンは、唯一無二の実在です。そのため、全てのものは、ブラフマンだとされました。また、ブラフマンは、宇宙の「創造者」「破壊者」「保存者」だともされています。



【創造者】

 ブラフマンは、宇宙の魂のような存在で、呪力ある言葉で、万物を創造するとされています。思考だけで、物事を顕現させるので、労働のようなことはしません。ブラフマンは、生成することを本質としているので、外からいかなる力を借りなくても、さまざまに形を変化させることが出来ました。目覚めている時は、世界を新しく展開させ、眠りにつく時は、それがいったん終るとされています。

 ブラフマンには、始めと終わりがありません。それは、常に存在しており、何かから、生まれたことがなく、無くなることもないとされています。インドの世界観では、一方通行的な時間というものがありません。時間というものは、終わりのない、無限の循環の繰り返しだとされているからです。便宜上、使うとしても、それは仮のものにすぎません。全てのものは、ブラフマンに吸い込まれ、その中に消えるとされています。ブラフマンは、唯一のものなので、分割することが出来ません。分割されないものは、他と区別されないので、個性というものがないとされています。

【ダルマ】

 ブラフマンは「ダルマ」を定めました。一般的に、ダルマとは、守るべき正しい道のことです。それ以外にも「法」「秩序」「現象」などの多様な意味があります。この世界が安定しているのは、ダルマが、諸物を適所に配分しているからです。それは、人間社会も例外ではありません。ブラフマンは、人間社会に四つの階級「四身分」を制定しました。四身分とは、司祭「バラモン」、武士「クシャトリヤ」、庶民「ヴァイシャ」、隷属民「シュードラ」のことです。その中で、バラモンが最高位とされました。バラモンとは「ブラフマンと合一した人」という意味です。通常、瞑想することによって、心がブラフマンになるとされています。その者は、全てを獲得し、天界に常駐するとされました。


【梵天】

 ブラフマンの漢訳が、仏教の「梵天」です。梵天「ぼんてん」の「天」は、天部に属していることを意味しています。天部とは、仏法を守護する「神々」のことです。梵天は、仏教に取り入れられて「12天」の1人とされました。「12天」とは「方位」「天地」「太陽」「月」の守護神のことです。その中で、梵天は「天」の守護神とされました。その住居は、須弥山の「大梵天」で、天部の中では、最高位の存在とされています。それと同格とされるのが、神々の王「帝釈天」です。帝釈天と梵天は、一対で「梵釈」と呼ばれています。物語で、梵天が登場するのが、梵天勧請「ぼんてんかんじょう」という仏教の逸話です。梵天勧請では、梵天が、悟りを開いた釈迦にその教えを広めることを勧めたとされています。

 仏像の梵天は、2本の腕に一つの顔という普通の人間のような容姿です。通常、宝冠を被り、中国風の衣装を着て「払子」「鏡」「香炉」などを持っています。ただし、密教の梵天は、四面四臂とインド的です。その梵天が、乗り物としているのが「ハンサ」と呼ばれる4羽の白い鵞鳥です。「ハンサ」は、神の知恵の象徴とされています。



バラモンとは何か?

2024-08-23 21:31:00 | インド哲学

【バラモン】
 バラモンは、カースト制度で最上位の階級です。カースト制度には、他に「クシャトリア」「ヴァイシャ」「シュードラ」という階級があります。それぞれ、バラモンが「僧侶」、クシャトリアが「王族」、ヴァイシャが「庶民」シュードラが「奴隷」のことです。バラモンとは、漢訳の「波羅門」の日本語発音なので、正確なサンスクリット語発音ではありません。サンスクリット語では「ブラーフマナ」と言います。「ブラーフマナ」とは「ブラフマンに属する階級」という意味です。ブラフマンとは、不滅の「全一者」のことで、宇宙の全てを司る神とされています。

 バラモンは、世襲制で、純血が尊ばれたので、バラモンの家同士で結婚していました。インドの社会では、バラモンは、最も尊敬されるべき存在とされています。そのため、バラモンを殺すことは、最も大きな不正とされました。そのバラモンを物質的に支えていたのがクシャトリアです。ただし、クシャトリアとバラモンは、相互依存関係にありました。なぜなら、バラモンが、クシャトリアの社会的支配の正当性の根拠を与えていたからです。神話では、バラモンは「プルシャ」の口から生まれたとされています。プルシャとは、原初の巨人のことです。世界は、その巨人を解体して作ったとされています。


【バラモン教】
 バラモン教は、もともとアーリア人によって作られました。そのバラモン教が、民間信仰を取り入れて成立したのが今のヒンドゥー教です。ヒンドゥー教の主神の「シヴァ」「ヴィシュヌ」などは、もともとは非アーリア的な神々だったとされています。そのヒンドゥー、バラモン教の聖職者とされるのがバラモンです。バラモンは、インド社会の精神的な指導者とされています。その主な役割は「祭式」と「学問」をすることです。バラモンの言葉には、呪力があるとされ、その「祭祀」「思考」によって、神々をも動かす力があるとされました。そのため、人間の姿をした神々の神とされています。ちなみに、インドの「弁護士」「教育者」「民族運動の指導者」などは、ほとんどがバラモン階級出身者です。

【聖典】
 バラモンは「ヴェーダ」を究めた者とされています。ヴェーダとは、神から授けられた聖典のことで、その一つが「奥義書」や「秘儀」とされるウパニシャッド哲学です。ウパニシャッド哲学は、自己の内にあるアートマン「個人我」を知り、ブラフマン「宇宙我」と合一することを目的としています。合一するとは、アートマンとブラフマンが、本来同一のものであることを知ることです。それを梵我一如「ぼんがいちにょ」といいます。  

 アートマンとは、他と区別される不変の実体のことです。その存在が、死後に新しい肉体を得るという輪廻転生の根拠となりました。バラモンは、ダルマの「守護者」「体現者」「維持者」とされています。ダルマとは、宇宙の「法」や「秩序」のことです。そこから、社会で守るべき生活規範とされました。その生活規範を細かく規定したものがマヌ法典です。マヌ法典のマヌは、ブラフマーの息子で、世界の父とされています。バラモンには、マヌ法典を正しく伝える責務がありました。マヌ法典には、権利と義務である4つヴァルナ「カースト」が規定されています。その中でも、特に強調されたのがバラモンの特権でした。


インド哲学、ヨーガ学派とは?

2024-08-21 20:22:00 | インド哲学

【ヨーガ学派】
 古代インドで、正統的な六つの哲学体系を「六派哲学」または「正統バラモン哲学」と言います。その六派哲学の一つがヨーガ学派です。ヨーガ学派の開祖は、24世紀頃の「パタニジャリ」という人物で、その根本経典は「ヨーガ、スートラ」です。スートラとは、経典という意味です。ヨーガ学派は「有神サーニキ学派」とも言います。有神サーニキ学派というのは、六派哲学の一つ「サーニキヤ学派」から、哲学説を借用しているからです。サーニキヤ学派は、無神論的とされています。それに対して、ヨーガ学派は、神の存在を認めているので、有神と名付けられました。ヨーガ学派には、仏教の影響、共通性があるとされています。例えば、人間の存在を苦とみることなどです。ヨーガ学派は、サーンキヤ学派の影響で二元論的だとされています。例えば、世界を「見るもの」と「見られるもの」とに分けたからです。

 「見るもの」のことをプルシャ「真我」と言います。プルシャは、サンスクリット語では「私」「霊魂」「自我」「人間」「男性」などという意味です。それは、個人の内側に存在する自分自身の本質のことで「物質的要素」をまったく含まない精神的なものとされています。それに対する物質的な要素が「見られるもの」です。

「見られるもの」は、サンスクリット語で「プラクリティ」と言います。ヨーガ学派では、心と体は、物質的なものにすぎません。そのため、心も物質的なものの一部にすぎないとされています。


【ヨーガ】
 ヨーガとは、知覚などの心の働き「作用」を止滅、または、抑制することです。それを実践することが、ヨーガの目的だとされています。ヨーガという名前の由来は「結合」や「つなぐ」です。もともとは「馬に軛をかけ御する」と言う意味だとされています。そのため、ヨーガには「制御」するという意味もありました。ヨーガは、アーリア以前のインダス文明の時代からあったとされるインド伝統の心身の統一方法です。

 ヨーガは、師から直接指導を受けなくてはいけません。それ故、その準備の出来た人にしか教えられませんでした。ヨーガの目的は、心身の訓練によって、解脱を目指すことです。解脱とは、物質的な束縛からプルシャを独立させ、絶対者と合一することだとされています。そのためには、心の働きを止滅しなくてはいけません。その状態は、波がなくなった静かな水面に例えられます。解脱の時、ヨーガ行者は、生や時間の束縛を離れ「永遠の現在」を生きるとされました。雑念を離れ、意識「心」を一つのものに集中させることを「三昧」と言います。対象を正しくとらえられることが出来るのは、この三昧の状態に入った時です。


【イシュワラ】
 ヨーガ学派では、プルシャは、単一ではありません。そのため、複数存在しています。プルシャは、プラクリティと接触することによって、この世の物質的な制限を受けるとされました。複数存在するプルシャの中で、特別なものとされるが「イシュワラ」です。イシュワラは、一度も物質世界と接触したことがありません。そのため、常に純粋な状態を保っているとされています。イシュワラは、ヨーガ行者が、修行中に祈念する対象であり、世界を創造する最高神のような存在ではありません。それは、全てのヨーガ修行者のグル「先生」だとされています。インドの伝統では「師」のことを「グル」と呼び、その存在は大切にされました。イシュワラを言葉で表したものが聖音「オーム」です。そのオームを復唱することによって、ヨーガ修行の障害が取り除かれるとされています。