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ヒッタイトの「鉄」と「チャリオット」

2024-03-24 21:11:00 | 世界史

【ヒッタイト】

 ヒッタイト帝国は、前17世紀頃、アナトリア地方「現在のトルコ」の荒野に誕生した多民族国家です。アナトリアは、荒涼とした大地が続く厳しい自然環境でした。ヒッタイト人は、コーカソイド系のインドヨーロッパ語族だったとされています。もともとアナトリア地方に住んでいた先住民族のハッティ人を征服し、ハッティ語や楔形文字などの文化を継承しました。ヒッタイトは、独自の法制度を持つ専制的な王政だったとされています。

 【鉄】 

 ヒッタイトは、オリエント世界で初めて、鉄を実践的な武器として利用しました。その鉄で、ヒッタイト帝国をオリエントの一大強国にしたとされています。強靭な鉄は、当時の最先端の金属でした。ヒッタイトは、製鉄技術を独占するため、その方法を国家機密として厳しく守らせたとされています。鉄以前に、主要な武器として、使用されていたのが青銅です。青銅は、銅とスズの合金で、鉄より硬さで劣り、重量があるという欠点がありました。当時使われていた鉄の原材料は、隕鉄だったとされています。現在では、鉄鉱石が原材料です。鉄を溶かすためには、1200度前後という高い温度に保つ必要があります。それは、青銅よりも500度も高い温度です。そのため、製鉄には、高度な冶金技術が必要でした。ヒッタイトが滅亡した時、独占していた鉄器製造技術が拡散され、青銅器時代から、鉄器時代へ移行したとされています。

 【チャリオット】

 ヒッタイトは、鉄製の武器によって絶大な軍事力を誇りました。鉄以外で、ヒッタイトが、軍事的に優れていたのが「騎馬」と「戦車」を巧みに操る技術です。その革新的な戦術は、アッシリア帝国に受け継がれました。ヒッタイト軍の主力は、古代の戦闘用戦車「チャリオット」です。チャリオットとは、二頭の馬に引かせた鉄製の車輪の馬車のことで、高速で移動しながら、敵に弓矢を射たり、槍で打撃を加えることが出来ました。ただし、チャリオットは、機動力では騎兵に劣っています。人類は長い間、馬を乗りこなすことが出来きませんでした。それを可能にしたのが、ヒッタイト人が発明した「鉄のはみ」です。鉄のはみによって、長時間の移動が可能になりました。 

 【カデシュの戦い】 

 ヒッタイトは、鉄製の武器とチャリオットによって、オリエント世界の列強一つに数えられました。戦いに強く、強国のミタンニを破り、バビロニア第一王朝をも滅ぼしています。戦争の中で、特に有名だったのが、エジプト新王国とのカデシュの戦いです。カデシュの戦いでは、エジプトの名君ラムセス2世を相手に善戦し、引き分けました。この時、両国で交わされたのが、世界最古の成文化された国際平和条約だったとされています。条約は「領土不可侵」と「相互軍事援助」という内容でした。条約を交わした理由は、共通の敵である「海の民」がいたからです。しかし、最終的には、ヒッタイトも、その海の民に滅ぼされてしまいました。



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