なくもの哲学と歴史ブログ

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西洋、東洋哲学
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国学者、本居宣長

2024-07-04 21:15:00 | 日本の思想

【もののあわれ】
 本居宣長は「もののあわれ」を日本の文芸の本質だとしました。もののあわれとは、源氏物語に流れる、一貫した美意識のことです。「あわれ」とは、感嘆詞の「ああ」と「はれ」の合成語です。そのため、もともとは感動を表す言葉でした。もののあわれは、窮屈な宮廷暮らしの女性たちの心から生まれたとされています。例えば、情緒的な「哀愁」や「憂い」など、繊細で儚い女性的な心情のことです。もののあわれは、日本文学の構成要素の一つだとされています。本居宣長は、文学に限らず、そうした感覚は、日本文化全体を象徴するものだとしました。それが生まれるのは、人の心が、外観の事物に触れた時です。

【真心】
 本居宣長は、美しいものを見た時、素直に美しいと感じられるべきだとしました。感じたままの真っ白で素直な心を「真心」と言います。本居宣長は、その真心に従って生きることが、人間本来のあり方だとしました。しかし、現実的には、なかなか真心に従うことが出来ません。何故なら、我々の心は「先入観」や「固定観念」に縛られているからです。人間は、社会の道徳的な価値基準によって、自然な真心が阻害されています。真心には、そもそも道徳的な判断が必要ありません。物事を善悪で判断するのは、儒教的な価値観だからです。本居宣長は、そうした価値観には否定的でした。それらが、もともと日本のものではないからです。儒教的な考え方は、中国から輸入されてきました。


【漢意】
 中国由来のものの考え方を「漢意」と言います。漢意「からごころ」とは、仏教や儒教に影響された心のことです。本居宣長は、それを中国思想に対する批評用語として使いました。日本人は、知らず知らずのうちに、日本文化に内在する仏教や儒教などの中国思想を正当化しています。仏教は、もともとインドが起源です。しかし、日本の仏教は、中国を経由して伝わってきています。そのため、きわめて中国的な仏教でした。

 江戸時代の官学だったのが儒教です。儒教は、道徳的な学問なので、形式的で堅苦しいところがあります。なぜなら、様々な決まり事で、人々を縛ろうとするからです。本居宣長は、儒教的な思考が、人間本来の生き生きとした感情を抑圧していると考えました。


【大和心と惟神の道】
 漢意の対義語を「大和心」または「大和魂」と言います。大和心「やまとごころ」とは、日本古来から伝えられてきた伝統的な精神のことです。それは、芸術や風習として、日本の文化に内在してきました。大和魂は、日本独自の精神性として、日本人の生き方の根底にあるものとされています。本居宣長は、その大和心が、日本人的なものの見方や、考え方を支えているとしました。

 日本固有の宗教とされるのが「神道」です。その神道のことを、惟神「かんながら」の道とも言います。神道には、経典や教義がなく、または開祖もいません。その目指すべき所は、儒教の道徳や仏教の悟りとは異なります。神道では、全てのものは、神々の御心のままに、おのずから生まれてくるものとされています。全ての出来事も、その神々の相互作用が働いて、決められた結果にすぎません。本居宣長は、そこに人為を加えるべきではないとしました。

 日本人のご先祖様を遡っていくと、神話の時代の神々にまで辿り着くことが出来きます。日本という国は、これまで日本人のご先祖様が作ってきました。もし、ご先祖様がいなければ、我々は存在しません。そのご先祖様に感謝を表すのが「祖霊崇拝」です。そのため、神道には、祖霊崇拝的な要素もあります。



賀茂真淵の思想

2024-07-03 20:12:00 | 日本の思想

【賀茂真淵】 
 賀茂真淵「かものまぶち」は、遠江国で、神職の子として生まれました。遠江国「とおとうみのくに」とは、現在の浜松市のあたりのことです。賀茂真淵は、荷田春満に学び、国学者となりました。国学者としては、国学4大人「しうし」の一人に数えられています。賀茂真淵は、日本の古典を重んじ、特に万葉集を研究しました。そのため、その代表作も「万葉考」という注釈書です。賀茂真淵は、学者として古典を研究しただけではありません。彼自身も歌人でした。
 
 
【国学】 
 賀茂真淵は、国学を独立した学問として体系づけようとしました。そのために古典を研究し、その価値を再評価したとされています。賀茂真淵は、自身の著書「国意考」の中で、日本古来の精神への回帰を説きました。「国意」とは、日本人の精神のことです。従来、日本人は、外来の儒教や仏教の影響を受けてきました。国学者の目標は、それ以前の純粋な日本人の精神を取り戻すことです。それには、日本の古典を研究することが必要だと考えました。日本古来の精神とは、具体的には神道のことです。神道は、日本独自の風土の中で、自然発生的に生まれました。それが、日本人の精神の土台にあるとされています。賀茂真淵は、その日本古来の精神によって、現実の政治をも治めようとしました。
 
 
【益荒男振】 
 本来の日本人の心を「益荒男振」と言います。益荒男とは、もともとは立派な日本男児を意味する言葉でした。例えば、勇敢な「軍人」や「兵士」など、強くて逞しい男性のことです。そうした男性は、大丈夫とも呼ばれています。益荒男振「ますらおぶり」とは、歌風や人間のあり方のことです。そうした歌風のことを「万葉調」と言います。万葉調は、奈良時代の、白鳳、天平文化の風潮です。その特徴は、高貴なのに、心が和らぐ感じだとされています。万葉調は、生活における素直な感動を具体的に表現したものです。そこには、技巧などの小細工がありませんでした。益荒男振とは、高く直き心「たかく、なおき、こころ」のことだとされています。「直き」とは、内面のあるがままの感情のことで、それを歌という形で表現したのが益荒男振です。

 
 
【手弱女振】
 益荒男振の対義語を「手弱女振」と言います。手弱女振「たおやめぶり」とは、女性的な歌風や人間のあり方のことで、古今和歌集に見られる、繊細でしなやかな歌風のことです。そうした歌風を「古今調」と言います。古今調とは、平安時代の京都の歌風のことで、素朴な万葉調と比べると、やや技巧的でした。近代に至るまで、その古今調の方が、歌壇の主流となっています。賀茂真淵は、作為的な古今調に対しては批判的でした。それに対して、本居宣長は、古今調の方を高く評価しています。
 
 
【唐国振】 
賀茂真淵は、儒仏思想によって、日本古来の精神が失われたと考えました。そうした外来の思想のことを唐国振「からくにぶり」と言います。賀茂真淵は、その唐国振に対して批判的でした。特に儒教は、人為的で、理屈っぽいと感じたからです。儒教的な道徳は、人間の自然な感情を抑え、考え方を狭くさせてしまいます。そうした考え方は、世の中を治める側にとっては、都合が良かったのかも知れません。江戸時代の官学も、儒教の一派である朱子学でした。朱子学では、人為的な君臣の関係を重視しています。賀茂真淵は、そうした朱子学に対して否定的でした。


内村鑑三の「デンマーク国の話」

2024-03-04 09:52:00 | 日本の思想

【デンマーク】 

 内村鑑三は、明治、大正期に活躍したキリスト者として知られています。彼は、デンマークという小国を賛美しました。デンマークは、現在でも、貧困率が低く、国民幸福度が1位の国として知られています。その面積は、日本の九州大の大きさにすぎません。当時のデンマークの人口は、日本の20分の1でした。しかし、国民一人一人は、日本の10倍もの富を持っていたとされています。デンマークは、天然資源もなく、土地も豊穣ではありませんでした。その主要産業は、酪農と林業で、現在でも酪農大国として知られています。内村鑑三が賞賛したのは、そうした国家ではなく、デンマーク人の精神性でした。

 【敗戦国として】 

 デンマークは、ドイツ、オーストリアに戦争で負けた敗戦国です。その賠償金として、経済的に重要な地域を失いました。そんな時こそ、国民の真価が試される時です。戦勝国の運営は、誰にでも出来きます。しかし、敗戦国の立て直しほど難しいものはありません。どんな国にも暗黒の時代はありました。国が負けても、国民が不幸になるとは限りません。目標がある者には、敗戦など、よい刺激にすぎないからです。戦争に勝っても、内部分裂などによって、滅びた国はいくらでもあります。それは、歴史が証明してきました。 

 現在では、日本も敗戦国です。戦後の日本は、急速に経済復興しました。その要因は、朝鮮戦争と戦前からの産業体制だと言われています。当時の日本には、経済発展を可能にする外的要因と内的条件が揃っていました。そうしたものは、自分たちの力だけでなんとかなるものではありません。いろんな条件が重なり、結果的にそうなりました。ただし、日本人の精神性がなければ、経済復興は成し遂げられなかったとされています。

 【ダルガスの計画】 

 困窮したデンマークを導いた一人の人物がいました。工兵士官だったタルガスです。ダルカスは、敗戦が濃厚だった時から、国土回復の計画を練っていました。その計画とは、デンマークの荒涼とした大地を、肥沃な土地に変えるというものです。ダルカスは、もともとフランス系の人種で、ユグノー党に所属していました。ユグノー党とは、信仰の自由を求めて、外国に脱出したプロテスタントの一派です。プロテスタントには、地上に神の国を実現するという目標がありました。そのため、自分たちの労働は、神から与えられた使命だと考えています。それは、経済を発展させることと何ら矛盾していませんでした。ダルガスは、復讐戦など考えません。戦争は、ただ国を疲弊させるだけだからです。中国の孫子も、戦争は、極力避けるべきだと言っています。ダルガスは、戦争で失ったものを、自国の開発によって、取り返そうとしました。

 【国の改良】 

 ダルガスの武器は「水」と「木」でした。外国産の木を植林しても、その土地に合うかどうかは分かりません。ダルガスは、ノルウェーやアルプス産の樅を植林し、試行錯誤を繰り返しました。植林をすることは、建築用の木材を得ることだけが目的ではありません。樹木のない土地は、熱しやすく冷めやすいものです。樅の林を植林したことで、気候が安定し、穀物や野菜が成育できるような環境になりました。また木には、保水効果があります。それが低地国であったデンマークの洪水の害を防ぎました。確かに、敗戦国デンマークの領土は狭くなったかもしれません。しかし、開発によって新しい国を作りました。それは、戦勝国のように、他国の領土を奪ったものではありません。ただ自国を改造しただけです。ダルガスによって、デンマークには、鉄道や道路などの交通網が敷かれ、経済が発展しました。



西田幾多郎の「絶対矛盾的自己同一」

2024-03-02 19:25:00 | 日本の思想

【絶対矛盾的自己同一】 

 西田幾多郎は、異なるものが、異なるままで一つになっていることを「絶対矛盾的自己同一」と名づけました。この絶対矛盾的自己同一という概念は、西田哲学の集大成です。西田は、世界が対立したまま同一性を保っている状態こそが、本来の姿だとしました。例えば、全体と一部は、矛盾していますが、同時に存在しています。一部分も、全て合わせれば、全体となるからです。個々のものは、相互に関係しながら、全体を表現しています。本来、世界とは、全体としては一つのもののはずです。しかし、それを別々のものとして、人間の側が認識 しています。

 世界を区別しているのは、人間の知識や言葉です。しかし、人間の言葉には、限界があります。そのため、全てを正しく言い表わすことができません。自己と世界は、本来、同一のもののはずです。しかし、それが言葉によって区切られることによって、違うものになってしまいます。区別をするのは、我々が慣習的にそうしているからです。思考習慣に従うと「私が」と言う孤立した考え方になってしまいます。我々は、この世界を自分の「偏見」の色眼鏡で見ているようなものです。

 【時間】 

 我々は、共通の時間と空間の形式の中にいます。その中では、全てのものが相互に関係しており、孤立したものなどありません。それは、時間でも同じです。現在だけが、単独で存在しているわけではありません。過去は、消滅したのではなく、現在の前提条件です。反対に未来は、現在の中に内包されています。我々が体験しているのは、永遠の今だけです。「過去」「未来」「現在」は、個別のものではなく、同時に存在しています。この世界には、始めと終わりがありません。時間とは、円のように循環する無限の過程の中にあります。一つ一つの瞬間という点が、始めであり終わりです。 

 【自己と関係性】 

 我々の存在形式は、無数の相互関係の中で、決定させられた一つの形にすぎません。自己とは、他人との関係性のことです。他人と自分は、分けることが出来きません。それらは、相互に限定し合うものだからです。自己は、それだけで独立して存在していません。しかし、普段の思考習慣によって、独立したものだと考えがちです。他人と自分は、それぞれ違ったままで相互に存在しています。 

 自分自身の存在というものは、疑うことが出来きません。その疑っている者が、自分だからです。しかし、自分で自分自身のことを知ることは難しいものです。自己を深めていくと、それだけ自己が他者に開かれていきます。存在の奥の方では、自分と他人との境界線がなくなっているからです。自分と他人との違いは、形式的な違いにすぎません。なぜなら、全てのものは、全一なるものだからです。自己は、意図的に作っていくものではありません。世界の内にある自己が、全体的な流れの中で、展開されていくだけだからです。 

【歴史】

 また、自己と歴史というものも切り離せません。我々は、歴史的な存在です。これまで、個々のものが、それぞれ協働して、一つの歴史を展開させてきました。世界とは、それ自身の自己表現の過程です。個々のものも、常に全体を表現しようとします。それらの相互の関係性こそが、歴史を作ってきました。歴史を展開しているのは、それぞれの差異です。違ったものが、違ったままで存在しているからこそ、歴史は展開されてきました。それを矛盾的自己同一と言います。



吉本隆明の「共同幻想論」

2023-09-24 21:54:00 | 日本の思想

【共同幻想論】
 吉本隆明の「共同幻想論」は、全共闘世代の人たちに、熱心に読まれました。全共闘とは、学生運動のことです。共同幻想論には、幻想としての国家の成立過程が、描かれています。吉本隆明は、マルクスやフロイトの影響を受けており、その二つの思想によって、国家と個人の関係を再構築しようとしました。 共同幻想論では、人間関係を、3種類に分類しています。「個人幻想」「対幻想」「共同幻想」の3つです。その3つは、相互に関係性がありました。

【個人幻想と対幻想】
 個人幻想「自己幻想」とは、自分一人だけで見る幻想のことです。それは、個人の内面の出来事なので、外部に表現されない限りは、他者に影響を及ぼすことがありません。そのため、個人幻想は、何者にも制約されず自由です。例えば、文学などの芸術は、個人幻想に当たります。それらは、日常的に起こる個人の内面の現象です。宗教も、個人の内側に収まる限りは、個人幻想になります。 

 対幻想「ついげんそう」とは、個人幻想と共同幻想の中間的な概念で、一対一の二人で見る幻想のことです。例えば「兄弟姉妹」「男女関係」「家族」などのプライベートな関係のことを言います。それは、擬似的な性関係とされますが、必ずしも肉体的な性交渉を伴いません。対幻想は、フロイトのリビドー論の影響を受けた概念だとされています。リビドーとは、本能的な欲望のことです。

【共同幻想】
 対幻想が、空間的に拡大されれば、やがて「共同体」になります。吉本隆明は、その共同体がさらに拡大して、国家が誕生したと考えました。家族という対幻想は、国家成立の起源とされています。例えば「死」「恐れ」「祭儀」などには、共同体を一つにつなぐ働きがありました。同じものを信じることによって、お互いに「共感」することが出来たからです。共同体を維持するには、人々が、ある「共通認識」を共有することが必要でした。人々が共同体に抱く幻想を「共同幻想」と言います。共同幻想は、3人から成立するもので、例えるなら、マルクスの上部構造のようなものです。

 吉本隆明は、国家の幻想性に注目し、対幻想が共同幻想化したときに国家が発生したのだとしました。国家とは、集団で見る共同幻想のことです。人々の集合的な想像力が、国家というフィクションを創造しました。「風俗」「宗教」「法律」などの共同体のシステムも共同幻想です。それが守られたり、流布されたり、慣習となっているところでは、どこでも共同幻想が存在しています。しかし、近年の個人主義の発達が、その共同幻想を解体させました。

【共同幻想と個人】 

 人間と人間の関係が、自分の考え方を束縛しています。他人との間で形成される価値観は、そもそも共同幻想にすぎません。人間とは、同調圧力などによって、思考が停止させられてしまうものです。強い共同幻想の前では、個人の考え方も固定化させられてしまいます。しかし、人間は、共同幻想なしでは生きられません。今まで、それを基準にして生きてきたからです。本来、共同幻想は、人間のために作られました。しかし、それが逆に人間を苦しめることもあります。