こずくな生活

写真付きで山暮らし

南北からの珍味

2010年03月30日 | 引っ越し前

季節外れ過ぎのマイナス8℃だけれど、眼前にこれだけの目映くも明るくきりっとした景色を見せられてしまうと思わず許してしまう寛容さを抱いてしまう。予想を飛び越えて20センチは積もっただろうか!久方ぶりの除雪車音で眠りを覚まされてしまった。「なごり雪」の歌を歌いながらも除雪車のブレードで鏡のように磨かれた下り坂道路表面には二匹のペンギン歩行を余儀なくさせられてしまった。


散歩に出ようとしたら玄関内に沖縄産の島ラッキョウとミカンがおいてあるではないか!昨夜、長女が沖縄にお嫁にいっている知人が、玄関ブザーが無いので大声を発しないと聞こえない我家を慮りそっと置いていかれたに違いない。さらに夕方、帰宅すると三陸の親戚から届いた発泡スチロールの箱を指差しながら興奮した妻の声が耳に入ってきた。ボヤ騒ぎではなくホヤ騒ぎではないか!三陸のホヤとカキとホタテが!ホカホ!
巨人が横浜に勝利した今現在、カーテンを開けると、左上45度からまん丸い月が覗きこんでいて目が合ってしまった。めったには無い、朝から夜まで幸せな一日が終えようとしている。

span style="color: #009999;">たていし親父どの・・・めっそうもありません。ほんのちょびっとでも清涼剤になっていただければ!



DNA砂時計

2010年03月28日 | 引っ越し前

昨日5時間と今日午前2時間30分を薪作りに費やした。知人紹介の高齢な農家から、何でも梨に専念するので樹齢20年ほどの桃の木の最期を我家暖房に提供していただいた次第、子供が後継者とならない日本の農業は、もう20年も過ったらどうなってしまうのか?陳列してあるのが当たり前のごとくスーパーの商品を買い物籠に入れレジにてお金と交換する。一体いつまで商品とお金が続くのだろうか?車を風除けにして昼食をとった後、着ていたコートを敷き上半身を後ろに倒し仰向けになり見上げると昔から変わらない青空と雲があった。
車に細い薪を積んで家に戻る途中、息子からお嫁さんと孫が何事も無く退院したとの連絡があった。しばらくの間お嫁さんの実家にお世話になるので近いうちに孫の顔を見に行こうと思う。朝方ベットの中で思ったことだが、夫婦というのはDNA砂時計の最もくびれた場所のようなもので、上にある大量な逆三角錐一粒一粒の砂は倍々と過去れんめん続く先祖DNAであり、下部の三角錐に落ちる砂粒は夫婦から繋がり続けていくDNAであると。ちなみに今現在、孫誕生で我々から3粒のDNA砂粒が下に落ちたことになる。世の夫婦はそれぞれ大きさ形が違う世界で一つの砂時計である。

    
昨年の春から秋はよく外れた天気予報だったが、このところの予報はどうしたのだろうか?的中率が高く、今日も帰宅した2時過ぎから雪が舞い降り始めたかと思うと結構な降りかたとなり薄っすらな積雪となった。

たていし親父どの・・・これで親父殿にほんの一歩近づけました。昨日の夕方病院へ会いに行き抱っこしたですが、たまらなく可愛いの一言であります。
HALさん・・・たびたびなるコメント有難うございます。妻とのメールからHALさんの姿形を想像しています。もちろん素晴らしく!

タイムトリップ

2010年03月25日 | 引っ越し前
        
予定よりも3日早い昨日の夕方に初男孫が誕生した。帰宅後早速に夕食を食べずに病院へと向かった。頑張ったお嫁さんはもちろんのこと、疲れと安堵感か艶っぽくみえる(妻が言うには)長男の顔には親としての表情が感じられた。母の胎内から出でてから3時間も過ぎていないこわれそうな赤ら顔の孫に「おーい」と声をかけてみた。もちろん返事は無いが間隔を保ちながら小さくも元気のよい「オギャー・・・・・」と泣き声を返してくれた。
病院から帰宅後の遅い夕食前に白ワインでお祝いをした。高価なワインではないがとても美味しく気持ちよく飲め酔うことができた。食事後に、子供達二人が使った揺りかごに妻が実家から持ってきた起き上がり人形を置き、その上に、これまた二人が寝ながら見上げていた懐かしきメリーゴーランド風なおもちゃに電池を入れ回してみると、タイムトリップしたかのように30年ほど前の若かった時代に戻ることができた。こういう思いを起させてくれたのは孫のお陰であります。

御知名 治朗さん・・・いいですよ、変更しても、4月中旬過ぎになると土日は休めないので、山頂まで登りますか?こちらはどちらでもいいです。見舞いに行こうと思いつつすみません

春味が一つ

2010年03月21日 | 引っ越し前

切り倒した木の切り株を見ると思うことがある。写真のように何処か海の標高線孤島図のように40年もずーと立ち続けていた山栗の木年輪からは、その年その年の自然環境が脳裏に浮かんでくる。厳しくて僅かばかりの成長しか出来なかった年、暖かくて思いのほか成長できた年と、正に生き続けてきた記録を断面図として訴えている。人間にとって動物や魚から活動エネルギーを戴くように木も寒さをしのぐ感謝すべく貴重な生き物である。お金で購入する薪と違い、自分の手で切り割り作る薪から肌に受ける温かみはひとしおである。それだからこそ細い枝も焚きつけようとして一つも無駄にはできない。

        
お彼岸に実家へ行ってきた妻が実姉から切り残した株から生えた野沢菜をいただいてきた。湯がくと緑鮮やかとなり、からしで和え食すると春の味がした。

もたない化粧

2010年03月19日 | 引っ越し前
我家45度屋根の雪崩音によって一挙に夢うつつから現実うつつとなってしまった。そんなばなな!と思いつつも寝室カーテンを少し力強く左に引くと、登ったばかりの今日太陽挨拶が強烈に飛び込んできた。



玄関前から道路へとキツネの直線足跡が続いていた。こういった思わぬ早朝に見れる雪化粧はこれが最後かもしれない。春が近づいているこの時期の雪化粧はしっくりと肌に馴染まないので長続きしなく落ちてしまう。特に太陽光に当たるもんなら、あっという間に地肌が現れてしまう。散歩から戻り、残り二回分となったヒマワリの種をベランダ餌台においた。しばらくの間少し開けたカーテン越しに代わりばんこにやってくる小鳥達を眺めていると、変わったシジュウカラがいて放心したように30秒ほど動かないでずーと同じ姿勢で物思いにふけっていた。我も何をか思わん。