235Y哲学日記

235Yが私的に語る、日々想うこと。

年末・235Yモノ想う「何かを成就するには」

2006年12月30日 02時00分31秒 | 自己流哲学
今日は午後から家の大掃除。

普段忙しくて、適当に掃除する程度なので、年末、思い切って色々捨てようと決心。

まず、本。

タイトルを見て、「面白かった」と思うものだけを置いて、ちょっと処分することに。

買った本は、基本的に手元に置いておきたいタイプなんだけど、部屋が図書館状態、意を決して、取捨選択。

掃除って無の状態になれるって聞くけど、私は、結構いろんなことを考えながら、掃除している。

モノを捨てる時は、「ん~~これ、やっぱり置いておこう」とか考えてるし。
掃除機かけているときや、雑巾で拭いているときは、漠然と色んなことを考えている。

お掃除をしながら考えたこと。

「仕事がうまくいく」や「試験に合格する」等々、「何かを成就する」には、次の5つの要素が関係するのではないかと思う。

まず、1つ目「才能」

持って生まれた才能を生かして成功する人はもちろんいる。でも、私は、これはごく少数だと考える。

2つ目「努力」

才能に恵まれてはいないけど、それを努力で補うことは、人間誰しもに与えられた平等なチャンスである。
これは、「物事を成就する」5つの要素の中で、後天的に、かつ、自発的に調整することができるものである。

3つ目「運」
いくら「努力」をしても、「運」というものがある。試験等はまさしくそうだ。模擬試験でいつも上位の人が本番で勝つとは限らない。「努力」した人には残酷であるが、「運」も、間違いなく、「物事の成就」に関係する要素だ。

4つ目「運命」
「運」と「運命」は違う。
「運」というのは、「そのときのツキ(ラッキー)」みたいなもの。
「運命」というのは、「才能」と一緒で、その人の「努力」では抗えない、引力に導かれるようにその方向へと向かうこと。
私は運命論者ではないが、「運命」の巡り合わせはやはりあるように思う。

5つ目「天の裁き」

これは、仕事の成功に関して言えることだが、真に成功している人というのは、人徳者が多い。

何故、人徳者が成功するのか?

その人の周りに人が集まったり、その人についていきたいと思わせる何かがあったりするからというのも勿論ある。

でも、それ以外に、「普段の行いの良い人」=「人のために尽くせる」「嘘をつかない」「他人を思いやれる」「自分を律する」等々、そんな人には、天が必ず見てくれていて、味方してくれるんだと思うのだ。

逆に、「普段の行いの悪い人」には、「天の裁き」が下り、物事はうまくいかなくなるんだと思う。

天は必ず、どこからか見ているのだ。

そうそう、私の好きな言葉に「仰いで天に恥じず」という言葉がある。

「誰かがみていなくても、天は貴方の行動を上からみているので、天に見られても恥ずかしくない行動を取れ」という意味だ。

私は、この言葉が好きだ。

長々と書いてきたが、「物事の成就」には、「才能」「運命」「運」「努力」「天の裁き」の5つの要素が関係する。

自分の采配でどうにでもなるのが、「努力」と「天の裁き」(良い行いをすれば、天は必ず味方する)だ。

「才能」もなく、「運命」もそちら方向には動いていなくて、「運」にも見放された「最悪の条件」だったとしても、一生懸命「努力」をし、「天の良い裁き」を受けるため「善行を積む」と、「最悪の条件」が「少しはましな状況」になるかもしれないし、もっとよければ、「物事は好転」し、「成就」するかもしれないと思うのだ。

以上、235Y、年末にモノ想う。

ではまた。

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