最近、私があることを行って、ある人に、「235Yちゃんってやはり気が回る」と言われた。
確かに、私は、「面倒見がいい」とか「親切」だとか、よく言われる。
しかし、これは、半分当たっているようで、半分はずれていると思う。
人に対する「親切」というのは、大きく分けて2種類あると私は思う。
「父性愛」からくる「男性的な親切(思いやり・気配り)」と、
「母性愛」からくる「女性的な親切(思いやり・気配り)」。
この2種類。
「父性愛」からくる「男性的な親切(思いやり・気配り)」というのは、「相手が困っているときや、悲しみに沈んでいるときや、悩んでいるとき」に手を差しのべる類のものだと思うのだ。
それに対して、「母性愛」からくる「女性的な親切(思いやり・気配り)」というのは、「相手を喜ばせようとするときや、世話を焼こうとするとき」に湧いてくるものなのではないかと思う。
人間は、「父性愛(男性的な親切)」と「母性愛(女性的な親切)」、共に持ち合わせていて、女性は、「母性愛(女性的な親切)」がより多く現れ、男性は、「父性愛」(男性的な親切)」がより多く現れるのだと思う。
私は、女性であるけれども、「父性愛(男性的な親切)」の方が強いと思う。
具体的に言うと、私が、相手の力になろうと思うときは、こんな時だ。
・「相手が悩んでいて、誰かに話を聞いてほしいとき」
・「相手が悲しみに沈んでいて、私と話すと元気になれるというとき」
・「相手の手助けになれそうなとき」等々。
こういった類のことには、「わかった。いますぐ行く。」「わかった。こういうことで貴方の助けになれる」「わかった。私がどうにかする。」と、すばやくアクションをおこすのだ。
これをもって、私のことを、「面倒見がいい」とか「親切」とか、「気が利く」とかいうのだ。
しかし、私には、「女性的な親切」はないように思うのだ。
よく、旅行に行ったら、こまめにお土産を買ってきてくれる人がいる。
友達の誕生日を覚えていて、「カード」や「プレゼント」を贈ってくれる人がいる。
相手の好きな食べ物を覚えている人がいる。等々。
私は、そういう女性的な親切は、あまりない。
旅行に行ったら、友達のお土産を買うのは忘れる。まず、自分自身がお土産というものにあまり興味がないのだ。
お金を節約するために買わないのでは決してない。
旅行に没頭して、お土産まで頭が回らないのだ。
だから、旅行に行く前に、「お土産買ってきてあげるけど、たぶん、買うのを忘れるから、メールして」と言うことさえあるのだ!
それとか、いつもお土産をくれる友人にはお返しをしないといけないから、それは、お財布に付箋を忍ばせて、「買って帰ること!」と書いて出かけることもある。
(海外旅行は別!!お土産をよく買ってしまいます。このときは、友人へのお土産リストアップもしていくので覚えているのです。)
あと、友人の誕生日もすぐ忘れる。
うまく書けないけど、私は、「困っている人、悩んでいる人、傷ついている人」に対して手を差しのべるのであって、普段の生活の中では、飛びぬけて「親切(女性的な親切)」があるというわけではないと思うのだ。
人に、「他人のことに対して、よくそこまで熱くなれるなあ」とか、「見過ごすこともできるのに、とことん手を差しのべるよなー」とか言われるが、これらは、すべて、「困っている人、悩んでいる人、傷ついている人」に対するアクションだ。
「平和な人」に対するアクションではない。
だから、人が、私のことを「面倒見がいい」とか「親切」とか、「気が利く」とかいうのは、半分当たっていて、半分はずれていると思うのだ。
親切(思いやり・気配り)には2種類ある。
貴方はどう思われますか??
まあ、ナイチンゲールも困っている人を助けたから、
「困っている人を助ける=父性愛(男性的な親切)」とは、一概には言い切れはしないが、私のイメージとして、「親切」には2種類あるということを書きたくて。。
ではまた。