古天気学 今までの検証結果 6
2013年5月31日 木曜日 天気 晴
(46)「享保日記」享保三年戌四月廿日、江府小傅馬町より出火。南風ニ而浅草迄焼ル。大火也。
→ 江戸小伝馬町から浅草大恩寺まで焼ける
(47)「享保日記」享保三年(戌)二月十三日、鹿島へ家僕惣ヲ代参ニ遣ス。夜中ニ出宅ス。同夜明ケ方ニ夏海ノ壹より海面ヲミれバ、火もへたつ如ク壹丈計光り上り、兩度迄ミへける也。龍燈ト申ニ可Ⓥ有Ⓥ之と道連之もの共一同ニおがミ候由。
十四日ニ飯島村へ行けれバ、晝過ニ海面ニ黒雲おはひまつくらになり、い□(な カ)びかり、雷のおとしてすさまじき様子、黒雲の間よりねづミ色の長サ四五間とミへ、かたちはうなぎなどやうにミへて、海中へふらふらさがり候様ニミへける也。其所のもの今朝も如Ⓥ此のものミへ候とかたりけるよし、龍にても有Ⓥのかと申候由。是又道連のもの一同ニ見候由。道連の者、手前屋敷ノ内孫三郎、三丁め喜惣次、江戸町八郎次、權七など云もの也。
→ 龍燈は、初めて聞く言葉で日本各地に伝わる怪火。 茨城県にとって数少ない初めての大変貴重な資料だと思います。
(47)「享保日記」享保三年(戌)二月十四日ニ飯島村へ行けれバ、晝過ニ海面ニ黒雲おはひまつくらになり、い□(な カ)びかり、雷のおとしてすさまじき様子、黒雲の間よりねづミ色の長サ四五間とミへ、かたちはうなぎなどやうにミへて、海中へふらふらさがり候様ニミへける也。其所のもの今朝も如Ⓥ此のものミへ候とかたりけるよし、龍にても有Ⓥのかと申候由。是又道連のもの一同ニ見候由。道連の者、手前屋敷ノ内孫三郎、三丁め喜惣次、江戸町八郎次、權七など云もの也。」
→ 日光では、天気不明・江戸は晴 茨城県鉾田は、朝海上に竜巻発生、その後晝過ぎ大曇り大雷そして竜巻発生。 茨城県鉾田市海上での、竜巻発生の大変貴重な資料です。
(48)「享保日記」 「享保日記」享保三年四月晦日~五月二日 1718年5月29日~5月31日「四月晦日、五月朔日、二日之朝迄霜降ル。
→ 享保三年四月晦日~五月二日(1718年5月29日~5月31日)の水戸地方では早朝は、最低気温が2~4℃で風が弱き晴れであることがわかった。 茨城県水戸市付近で、気温が数値化された大変貴重な資料です。
(49)「享保日記」去々申ノ年(正徳六年(1716年8月9日)六月二十二日に改元 享保元年)如(V)此也。此比ノ寒サ冬ノ如シ。
→ 正徳六年五月も寒さが冬のように気温が低いと書かれている。
気温を数値化するのには ?
享保時代の日記
1. 日記が記録された場所が一定であること。(江戸・日光・水戸)
2. 一年間毎日天気が書いてあること。(晴・曇・雨・寒・暖)
3. 十数年間天気が書いてあること。(晴・曇・雨・寒・暖)
享保時代と現代との天気・温度を比較検討して月単位・半期単位で気温の数値化が出来るか。これからの課題です。
(50)「享保日記」同五月朔日、晝八ツ時より夜ノ八ツ迄、江戸五郎兵衛町ヨリ出火、北風ニ而芝筋へ焼、芝見付御門迄其外方方へ火うつり、西門跡寺中焼、本堂ハ残り候由。去る四月廿日ノ火事ニハ一倍ほども焼候半由。
→ 江戸五郎兵衛町から出火、八丁堀・築地まで焼ける ネットで色々検索してもヒットしない、出火発生時間や風方向などが書いてありもしかして、新発見の江戸の火事か ?
(51)「享保日記」當戌、春ヨリ夏ニ至寒ムキ事何年ニも覚なし。五月中旬迄臥具等去冬ノ如シ。予老衰ゆへかと被とニ尋ヌルニ、諸人同様ト云々。」
→ 気温を数値化するのには ?
享保時代の日記
1. 日記が記録された場所が一定であること。(江戸・日光・水戸・その他)
2. 一年間毎日天気が書いてあること。(晴・曇・雨・寒・暖・雪・霜・その他)
3. 十数年間天気が書いてあること。(晴・曇・雨・寒・暖・雪・霜・その他)
享保時代と現代との天気・温度を比較検討して月単位・半期単位で気温の数値化が出来るか。これからの課題です。
2013年5月31日 木曜日 天気 晴
(46)「享保日記」享保三年戌四月廿日、江府小傅馬町より出火。南風ニ而浅草迄焼ル。大火也。
→ 江戸小伝馬町から浅草大恩寺まで焼ける
(47)「享保日記」享保三年(戌)二月十三日、鹿島へ家僕惣ヲ代参ニ遣ス。夜中ニ出宅ス。同夜明ケ方ニ夏海ノ壹より海面ヲミれバ、火もへたつ如ク壹丈計光り上り、兩度迄ミへける也。龍燈ト申ニ可Ⓥ有Ⓥ之と道連之もの共一同ニおがミ候由。
十四日ニ飯島村へ行けれバ、晝過ニ海面ニ黒雲おはひまつくらになり、い□(な カ)びかり、雷のおとしてすさまじき様子、黒雲の間よりねづミ色の長サ四五間とミへ、かたちはうなぎなどやうにミへて、海中へふらふらさがり候様ニミへける也。其所のもの今朝も如Ⓥ此のものミへ候とかたりけるよし、龍にても有Ⓥのかと申候由。是又道連のもの一同ニ見候由。道連の者、手前屋敷ノ内孫三郎、三丁め喜惣次、江戸町八郎次、權七など云もの也。
→ 龍燈は、初めて聞く言葉で日本各地に伝わる怪火。 茨城県にとって数少ない初めての大変貴重な資料だと思います。
(47)「享保日記」享保三年(戌)二月十四日ニ飯島村へ行けれバ、晝過ニ海面ニ黒雲おはひまつくらになり、い□(な カ)びかり、雷のおとしてすさまじき様子、黒雲の間よりねづミ色の長サ四五間とミへ、かたちはうなぎなどやうにミへて、海中へふらふらさがり候様ニミへける也。其所のもの今朝も如Ⓥ此のものミへ候とかたりけるよし、龍にても有Ⓥのかと申候由。是又道連のもの一同ニ見候由。道連の者、手前屋敷ノ内孫三郎、三丁め喜惣次、江戸町八郎次、權七など云もの也。」
→ 日光では、天気不明・江戸は晴 茨城県鉾田は、朝海上に竜巻発生、その後晝過ぎ大曇り大雷そして竜巻発生。 茨城県鉾田市海上での、竜巻発生の大変貴重な資料です。
(48)「享保日記」 「享保日記」享保三年四月晦日~五月二日 1718年5月29日~5月31日「四月晦日、五月朔日、二日之朝迄霜降ル。
→ 享保三年四月晦日~五月二日(1718年5月29日~5月31日)の水戸地方では早朝は、最低気温が2~4℃で風が弱き晴れであることがわかった。 茨城県水戸市付近で、気温が数値化された大変貴重な資料です。
(49)「享保日記」去々申ノ年(正徳六年(1716年8月9日)六月二十二日に改元 享保元年)如(V)此也。此比ノ寒サ冬ノ如シ。
→ 正徳六年五月も寒さが冬のように気温が低いと書かれている。
気温を数値化するのには ?
享保時代の日記
1. 日記が記録された場所が一定であること。(江戸・日光・水戸)
2. 一年間毎日天気が書いてあること。(晴・曇・雨・寒・暖)
3. 十数年間天気が書いてあること。(晴・曇・雨・寒・暖)
享保時代と現代との天気・温度を比較検討して月単位・半期単位で気温の数値化が出来るか。これからの課題です。
(50)「享保日記」同五月朔日、晝八ツ時より夜ノ八ツ迄、江戸五郎兵衛町ヨリ出火、北風ニ而芝筋へ焼、芝見付御門迄其外方方へ火うつり、西門跡寺中焼、本堂ハ残り候由。去る四月廿日ノ火事ニハ一倍ほども焼候半由。
→ 江戸五郎兵衛町から出火、八丁堀・築地まで焼ける ネットで色々検索してもヒットしない、出火発生時間や風方向などが書いてありもしかして、新発見の江戸の火事か ?
(51)「享保日記」當戌、春ヨリ夏ニ至寒ムキ事何年ニも覚なし。五月中旬迄臥具等去冬ノ如シ。予老衰ゆへかと被とニ尋ヌルニ、諸人同様ト云々。」
→ 気温を数値化するのには ?
享保時代の日記
1. 日記が記録された場所が一定であること。(江戸・日光・水戸・その他)
2. 一年間毎日天気が書いてあること。(晴・曇・雨・寒・暖・雪・霜・その他)
3. 十数年間天気が書いてあること。(晴・曇・雨・寒・暖・雪・霜・その他)
享保時代と現代との天気・温度を比較検討して月単位・半期単位で気温の数値化が出来るか。これからの課題です。