茨城県水戸市 正徳四年暴風雨 追加
以前ブログで紹介していた「享保日記」水戸藩士 與力西野清八郎正府の享保元年から享保17年間の日記の中に気になった記事がありました。
享保二年 一、同年(享保二年・1717年9月20日)八月十六日巳ノ中刻ヨリ辰巳大嵐大雨。未ノ刻南ニ風替り御家中町共所々破損或潰家。御城内ニも御屋上破損多。御城廻り松木所々風折有。或根がへり有り。當四年以前八月九日ノ嵐ヨリよほどつよし。中川よほど洪水、石垣、橋、水落口御堀と一面ニ成ル。但十六日夜中水はな、十七日五ッ時分ニ貮尺餘水落ル。
「當四年以前八月九日ノ嵐ヨリよほどつよし。」この記事は、
享保二年を含めた四年前が、享保二年(1717年)・享保一年(正徳六年1716年)・正徳五年(1715年)・正徳四年(1714年)
正徳四年八月八日の暴風雨に合う。(一日ずれていますが)
吉村名誉教授・歴史天候データベース(HWDB)で検証
正徳一年八月九日 (1711年9月21日)わるい方の天気から
弘前 曇
八戸 雨
盛岡 晴
日光 大雨
東京 雨
伊勢 大雨
京都 大雨
鳥取 雨
厳原 晴
長崎 晴
正徳二年八月九日 (1712年9月9日) わるい方の天気から
弘前 雨
八戸 雨
盛岡 -
日光 雷雨
東京 晴
伊勢 雨
京都 晴
鳥取 晴
長崎 雨
臼杵 ー
正徳三年八月九日 (1713年9月28日) わるい方の天気から
弘前 晴
八戸 晴
盛岡 曇
日光 雨
東京 曇
伊勢 雨
京都 小雨
鳥取 雨
厳原 曇
長崎 晴
臼杵 晴
「検証結果」
正徳一年八月九日(1711年9月21日)関東・近畿付近で大雨がありました。
「検証結論」
正徳四年八月八日の暴風雨の全国的な大被害が甚大であることを考えると、享保二年に記事「當四年以前八月九日ノ嵐ヨリよほどつよし。」は、正徳四年の暴風雨であることに間違いないと思う。
「正徳四年八月八日 暴風屋を倒し、樹を抜く。水戸領中、損耗数多、35年来の大風」
「水戸紀年」・「探旧考証」・「享保日記」
正徳四年暴風雨の茨城県で確認された貴重な資料で一つ増えたと思う。
次回は、35年来の大風の項目について検証していきたい。
以前ブログで紹介していた「享保日記」水戸藩士 與力西野清八郎正府の享保元年から享保17年間の日記の中に気になった記事がありました。
享保二年 一、同年(享保二年・1717年9月20日)八月十六日巳ノ中刻ヨリ辰巳大嵐大雨。未ノ刻南ニ風替り御家中町共所々破損或潰家。御城内ニも御屋上破損多。御城廻り松木所々風折有。或根がへり有り。當四年以前八月九日ノ嵐ヨリよほどつよし。中川よほど洪水、石垣、橋、水落口御堀と一面ニ成ル。但十六日夜中水はな、十七日五ッ時分ニ貮尺餘水落ル。
「當四年以前八月九日ノ嵐ヨリよほどつよし。」この記事は、
享保二年を含めた四年前が、享保二年(1717年)・享保一年(正徳六年1716年)・正徳五年(1715年)・正徳四年(1714年)
正徳四年八月八日の暴風雨に合う。(一日ずれていますが)
吉村名誉教授・歴史天候データベース(HWDB)で検証
正徳一年八月九日 (1711年9月21日)わるい方の天気から
弘前 曇
八戸 雨
盛岡 晴
日光 大雨
東京 雨
伊勢 大雨
京都 大雨
鳥取 雨
厳原 晴
長崎 晴
正徳二年八月九日 (1712年9月9日) わるい方の天気から
弘前 雨
八戸 雨
盛岡 -
日光 雷雨
東京 晴
伊勢 雨
京都 晴
鳥取 晴
長崎 雨
臼杵 ー
正徳三年八月九日 (1713年9月28日) わるい方の天気から
弘前 晴
八戸 晴
盛岡 曇
日光 雨
東京 曇
伊勢 雨
京都 小雨
鳥取 雨
厳原 曇
長崎 晴
臼杵 晴
「検証結果」
正徳一年八月九日(1711年9月21日)関東・近畿付近で大雨がありました。
「検証結論」
正徳四年八月八日の暴風雨の全国的な大被害が甚大であることを考えると、享保二年に記事「當四年以前八月九日ノ嵐ヨリよほどつよし。」は、正徳四年の暴風雨であることに間違いないと思う。
「正徳四年八月八日 暴風屋を倒し、樹を抜く。水戸領中、損耗数多、35年来の大風」
「水戸紀年」・「探旧考証」・「享保日記」
正徳四年暴風雨の茨城県で確認された貴重な資料で一つ増えたと思う。
次回は、35年来の大風の項目について検証していきたい。