古天気学 A

明治時代以前の日本のお天気や地震また天文関係の資料を収集中

茨城県水戸市 正徳四年暴風雨 追加

2013-03-14 17:02:01 | 天気
茨城県水戸市 正徳四年暴風雨 追加

以前ブログで紹介していた「享保日記」水戸藩士 與力西野清八郎正府の享保元年から享保17年間の日記の中に気になった記事がありました。

享保二年 一、同年(享保二年・1717年9月20日)八月十六日巳ノ中刻ヨリ辰巳大嵐大雨。未ノ刻南ニ風替り御家中町共所々破損或潰家。御城内ニも御屋上破損多。御城廻り松木所々風折有。或根がへり有り。當四年以前八月九日ノ嵐ヨリよほどつよし。中川よほど洪水、石垣、橋、水落口御堀と一面ニ成ル。但十六日夜中水はな、十七日五ッ時分ニ貮尺餘水落ル。

「當四年以前八月九日ノ嵐ヨリよほどつよし。」この記事は、

享保二年を含めた四年前が、享保二年(1717年)・享保一年(正徳六年1716年)・正徳五年(1715年)・正徳四年(1714年)

正徳四年八月八日の暴風雨に合う。(一日ずれていますが)


吉村名誉教授・歴史天候データベース(HWDB)で検証

正徳一年八月九日 (1711年9月21日)わるい方の天気から

弘前
八戸 
盛岡   
日光 大雨
東京 
伊勢 大雨
京都 大雨
鳥取 
厳原 
長崎 

正徳二年八月九日 (1712年9月9日) わるい方の天気から

弘前 雨 
八戸 雨
盛岡 -
日光 雷雨
東京 晴
伊勢 雨
京都 晴
鳥取 晴
長崎 雨
臼杵 ー

正徳三年八月九日 (1713年9月28日) わるい方の天気から

弘前 晴 
八戸 晴
盛岡 曇
日光 雨
東京 曇
伊勢 雨
京都 小雨
鳥取 雨
厳原 曇
長崎 晴
臼杵 晴

「検証結果」

正徳一年八月九日(1711年9月21日)関東・近畿付近で大雨がありました。

「検証結論」

正徳四年八月八日の暴風雨の全国的な大被害が甚大であることを考えると、享保二年に記事「當四年以前八月九日ノ嵐ヨリよほどつよし。」は、正徳四年の暴風雨であることに間違いないと思う。

「正徳四年八月八日 暴風屋を倒し、樹を抜く。水戸領中、損耗数多、35年来の大風」
                「水戸紀年」・「探旧考証」・「享保日記」

正徳四年暴風雨の茨城県で確認された貴重な資料で一つ増えたと思う。


次回は、35年来の大風の項目について検証していきたい。

茨城県水戸市 正徳四年暴風雨 古天気年代測定法を試み検証

2013-03-13 16:52:18 | 天気
正徳四年八月八日と九月八日に水戸領内で暴風があったか無かったかの検証

データ(1)

「水戸紀年」 正徳四年八月八日 暴風屋を倒し、樹を抜く。水戸領中、損耗数多、35年来の大風

データ(2)

高倉逸斎『探旧考証』正徳四年九月八日 暴風屋を倒し、樹を抜く。水戸領中、損耗数多、35年来の大風

データより変換

年月日 → データ(1)正徳四年八月八日を西暦に変換 → 1714年9月16日 (吉村名誉教授・歴史天候データベース(HWDB)が西暦のため)

年月日 → データ(2)正徳四年九月八日を西暦に変換 → 1714年10月15日 (吉村名誉教授・歴史天候データベース(HWDB)が西暦のため)

場所 → 水戸領中 → 茨城県水戸市

天気の種類 → 大風 


吉村名誉教授・歴史天候データベース(HWDB)と古天気学データベース(KTDB)で検証


吉村名誉教授・歴史天候データベース(HWDB)
      
1714年9月16日 わるい方の天気から

青森県弘前 雨
青森県八戸 雨
岩手県盛岡 雨
栃木県日光 大雨
東京    雨
三重県伊勢 大雨
京都府   大雨
大阪府池田 雨
鳥取県   雨
大分県臼杵 雨

1714年10月15日 わるい方の天気から

青森県弘前 晴
青森県八戸 晴
岩手県盛岡 晴
栃木県日光 晴 
東京    晴   
三重県伊勢 雨 
京都府   晴   
大阪府池田 雨
鳥取県    晴  
大分県臼杵 曇

古天気学データベース(KTDB)

1714年9月9日~10月7日 正徳四年八月
出雲私史 (島根)八月大風雨 平地浸水3尺 害穀21580余石 倒屋 277戸
飛騨編年史要 (岐阜)某日、飛騨大風あり。
神主家日記 (兵庫県西宮市)名次神社 社殿は元四尺四方板葺の木造であったが、しばしば破損し、つひに正徳四年(1714)八月暴風のため大破した。

1714年9月16日 正徳四年八月八日

愛知県災害誌 (愛知県)庄内川   8月8日 庄内川大出水。被害甚大
万代記 (和歌山県)正徳四年(一七一四)八月八日の夕方から夜中にかけて暴風雨があり、田辺領でも家屋が大破する家が出た(『万代記』)。和歌山でも百年この方記憶のない大風が吹き、大被害をうけている。有田、日高から熊野の浦々では、高潮と大風が襲って死者も出た。
名古屋市史 (愛知県)暴風雨のため、美濃の諸川氾濫して流木700,000本に及び、神戸、鳥ヶ池、甚兵衛、伝馬等の新田、堤防破壊して水災を蒙る。
随筆耳の垢 松阪市史編纂所 [編] (三重)大風・大不作の為、8、9月頃米7俵半~8俵、11、12月頃13俵。
長泰年譜 (和歌山県)8月8日大風
ー (大阪府)大坂で大潮、死者出る
北可継日記(南部藩公務日記) (岩手県盛岡)雨自暁大風雨
月堂見聞集 (近畿)近畿、大風雨。夜9つ時より7つ時迄、潰れ家、破損家、折れ木など夥し。
月堂見聞集 (大阪府)大坂は川口随見山辺より江ノ島まで水1丈余さし入り、大船、町中へ走り上がり、家々多く破損、死人あり。
月堂見聞集 (大阪府)大坂より池田までの在家大分破損、風の最中、今宮の前町8、9軒焼く。勝間(摂津国西成郡勝間村)、大浪打込み、東阿部野山際まで汐差し込む。これにも死者あり。住吉の神木100本余倒れ、境は恵比寿島、大汐にて家引き取られて死人あり。浜手100軒余潰れ、綿作一円に皆無。
月堂見聞集 (京都府)京都も禁裏を始め所司代屋敷、町奉行屋敷、両門跡、その他寺社大分損ず。
石原家記 (大阪府)大坂大風。橋々落ち、家潰れる。

1714年10月15日 正徳四年九月八日

北可継日記(南部藩公務日記) (岩手県盛岡)晴

「検証結果」

年月日 → データ(1)正徳四年八月八日を西暦に変換 → 1714年9月16日 (吉村名誉教授・歴史天候データベース(HWDB)が西暦のため)→ 天気記録有

年月日 → データ(2)正徳四年九月八日を西暦に変換 → 1714年10月15日 (吉村名誉教授・歴史天候データベース(HWDB)が西暦のため)→ 天気記録有

場所 → 水戸領中 → 茨城県水戸市 → 茨城県の天気記録なし 

天気の種類 → 大風 → 茨城県の天気記録なし

「データ整理」 

1714年9月16日 正徳四年八月八日

青森県弘前
青森県八戸
岩手県盛岡 雨・大風大雨
栃木県日光 大雨
東京   
愛知県   大雨・大風大雨    
三重県松阪 大風
三重県伊勢 大雨
和歌山県  大風大雨・高潮
京都府   大雨・ 大風大雨    
大阪府   大潮・大風  
大阪府池田
鳥取県  
大分県臼杵

1714年10月15日 正徳四年九月八日

青森県弘前
青森県八戸
岩手県盛岡
栃木県日光  
東京       
三重県伊勢  
京都府      
大阪府池田 
鳥取県      
大分県臼杵 

「検証結論」


1714年9月16日 正徳四年八月八日と1714年10月15日 正徳四年九月八日の茨城県水戸市付近の天気はありませんが、
1714年9月16日 正徳四年八月八日は、全国的に暴風雨で大きな被害がありました。又、1714年10月15日 正徳四年九月八日は、全国的に晴が多く暴風雨があった記録はありません。

ゆえに、
1714年9月16日 正徳四年八月八日の「水戸紀年」の記録は間違いなしです。
1714年10月15日 正徳四年九月八日の『探旧考証』の記録は旧暦・月の書き間違い。


「正徳四年八月八日 暴風屋を倒し、樹を抜く。水戸領中、損耗数多、35年来の大風」
                「水戸紀年」・「探旧考証」

東日本大震災

2013-03-12 16:31:08 | 地震
東日本大震災で亡くなわれた方々に、哀悼の意を表します。

2年前の3月11日 私は当時会社にいました。今までに感じた事のない大地震と恐怖。
地震後すぐ、妻に携帯で連絡したが五度目でやっとつながる 無事であることを確認。(ホットした)
次に子供たちに携帯で連絡するが不通。心配。
会社の対応が悪くすぐに帰れず大変不満。

会社から車で家に帰宅。妻は茫然としていた。怪我がなく安心した。
家の中に入り、地震で倒れた物の片づけしながら、動揺を隠せない つじつまの合わない 妻の話を聞く。

子供たちに携帯で連絡するが不通。心配。

近辺は停電していたので、電気製品は使用できず。隣より電池式のラジオを借りる。(地震や津波の情報を得るため)
咄嗟に、お風呂と鍋やタンクに水道の水を入れる。(水道が止まるため)

妻と車で、近くのセブンイレブンに行く。(他のスーパーや店はどこも震災で閉店)
とりあえず、電池・ロウソク・カップ麺(二日分)・水を購入することを妻と確認。
セブンイレブンはお客さんで一杯、店内に入るのに順番待ち。
電池なし・ロウソクなし・・水なし・・カップ麺(二日分)確保・ウーロン茶確保(3本)・紙皿確保・割りばし確保・アルミホイル確保
買いだめはしなかった。(後の人のために)

子供たちに携帯で連絡するが不通。心配。

子供の帰りを待つ。

子供たちに携帯で連絡するが不通。心配。

午後9時ごろ 子供たちが帰宅。(安心した)

次の日連絡有

私の実家は、瓦の半分が落下、柱にヒビが入り 半壊 家族は無事

後日連絡有 

妻の実家は、津波が家の手前まできたそうで 全員避難 家族無事

兄弟の家 大きな被害なし 家族無事

家族・兄弟・親戚・知人誰一人として、今回の震災で怪我もなく無事で有ったことに安堵する。

近所の親戚の人が津波により亡くなってしまったそうです。非常に悲しいことです。

地震があるたび、あの時の震災の出来事がフラッシュバックする。


私は中学校の頃より、私にしか出来ないことを行おうと思い、明治以前の気象関係や天文関係の資料を集めてデータベース作成を目的にしました。

先人が残した古文書は、今日一日過ぎるたびに 一文字、一ページ、一冊無くなっていくように思います。

今、日本各地にある資料を整理し残すことが大切です。

今日まで残っている資料は、先人たちの思いがたくさんあるように思います。

先人たちの思いを正面から受け止める汲み取ることが大切だと思います。

災害の防止、地震予知など

皆さんの協力が大切だと思います。

一人では出来ないことが、多くの人が集まれば・・・

3.11

2013-03-11 17:42:26 | 地震
私が生きているかぎり、いつまでも3月11日を忘れない。

生きていることに感謝し、私に出来ること 私にしか出来ないことを一生やって行きたい。

亡くなられた方々に冥福をお祈りします。

「村松虚空蔵尊の霊験木」古天気年代測定法を試み検証

2013-03-10 10:03:22 | 天気
「村松虚空蔵尊の霊験木」古天気年代測定法を試み検証


データ

(1)年月日 元禄二年八月を西暦に換算 

     八月朔日から二十九日 → 1689年9月14日~10月12日
       (吉村名誉教授・歴史天候データベース(HWDB)が西暦のため)
(2)場所

     村松虚空蔵尊 → 茨城県那珂郡東海村村松の沖   

(3)天気の種類

     嵐 → 大雨・大風・大波・暴風雨


吉村名誉教授・歴史天候データベース(HWDB)と古天気学データベース(KTDB)で検証
       
吉村名誉教授・歴史天候データベース(HWDB)西暦1689年9月14日~10月12日
  わるい方の天気から    
       9月   14日15日16日17日18日19日20日21日
     青森県弘前 小雨  雨  雨  晴 小雨  曇  晴 小雨  
     青森県八戸 晴   雨  雨  晴  晴  晴  晴  雨 
     岩手県盛岡 晴   雨  雨  晴  雨  曇  晴  雨
     栃木県日光 雨   晴  晴  雨 驟雨  雨  雨  晴   
     三重県伊勢 雨   晴  ー  ー  雨  雨  -  -
     長崎県厳原 曇   晴  雨  晴  雨  雨  晴  晴
       9月   22日23日24日25日26日27日28日29日30日
     青森県弘前 晴 小雨  晴 小雨  晴  晴 小雨 小雨  晴
     青森県八戸 晴 小雨  晴  晴  晴  晴  晴  曇  晴
     岩手県盛岡 晴  雨  晴  晴  晴  晴  晴  晴  晴
     栃木県日光 曇  晴 小雨  曇  雨  晴  曇  雨  雨
     三重県伊勢 晴  晴  晴  -  雨  晴  -  雨  雨
     長崎県厳原 晴  晴  晴  雨  晴  晴  雨  晴  晴
       10月  1日 2日 3日 4日 5日 6日 7日 8日 
     青森県弘前 -  -  -  -  -  -  -  -
     青森県八戸 雨  晴  晴  -  雨  晴  晴  雨
     岩手県盛岡 雨  晴  晴  晴  雨  晴  曇  雨  
     栃木県日光 雨  雨  晴  晴  雨  晴  晴  曇  
     三重県伊勢 雨  晴  -  晴  大雨 晴  晴  晴
     長崎県厳原 曇  晴  曇  雨  晴  晴  晴  晴
       10月  9日 10日11日12日
     青森県弘前 -  -  -  -
     青森県八戸 晴  晴  晴  晴
     岩手県盛岡 晴  晴  晴  晴
     栃木県日光 晴  晴  晴  晴
     三重県伊勢 雨  -  晴  -
     長崎県厳原 曇  晴  晴  曇

古天気学データベース(KTDB)
     西暦1689年9月14日~10月12日 元禄二年八月、京都・近畿、暴風雨洪水。尾張藩領十二万余石水損。
     
    「常憲院実紀」
     西暦1689年9月18日 元禄二年八月五日 名古屋 尾張藩領内洪水。12万石余損亡 
     
    「曽良随行日記」
     西暦1689年
       9月14日 石川・加賀市山中温泉 朔日 快晴。 
         15日 石川・加賀市山中温泉 二日 快晴。
         16日 石川・加賀市山中温泉 三日 雨折々降。 及暮、晴。 山中故、月不得見。夜中、降ル。
         17日 石川・加賀市山中温泉 四日 朝、雨止。 巳ノ刻、又降テ止。 夜ニ入、降ル。
         18日 石川・加賀市全昌寺 五日 朝曇。・・・ 夜中、雨降ル。
         19日 石川・加賀市全昌寺 六日 雨降。・・・未ノ刻、止。
         20日 福井・森岡 七日 快晴。 
         21日 福井・今庄 八日 快晴・・・未ノ上刻、小雨ス。  艮、止。     
         22日 福井・本隆寺 九日 快晴。
         23日 福井・敦賀 十日 快晴。・・・夕方ヨリ小雨ス。 頓テ止。
         24日 滋賀・木ノ本 十一日 快晴。・・・午ノ刻ヨリ曇、涼シ。 
         25日 滋賀・鳥本 十二日 少曇。・・・夜ニ入、雨降。
         26日 岐阜・不破郡関ケ原町 十三日 雨降ル。夕方、 雨止。
         27日 岐阜・大垣市 十四日 快晴。・・・夜ニ入、月見シテアリク。・・・清明。
         28日 三重・桑名市 十五日 曇。・・・未ノ尅、雨降出ス。
         29日 三重・桑名市 十六日 快晴。
         30日 三重・桑名市 十七日 快晴。
      10月 1日 三重・桑名市 十八日 雨降。      
          2日 三重・桑名市 十九日 天気吉。 
          3日 三重・桑名市 廿日 同(天気吉)。 
          4日 三重・桑名市 廿一日 同(天気吉)。 
          5日 三重・桑名市 廿二日 快晴。 
          6日 三重・桑名市 廿三日 快晴。 
          7日 三重・桑名市 廿四日 晴。 
          8日 三重・桑名市 廿五日 巳ノ下刻ヨリ降ル。
          9日 三重・桑名市 廿六日 晴。 
         10日 三重・桑名市 廿七 晴。
         11日 三重・桑名市 廿八 晴。
         12日 三重・桑名市 廿九 晴。
 
「検証結果

     データ(1)八月朔日から二十九日 → 1689年9月14日~10月12日の天気記録有    
     データ(2)場所 茨城県那珂郡東海村村松の沖 → 茨城県の天気記録なし 
     データ(3)天気の種類 大雨・大風・大波・暴風雨 → 茨城県の天気記録なし


「検証結果推理」

     (1)古天気学データベース(KTDB)より、西暦1689年9月14日~10月12日 元禄二年八月、京都・近畿、暴風雨洪水。尾張藩領十二万余石水損。とあり暴風雨があったことがわかる。
     
     (2)「常憲院実紀」 西暦1689年9月18日 元禄二年八月五日 名古屋 尾張藩領内水。12万石余損亡。 名古屋での月日が特定された。← 大変重要 
     
     データ整理     
       9月  17日18日19日20日21日
     青森県弘前  晴 小雨  曇  晴 小雨  
     青森県八戸  晴  晴  晴  晴   
     岩手県盛岡  晴    曇  晴  
     栃木県日光  雨 驟雨  雨  雨  晴   
     愛知県名古屋 ー 大雨  ー  -  - 
     三重県伊勢  ー  雨  雨  -  -
     石川県加賀市   曇    ー  ー 
     福井県森岡  ー  ー  ー 快晴  ー
     福井県今庄  ー  ー  ー  ー 小雨  
     長崎県厳原  晴  雨  雨  晴  晴
  

    上記図より 東海地方が9月18日・19日 関東地方が19日・20日 東北地方が21日と雨(台風)が移動していることが分かる。

「検証結論」

     物語の背景

       江戸時代東北地方の産物は東廻り廻船と呼ばれ、船で江戸に運ばれていました。当時の船の航海は、海岸線近くを通り、遠く海岸線に見える目印を頼りに、航海を続けたのです。虚空蔵堂はそんな目印の一つとして船頭仲間にはよく知られていました。この霊験木には、後で光圀によって表面には奉納者名と年号、裏面には、「船主陸奥国南部小左井村人伊勢屋與兵衛船頭伊勢国黒邊村人太郎兵衛其餘十七人諸州水手不詳其名云」と刻印され、実際の出来事であった事実を示しています。

更に、茨城県那珂郡東海村村松の沖で嵐に遭った年月日

      西暦1689年9月20日 
      和暦 元禄二年八月七日
                  と特定した。

     説明不足が多くあると思いますが、また、元禄二年の各地の天気データが多く集まればもっと正確な古天気年代測定法ができると思います。

     元禄二年の「奥の細道」松尾芭蕉で同行した曽良「曽良随行日記」がここで使うとは思ってもいませんでした。曽良様に感謝の気持ちでいっぱいです、大変役に立ちました。又、天下の副将軍 水戸光圀がここで参加していることも、また、驚きです。

     次回は、茨城県水戸市 正徳四年の暴風雨について、古天気年代測定法を試み検証したいと思います。