江戸川教育文化センター

「教育」を中心に社会・政治・文化等の問題を研究実践するとともに、センター内外の人々と広く自由に交流するひろば

「キャリアパスポート」は何のため?

2020-08-05 | 江戸川区教組
先日、キャリア教育に関する悉皆研修を受けた。

2020年4月から、「キャリアパスポート」というものが始まったとのこと。
小学校1年生から、子どもが書いた学期はじめの目標や学期終わりの振り返りなどをポートフォリオとして蓄積し、高校卒業まで保管する。
小学校は中学校に、中学校は、高校に引き継ぐのだそうだ。

「キャリアパスポート」の現物をまだ見ていないが、保護者記入欄もあるとのこと。
高校の教員は、小中学校の9年分の「キャリアパスポート」を引き継がれて、金庫に入りきるのだろうか。
目を通す時間などあるのだろうか。
「キャリアパスポート」に費やされる時間と労力と紙とファイルは、一体なんのために必要なのだろうか。

子どもたちが作ったものや書いたものをためておいて、子どもたちに返すポートフォリオとは明らかに違う。
子どもの内面の管理につながる危険性が大いにあると思うのは、考えすぎだろうか。
「奉仕活動」の強制、「心のノート」導入、道徳の教科化などと同じ流れにあるもののように思える。


私が子どもだったら「キャリアパスポート」なんて絶対いやである。
なんでこんなに管理されないといけないの?!と思う。


キャリア教育にしてもプログラミング教育にしてもそうなのだが、推進する人たちの話を聞いていると、社会が先にくる。
露骨には言わないが、社会のための子どもという考え方がある。

キャリア教育の話では、「役割」「社会参加」「社会貢献」という言葉が並んでいる。
社会が間違った方向にすすんでいたら、どうするのか?
今の社会の矛盾はどうするのか?
様々な問題意識をもつことさえ、できなくさせられてしまうのではないか。

人権という視点、労働教育という視点がない点が問題である。

「私たちの望むものは社会のための私ではなく、私たちの望むものは私たちのための社会なのだ」
(岡林信康「私たちの望むものは」)

この歌詞が頭に浮かんだ。


社会は私たちがつくっていくものである。
現政権が思いえがく社会を前提として、教育政策がすすめられるのは、やっぱりおかしい。

<研修参加にはもれなくレポート作成がついてくる>

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