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銀座に来ました‥。

明日姪の結婚式なので、奥さんの姉妹夫婦で浅草、銀座、夜は、はとバスで海ほたるに行きました。楽しかったです。
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拝観には予約を…。

阪から住宅地沿いに走ると急な階段の上に小さな寺「石位寺」があった。拝観する場合は、10日前までに予約申し込みが必要との張り紙がしてあった。ので、【資料】による、「石造浮彫りの伝薬師三尊像、高さ1.15m、幅1.21mのまるみのある砂岩に、倚座する中尊と、左右に合掌する脇侍を浮き彫りにした」国の重要文化財に対面することが出来なかった。



R166下尾口を南に折れ倉橋への坂道を200m走った処に「天王山古墳」があった。【資料】では、この古墳は山丘の一部に作られたもので、平面基底の長さ東西約45.5m、南北約9.1mの三段築成の形式を示している。また内部構造は横穴式石室で棺を納める玄室と羨道との二つから成り立つ南北の線にそうた細長い造りだ。案内板横の畔道伝いに歩いて墳丘沿いの道を歩いてゆくと石室の口が開いているのが見えた中を自転車用バッテリーランプで覗いても暗くて何も見えなかった。
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今井谷の急勾配に秋の風

橋のバス停下の道を南へ右折して約300m坂道を登ると、北山川にかかる辻堂橋がある。
橋を渡り、さらに50m急な坂道なので自転車の変速ギアーを調節しながら登ってゆくと今井谷着いた。
村の入口を左折してさらに勾配のきつい坂道を約200m登ると今井谷の集会所に出た。
集会所の西端に、春四月であれば「エドヒガンザクラ」の古木、約14mの大木で胸の高さの幹幅394cmある、満開のシダレザクラが見られるのである。
集会所の正式名称は、八講山満願寺と言うらしい。
高台にある家の前で風景を眺めていると、同家に住まわれている年配の女性が、庭作業の手を休めて今井谷周辺のお話をしてくださった。
今は、倉橋から明日香に続く前の道路も数年前は、同家の下の谷で終わっていたとの事だった。
柔らかな秋の陽と爽やかな風が今井谷をゆっくりと通り過ぎていった。
春に再び訪れたくなる様な山間の風景であった。
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磐余山田道を走る…。

余山田道、明日香村との境界近くにある。【資料】では、641年蘇我倉山田石川麻呂は発願し、その子與志が造営にあたった。石川麻呂は、蘇我氏の一族で馬子の孫。中大兄皇子らの蘇我入鹿暗殺に加わり、大化の改新後は、右大臣の要職にあった。しかし、讒言によって中大兄皇子の兵に攻められ大和山田寺で自殺したが、間もなく無実であることがわかり、一時中断した寺の造営が再開され、685年に完成したもの。今は、「史蹟山田寺阯」石碑と金堂の基壇、礼拝石と見られる板石が残されているだけだった。<参考>山田寺跡



「史蹟山田寺阯」近くの小高い森の東大谷日女神社境内に、「永和元年(1375)乙卯8月1日造立之勧進行念大工行長」の刻名がある石灯籠がトタン屋根と木の格子作で立てられた小屋に収まっていた。鍵は掛けられているが留め金が錆びて破損をしているため施錠の用はしていなかった。薮蚊がデジカメを構える手や顔を攻撃してきて大変です。
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坂道を走って…。

立図書館の東側、鳥見山245mの登山口にある、「等弥神社」紅葉の季節にはもみじが鮮やかだろうなあ~と感じられた。
今は、深緑の境内、木々から発散される柔らかな空気は暫し、癒しの空間を与えてくれる。
緩やかな参道と階段を登って行くと社殿前の広場が広がる。
参拝を済ませて、木々の生い茂る参道ゆっくりと歩いているとなんとも言えない安らぎが得られる。

坂道を登った処に「聖林寺」の正門があった。
拝観料:金400円也を納め、本堂に上がり、さらに奥の階段を登ると国宝の十一面観音菩薩が祭られていた。
【秘蔵】の「観音浄土補陀落山図」は、毎年11/1~ 1ヶ月間に限り展示開催されるとの事だった。
本堂北の回廊から見下ろす下界の風景は絶景で爽やかな秋風が通り抜け一息の安らぎが感じられる一瞬の時間だった。

人家を下ってゆくと「メスリ山古墳」に出会う、形は三段築成の前方後円墳で基底の全長約223m、前方部の幅約108m、後円部の径約187mという。
古墳全体が余り整備されていないので、墳丘の詳しい事を今回は、知ることが出来なかった。
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初秋の一日

具の厚さが少し厚みを益した朝を向かえ半そでのシャツでは少し肌寒さを感じたが陽が進むにつれて朝の肌寒さが嘘の様に暑くなった。



市街地のすぐ東、鳥見山の北麓、国道166号線の北側に「茶臼山古墳」が横たわる、巨大な前方後円墳。4世紀前半の築造と推定され全長208m後円部直径約100m前方部の幅約66mで墳丘は二段に築かれている。
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馬見丘陵公園

学と新聞社主催のシンポジュウムを聴講する為にEメールで申し込みをしていたのが定員400名の抽選にもれたので急遽友達と県下で2番目に広大といわれる公園に出かけた。



「馬見丘陵公園」は、総計画面積61.3haの広くて美しい公園です。大和平野のほぼ中央にあたるこの地域は数多くの古墳が点在しており、これらの古墳を配しながら、園内にはアスレチック、木製遊具、噴水、水遊び場、芝生広場など、



四季折々に彩り鮮やかな庭園や広場など、子供から大人まで気持ちよく楽しむことのできる憩いの公園です。



友達宅からの帰路素晴らしい夕日を見ることが出来ました。
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秋分の日

約をしていた本を受け取りに図書館に行った。流石ティシャツで走っていると腕に当たる風は冷たく感じた。受け取った本を持ってふるさとの文化遺産を訪ねた。


坂の上の住宅地奥に案内地図があった。住宅街を抜け階段を登ると


【資料】では、聖徳太子が百済人、味摩之の伝えた伎楽舞を習わせたといわれる。


「土舞台」が目の前に広がっていた。


高校グランド北西の交差点を西に折れ坂道の手前に「艸墓古墳」の案内板があった。
近くの畑で作業されていた男性に順路を尋ねて坂道を登っていったが、あまりにも細い通路なので間違ったかと思うほどの場所にたった。
夏草が茂り案内板と巨大な古墳の口が大きく開いていた。


【資料】では、花崗岩が用いられ、奥壁は一石、側壁は二石、天井も二石で築かれている。と書かれていた。
しかし、「艸墓古墳」は、急な坂道を登り体を横にして歩かないとたどり着けない様な凄い場所にあった。


西側のR169と東側の県道との間に越後永平寺派の禅寺「慶田寺」の境内がある。県道側は裏参道で参拝者のための駐車場が設置してあった。


南側の田んぼ沿いに西に歩くと正門が参拝者を受け入れるために大きく門を開いていた。


正門を入るとすぐ側に大銀杏が悠然と大空高く聳え立ち根は大地にしっかり張っていた。何処からともなく野焼きのにおいが漂ってきて癒しの郷愁を誘っていた。
PS:私の家は、此のお寺のご住職に月参りをお願いしています。
昨日のTVNの放送で奈良まほろばソムリエ検定アピールしていた。
奈良検定皆さんも来年1月挑戦をしてみよう。
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美味しいお店…。

早く起きて、車で約二時間走って奥さんの郷に義父母の墓参りをした。



奥さんの郷では美味しいと評判のおはぎ屋さんに立ち寄っておはぎを買ってから



100m歩いたところにこれまた地元では美味しいと言われる豆腐屋さんで豆腐と豆腐のてんぷらを買った。生ものなので大きめの保冷財を入れてもらった。



2年近く前に一度訪れて美味しかった駅前の喫茶店でスパゲティを食べた。

サラダとデザートが付いていた。カルボナーラと奥さんはきのこのスパゲティを注文して美味しく頂いた。食後のコーヒーも美味しかったです。

11:45頃だったので店内には未だお客はいなかったので落ち着いて食べることが出来た。

今日訪ねる予定だった奥さんの義三姉、義妹が義長女の自宅に訪ねて来たので義姉妹で歓談をしていた。

話が一段落して再び車で自宅に戻った。

交通安全週間で国道には至る所で交通の取締りを実施していた。



<パッチワーク>ポーチ:奥さんの手作り作品です。
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講座「いきいきライフ」

、9:30から市の教育委員会が主催する。生涯学習「いきいきライフ」に参加した。



『健康な食生活を求めて』健康推進課の保健師と管理栄養士の二人で講演をしていただきました。

【メタボリックシンドローム】
内蔵脂肪による肥満の人が軽症でも高脂血症、高血圧、糖尿病といった生活習慣病を2つ以上持つてる状態。

「腹囲」おへそ周り
  男性:85㎝以上
  女性:90㎝以上
内臓脂肪に注意。
食生活に気をつけ、運動をする。
日常生活で体を動かすことが大切だと話されていた。



昼食を自宅で済ませて、昨日彼岸に入ったので実母の墓参りに行った。

今日は、平日で霊園内の人出は少なかった。

お墓の掃除をしてお花とお線香を供え、手を合わせてから霊園を後にした。

交通安全週間中でもあり制限速度以内で走っても往復二時間程度で戻って来た。
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