****************************
妻を見ていて私は子どものようにびっくりする、まあこの年とった、ひどく肥ってみっともない女が、こまごました心労と、食うことの前におぼえる恐怖とをにぶい表情にみせて、負債と不如意についての絶えない思いで目つきもぼんやりした、支出のことしか話せず安値にほほ笑むことのできないこの女が、かつては明るい良い知性と清らかなたましいと美しさとのゆえに、またわたしの学問への思いやりゆえに、オセロがデスデモーナを愛したようにわたしがはげしく愛したことのある、あの細っこいヴァーリャそのひとなのだろうか?かつてわたしに息子を産んでくれたあの妻、わたしのヴァーリャそのひとなのだろうか?
わたしはでぶでぶ肥りのみっともない婆さんの顔に一生けんめい眼をこらして、彼女のなかに自分のヴァーリャを探すけれども、過去のままそっくりしているものは私の健康に対しての恐れと、それからわたしの俸給をわたしたちの俸給と呼び、わたしの帽子を私たちの帽子と呼ぶ風習である。(後略)
****************************
チェーホフの小説には、際立った起承転結がない。ぼんやりと物語が始まり、まるで舞台の暗転のように、静かに物語が終わる。この作品もそうで、功成り名を遂げた老い先そう長くないであろう不眠症の老教授のひとりごとが、風刺と諧謔にあふれた筆致で描かれている。
この作品は、チェーホフ29歳のときのものだというが、老教授をはじめとした登場人物の描き方は、どこか老境にさしかかった作家のそれを思わせる。どうしたら29歳の青年がこのような人生の機微をつかみとることができるのか・・。ふと、あの大野晋氏が、谷崎24歳の作品「刺青」を読んで文学の道を断念したというという逸話を思い出した。文学は本来、才能のものなのである。
それともうひとつ、作品が書かれた1889年は日本でいうと明治22年、日露戦争勃発の15年ほど前にあたる。そんなことを念頭にこの小説を読むと、チェーホフの小説世界に漂う逼塞感のようなものが、末期帝政ロシアが向おうとしている混沌を暗示しているような気がしてくる。勝手読みだろうか。
再読ではあるが、楽しく読むことができた。機会があれば、この作家の戯曲にも触れてみたいのだが・・。