読書備忘録

日々の読書メモと万葉がらみのはなしあれこれ・・になるかどうか

河合隼雄 「こころの最終講義」

2013-09-18 04:40:09 | Weblog

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「そもそもデウスと敬い奉るは、人間万物の御親にてましますなり。弐百相の御位、四十弐相の御装い、もと御一体の御光を分けさせ給ふところ,即ち日天なり」

「天地始之事」書き出しより
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 この本は、河合隼雄生前の講演集「物語と人間の科学」を文庫化したものである。心理療法と物語の関係について、「天地始之事」、「日本霊異記」、「源氏物語」、「とりかへばや物語」などを引用しながら解説している。心理学専攻の人々を相手にした講義なので結構手強い内容だったが、「モノガタリ」の骨組みについてあれこれ考える意味で、楽しい読書だった。なかでも、第3章の「天地始之事(てんちはじまりのこと)」を引用した講義部分は、興味深く読んだ。河合版日本人論といえるかもしれない。

 「天地始之事」は、いわゆる隠れキリシタンにとっての聖書で、家康の禁教令以来250年以上、ひそかに、しかも口伝でつたわったという。ただ、明治維新の際に隠れキリシタンとともに発見されたこの“聖書”は、本家の聖書とは似ても似つかないものになっていた。
 河合はこのことについて、日本人が西洋をどのように取り入れてきたかを知るうえで、大切なことだという。和魂洋才ということばがあるが、十六世紀にしても明治維新にしても、西洋文明をもろ手で受け入れながら、その背後にある宗教性とは正面衝突を避けてきたのではないか。そんなことを考えるうえでの好例として、「天地始之事」をとりあげている。
 宗教をTPOで使い分ける日本人の特性は、こんなところに根差しているということなのだろうか。

司馬遼太郎 他  「日本の中の朝鮮文化」「古代の日本と朝鮮」「日本の渡来文化」

2013-09-01 09:26:46 | Weblog

 数日来の雨で、すっかり秋の気配になった。気がついたら、もう9月なのだ・・。

 司馬遼太郎が読みたくなり書棚を探したら、標記の3冊が目にとまり、ぼつぼつと拾い読みしはじめている。このシリーズは、昭和40年代に発行されていた「日本のなかの朝鮮文化」という雑誌に掲載されていた座談をまとめたものである。司馬遼太郎の言葉を借りるなら、さして「削ぎ立った目的意識もなく」ただやりたいからやるという連中があつまって、日本と朝鮮の古代あれこれについて語り始めたという。上田正昭・林屋辰三郎・湯川秀樹・井上光貞・梅原猛・岡本太郎・直木孝次郎・松本清張等々・・・・・。これほど多彩なメンバーが集まると時として泥沼的論争におちいりがちなものだが、そうならなかったのは、きっと生前“人たらし”と称揚された司馬遼太郎の座運びの妙なのだろう。そんなことどもに思いをはせながら読むのも、このシリーズの楽しみといえる。

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「朝鮮半島の征服者はつねに満州(中国の東北地方)から来た。朝鮮史というのは要するにこのように北方の血液がたえず滴り落ちて混血することでできあがっている」 
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 はしがきの一部だが、「北方の血液がたえず滴り落ちて」という絶妙な表現は、世の学術論文数百冊分に値するのではないだろうか。たったこれだけの文節で、司馬遼太郎の当時思い描いていた東アジア古代像が浮かび上がってくる。
 さらに司馬はいう。はるか昔から南朝鮮にいて朝鮮語の原型的な言葉を話していた「韓族」は、馬に乗ってやってきた北からの支配者を受け入れながらも、彼らを自文化に同化させてきた。その南朝鮮の韓族がはじめは部落国家を作り、次いで馬韓・辰韓・弁韓といわれる三国にわかれ、やがて新羅・百済・高句麗という三国を作った。この古代南朝鮮韓族と、倭といわれた日本の古代九州の関係。その関係を解き明かすことができれば「とほうもなく興味ぶかいものになるにちがいない」のだと。この北方の血のしたたりは、当然日本という国家形成に大きな意味を成しただろうというのである。
 どこか江上波夫「騎馬民族国家」をほうふつとさせるが、司馬の視線はそのような学説とは少し距離を置いた、人々が民族などという意識も薄く玄界灘や東シナ海を縦横無尽に航行していたころに思いをはせることの、精神の解放感にこそあったのではないだろうか。