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「そもそもデウスと敬い奉るは、人間万物の御親にてましますなり。弐百相の御位、四十弐相の御装い、もと御一体の御光を分けさせ給ふところ,即ち日天なり」
「天地始之事」書き出しより
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この本は、河合隼雄生前の講演集「物語と人間の科学」を文庫化したものである。心理療法と物語の関係について、「天地始之事」、「日本霊異記」、「源氏物語」、「とりかへばや物語」などを引用しながら解説している。心理学専攻の人々を相手にした講義なので結構手強い内容だったが、「モノガタリ」の骨組みについてあれこれ考える意味で、楽しい読書だった。なかでも、第3章の「天地始之事(てんちはじまりのこと)」を引用した講義部分は、興味深く読んだ。河合版日本人論といえるかもしれない。
「天地始之事」は、いわゆる隠れキリシタンにとっての聖書で、家康の禁教令以来250年以上、ひそかに、しかも口伝でつたわったという。ただ、明治維新の際に隠れキリシタンとともに発見されたこの“聖書”は、本家の聖書とは似ても似つかないものになっていた。
河合はこのことについて、日本人が西洋をどのように取り入れてきたかを知るうえで、大切なことだという。和魂洋才ということばがあるが、十六世紀にしても明治維新にしても、西洋文明をもろ手で受け入れながら、その背後にある宗教性とは正面衝突を避けてきたのではないか。そんなことを考えるうえでの好例として、「天地始之事」をとりあげている。
宗教をTPOで使い分ける日本人の特性は、こんなところに根差しているということなのだろうか。