昨年暮れ、年越し読書用にと古本屋さんで数冊購ったうちの1冊。
主に昭和初期頃の時代小説8篇をとり上げ、考証批判を加えている。その歯に衣着せぬ批判振りからは、どこかあの北大路魯山人を思わせる狷介さを感じないでもないが、当時売れっ子の作家の代表作を相手に展開される厳しい考証は、やはり一読の価値がある。
巻頭でやり玉に上がっているのが、島崎藤村「夜明け前」である。ひとことでいえば、王政復古思想に傾倒する主人公の苦闘と挫折の物語だが、考証の一端を以下に・・。
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・「徳川様の御威光といふだけでは、百姓も言ふことを聴かなくなつてきましたよ」
【考証】この時分の人は、徳川様とは言わない。必ず公儀という。
・「一体、諸大名の行列はもつと省いてもいゝものでせう。さうすれば、助郷も助かる、参勤交代なぞはもう時世おくれだなんていふ人もありますよ」
【考証】こんなことを言い、こんなことを考えていたものは、横井小南とかなんとかいう特別な人の話です。宿役人ぐらいの者が、諸大名の行列をどうしようなんていうことを、ひょっとして考えたにしろ、決して口外することはなかったはずだ。
・「十四代将軍の御台所に選ばれたといふ和宮はどんな美しい人だらうなぞと、語り合つたりしてゐるところだつた」
【考証】皇妹の御降嫁をお願い申し上げたということは、選ぶなどという言葉を当つべきものではありません。
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著者のいわんとするところは、何か一つのことを調べるのに、そのことだけを調べてもその時代をつかむことは出来ない、ということである。大大名と小大名の暮らしぶりの違いもそうだし、仕える武士も同じで、潤沢な禄の人もいれば小禄の貧乏暮らしの武士もいる。さらになによりも、時世というものも把握しておかなければならない。260年続いた封建社会とはどんなものだったのか、庶民にとって幕府や朝廷とはなんだったのか。その諒解こそが必要だと、著者はいう。
このあと、吉川英治・直樹三十五・菊池寛など、そうそうたる作家作品を取り上げ、時代考証から見た齟齬について徹底的に指摘している。鋭い指摘に喝采を送りたい気持ちと、何でそこまで大人気ない・・という気持ちが、読んでいて何度も行き来する。なんとも不思議な本である。「三田村鳶魚全集」という本があるそうなので、近日中に図書館へ行こうと思っている。