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読書備忘録

日々の読書メモと万葉がらみのはなしあれこれ・・になるかどうか

北大路魯山人 「魯山人味道」(再読)

2016-02-19 07:54:54 | Weblog

 先に読んだ阿井景子「おもかげ」に魯山人の名があったのを機に、久し振りに再読。 
 北大路魯山人は、本名を房次郎といった。京都の上鴨川神社の社家(宮守)の子として生まれるも、父の自殺をかわきりに貧農の家に里子に出され、その後何度も養家を転々とした。「兄弟もなし、叔父叔母も、およそ血縁というものに何の縁もなしに、この年まで来ちゃった」と振り返るように、およそ肉親の情愛とは無縁な少年期を過ごした。魯山人が最初にその才を世に知らしめたのは、書においてだった。21歳で日本美術協会主催の美術展覧会に出品した「千字文」が褒状一等二席を受賞し、書家に弟子入りし修行を積み、やがて独立する。魯山人はその頃得た収入を、書道・絵画・陶芸の研究や外食に惜しみなくつぎ込んだという。
 この雌伏の時代が、40代までつづいた。その後魯山人が本格的に食の世界に足を踏みいれることになるきっかけを、本人はこのように述懐する。

 「由来?ウン、あれはネ、便利堂の中村竹四郎君が、仕事がないというので、僕も書画道楽だし、いっしょに東中通りに美術店を開いた。大雅堂という店名のね。そのうち常連も出来て、毎日うなぎとかなんとか料理が入る。僕は、ほんとうを言って、そんな料理は美味くはないので、自分だけ、里芋のいいのがあるとこれを煮たり、なすのいいのを見つけて料理したり、塩じゃけを焼いたりして食べたものだ。すると、他の連中が見つけて、美味そうだな、俺にも一つ、というようなことになり、そのうちに、料理屋の品よりこっちがいい、ひとつ料理方を受け持ってくれということになった。僕も好きなものだから、よろしい、とやることになった。そのうち、仲間だけで食べるのは惜しいから、『美食倶楽部』をこしらえようじゃないか、とみなが言い出すようになった。じゃあ、一食二円ということになった。やっているうちに、その中のひとりが、江木衷(法学者・弁護士)は有名な食道楽だ、あの人にぜひひとつ食べさせてやりたい、二十円の膳部をつくってくれ、と言われた。二十円なんて料理を作ったことがないので、少しまごついたが、とにかくやって見ることになった。すると江木さんがよろこんでくれる。こんどは江木さんが食通を引っぱってくるという始末で、狭い東中通りに自動車がたてこんで、巡査に注意される始末だった」(平野雅章氏あとがきより)

 これが、あの「星岡茶寮」設立のきっかけとなり、政・財・官の一流人が魯山人の料理目当てに押し寄せた。そんな食に関する魯山人の所感を一冊にまとめたのが、本書である。食に限らない対象への奥深い洞察が、読む者を取り込んでいく。今回も楽しく読み終えた。


追記
 「海にふぐ山にわらび」という一編があるのだが、これが何度読んでもいい。
 魯山人は、日本の食べ物の中でなにが一番美味かと問われれば、それはふぐだという。広島の牡蠣も、うなぎのかば焼きも、まながつおの味噌漬けも、マグロの握りずしも、すっぽんも、確かにうまいのだが、「味があるだけに、悲しいかな一段下である」という。そして、ふぐと好一対をなす山の美食に、わらびをあげ、この二つこそ無味の味、“味覚の器官を最高度にまで働かせねばやまない”極致なのだという。
 北海道の味のしっかりした魚貝に慣れ親しんできた私には、魯山人のいうふぐのうまさがいまだに理解できない。わらびも・・、近年になって少し分かるような気がしてきたが、無味の味・・には遥か遠い。多分一生無理なのだろう。





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