こりこりと乾きし音や味もなき師のおん骨を食べたてまつる 穂積生萩
折口信夫には、なまはげが食らい残すほどの女の弟子があった。穂積生萩の「生萩(なまはぎ)」という号は、師の折口信夫より直々にいただいたものだという。あわせて、《なまはげのくらひ残しや春の雪》という句をかいてくれ、「あんたはなまはげじゃありません。なまはげがあんたのような恐ろしい子なんか食いません。なまはげの食い残しにきまってます」といったという。
穂積生萩(ほづみなまはぎ)は、本名穂積(旧姓澤木)和枝という。秋田の旧家の生まれながら、3歳より東京の田園調布で育つ。17歳で師事した短歌の先生から折口信夫の《ひたぶるに猪(いのこ)さいなむ子らの声いつまでも聞きてつひに驚く》という歌を教えられ、その魅力に憑かれる。その後の穂積生萩と釈超空(折口信夫)との“格闘”については「私の折口信夫」(1978年刊)にとても詳しく書かれている。名著である。そして、その本をたたき台に、折口の歌と人について山折哲夫氏との対談を中心にまとめたのが、本書「執深くあれー折口信夫のエロス」である。
10数年前に「私の折口信夫」を読んで穂積生萩の強烈な個性に圧倒された記憶があったので、発刊から約20年たって編まれた本書を読む前にある程度の“円熟” のようなものを期待したのだが、みごとに裏切られた。というよりは、私のぼうっとした期待そのものが的外れだったのだろう。生まれついての孤独は、年月で変容するものではない、そんなことを考えさせられる一冊だった。