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読書備忘録

日々の読書メモと万葉がらみのはなしあれこれ・・になるかどうか

ヘンリー・S・ストークス 「英国人記者が見た連合国戦勝史観の虚妄」

2014-02-15 20:12:02 | Weblog

 
 先の第二次大戦において、日本が行ったのは侵略ではなく、アジアの植民地を解放するための戦争だった、よって日本に戦争責任はない、という主張がある。たまに書店をのぞくと、このように日本の正当を唱え摩擦相手国を激しく誹謗する内容の本が、多数並んでいる。本書もその中の一冊なのだが、著者がニューヨーク・タイムズ東京支局長まで経験した英国人記者ということで、話題を呼んでいる。

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《よしんば侵略だったとして、侵略が悪いことだろうか。侵略が悪ならば、アジア・アフリカ・オーストラリア・北米・南米を侵略し続けていた西欧諸国は、なぜその侵略について謝罪しないのか。どうして、日本だけが(欧米の植民地を)侵略したことについて謝罪しなければならないのか。世界で侵略戦争をしたのはどちらだったのかをはっきりさせないで日本を裁いた東京裁判は、無効である。》
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 およそこのような論調で、先の大戦をはじめ、慰安婦・南京大虐殺・三島事件などについての持論を展開している。しかし、この老記者の“提言”にそのまま賛同する気にはなれない。一つの視点、ものの見方考え方として参考にはなるが、先の大戦で日本がアジアの国々に多大な損害を与えたのはまぎれもない事実だし、たとえば著者のいう、アジア各国の西欧植民地支配からの解放というのは、 いわゆる“おまけ”であって、それは目的ではない。また、「三島事件」についても、「世界のミシマ」が愛国心の末やむにやまれず取った行動と美化しているが、あの日阿佐ヶ谷に立てこもった三島由紀夫は、世の中の空気を読めない、ただの犯罪者でしかなかった。

 全体的に、挑発的で小気味はいいがまとまりのない、そんな印象を強く受けた。これらのテーマを250ページ程度の新書に収めるには無理があると思う。願わくは、せめて「戦勝国史観」についてじっくり掘り下げたものを、時間をかけて読みたかったのだが・・。






小説のOSを更新する日?

2014-01-29 21:27:54 | Weblog

 いま、高橋源一郎「大人にはわからない日本文学史」という本を読んでいる。著者のゼミの学生を相手にした講義録の文庫版である。
 タイトル通り、大人の私には、よくわからない講義録だった。たしか、河合隼雄氏がどこかで、「講義・講演というのは、聴衆とのその場での関係でなされている」という理由で講演の筆録を本にすることを嫌っていたという話を聞いたが、そんなことを思い出した。

 よくわからないながらも、講義6日目の「小説のOSを更新する日」は、興味深く読んだ。OSとは、あのパソコンの基本ソフトのOSのこと。著者は、「1880年代に成立した近代小説《OS》は、1990年代の半ばあたりで《OS》を交換したのではないか」という。では、近代小説《OS》の何がどう変わったかというと、それは、「私」だという。作者と「私」とのかかわりが、ある時期から極端に希薄になってきたのだという。たとえば綿矢りさの小説を読んで、(昔ながらの近代小説読者としての)私たちが感じる「ねじれのようなもの」「ずれのようなもの」「ノイズのようなもの」こそが、それにあたるのだと・・。
 即座に首肯する気にはなれないが、“近代文学が旗印として大量生産してきた「私≒自然主義的リアリズム?」って何だったの”という問題提起には、すこし共感できるような気がした。





     遠く近く団扇太鼓や春まだき








岩波書店 「日本近代短篇小説選 明治編Ⅱ」

2014-01-22 20:50:02 | Weblog


 昨年読んだ「明治編Ⅰ」の続編。前編同様、いわゆる近代小説の息吹を感じる作品が、16篇収録されている。いつものように三歩あるいて忘れてしまわないうちに、気になった作品の読後感などメモしておこう・・。

***夏目漱石「倫敦塔」
 数十年ぶりの再読。あまりにも陰鬱な書き出しに良い印象はなかったが、いまこうしてゆっくり読み返して、新しい発見もあり、面白かった。江藤淳は「倫敦塔」を「猫」とくらべて漱石の『低音部』と表現したが、とても分かるような気がする。漱石にはこの時期、自分の内奥を「倫敦塔」と「猫」いう両極端の形でさらけ出す切羽詰まった必要があったのだろう・・。

***大塚楠緒子「上下」
 この女流の早世に際し、夏目漱石は「有る程の菊抛げ入れよ棺の中」という句を詠んでいる。そこいら全部の、ありったけの菊をこの棺に入れてあげてくれ、というそれだけの句から、漱石の悲しみのほどが伝わってくる。大塚楠緒子の作品を、一度は読んでみたいと思っていたのだが、その願いがかなった。小編ながら人の世の幸不幸に視点を当てたこの作品からは、漱石が愛惜してやまなかった楠緒子の人となりが浮かび上がってくる。

 その他、徳田秋声「二老婆」小栗風葉「世間師」近松秋江「雪の日」を楽しく読んだ。近代小説黎明期の「写実」についての、さまざまな試行錯誤につきあっているような、そんな気分がした。谷崎「秘密」は、この後の谷崎耽美の始まりをおおいに予感させる。同時期に発表した「刺青」よりも、よりいっそうそんな気がする作品だった。



安永一 「碁キチ一代記」

2014-01-10 09:22:26 | Weblog

 久しぶりに寄った古本屋さんで見つけた一冊。
 囲碁の本は若い時分むさぼるように読んだこともあったが、ある時期を境にとんと読まなくなった。理由は、長いこと打ってもさっぱり上達しない、あまりのヘボさ加減に嫌気がさしたこと・・。(それとひょっとしたら、ネットの普及と関係があるかもしれない。)

 安永一(1901~1994)といっても、囲碁を打たない人はもちろん、たとえば「ヒカルの碁」から囲碁を知ったような若い人には、まるでなじみのない名前だろう。この人はアマチュアの囲碁棋士ながら、木谷実、呉清源とともに革命的な新布石を編み出し、共著『囲碁革命 新布石法』は、大ベストセラーになった。また、中国流布石の創始者とも言われている。本書には、当時の本因坊秀哉名人との三子局(安永十四歳)が掲載されている。これもひさしぶりに碁盤に並べてみたが、見事というほかない。これこそが碁だといわれれば、私の普段打っているものは碁に似せた何かほかのゲームかと思えてくるほどに・・。

 そのまま専門棋士として収まればよかったのだが、どうやら父祖譲りの血がそうさせず、その後に波乱万丈の人生が待っている・・。少々大風呂敷的な所もあるが、軽妙な筆致による囲碁界の事件・出来事や人物評に、昭和の囲碁全盛の時代を懐かしむことのできる、そんな一冊である。


「遊」の字源  

2013-12-24 20:51:14 | Weblog
  

 今読んでいる「遊牧民から見た世界史」のコラム欄で、遊牧民の「遊」の字の字源について触れている。著者説明によると、「遊」という字は、ブラブラ過ごすことではなく、「でかける」の意味であるという。遊牧民というと何かのんびりとしたロマンチックなものを想像しがちだがそんなんじゃない大変な世界なのだ、ということをいいたいらしい。たしかにこの本を読むと、そんな遊牧民のなまなかではない過酷な世界が伝わってくる。

 ついでなので、久しぶりに白川静「常用字解」で「遊」の字源を調べてみた。この本には、常用漢字表1,946字の字源解説がのっていて、その解説には、どこか物語に触れるような楽しさがある。
 「遊」のもとは、旗竿を持つ人の形であるという。訓読みで「はたあし」。旗には神霊が宿るので、それに之(しんにょう=行くの意味)を加え、神霊が「ゆく」こと、気ままに行動することを「遊」という。遊・游ともに、もとは神霊があそぶこと、神が自由に行動するという意味であったが、のちに人が興のおもむくままに行動して楽しむという意味に用いられるようになった・・。

 ただ、神霊が気ままに遊ぶがごとく跳梁跋扈した遊牧の民は、長いこと文字をもたなかった。そのために、己が歴史を中国やギリシャなど、時には完膚なきまでに打ちのめしたはずの敵国の史書にゆだねるしかなかった。もし彼らが文字を持っていたら世界史が大きく書き換えられていただろうというのが、「遊牧民から見た世界史」の著者のもっとも言わんとするところである。

民主主義が独裁制を選択する日?

2013-12-04 10:51:07 | Weblog


 「特別秘密保護法案」というワードが世間を騒がせている。マスコミ中心に、いろいろなレベルで様々な反対意見が出されているが、国家の機密事項をしっかり保護する法律を持つことは絶対必要だし、情報公開と逆行するものではない。欠陥だらけなのに拙速に過ぎるとの意見についてはその通りだと思う。ただ、特別な恣意というよりは、きっと対米事情があるのではないだろうか。「プロミスミー」などといって何もしなかった宰相(政権)との違いを鮮明にするためにも、年内採決を強行することだろう。それよりも私が疑問に思うのは、処罰の対象に国会議員が入っていないことだ。むしろ超厳罰を科すべきは、国会議員なのではないのか・・。

 今読んでいる「遊牧民から見た世界史」という本に、面白い引用がある。
 その昔、ペルシャ帝国が僧侶による反乱により解体の危機を迎えた時、この反乱を鎮めた功労者が集い、次期政権の政治形態とリーダー選びを話し合った。

功労者1 オタネスの意見
 われらの内の一人だけが独裁者になることは、好ましいことでも善いことでもないから、そのようなことはあってはならぬ。(中略)独裁体制にあっては、優れた人物でも与えられた栄耀栄華に慢心してしまう。それに引き換え大衆による統治は、万民同権という名目を備えており、独裁者のような行為は一切行わない。よって、独裁制を断念し大衆主権を確立すべし。
功労者2 メガビュゾス
 オタネスが独裁制を廃するといったのには賛成だが、主権を民衆に、というのは最善の見解とは思えない。何の用にも立たぬ大衆ほど愚劣でしかも横着なものはない。(少なくとも)独裁者は事を行う場合に、行う所以を知って行うのだが、大衆に至ってはその自覚すらもない。さながら奔流する河にも似て思慮もなくただがむしゃらに国事を推し進めるばかりだ。国民の中から最も優れた人材の一群にその権利を付与すべき。
功労者3 ダレイオス
 メガビュゾスにも一理あるが、寡頭政治については異論あり。民主制・寡頭制・独裁制がそれぞれ最善の姿にあるとして、私は最後の者がほかの2者より優れていると断言する。最も優れたただ一人の人物による統治よりもすぐれた体制が出現するとは考えられないからで、そのような人物ならその卓抜な見識により国を治めるであろうし、敵に対する謀略にしても、その体制下で最もよくその秘密が保持されるだろう。寡頭制の場合は、個人的な敵対関係が生じやすい。各人は自分が首脳者となるべくいがみ合い、内紛を呼び、内紛は流血を呼び、結果として独裁制に帰着する。一方民主主義は、常に悪のはびこる事避けがたい。(自浄能力のない)民主主義は、結局誰かの手によって悪人の死命を制することになる。その誰かが賞賛され挙句は独裁者となる。一言でいえば、われわれの自由はどこから得られたものか。民主制でも寡頭制でもなく、ただ一人の人物によって自由の身にしてもらったのである。

 議論の結果、7人の出席者のうち、4人がダレイオスの意見に賛成し、なんとペルシャ帝国の政体が多数決で独裁制ときまったのである。
 筆者は「わたくしたち民主主義の時代に生きる人間は、ここにいうダレイオスの主張を、正面から跳ね返す精神と自立心をもっていたい」と結ぶが、冒頭の法案騒動や隣国との摩擦などを踏まえ、いろいろ考えさせられる逸話だった。


吉田茂 「日本を決定した100年」

2013-11-11 20:54:52 | Weblog


 久しぶりの古書店徘徊で見つけた本。著者が吉田茂となってはいるが、解説によると、当時のエンサイクロペディア・ブリタニカ版の百科事典の追補年鑑の巻頭論文を依頼されたもので、執筆のほとんども、学者の高坂正堯氏によるものだとか。あの「バカヤロー解散」など公私にわたり逸話に尽きないワンマン宰相の執筆、と思い込んで購入したのだが、大きく期待が外れてしまった・・。ただ、戦後の経済復興に関する記述など興味深い箇所がいくつかあり、これはこれで面白い読書だった。

 なかでも印象に残ったのは、戦後日本経済の発展要因に、農地改革と工業部門の民主化を挙げている点だ。たとえば農地改革について、それまで貧困にあえいで購買力がゼロに近かった小作農を“相当な購買力を持つ顧客”へと変えたし、工業分野での賃金も労働組合の成長とあいまって飛躍的に改善され、こちらも購買力の増大につながったのだという。そしてそれを支えたのは、日本人の勤勉さと、アメリカの占領政策だともいっている。

 国民の購買力の増大と経済成長・・。数か月前に読んだ、「続 浦河百話」を思い出した。北海道の戦後復興の一断面を描いた同書のはしがきで、編者は、以下のようにいっている。

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 (この続編で)対象になった話者は年齢的に前編と違いはない。しかし二十年前のように年寄り然とした話者がいなかった。当然といえば当然だが、しかし戦争体験の有無がその違いの決め手になったようには思えない。たしかに記憶の一部、人生の一端だが、それだけでしかないようなのだ。いずれも表情も声音も若く、みだしなみも爽やかで行動的だった。どのような人間も、自分が生きた時代を負って生きていることからすれば、その人間はそうした時代を生きてきたということだ。
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 “相当な購買力を持つ顧客”として戦後を生きぬいてきた日本人が、それと差し替えに置き忘れてきたもの。年寄り然とした何かの喪失とは、そのことなのではないだろうか。そんなことをあれこれ考えさせられる読書だった。



高木侃 「三くだり半からはじめる古文書入門」

2013-10-07 07:36:29 | Weblog


 オビに、「たったの三行半を読むだけで、あり得ないほどの(古文書解読のための)実力を身に付けることができる」というふれこみがあり、ついふらふらと思いつき購入。
 あの筆書きの古文書をすらすらと読み下せる人は、今の日本にどれくらいいるのだろう。自分が読めないからいうわけではないが、大半の日本人にとって古文書は、場合によっては英語よりも日常生活と縁遠いものとなっているのではないだろうか。そんな古文書に慣れ親しむとばぐちを、江戸時代の離婚届けである“三くだり半”を読み解くことから始めてみようという企画が、この本テーマである。


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 離別一札之事
一、深厚宿縁浅薄之事
  不有私、 後日雖他江
  嫁、一言違乱無之、
  仍如件
   弘化四年       国治郎 印
   八月日
          常五郎殿姉
          きくどの
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 これは「満徳寺離縁状」といい、当時の縁切り寺で使われた離縁状の書式なのだという。なぜそれを三くだり半というかというと、 諸説あるも、離縁理由が3行半にまとまっていることからそういったという説が有力らしい。
 この「三くだり半」の文言を意訳すると、「(離縁理由は)本来深く厚くあるべき宿縁が薄かったためで、わたくし(の怨恨・利害・有責によるもの)ではありません。ついては、後日他家へ嫁ごうと一切口出しいたしません。」といった内容だろうか。差出人は国治郎さんで、受取人はおきくさん。日頃の国治郎さんの行状に我慢ならなくなったおきくさんが満徳寺に駆け込んで離縁を訴え、寺は国治郎さんを呼び出し、上記のような離縁状を書かせた、ということなのだろう。

 あり得ないほどの(古文書解読の)実力・・はさておいて、しばらく、この離縁状に登場する男女のことあれこれを考えてみた。まさか自分の名が後世のインターネット社会において、古文書解読のテキストに使われようとは、思いもしなかっただろうなどと・・。


河合隼雄 「こころの最終講義」

2013-09-18 04:40:09 | Weblog

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「そもそもデウスと敬い奉るは、人間万物の御親にてましますなり。弐百相の御位、四十弐相の御装い、もと御一体の御光を分けさせ給ふところ,即ち日天なり」

「天地始之事」書き出しより
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 この本は、河合隼雄生前の講演集「物語と人間の科学」を文庫化したものである。心理療法と物語の関係について、「天地始之事」、「日本霊異記」、「源氏物語」、「とりかへばや物語」などを引用しながら解説している。心理学専攻の人々を相手にした講義なので結構手強い内容だったが、「モノガタリ」の骨組みについてあれこれ考える意味で、楽しい読書だった。なかでも、第3章の「天地始之事(てんちはじまりのこと)」を引用した講義部分は、興味深く読んだ。河合版日本人論といえるかもしれない。

 「天地始之事」は、いわゆる隠れキリシタンにとっての聖書で、家康の禁教令以来250年以上、ひそかに、しかも口伝でつたわったという。ただ、明治維新の際に隠れキリシタンとともに発見されたこの“聖書”は、本家の聖書とは似ても似つかないものになっていた。
 河合はこのことについて、日本人が西洋をどのように取り入れてきたかを知るうえで、大切なことだという。和魂洋才ということばがあるが、十六世紀にしても明治維新にしても、西洋文明をもろ手で受け入れながら、その背後にある宗教性とは正面衝突を避けてきたのではないか。そんなことを考えるうえでの好例として、「天地始之事」をとりあげている。
 宗教をTPOで使い分ける日本人の特性は、こんなところに根差しているということなのだろうか。

司馬遼太郎 他  「日本の中の朝鮮文化」「古代の日本と朝鮮」「日本の渡来文化」

2013-09-01 09:26:46 | Weblog

 数日来の雨で、すっかり秋の気配になった。気がついたら、もう9月なのだ・・。

 司馬遼太郎が読みたくなり書棚を探したら、標記の3冊が目にとまり、ぼつぼつと拾い読みしはじめている。このシリーズは、昭和40年代に発行されていた「日本のなかの朝鮮文化」という雑誌に掲載されていた座談をまとめたものである。司馬遼太郎の言葉を借りるなら、さして「削ぎ立った目的意識もなく」ただやりたいからやるという連中があつまって、日本と朝鮮の古代あれこれについて語り始めたという。上田正昭・林屋辰三郎・湯川秀樹・井上光貞・梅原猛・岡本太郎・直木孝次郎・松本清張等々・・・・・。これほど多彩なメンバーが集まると時として泥沼的論争におちいりがちなものだが、そうならなかったのは、きっと生前“人たらし”と称揚された司馬遼太郎の座運びの妙なのだろう。そんなことどもに思いをはせながら読むのも、このシリーズの楽しみといえる。

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「朝鮮半島の征服者はつねに満州(中国の東北地方)から来た。朝鮮史というのは要するにこのように北方の血液がたえず滴り落ちて混血することでできあがっている」 
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 はしがきの一部だが、「北方の血液がたえず滴り落ちて」という絶妙な表現は、世の学術論文数百冊分に値するのではないだろうか。たったこれだけの文節で、司馬遼太郎の当時思い描いていた東アジア古代像が浮かび上がってくる。
 さらに司馬はいう。はるか昔から南朝鮮にいて朝鮮語の原型的な言葉を話していた「韓族」は、馬に乗ってやってきた北からの支配者を受け入れながらも、彼らを自文化に同化させてきた。その南朝鮮の韓族がはじめは部落国家を作り、次いで馬韓・辰韓・弁韓といわれる三国にわかれ、やがて新羅・百済・高句麗という三国を作った。この古代南朝鮮韓族と、倭といわれた日本の古代九州の関係。その関係を解き明かすことができれば「とほうもなく興味ぶかいものになるにちがいない」のだと。この北方の血のしたたりは、当然日本という国家形成に大きな意味を成しただろうというのである。
 どこか江上波夫「騎馬民族国家」をほうふつとさせるが、司馬の視線はそのような学説とは少し距離を置いた、人々が民族などという意識も薄く玄界灘や東シナ海を縦横無尽に航行していたころに思いをはせることの、精神の解放感にこそあったのではないだろうか。


小野寺信子・河村和美・高田則雄「続 浦河百話」

2013-08-01 10:19:47 | Weblog


 北海道の日高地方に、浦河町という人口14,000人ほどの町がある。本書は、この町で1991年に刊行された「浦河百話」の続編である。前作が、古くは江戸時代から戦前までの古老からの聞き取り郷土史として好評だったことを受け、こちらでは一部戦前の拾遺と、終戦から昭和60年代くらいまでの話が百話まとめられている。
 名馬シンザンや遠洋漁業基地など、この町特有のテーマをはじめ、「産婆さんの時代」や「砂浜の運動会」や「テレビ時代」等々、百話に通底する“北海道の戦後体験ノスタルジー”を堪能することができた。なかでも、第九九話「そして、誰もいなくなった -浦河町戦後開拓の帰趨」は、限りなく近い環境に生まれ育った者として、深い感慨をもって読んだ。

 5月の末、この本の執筆者の一人である知人から「予定より遅れましたが、発行されましたよ♪」との案内を受け、さっそく近くの大型書店で購入した。その日は、ちょうど近所の小学校の運動会の日で、小学校の交差点を渡った向かい側は全国展開の弁当屋さんなのだが、その前に大行列ができていた。「運動会のお昼を弁当屋さんでかぁ・・」と、なんともいえない気持ちで家に帰った。そして、この本を読み終えた今思う。食べるものにも着るものにも不自由しながら日々を懸命に生き抜いた人々の心に描いたしあわせの行きつく先は、ひょっとして、あの弁当屋さんの行列だったのだろうか・・、などと。


旧東京帝国大学史談会「旧事諮問録」

2013-07-16 10:50:53 | Weblog

 とても面白い。
 副題に「幕末諸役人の打ち明け話」とあるとおり、大奥女中から目付・勘定奉行・町奉行・外国奉行・代官・町与力にいたるまで、旧幕末期の役人への聞き書きで構成されている。明治維新という歴史の急展開から20数年後に帝国大学の学者グループによってまとめられた。解題では、その一切を旧弊として切り捨ててきた徳川時代についての再検証にこれだけの年数がかかった、ということをいっているが、その期間は短いのか、それとも長いのか、・・。この対談式の回顧談は、速記式でまとめられたそうで、田鎖綱紀の発明した速記術が、この企画の後押しをしたといえるかもしれない。

 これも山内昌之「歴史家の一冊」からの一冊で、図書館から借り換えして読んでいたら、あっという間に返却日が来て返してしまった。なかに「賄賂」と「贈り物」のちがいについて元勘定奉行だった人の説明があり感心したのだが、詳細を忘れてしまった。近日中に再度図書館に行こうと思っている。

ホルス・ルイス・ボルヘス「悪党列伝」

2013-06-29 20:24:10 | Weblog

 春先に読んだ「歴史家の一冊」よりいつか読むリストにピックアップしておいたうちの一冊。いわゆる人物伝とは一線を画した(正直言って読みづらい)文体に戸惑いはするが、山内昌之氏が推奨するように、「細部のデッサンは無視しても人間の本質を大胆につかみ出す力」に圧倒される。

 巻頭に、とても興味深いスペイン宣教師の挿話がある。金鉱山で過酷な労働によって死んでいくインディオの惨状に同情したくだんの宣教師が、国王に「黒人を輸入し、彼らを金鉱山で苦しませては」という主旨の上奏をしたというものである・・。
 これは1517年の出来事といわれているが、奇しくも日本に鉄砲と前後してポルトガル宣教師が入り込んできた時期でもある。もちろん、布教を口実とした大植民地時代の先兵としてなのだが、ただ、彼らが日本で見たものは、応仁の乱から100年にわたり内乱を繰り返してきた、世界最強の軍隊だった。スペインがアステカにおこなった凄惨な殺戮行為とは正反対に、ポルトガルは日本の上流階級(大名)に狙いを定めて懐柔(布教)を行っていった。歴史にタラレバを持ち込むのは好きではないが、もし日本に戦国時代がなかったらどうだったのか。いろんなことが頭を駆け巡る挿話である。

 これら名だたる世界の悪党の中に、なぜか吉良上野介が入っているのも面白い。いわゆる忠臣蔵の、日本人好みの人情話を極力割愛し、仇討の一部始終を述べている。ただ、吉良の悪辣ぶりというよりよりも義士の忠誠心にこそ作家ボルヘスは感じ入ったようで、最後に、こんな風に締めている。「われわれは言葉をもって彼らをたたえ続けるだろう。忠義の何たるかを身をもって示すことはできなくとも、そうありたいというひそかな願いは捨て去ることがないだろうから」。







サマセット・モーム「月と六ペンス」行方昭夫:訳

2013-06-25 07:56:49 | Weblog

 ここのところ、海外の古典作品をぼちぼち読んでいる。どれも若いころ横目にしながら「フン」とあしらったり、読みたい気持ちだけでずるずる先送りしてきた作品である。それが、年齢を重ねて食わず嫌いの角が取れたのか、それとも先送りするほどの事案が身の回りにあまりなくなったのか・・。ともあれ、そんな本を読む機会が増えている。そして、これが意外と面白い。

 この「月と六ペンス」も、そんな一冊。
 画家ポール・ゴーギャンがモデルといわれるこの小説は、ある日突然仕事も家族も捨て絵画にのめりこみ、死後にして名声を得た男の後半生の物語である。当然ながら伝記とは違い、作者によるフィクションの部分が多い。画家仲間の夫婦の破滅など、エピソードの真偽が気になるところではあるが、その穿鑿はあまり意味のあることではない。作者はゴーギャンの中に一般常識人としての“欠落”を見、特異な才能を持つ者にありがちなこの“欠落” をこそ、作者は描こうとしたからである。
 題名の、月は夢を、六ペンスは現実をあらわすという。月に魅せられ死んでいった男にとって何もかも捨ててのめりこんだ創作活動の日々こそがすべてだったし、世俗の名声などは残滓にも値しなかった。そんな男に対するつきない羨望が、作者にこの小説を書かせたのだろう。




追記
 サマセット・モームは、自著『世界の十大小説』において、以下のような本を取り上げている。半数が未読なので、こちらも機会を設けて読んでみたい。


ヘンリー・フィールディング 「 トム・ジョーンズ」
ジェイン・オースティン   「高慢と偏見」
スタンダール        「赤と黒」
オノレ・ド・バルザック   「ゴリオ爺さん」
チャールズ・ディッケンズ  「デイヴィッド・コバフィールド」
ギュスターヴ・フロベール  「ボヴァリー夫人」
ハーマン・メルヴィル    「白鯨」
エミリー・ブロンテ     「嵐が丘」
フョードル・ドフトエフスキー「カラマーゾフの兄弟」
レフ・トルストイ      「戦争と平和」