おやじのパイプ

壁に飾ったシベリア抑留中に作ったと自慢していた亡父のパイプを眺めながら写真と木版画の海を漂っている。

本屋は絶滅危惧種か限界集落か

2015-02-21 22:02:53 | 日記
今日のことであるが、知り合いのカメラマンの桜写真が掲載されていると聞いたので、関東へ転勤する8年ほど前によく通っていた本屋へ出かけてみた。
さっそく関係の棚を探すもどこにも見当たらない。
店員に聞いても売り切れのようで要領を得ない。

さてどうしたものかと改めて考えてみると、思い浮かんだ本屋は、駅前商店街にある本屋とあとは郊外にある大型ショッピングセンター内の本屋である。

単独で店舗を構え、それなりの品ぞろえをしている本屋は数店とほとんど絶滅状態。

それなりの品ぞろえがあるのは駅ビル内にある某全国ネット系の1店舗のみで、ここに行くには駐車場代という出費が伴うことになる。

それが不要なのは、郊外型の大型ショッピングセンター内に出店している本屋と、ちょっと足を伸ばして幹線道路沿いの大型店へ行くしかない。
地方は交通網が首都圏に比べ不十分で、車がないとどうにもならない。大なり小なり、いわゆる限界集落である。

わが街にある郊外型のショッピングセンターは4箇所で、それぞれ床面積はそれなりにあるが、漫画本、料理本と婦人雑誌系、本屋大賞とかの話題本がメイン。

ちょっとしたマニアチックな書籍や月刊誌に関しては1-2冊程度しか品ぞろえしてないようで、いつもの人が買えば売り切れとなるようである。

だから私みたいに急に思いついて、求めるようようとした人には入手ができないことになる。

また、
それなりの理系や経済・経営系などの専門書などは電車で数時間をかけて大阪にある●●国屋などへ出かけるしかない。

それで、●●ゾンに頼ることになり、ますます街から本屋がなくなっていくことに加担している。

被害者であり、また加害者でもある。

本を読むことは、知識を得る以外に集中力の養成にもつながる。某学校で、事業開始の数分前に読書を実験的に行ったら、授業中の集中力Upと私語なども減ったとも聞いている。

そのためには、もっと身近に本に親しめる環境があるべきで、街の本屋はぜひともしぶとく生き残ってその一翼を担ってほしい。

さらには、本屋が儲かる商売としてのビジネスモデルをどう構築することができるのか、すべてはここにかかっている。
CDとか文具とかDVDレンタルとか複合型の本屋があるが善戦はしているが、儲かっているとは言い難い。
電子書籍という新しい媒体も出てきている。
これを町の本屋のライバルとするのではなく、積極的に取り込むことも検討していくべきではないか。
すべての人がネットを使って電子書籍を購入できるわけではないのだから。
//けむり

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