おやじのパイプ

壁に飾ったシベリア抑留中に作ったと自慢していた亡父のパイプを眺めながら写真と木版画の海を漂っている。

あの日あの時

2022-01-17 20:11:00 | 創作


あの日、我が家は1枚ですが瓦が落ちて、金魚の水槽からは水が溢れ玄関は水浸し。子供部屋の本棚は倒れて本が散乱しておりましたがベッドの柵で本棚は止まっておりました。そんな中でも子供たちは爆睡中でした。台所はめちゃくちゃでしたね。今ほど携帯は普及しておらず、固定電話も繋がらずTVを付けても状況把握できたのは翌日あたりだった様に思います。
地元紙の神戸新聞は社屋が被災して新聞作れなくなりましたが京都新聞の支援で途切れることなく新聞を届けてくれました。その記事からプロットしたのがこのグラフです。毎年この日になると引き出し紙の奥から引っ張り出してきてじーっと見つめております。この中の一人に神戸のおじさんも含まれております。震災では無事だったのですが高齢でもあり避難所生活中に亡くなりました。暖かい食事はなかなか食べられず、配給される食事は冷たく冷えたおにぎりか固い乾パンでした。そんな時に一番役に立ったのがカセットこんろだったようにおもいます。ガス管が壊れてガスが使えず、ミネラルウオータも今ほど流通しておりませんでした。冬の寒い中、暖かいものが食べたい。それにはカセットこんろが大変重宝されたのです。近隣の街の店頭からあっという間に消えてしまいました。みなさんお見舞いの品として買われたのです。そんないろいろな事を思い出す今日です。