おやじのパイプ

壁に飾ったシベリア抑留中に作ったと自慢していた亡父のパイプを眺めながら写真と木版画の海を漂っている。

命には上下ある

2015-03-29 01:54:05 | 日記
藪から棒ではないが、命には上下がある。
命に値段があることはそれなりにわかっていたが、今回読んだ里見清一氏の「医者の一分」で否応なしに向き合わされた。

たしかに神戸淡路の震災時にはトリアージとか言って、助かる人助かる見込みのない人などを分別し治療に優先順位があったように聞いている。(トリアージ元年)
今回の東北震災でも同様な優先順位付けが行われたはず。

それとは別に平時でも、命に上下値段があるということ。
人はいつか死ぬ。
永遠に治療するわけにはいかない。
寝たきり状態でもう完治する見込みのない人にまで無制限に治療することはできない。
それは貴重な人的資源を無駄に使うことになる。
・・・・それも一理ある。

企業活動に”損益分岐点”があるごとく、医療費にもその国の経済規模から見た”治療分岐点”が存在するはず。・・・それも一理ある。

本文の中で、WHOの考え方が紹介されている。
増え続ける医療費に対して一人当たりのGDPの3倍を目安としている。

ひとりの寿命を1年延ばすためにこれ以上の費用がかかる治療はコストパフォーマンスとして合わないというもの。

我が国の場合では、2012年の一人当たりのGDPが約371万円であるから、3倍して1100万円となる。
これ以上の費用がかかる治療はコスト的にあわないとなる。

しかし決して治療しないということではないが。

また別な意見として、命は大切なもので上下などありはしない。経済的なこと
特にお金によってはならないという意見同然出てくる。

また、
十分生きたから、今更の延命治療はご免だ。
もう治療はいいから死なせてくれといった声にはどう応えるのか。

経済概念、大切な命、死ぬ権利など・・・。

”大切な命とはそもそも何か”を考えさせられるものであった。

これ以上は医療門外漢でありうまく説明ができない。
気になる方は一度読まれることをご推薦する。
これからの高齢写社会を迎えるにあたって、老いも若きも等しくみんなが考える問題であると思う。
死なない人なんていない、いずれみんな死ぬんだから。

//けむり