先輩たちのたたかい

東部労組大久保製壜支部出身
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長詩『十五円五十銭』壺井繁治

2023年08月18日 07時00分00秒 | 1923年関東大震災・朝鮮人虐殺・亀戸事件など

 詩人壺井繁治は、『戦旗』1928年9月号の「震災追想記」欄に発表した文章「十五円五十銭」をもとに、1947年8月に朝鮮人犠牲者追悼集会のための長詩を発表した。
 1928年の文章のしめくくりとして、壺井は、「我々はあの大地震を契機として行われた支配階級の組織的✖✖(弾圧)を新しく思い起こす度に、来るべき新帝国主義✖✖(戦争)を契機として行われるであろうところの、更に組織的な、更に大規模の✖✖(弾圧)に対して、如何に用意し、如何に闘争すべきであるかと云うことを慎重に考えねばならぬ。」(「日本プロレタリア文学集・34」ルポルタージュ集②」)と述べているが、本当にこの時の壺井繁治がいうように、日本の歴史は、関東大震災時から一挙に帝国主義侵略・戦争への道をひた走った。〈如何に用意し、如何に闘争すべきであるか〉、考え続けたい。


十五円五十銭 壺井繁治

一九二三年九月一日
正午二分前の一瞬
地球の一部分がはげしく身ぶるいした
関東一帯をゆすぶる大地震
この災厄を誰が予知したであろう
この呪文を誰が最初に唱えたのだろう
十五円五十銭 十五円五十銭

その日、九月一日の明け方
物凄い豪雨がやってきた
それは地上にあるすべてのものを
一挙に押し流そうとするほどの勢いで降りつづいた
すべてのひとびとがなお眠り呆けている中を
その眠りさえも押し流そうとするほどの勢いで
なにゆえか眠れず
夜中から朝へかけて
僕は詩を書きつづけた
売れるか売れぬか当てにならぬ詩の一行一行を
雨は一瞬の休みもなく降りつづいた
すべての物音をかき消して
ただ雨の音のみが全世界を支配するかのように
その中を
上野動物園のライオンの遠吠えがきれぎれにきこえてきた
今にして思えば
その野獣は
地震計よりも正確に
その鋭い感覚によって
すでにあの地震を予知していたのかも知れない
それとは知らず
未開の森林でひとり目を覚ましているような不安の中で詩を書きつづけ
ひとびとが目をさましはじめたころ
僕はやっと眠りについた

前後不覚の深い眠りから
僕をゆりおこしたのはあの大地震だった
僕が目をさましたとき
すでに部屋の壁は音を立てながら崩れ落ち
如何ともしがたい力をもって僕の全感覚に迫ってきた
僕を支えるものは
がたがたと激しい音を立てて左右に揺れる柱だけであった
-もうおしまいだ!
ただそれだけの絶望感だけだった
ひとしきり揺れに揺れた後で
地震はようやくしずまった
そのしずまりのすきをねらって下宿をとびだした
崖をおりるように壊れた階段を伝って
するとまたもや地軸を鳴らす大動揺がやってきた
往来の電柱がまるで箸を動かすように
左右に大きく揺れ動くのが錯覚のように映った

僕はその夜、上野の山で一夜を明かした
上野駅が見おろせる崖っぷちにたって
とめ度なくひろがってゆく火事を眺めていると
あまりに強い火の刺激に頭がしびれてきた
浅草・下谷の家並みをなめつくす火は
一里を先を燃えているように見えるのに
僕の頬っぺたにほてりをさえ感じた
どちらを眺めても
東京の街々はいつ消えるとも知れぬ火の海であり
それを眺める群衆のわいわい騒ぎにまじって
僕は何を考えるでもなく
ただぼんやりと炎の大群団から眼をはなすことができなかった
火、火、火…
ただそれだけの眺めなのに
僕の瞳はいつまでも
火の方へ吸いよせられていた

この火事がまだおさまらぬうちに
はやくも流言蜚語が市中を乱れとんだ
-横浜方面から鮮人が群をなして押しよせてくる!
-目黒競馬場附近に三、四百もの「不逞鮮人」があつまって
  何か不穏な気勢をあげている!
-鮮人が家々の井戸に毒物を投げこんでいるから、飲み水に気をつけろ!
-社会主義者が暴動を起そうとしているから、警戒しろ!
これらの噂はまことしやかに
ひとからひとに伝えられていった
僕が友だちの安否を気づかって
牛込弁天町の下宿を訪ねたとき
そこでもその噂でもちきりだった
その友と連れだって
僕は壊れた街へ出た
ひとびとはただ街中を右往左往していた
それはまるで荒びたお祭りであった
しかもそのお祭り騒ぎを支配するものは戒厳令であった
銃剣をもって固められた戒厳令であった
僕らが矢来下から
音羽へ通ずる橋の手前に設けられた戒厳屯所を通りすぎると
-こらッ! 待て!
と呼びとめられた
驚ろいて振りかえると
剣付鉄砲を肩に担った兵隊が
-貴様! 鮮人だろう?
と詰めよってきた
僕はその時、長髪に水色ルパーシュカを身にまとっていた
それは誰が見てもひと目で注意をひく異様な風体であった
僕はその異様な自分の姿にはじめて気がついて愕然とした
僕は衛兵の威圧的な訊問にどぎまぎしながらも
-いいえ、日本人です、日本人です
と必死になって弁解した
かたわらの友人も僕のために弁じてくれた
そして僕らはようやく危い関所を通過した

僕は兵隊に呼びとめられたときの恐ろしさよりも
その後の恐ろしさに魂までふるえる思いだった
-こんなところにうろうろしていたら
  いのちがあぶないぞ!
自分で自分にいいきかせながら友と別れた
僕はもう一人の友の安否をたずねねばならなかったから
僕は身をひそめるような思いで
わきめもふらずにすたすたと
護国寺の方へむかって道を急いだ
行先は滝野川であった
すると向こうからラッパの音を先頭に
騎兵の大集団が行進してきた
音羽八丁を埋めつくす騎兵集団の行進は
今にも市街戦でもはじまるかと思われる殺気だった雰囲気を
街中にまきちらした
この殺気だった雰囲気にさらに殺気をそえたものは
辻々に張りめぐらされた張紙だった
-暴徒アリ放火掠奪ヲ逞シフス市民各位当局ニ協力シテコレガ鎮圧ニ務メラレヨ
それは警察の掲示板にも張られてあった
僕はこのときはじめて確認した
どこからともなくまきちらされた流言蜚語の火元がどこであったかを

滝野川の友の家は幸い無事であったが
新たな災厄がその家のまわりをうろついていた
その友は社会主義者であり
日ごろから怪し気な人間が大勢その家に出入りするということで
近所から眼を光らされていたから
鮮人騒ぎ、社会主義者騒ぎは
刻一刻と市民の間にひろがる一方であり
僕はこの家にも安閑と腰をすえてはいられなかった
どこやらで朝鮮人の一団が
針金で数珠つなぎに縛りあげられ
河の中へたたきこまれたという噂をきいたのも
この友の家であった
僕は禍のもととなるだろうルパーシュカをぬぎすて
浴衣と袴と黒いソフト帽を借り
その帽子をまぶかにかぶって長髪をかくし
そしてふたたび
牛込弁天町の下宿へひきかえした

その途中、富坂辺で
野次馬に取りまかれ
鳶口を背中から打ちこまれ
みずからの血溜りの中に倒れてゆく朝鮮の人夫風の男をこの眼で見た
それはそこだけでなく
いたるところで行われたテロルであったのだ

災厄の上に新たな災厄の重ねられつつあった東京を後にして
田端駅から避難列車に乗りこんだのは九月五日の朝であった
ここでも野蛮な眼がぎょろぎょろ光っていた
-こん中にだって主義者や鮮人どもがもぐりこんでいるかも知れんぞ!
身動きもできぬ車中でのこの放言に
僕は胸のまん中に釘を打ちこまれる思いをし
思わずまぶかにかぶっている帽子のツバをさらにまぶかにひきおろした
髪の長いということが
社会主義者の一つのめじるしであったから

汽車が駅に着くたびに
剣付鉄砲がホームから車内をのぞきこんだ
怪し気な人間がもぐりこんでいないかと
あれは、いったいどこの駅だったろう
僕らの列車がある小さな駅にとまると
例の通り剣付鉄砲の兵隊が車内検索にやってきた
彼は牛のように大きな眼をしていた
その大きな眼で車内をじろじろ見まわしていたが
突然、僕の隣りにしゃがんでいる印袢天の男を指して怒鳴った
-十五円五〇銭言ってみろ!
指さされた男は
兵隊の訊問があまりに奇妙で、突飛なので
その意味がなかなかつかめず
しばらくの間、ぼんやりしていたが
やがて立派な日本語で答えた。
-ジュウゴエン ゴジッセン
-よし!
剣付き鉄砲のたちさった後で
僕は隣の男の顔を横目で見ながら
-ジュウゴエン ゴジッセン
ジュウゴエン ゴジッセン
と、何度もこころの中でくりかえしてみた
そしてその訊問の意味がようやくのみこめた
ああ、若しその印袢天が朝鮮人だったら
そして「ジュウゴエンゴジッセン」を
「チュウコエン コチッセン」と発音したならば
彼はその場からすぐ引き立てられていったであろう

國を奪われ
言葉を奪われ
最後に生命まで奪われた朝鮮の犠牲者よ
僕はその数をかぞえることはできぬ

あのときから早や二十四年たった
そしてそれらの骨は
もう土となってしまったであろうか
たとえ土となっても
なお消えぬ恨みに疼いているかも知れぬ
君たちを偲んで
ここに集まる僕らの胸の疼きと共に

君たちを殺したのは野次馬だというのか?
野次馬に竹槍を持たせ、鳶口を握らせ、日本刀をふるわせたのは誰であったか?
僕はそれを知っている
「ザブトン」という日本語を
「サフトン」としか発音できなかったがために
勅語を詠まされて
それを詠めなかったがために
ただそれだけのために
無惨に殺ろされた朝鮮の仲間たちよ
君たち自身の口で
君たち自身が生身にうけた残虐を語れぬならば
君たちに代って語る者に語らせよう
いまこそ
押しつけられた日本語の代りに
奪いかえした
親譲りの
純粋の朝鮮語で

(1947年8月 朝鮮人犠牲者追悼集会のために書いた長詩 壺井繁治)



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