「日本労働年鑑」読書メモを再開します
コロナ禍で気持ちがそがれて昨年3月22日で止まっていた法政大学大原社研「日本労働年鑑」読書メモを2021年1月1日から再開しました。今回は1919年(日本労働年鑑第一集1920版)の9月からの再スタートです。
1919年1月~8月までのまとめはこちらを参照してください。
https://blog.goo.ne.jp/19471218/c/07a1f4a2f228a62056193d068ad676a6
さて、文字通り無名無数の戦前先輩労働者の決起、大小のおびただしい数のストライキにどれほど想いを寄せられるか挑戦です。
【再確認】
1919年とは、
1919年世界でのスペイン風邪死亡犠牲者が爆発する中、朝鮮3‣1闘争、3‣2コミンテルン創設、4月インドガンジーの闘い、中国5‣4闘争、普選要求の大デモ、友愛会が労働組合へと新生、東京の16新聞社の待遇改善と8時間労働制を要求し一斉ストライキに突入、日本交通労組6千人が「人格尊重」を要求しストライキ、神戸川崎造船所1万5千人が14日間の大サボタージュ闘争で勝利、ILO創設、足尾銅山ストライキ、9月アメリカ鉄鋼22万の大ストライキ、渋沢栄一らが「労使協調」の協調会結成。翌年1920年2月には八幡製鉄所2万人がストライキに決起します。
1919年(大正8年)ストライキは497件、参加労働者63,137人(すごい数!)、一件平均人員127人
ストライキの業種別は、炭抗33件約1万人、紡績47件約5千人、染織31件約2千人、機械金属87件、約1万2千人、造船6件約4千800人(*神戸川崎造船所1万5千人の14日間のサボタージュ闘争は事実上のストライキだが、ここではストとはカウントされていないようだ)、化学45件約3千700人、大工木工34件約3千人、沖仕・人夫54件約5千人・・・など。
ストライキの結果別調べ
1919年ストライキの勝敗は決して悪くない。この年のストライキ497件6万3千人のストの結果は、「要求貫徹」(全面勝利!)63件と「妥協」(一定の改善)261件をあわせれば320件3万5千人で勝利的解決が実に多い。もちろん資本家側による「要求拒絶」など厳しいたたかいのすえ敗北したストライキも93件約1万人とこれも決して少なくはない。
1919年のストライキ継続日別調べ
スト
1日150件約1万2千人
2日138件約1万2千人
3日75件約1万人
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・
6日以上10日以内約1万2千600名
11日以上が9件3千600名
これもすごい。治安警察法下で「団結」も「ストライキ」も犯罪とされた時代、官憲の弾圧もすさまじいものがあった時これだけ闘い続けることは、よほどの爆発的怒りの継続と思想と理論、その怒りを断固として支持する組織的体制がなければ不可能。その間の大量な兵糧や家族や支援の態勢が気になる。