先輩たちのたたかい

東部労組大久保製壜支部出身
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日本毛織加古川・印南工場3,000人ストライキ 1927年の労働争議(読書メモ)

2023年07月18日 07時00分00秒 | 1927年の労働運動

上・日本毛織会社側ビラ
中・日本毛織がスト破りで一般に向け大募集したポスター「女13.4歳から20歳」
下・労農党「警察への抗議決議」1927.5.23

日本毛織加古川・印南工場3,000人ストライキ 1927年の労働争議(読書メモ)
参照「協調会史料」

日本毛織加古川・印南工場3,000人ストライキ

日本毛織株式会社加古川・印南工場(ラシャとメリヤス毛織物製造会社)
会社所在地
神戸市西出町
兵庫県加古川町加古川工場
同印南郡米田村印南工場

社長 川西清兵衛(川崎造船所の初代社長松方幸次郎と比較されるほどの大富豪中の大富豪)
日本毛織株式会社社長
山陽皮革会社社長
神戸姫路電機鉄道社長
川西倉庫社長
安田銀行監査役
都市計画兵庫地方委員会員
神戸商業会議所評議員

労働者数
加古川工場3,278人(女性1,834人、うち寄宿舎1,124人、通勤710人)
印南工場3,019人(女性1,857人、うち寄宿舎1,110人、通勤747人)

労働組合「誠和会」6,177人・・・評議会・労農党・全日本農民組合兵庫県聯合会が応援
御用団体「革新同盟会」約120人(革新同盟会は1,000人と発表)

(争議の原因)
 もともと御用組合であった誠和会に批判的な現在の幹部たちは、評議会や労農党幹部に教えを乞い、誠和会をなんとか御用組合から闘う労働組合へ変えようと日々奮闘していた。加古川工場と印南工場の多くの組合員も幹部のこの行動を歓迎していた。工場内の動きに気づいた会社は「この際、誠和会を徹底的につぶす」と計画し、印南工場課長に命じ、誠和会を除名された40人ほどの労働者を引き込み「革新同盟会」を組織し、誠和会破壊攻撃を始めた。

(嘆願書提出) 
 会社のたくらみに対し、5月17日、誠和会は臨時大会を開催し、参加者約600人は以下の嘆願書を決議し、翌18日に会社に提出したが、会社これをたちまち拒絶してきた。
嘆願書
一、革新同盟会の承認の取り消し
二、その主催者の会社追放
三、前年に取り消された女性労働者への2年満期賞与の復活
四、女性労働者の寄宿舎外出の自由(今までは午後11時、現在は午後9時)
五、養老金を積立金に編入すること
六、就業規約の徹底的改正
七、夜業歩合増額(一割増)
八、奨励金の復活(今まで通り1割3歩に増額)
九、皆勤賞の復活(いままで通り1日分に増額)
(5月19日の追加)
十、解雇者44人を復職させること
十一、争議費用の支出
十二、争議期間中の日給の支給

(3千スト決行)
 5月19日昼夜交替時間の午前6時、加古川・印南工場約3,000人がストライキに突入した。加古川町内に21カ所の争議団詰め所を設置した。近年のスト参加者では関西最多数の争議の火ぶたが切っておとされた。評議会は6人の幹部を参謀として派遣して、加古川町付近の田舎家に潜ませた。このやり方は前年の浜松日本楽器争議と同じやり方であった。
 争議団は、評議会と労農党と近くの高砂三菱工友会と全日本農民組合兵庫県聯合会に争議の応援を要請した。全日本農民組合兵庫県聯合会は争議団の中に相当数農民組合の子弟がいることから全面的な応援を決めた。

(会社44人解雇)
 19日の夕方7時30分、会社は誠和会幹部44人(加古川工場32人、印南工場12人)を首にし、翌日には加古川工場33人に無期出勤禁止命令を出してきた。会社は所轄警察の加古川署と魚橋署に急報し、両警察署は警官約40人を動員し、誠和会の幹部を絶対に門内に一歩も入れさせなかった。また寄宿舎の女性の外出を全面的に禁じた。

(官憲の無法な弾圧)
 警察は、争議団詰め所にスト労働者が集合することを「無許可の屋内集会だ」と禁止し、また女性労働者が争議団事務所に宿泊することを親の承諾書や委任状の提出を求めるなどの嫌がらせを行うなど不当な介入を繰り返した。日本労農党はただちに警察に対して「(警察の介入は)ストライキを不可能にする法の悪用で、団結権・罷業権を蹂躙するものだ」と強く抗議した。

(町長・村長自ら争議団を切り崩し)
 5月22日から加古川町町長や米田村村長らが直接スト労働者宅やその父兄宅を訪問し、ストを止めて工場に出勤することを強要する争議団切り崩しをはじめた。これを知った全日本農民組合兵庫県聯合会はただちに町長らを訪ね、強く抗議すると同時に杤木県庁の赤木特高課長に対して以下の抗議文を提出した。
抗議文
「・・・資本家のために自治機関を濫用して罷業破りをなし労働者の団結罷業権を蹂躙するものと認め厳重に抗議しその反省を促す。昭和2年5月23日 日本労農党東播支部 全日本農民組合兵庫県聯合会 日本労働組合同盟高砂工友会」

(全日本農民組合兵庫県聯合会の指令) 
 全日本農民組合兵庫県聯合会は、争議団を総力をあげて応援した。
指令
 今迄の行き掛かりは捨てて、積極的に援助して必ず争議を勝たせねばならない
一、(全日本農民組合兵庫県連合会組合員の子弟の中で)いまだストライキに参加していない者は即刻ストに参加すること
一、争議団員や寄宿舎から逃げてきた女性たちのための宿泊所設置を誠和会に協力すること
一、金・米などを速やかに集めカンパすること
一、町村区長らのストライキ切り崩しに厳重に抗議し、罷業団の結束を助けよ
一、その他あらゆる必要なる援助を進んでやるべき
               5月23日 全日本農民組合兵庫県聯合会本部

(官憲による妨害)
 24日、日本労働評議会国領吾一郎妻はると鍋山貞親妻歌子二人が、争議団の女性たちとの交流と結束をかためようと誠和会会長宅を訪問した。その場で官憲は両名を検束し、同日ただちに大阪へ送還した。25日午後9時30分には、争議団15人が川西清兵衛の須磨の社長宅を訪れ抗議し面会を求めたが、須磨署警官隊が激しく妨害してきた。

(会社の「狩出し」攻撃と新たな解雇攻撃)
 25日から会社は、官憲の応援のもと、自動車20台に職制やならず者を動員・分乗させ、ストライキ労働者の大々的な「狩出し」攻撃を一斉にはじめてきた。スト労働者の自宅を襲撃し、労働者を暴力的に拉致し、無理やり工場に引きづりこんだ。
 26日、会社は「大多数が出勤している。新たに採用した者(上のポスター)も続々出勤している」と宣伝し、「狩出し」要員社員も、以下の宣伝ビラを争議団員や労働者の自宅に大々的に配布した。
△通勤に自動車をご利用下さい。明日から夜5時より7時までの間に訪問係が自動車をもって迎えに参りますから出勤の用意をして待っていて下さい 5月26日 印南工場訪問係

 この日新たに両工場の81人が解雇された。

(誠和会、スト破り労働者6人を除名)
 誠和会は、スト破りをして工場に出勤した印南工場4人と加古川工場2人の組合員を除名処分にした。

(官憲の乱暴狼藉)
 26日午前10時、加古川町大成座において「官憲圧迫糾弾演説会」が開催された。女性労働者三木はるが演壇で獅子吼した。彼女は会社を激しく痛罵し、また争議団の結束を強く訴えた。しかし、ほとんどの弁士が「弁士中止」を命じられ、その多くがそのまま検束された。応援に駆けつけた他労組の労働者は加古川駅に着いたとたんに検束され、演説会場にすら到着できなかった。

(大量解雇)
 会社の首切り攻撃が続き、29日までに争議団員159人が首になった。

(誠和会臨時大会)
 29日、誠和会は争議団本部において臨時大会を開催した。①他労組(評議会)に加盟、②争議の継続の二つについて熱心に討論した。女性労働者らは、「他の労働団体(評議会)に加入してあくまで争議を継続せよ」と叫んだが、誠和会幹部は「我々159人を裏切って出勤している多くの誠和会員は、心から裏切ったものではなく、我々に同情していることは明らかである。他労組加盟問題は後日に譲り、積極的応援は受けつつ、あくまで誠和会単独で闘う」と以下の決議をした。
決議
一、会社の発表した不当解雇は絶対に承認できない
一、争議はあくまで継続し6千の従業員のため要求の貫徹を期し、最後まで決死的奮闘を期す
一、誠和会をあくまで維持すると共に最後の勝利のため全国の労働組合並びに政党の大衆的応援を得るために檄文と代表を送る

(夜のデモと官憲との闘い)
 6月3日夜9時30分、京都・大阪・神戸日本労働組合評議会員約80人が、加古川駅に到着するやいなや駅前の大成座前を折れ、途中争議団員と合流した200人が加古川工場と寄宿舎に向かって果敢なデモをはじめた。デモが工場に近づくと工場内に潜んでいた警官隊が襲い掛かった。デモ隊と大乱闘となり、その場で57人が検束された。その直後夜11時30分、数百人の応援部隊が加古川駅に到着するという情報が流れて、加古川駅で数十名の警官が待ち構えていたが、同列車からは朝鮮人14、5名が下車してきたので、この朝鮮人を無理やり次の上り列車に乗せて追いはらってしまった。

(会社の策謀)
 6月7日朝、会社は工場正門に「誠和会員5,370人の同意を得て誠和会は解散した。誠和会は自然消滅した」と貼り紙をだした。会社は資本家と協調する新労働組合結成を策動した。

(労資交渉)
 加古川町町長と米田村村長は、寄宿舎3千人女性の外出禁止による町に与えている損害が大きいため、早期の争議解決の調停に乗り出し、7日印南工場事務所で第一回交渉が行われ、争議団は、解雇者全員の復職、要求の実現、争議中の賃金と争議費用の支給の三つをあくまで主張したが、会社は三つとも受け入れることは絶対に出来ないと拒否し、交渉は決裂した。

 第2回目交渉8日、会社は、解雇者に解雇手当を出すことは出来ないが、同情金として1萬円支給(159人一人あたり63円余)すると回答してきたが、争議団はその低額回答に激昂した。
 第3回目9日、決裂。
 第4回16日、調停者の町長らが双方と話し合ったがこの日も不調となった。
 27日、解雇された労働者159人に、1万9500圓を同情金として支給する「調停案」が提示された。

(調停案の受け入れ)
 28日午前8時、151人の解雇された者だけの会議で激論が交わされたが、最終的には採決89対62で「調停案」の受け入れが決った。 
調停案
一、被解雇者159人に1萬5千圓支給する
一、その他8千圓支給する
合計2萬3千圓支給(その他争議中に支払いが拒否されていた金券など約4千圓程度を会社が交付)
他に調停者より争議団に金一封(弐千圓)の支給

(惨敗)
 6月29日午後4時から加古川町役場において、労資双方が調印し、42日間にわたる日本毛織株式会社加古川・印南工場争議は終わった。覚書には争議団と誠和会の解散が明記され、今後職場で「誘惑・煽動・示威的行動をしない」とあり、労働者側の惨敗であった。6月30日、日本毛織株式会社加古川・印南工場争議団は約200名の出席で総会を開き解散した。
覚書
一、争議団はただちに解散すること
二、誠和会の解体に異議なきこと
三、解雇処分に異議を申し出ぬこと
四、今後現業員においては誘惑煽動又は示威的行動をしないこと
五、解雇者は同情金受領の上は自発的に当地を引き払うこと(これは争議団の強い抗議で直後に撤廃された)
六、加古川・印南両工場は解雇者に対して金一封2万3千圓を交付すること

以上



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