上・関東婦人同盟創立大会ポスター(1927.7.3)
上・大阪地方評議会婦人部(1926.5.1大阪メーデー)
上・東京メーデー会場における警官のメーデー女性参加者へのいやがらせ(1926.5.1)
1927年の新しい女性運動(読書メモ)
参照「日本労働年鑑第9集/1928年版」大原社研
「十二歳紡績女工からの生涯ー山内みな自伝」山内みな
従来の婦人参政権獲得同盟、婦人参政同盟、全関西聯合婦人会など公民権、結社権、婦人選挙権運動を進めていた女性運動団体とは別に、1927年、女性運動に新たな運動が生まれた。積極的に女性労働者の闘いや労働争議と女性運動を結び付ける、労働者階級の立ち場で女性運動をすすめようとする女性組織であった。この年、評議会系、組合同盟系、総同盟系のいずれの労働団体系においても全国的女性団体組織が作られた。
以下は評議会系(労農党系)の婦人同盟。
婦人同盟準備会
1926年(大正15年)4月の評議会第二回大会で、東京合同労働組合の代議員丹野セツ(渡辺政之輔夫人)が「総本部に婦人部を設ける件」を提案した。すでに前年度の大会で各組合と地方評議会に組合婦人部の設立を決定していたが、評議会総本部では反対意見が多数をしめていてこの時の丹野セツの提案も否決された。しかし、その後評議会中央常任委員会は「婦人運動に関する意見書」を決め、評議会系の組合内女性組合員と婦人部において婦人同盟創立への積極的な討議が高まっていった。
婦人同盟第1回準備会アピール(1927年2月5日)
全国三千万の女性に訴ふ
婦人同盟の創立について
私達女性はいままで、我が国の封建的習慣と、その社会制度の下にあって、幾多の経済的社会的迫害にしいたげられて来ました。而も、私たち女性の自覚と、社会進化との結果、女性の地位役割が、社会の重要なる一部を占めるに至った今日においても、かかる封建的習慣と社会制度とは依然として、私たち女性をもとのままに、縛りつけてゐるのです。
私たちは、私たちの社会的地位を向上させるために、婦人に対する不平等な法律を撤廃し、私たちの要求を議会に反映させようとしても、未だ参政権が与えられてゐません。そればかりではなく、政党結社に加入する事すら私たちからは奪われてゐるのです。
更に、悲惨な婦人の坑内労働や、紡績工場における過度の夜業の如き、官庁公社における特殊な待遇の如き、私たちの不満と憤激とを起させないものがありませうか。私たちの姉妹は、この不平等な社会的経済的待遇の下に心一杯の不満を抱きながら日夜営々と汗をしぼり、しかも産前産後の休養すら安んじて得られない様です。
この様な特殊待遇に対する私たちの不満と憤激とを、私たちは何時までも黙って胸の中にしまっておくわけにはいきません。
私たちは今までも随分戦って来ました。そして今、更に力を倍して戦はうとしてゐるのです。
女性が弱いものだとは誰が決めた事なのか? 私達は決して弱くない。ただ、今まで家庭の中にのみ押し込められて、社会の隅の方に圧えられ、その力を分散させられてゐた為にのみ弱かったのです。私たち全女性が吾国の社会的経済的特殊待遇に対して一致して起つ時、誰が女性を弱いものだと言い得やう。そうです。私たち全女性が団結して起った時こそ、女性に力が輝き、女性に新しい時代が生れる。今こそ私たちが新なる団結と力を以て婦人の要求を掲げ婦人の自由のために戦うべき時なのです。
私たちは今この為に全国の婦人を結合して婦人同盟を作ろうとしてゐます。東京地方の各方面の有志から出来た婦人同盟組織準備委員会はすでに着々と準備を進めてその創立大会を挙げようとしてるます。
この新らたに生まれる婦人同盟こそ、永い間私たちが待ち望んでいた、婦人の要求と自由の為に戦ってゆく全婦人の組織である事を信じて疑いません。
全国の私たちの同志よ、こぞって婦人同盟に参加せよ!
女性に力あれ! 婦人同盟に輝きあれ!
私たちの要求
治警第五条即時撤廃
男女不平等法律撤廃
児童及母性保護に関する諸法案設置
婦人参政権獲得
関東婦人同盟創立大会
1927年7月3日、労農党、評議会系の関東婦人同盟創立大会が東京帝大佛教青年会館において、組合婦人部からは組合同盟、市電自治会、組合評議会など、また普選獲得同盟、公娼廃止同盟、婦人参政同盟らからの婦人代議員150余名、傍聴者200名、司会は田島ひで、中田小春議長で開催された。祝辞に労農党党首大山郁夫委員長が来て熱弁をふるった。綱領として、以下の12項目を決めた。
一、女性の政党加入の自由獲得、婦人参政権の獲得
二、男女不平等法律の撤廃
三、女性の深夜労働・坑内労働の禁止
四、寄宿舎制度の改正
五、前借金制度の禁止
六、公娼制度の廃止
七、教育の機会均等
八、男女差別賃金の撤廃
九、家庭における封建的束縛の解放
十、児童保護法の獲得
十一、産前産後の休養と無料産院の設置
十二、全国婦人同盟組織促進
この綱領を決定したとたんに場内の臨監警官が集会解散命令をだした。そくざに山内みなは「関東婦人同盟結成バンザイ」と両手をあげて叫んだ。参集した全女性たちも声をあわせてバンザイと叫んだ。
(全国に拡がる婦人同盟地方支部)
女性たちは、1927年6月の東京南千住の花木ゴム争議の女性労働者への応援で勇敢に闘い、同じ頃静岡県の大日本紡績の女性労働者数百名の40日間のストライキに対し、女性たちは大日本紡績の女性労働者の「外出を認めよ! 南京米を内地米にせよ! 退職手当をだせ! 組合加入の自由を認めよ! など15カ条の要求を断固支持し、続々と応援に駆け付けた。総同盟本部幹部は評議会系の支援をなんとか妨害しようとしたが、ストライキはついに勝利し、この闘いと女性たちの応援を機会に、その直後、清水、静岡、浜松、沼津の女性労働者たちが静岡婦人同盟を結成した。
(女工虐待反対デー)
7月23日には富士ガス紡小名木工場の突然の工場閉鎖攻撃で小名木工場の女性たち1千名が立ち上がり、婦人同盟も率先して応援した。本所セツルメントで演説会も開催した。この頃2回にわたって開催された京浜川崎の工場代表者会議には富士ガス紡や東京電気など数十名の女性労働者が参加して口々に職場の女工虐待を報告した。8月10日には「女工虐待反対デー」を全国的な闘いとして組織した。婦人同盟員は先頭にたって官憲の妨害をはねのけながらビラまきやポスターを貼りめぐらしたり、街々で市民に議会への請願署名を呼び掛けた。
(お茶の水女高師学生と連帯)
7月、お茶の水女高師の生徒と卒業生が「女子教育権確立」要求の運動に立ち上がった。きっかけは同校が、生徒の信望が厚い2名の生徒監を追い出し、新しい生徒課幹部の制度を設けて男子教授を任命したことだった。この女性の地位を引き下げ侮辱し、露骨な男性専制支配の天下り主義に生徒たちは怒ったのだ。関東婦人同盟はただちに声明書をだし、お茶の水女高師の生徒たちの運動を支持、応援した。
(日本農民組合の指令)
「婦人部の確立に努めよ。特別活動家の編成(婦人同盟結成のこと)、尖鋭化せる戦線へ彼女等を動員せよ!!」。1827年6月7日、日本農民組合中央常任委員会の指令。その後多くの地方の農民組合婦人部のあいだで婦人同盟準備会がつくられ、9月21日には岡山婦人同盟が結成された。
(大阪婦人同盟)
水平社の岡部芳子は正露丸直売所の主人の夫人であり、幾度となくブタ箱に入れられながらも闘う女性だった。大阪では岡部芳子らを中心に8月10日の「女工虐待反対デー」を闘い、もっとも虐待されている紡績工場女性労働者を中心に大阪婦人同盟が結成された。
(五法律獲得闘争)
五法律
一、失業手当法
二、最低賃金法
三、八時間労働法
四、健康保険法
五、婦人青少年労働者保護法
1927年夏には労農党を先頭にした「五法律獲得闘争」が全国で激烈に闘われた。関東婦人同盟も「五法律獲得全国協議会」に参加して活動した。この頃東京モスリン亀戸工場、長野岡谷の山一林組らの女性たちの闘いも女工虐待反対、五法律獲得闘争の一環として応援した。
(関東婦人同盟各支部の活躍)
中部支部 小石川低地の劣悪な下水道問題を取り上げ東京市と闘う。女性労働者も含め一ヶ月以上闘っている尚工舎争議を応援。
北部支部 ガス料金値下げ要求婦人懇談会を開催し、ガス電灯水道料金値下げ要求とともに家賃3割値下げ要求運動。
城南支部 中野区の桃園小学校の池田訓導不当解雇反対闘争に参加し、教育者の言論集会政党加入自由への暴圧に反対を叫んで支部員総出でビラまきやポスターはりをし、父兄に支持を求めた。甲州街道バスの女性車掌さん30数名が待遇改善要求の争議に、支部は全力で応援した。また東京市電の女性車掌さんが安い給料で過激な労働を強いられ上にまるでドロボウ扱いのように、毎日厳重に身体検査をされる、この人権じゅうりんへの不満をいち早く取り上げた婦人同盟会員の高橋よきさんが先頭にたち、生理休暇(月経時8日間の有給休暇)要求がはじめてかかげられた。
城南支部沖電気分会 11月7日ロシア革命記念日集会を分会として開催しようとした会場に、会社は暴力団を乱入させ、こん棒で殴りつけるなど暴力をふるってきた。城南支部はただちに沖電気女工茶話会を開催し、会社の集会妨害を糾弾し、女性の組合と政党加入自由をたたかいとることを決議した。
荏原地方支部 ごまかし安全週間の中身を暴露したビラを地域の各工場にまいた。また松岡メリヤスの女性たちの待遇改善要求ストライキを荏原地方支部が積極的に応援。同時に女性保護法制定の要求を全地域の工場に宣伝し、松岡メリヤス・沖電気・徳田工場などの女性労働者が続々婦人同盟に加入してきた。
江東支部 地域の工場の女性たちに働きかけて女工保護法獲得運動を進め、10月23日帝大セツルメントで女性労働者茶話会を催した。10数名の女性たちが口々に自分の工場の賃金の安いこと、工場監督の横暴にこと、会社の悪辣なこと等々訴えた。
(婦人同盟全国地方各支部の活躍)
大阪婦人同盟 大阪四貫島東洋紡の争議に会社が60数名の労働者を解雇し、千数百名の女工たちが寄宿舎に押し込めて外出の自由を奪われていることに大阪婦人同盟としてただちに、総同盟、日労党、社会民衆党に共同闘争を申し入れ、勇敢に応援闘争をくれひろげた。
京都婦人同盟(準) 府県会選挙に婦人同盟として積極的に活動し、官憲の妨害・干渉を跳ね返し労働農民党から2名の当選者をだした。10月7日夜には水平社夜学校で無産青年同盟と共同主催の選挙干渉反対、暴圧反対の「普通選挙法改正大演説会」を聴衆300名以上を集めて開催した。また、水平社の女性や東山の陶磁器工、西陣の織工なども婦人同盟(準)に組織した。
徳島婦人同盟(準) 撫養塩田労働組合の「共働きしてもその日の暮らしが立たない」と怒る塩田女性労働者50余名を中心に組織された。
青森婦人同盟(準) 青森県においても青森婦人同盟準備会が組織された。
九州婦人同盟(準) 10月4日の女性たちの懇談会に福岡署の刑事数名がどやどやと乱入し、「上にあがらせろ」「懇談会には臨監をつける。もし応じなければ総検束だ」とどなりつけ懇談会をめちゃめちゃにした。10月17日の議会解散請願委員会主催の演説会に制私服警官数十名が、弾圧を開始し70名もの多くの婦人たちを次々と検束した。検束した女性に向かって泥靴でけるなど乱暴狼藉のかぎりをつくし、かつ「淫売め」と口ぎたなくののしり、女性をとことん侮辱した。この官憲の暴行に対し、九州婦人同盟(準) はただちに労農党福岡支部と共に断固とした抗議行動を起こした。
関東婦人同盟京浜支部(準) 富士ガス紡の女性たちが中心となり、関東婦人同盟京浜支部(準)が組織された。
(女性参政権獲得演説会)
11月1日夜、上野自治会館で、青年同盟と関東婦人同盟主催の女性参政権獲得演説会が開かれ、会場は立錐の余地もないほどの女性たちが押しかけ大盛況であった。青年と女性たちの熱烈な熱弁に臨監の上野署長は片端から「弁士中止」を命じ、ついには「解散命令」をだした。怒った500余の聴衆は一丸となって「暴圧反対」と叫びながら上野の山を駆け下り、広小路にせまり、数名が検束された。
(ロシア革命十周年記念演説会と官憲の拷問)
11月7日、ロシア革命十周年記念演説会が神田明治会館で開かれた。関東婦人同盟も数十名が参加した。数百名の警官隊が数千名の労働者の会場入場を阻止してきた。数千名は怒涛のように押し寄せた。場内ではたちまち弁士中止と解散命令と検束の嵐が吹き荒れた。場内外の数千の労働者青年婦人は総立ちとなり互いに腕を組み、革命歌を高唱し、神保町から九段へと大デモが始まった。いたるところで血迷った警官隊のなぐるけるの弾圧で衝突がおき、90名もが検束された。関東婦人同盟員も10数名が検束され、西神田署で竹刀やこん棒で殴られたり、さかさにつるされたり、全裸にされての残酷な拷問を受けるなど3日ないし10日間留置された。この時検束された婦人同盟員の立見はるは、検束を理由に中央電話局をクビにされた。関東婦人同盟はただちに抗議文をだすと共に、中央電話局の姉妹たちにビラをまいて連日闘った。大阪でも名古屋でもロシア革命十周年記念の茶話会や研究会が開催され、名古屋では17名の同盟員が検束されている。
(酌婦として売られた少女を支援)
秋田県阿仁町の料理店に酌婦として売られ、連日売春を強制させられていた少女が、虐待にたえかねて逃げ出し上京し、関東婦人同盟に救いを求め飛び込んできた。前借金450円2年契約なのに、2年後には借金はなんと1,800円とされ、体も壊された。婦人同盟は、労農党と相談し、その少女の自由廃業を実現させ、「非人間的暴虐の人身売買制度を陰に陽に認め支持する政府当局に対してあくまで闘争する」と世間に声明を発表した。
(愛国貯金反対運動)
この頃政府は、御用団体の東京連合婦人会や女子青年団などを使って、「愛国貯金」運動を全国的に推し進めた。4月の金融危機以来、全国の女性たちの生活は窮乏のどん底で、賃金は下がる、失業者は街に溢れ、喰うやくわずの生活で何が「愛国貯金」だ。婦人同盟は、「愛国」などという美名にだまされるなと全国的な反対運動を呼び掛けた。
婦人同盟全国組織促進準備委員会
12月14日には「婦人同盟全国組織促進準備委員会」が、議長山内みな子、司会野坂龍子により婦人代議員43名で開催され、綱領、一、我等は婦人の政治的社会的経済的隷属よりの解放を期す。一、我等は婦人の参政権の獲得を期す。一、我等は民衆の政治的解放の闘争と協力して戦うを採択し、また労農新聞、労働新聞、無産者新聞支持を決めた。
その他
労働婦人聯盟(総同盟・社会民衆党系)発会式
7月10日、総同盟本部講堂において赤松明子ら社会民衆党の女性、総同盟組合員ら計17名で労働婦人聯盟の発会式が行われた。この年の主要な活動としては、岡谷山一林組争議の女工支援があった。
全国婦人同盟(組合同盟・日労党系)発会式
10月2日(3日?)、日労系の全国婦人同盟(日労党系)発会式が東京芝協調会館において婦人代議員67名、傍聴者約100名、司会は荻くにで開催された。
治安維持法即時撤廃、婦人参政権の獲得、男女不平等法律の撤廃、教育の機会均等、児童・母性保護、公娼・私娼の廃止、女性の深夜労働・坑内労働の禁止、寄宿舎制度の撤廃、男女差別賃金の撤廃、消費組合運動の促進などの主張のもと、綱領として一、我等は我が国の国情に即し婦人の特殊なる地位に応じてその向上と智能の啓発を期す。一、われらは団結の力により着実なる手段によりてあらゆる不合理なる婦人の隷属的地位の改革を期すを決めた。年末までに全国で30の地方支部を組織した。
第七回全国女教員大会
5月22日から25日、神戸市山手小学校講堂において、全国から女性教員が集まった。出席者835名、傍聴・来賓500余名で第七回全国女教員大会が開催された。初任給を男性と同等にするよう求め、また小学校女性教員の部分勤務制度の設置などを協議した。
以上