先輩たちのたたかい

東部労組大久保製壜支部出身
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野田醤油争議(その十) 評議会・労農党の総同盟本部批判 1927年の労働争議(読書メモ)

2023年11月08日 07時00分00秒 | 1927年の労働運動

野田醤油争議(その十) 評議会・労農党の総同盟本部批判 1927年の労働争議(読書メモ)
参照「協調会資料」
  『野田大労働争議』松岡駒吉

評議会・労農党の総同盟本部批判
 評議会・労農党は総同盟本部から野田醤油争議への直接の応援は最初から拒絶され続けた。しかし評議会・労農党は、カンパ活動、野田醤油争議応援演説会、亀甲萬(キッコーマン)ボイコットなど総力で応援した。以下は争議解決後の雑誌『労農』1928年6月号に載った評議会・労農党の総同盟本部批判である。

(雑誌『労農』1928年6月号より) 
 昨年九月十六日に戦端を開いてより二百十六日、さしもの野田大争議も、松岡氏一派の、官憲、資本家、協調会との妥協にてついに惨敗し、四月十九日、次の条件にて、解決された(解決条件略)。
 この条件は、いうまでもなく、七百四十五名の解雇を承認し、資本家の組合ぶっつぶしを甘受しているのだ。空前の長期間に亘ってよく死活の闘争を続けて来た争議団員が、かかる屈辱的解決案を、そのまま承認するはずはなかった。
 果然、二十日に開かれた争議解決対策委員会には、四時間に亘って激論が戰はれた。また同日開かれた争議団員総会においては「金は要らないから死ぬまで戰へ」「茂木の門前に餓死するまでやれ」の声高く、新に婦人大衆の闘争的決意すこぶる固く、解決案に対する不満は全団員満場一致の叫びであった。そこで、ことの意外に驚いた小岩井、松岡両氏は百方陳弁に努めて解決案の承認を懇請したので、 ようやく、解決案は多数決で可決され、争議団は直ちに悲壯、凄惨極まる解団式を行った。しかも二一日、 総同盟は大要次の如き声明書を発している (声明書略)。
 この声明書は遺憾なく総同盟幹部の階級的、裏切的態度を暴露している。第一に、この声明書は争議の結果、支配階級、資本家階級に教訓を興えたと称している。しかり、支配階級、資本階級は教訓を得た。だが、その教訓は、総同盟幹部の期待とは反対に「諸君の如き裏切的幹部が最もよき自己の味方であること、この挙に乗じてどしどし組合ブッツブシを強行しよう」という教訓なのだ。第二に、労働階級に教訓を興えたという。これまた正にしかりだ。が、その教訓は、野田労働者諸君の偉大なる闘争力が松岡氏一派のために完全に籠絡、蹂躙され、ついに最終の結果を獲得出来なかったということなのだ。換言すれば、この空前の大争議は、血なまぐさき六千人の争議団の貴重な経験を通じて、松岡氏一派が非階級的裏切者であることを最も赤裸々に白日の下に暴ろしたのだ。 したがってわれらは、全爭議団員と共に、あくまでも氏等の非違を糺弾すると共に、卒先陣容を整へて来るべき闘争に備えねばならぬ。失業者に職を興へろ! 組合を再組織せよ! 組合戰線を統一せよ! これこそはわれらの戦闘的標語だ。これこそが、資本の白熱的攻勢によって突き崩されたわが戰線をもりかえし右翼日和見主義と戦う最良の方法なのだ。



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