ボランタリー画廊   副題「げってん」・「ギャラリーNON] 

「げってん」はある画廊オーナとその画廊を往来した作家達のノンフィクション。「ギャラリーNON]は絵画を通して想いを発信。

げってん(その6)

2007年05月03日 | 随筆
眼鏡店の中の画廊は小品10点前後の飾りつけしかできないものであった。それでも、当初は月2回ペースの展覧会が催され、質も高いものとなった。
 彼の画廊記録は1965年開設の3年半後から始まっている。この頃から本気になっていったに違いない。
 当時の出品者を挙げさせていただくと、
 千原稔(国画会)、首藤末雄(新世紀)、谷川義和(独立)、安松恒男(新世紀)、福田安敏(県美)、原田靖雄(独立)、有働計紀(元新世紀)、木浦寛治(新制作)、永野一利、佐野正隆(主体美)、米田和美(春陽会)、陣内正司(独立)、正本嘉(新世紀)、石松辰彦(日本美)、木内廣(国画会)、森鉄蔵、船越達雄(新世紀)、中村茂(示現会)、島泉(示現会)、宮嶋千鶴子、寺田一男(県美)、米村光雄(主体美術)、木本重利(新世紀)、星野順一(第一美)、横尾御斗潞、安部福一・・・・。企業(新日鉄)の絵画グループ、美術教師仲間、県・市の美連、或いは地元出身で中央で活躍中の作家などなどの面々である。
 彼は画廊にますます力を注ぎ、好きになっていった。1971年3月彼は朝日新聞の取材に応じてこう言っている。
 「程度の高い作品を鑑賞してもらいたい」
 「思いつきや安易な作品展はお断り」
 「光安さんの画廊にレビューするにはまだまだ力不足」と地元画家のバロメーターになっているとも。
彼の作家に対する真からのアシストと作家達の情熱とがうまくかみ合って、この小さな画廊は地元に根を下ろし始めるのである。しかし、奉仕から成る画廊であるから収入など全く考えていない。むしろ出費のほうが多いことには変わりないのである。だがよくみると人の輪は大きく広がっている。


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