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katsuoと輸快な仲間たち

台湾と鉄道とバスと温泉が大好きな埼玉県民。音鉄をしたり何の変哲も無い切符を集めています

【艦これ】聖地巡礼のススメ 金剛の眠る海へ行こう!海路編 ~其の壱~ 夜の基隆港

2014年02月25日 | 【艦これ聖地巡礼】
金剛の沈んでいる海を巡る聖地巡礼の旅、海路編です

フェリーに乗って金剛の沈没地点のすぐ近くの海域を通る旅です。台湾の陸軍関連の史跡も観光しちゃいます

さて、今回我々を金剛の沈没地点のすぐ近くまで連れて行ってくれる船はこの「臺馬輪」という船です。いい船でしょう?ちょっと青函連絡船みたいな雰囲気がします

運航しているのは新華航業公司という会社です。ホームページはこちらです http://www.shinhwa.com.tw/index.php

本当の名前は「臺馬」なんですが運航会社の公式HPやその他サイトで「臺馬輪」と呼ばれることが多いのでこの記事でも臺馬輪と呼ぶことにします

実はこの船は日本で作られたものなんです。現在「臺馬輪」として活躍しているこの船は九州の臼杵造船所で「ニュー九州」として建造され、1985年3月に九四フェリーボートに引き渡された船です

1997年7月に台湾へ売却されて、フィンスタビライザーを取り付けるなどの改造をした後、「臺馬輪」として台北の北にある港街「基隆」と200キロほど離れた馬祖列島を結ぶ航路で活躍するようになりました

どうりで親近感の親近感の湧くスタイルをしている訳です。臺馬輪が台湾で活躍するまでの経緯は運航会社のHPにも書かれています



ここで臺馬輪のおおまかな航路を確認してみましょう。非常に大雑把な航路図ですがまあイメージということで大目に見てください

臺馬輪はちょっと変わったローテーションで基隆と馬祖列島を往復しています。まず1日目の夜に基隆港を出港、2日目の朝に馬祖に到着します

馬祖に到着したら手早く荷物を積んで1時間程度で基隆港に向けて出港します。そして2日目の夕方に基隆港に戻ってきます

そして数時間かけて出港する準備を整えた後、夜に馬祖に向けて出港します。このローテーションの繰り返しです

基隆港は台湾本島側の港で東引中柱港と南竿福澳港が馬祖列島の港です。1回のローテーションの中で基隆港と東引中柱港と南竿福澳港の3つの港を経由することになります

臺馬輪には「先馬後東航線」と「先東後馬航線」という2つの系統があります。「東」というのは東引中柱港のことで「馬」というのは南竿福澳港のことです

「先馬後東航線」は基隆を出港した後、赤い線を通って基隆→南竿→東引→基隆という順番で航海をします

「先東後馬航線」は基隆を出港した後、青い線を通って基隆→東引→南竿→基隆という順番で航海をする系統です

要するに南竿と東引のどっちを先に経由するかの違いなんですが「先馬後東航線」と「先東後馬航線」とでは当然目的地に着く時間が異なります



さて、この航路図を見ると金剛の沈没地点に近いのは青い線の方です

「先東後馬航線」だと青い線を先に通ります。しかし、沈没地点の近くを通過するのは深夜2時か3時くらいで辺りは真っ暗で何も見えません。これではあまり面白くありませんね

金剛に魚雷が命中したのが午前3時6分らしいのでそれに倣って甲板で潜水艦哨戒ごっこをするというマニアックな人がいるかもわかりませんけどね

そんなことしていたら自分たちの乗っている臺馬輪もシーライオンに撃沈されてしまいそうです。5時30分頃には海の藻屑となっているかもしれません

大多数の方は周囲がよく見える明るい時間帯に沈没地点の近くを通過したいはずです。シーライオンに撃沈されたいなんていう特殊な願望がある一部の人を除いてね

そりゃあまあシーライオンが艦これで実装されて蓋を開けてみればとてつもなくサディスティックな潜水艦で金剛を執拗に弄んで壊されていく様子を想像したらまあいいかもとか思っちゃうかもしれませんけどねうっへっへ

違う!これは何かの間違いだ!うわあああああ~

えっと、何の話でしたっけね。あ、思い出しましたよ。「先東後馬航線」だと夜間に青い線を通ってしまうので沈没地点付近を通過する時は真っ暗なので何も見えません

「先馬後東航線」であれば夜間に赤い線を通って日の出ている時間帯に青い線を通るので沈没地点付近を通過する時は明るいです

「先馬後東航線」と「先東後馬航線」のどちらでも陸から金剛の沈んでいる海を眺めるよりはるかに沈没地点に近いんですがより沈没地点の近くがいい!という人は「先馬後東航線」の日を選んで乗りましょう

「先馬後東航線」「先東後馬航線」のどちらで運行されるかは公式HPのトップページの下の方にある「△△△年◯月份【基隆-馬祖船期表】」というリンクをクリックすると確認することが出来ます

大抵は1日おきに系統が変わります。大体月が変わる1周間前くらいには発表されるようです。気を付けて欲しいのはそこに書かれている日付は基隆を出港する時点の日付だということです

例えば3月8日が「先東後馬航線」と書いてあったら8日夜に基隆を出港して9日夕方に再び戻ってくるまでが「先東後馬航線」です

9日に南竿から乗船しようと思って表を見た時に「乗るのは9日だから先馬後東航線だな」と勘違いする人がいるんです。そうです私のことですよ!

9日に南竿にやって来る船は前日の8日に基隆を出港した船なので「先東後馬航線」です。親切にも右上に「*表列日期為基隆港開航日」と注意書きがあったのに勘違いしてしまいました

前置きが少々長くなってしまいましたがそろそろ船に乗りに行きましょう。臺馬輪の予約方法やより詳細な情報は後日別の記事に書きます

乗船したのは2013年12月7日です。基隆を7日夜に出港して翌8日朝に南竿に到着。1泊して南竿を観光してから9日朝に南竿を出港する臺馬輪で基隆に戻るという行程にしました

往路復路共に「先東後馬航線」の系統でした。旅の始まりは陸路編と同じく台北駅です

台北駅から基隆に向かう方法はいくつかありますが私はあまのじゃくなので台鐵には乗らずに國光客運の1813系統で基隆に向かいました

16時30分頃に基隆駅付近のバス停に到着。臺馬輪の乗船場所は基隆駅から北に250mほど歩いたところにあります



この建物の2階に待合室と乗船券売り場があります。ところでこの建物、なんか見覚えあるなという人もいるんじゃないでしょうか?



この光景を見ればその道の人はもうピンと来るかもしれません。船で日本から遠路はるばる運ばれて来た重くて細長い積み荷を陸に降ろす場所です。その積み荷を降ろす時は台湾や日本の人たちで賑わいます

普悠瑪号ことTEMU2000など日本で製造した鉄道車両を船から降ろすあの場所ですよ。手前のぽっかり空いたスペースに臺馬輪がやって来ます。ちなみに後方の客船は台湾とマカオを結ぶ中遠之星という船です

まだ臺馬輪は到着していないようですがとりあえず待合室の様子を見に行ってみましょう。待合室へ通じる通路の入口は先ほどの建物の左側の隅にあります



入口のすぐ先にあるエスカレーターで2階に上がってしばらく進むと「購票處」と書かれた青い看板が置いてあります。ここが待合室です

通路の壁には昔の基隆港の写真が飾ってありました。なかには鉄道ファンが喜びそうな古い写真もありましたよ



さて、待合室に入ってみると見事に誰もいませんでした。来るのが少し早過ぎたようですね。港周辺をぶらぶらして時間を潰します

基隆駅のロータリーに面したステーキ屋を見つけたので少し早めの夕食にしました

中国語が全く出来ないので店員とのやり取りで冷や汗をかきましたがイケメンでなかなか面白い人でしたね

肝心のステーキは味付けが薄くて残念でしたがあの陽気な店員さんのおかげでさほど気持ちは落ち込みませんでした

その店はステーキを注文するとサラダやデザートといくつかの料理が食べ放題という店だったのでステーキを食べ終わった後も甘い物をのんびり食べ続けてついつい長居をしてしまいました

味は値段相応でしたがたまにはこういう店も楽しくていいですね。食べている間に辺りがどんどん暗くなっていって店を出る頃には真っ暗になりました

そろそろ臺馬輪が着いたかなと思って先ほどの場所に戻りましたがまだ着いてませんでした。しばらくすると少しずつ人が集まって来ました。臺馬輪から降りてくる人を迎えに来たんでしょうね



やがて遠くに少しずつこちらに向かって近付いて来る船が見えました。臺馬輪とのご対面です。やっほー九州生まれの大和撫子ちゃん。日本人が乗りに来たよーよろしくねー







接岸してしばらくすると船尾のランプウェイが少しずつ開いていきます。完全に開いて柵が置かれると馬祖からの乗客がどっと降りて来ます

続いてトラックが出てきましたが思ったより数が少なくすぐに出入りが終わってしまいました。船から降りた乗客の中にはチラホラ迷彩柄の軍服を着た人がいます

軍の車両と思われる小さなトラックに乗ってどこかに消えていきました。馬祖は中国大陸の目と鼻の先にある「最前線」であることを実感させられます

さて、臺馬輪も着いたことですしそろそろ待合室も開いていることでしょう

其の壱「夜の基隆港」はここまで。其の弐「臺馬輪のファーストクラス」に続きます

それではよい旅を!祝您旅途愉快!


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