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自遊人の時間


毎日ブログを書くのもしんどいし、気が向いた時だけ書くことにしよう!

幼い孫1人に大人が5人が付き添って

2007年08月16日 | 家族

1歳半過ぎの孫の水遊びに大の大人が5人も付き添った。
孫がこの夏はじめて水遊びを経験した。
すでにプールと海での水遊びを経験し、この度は川での水遊びを経験した。

我が家から車で約15分くらい走ったところにあるキャンプ場へ行く。
ここは何度か愛犬を連れて来て泳がせたことのある場所だ。
砂地で割合水の流れも緩やかな場所なので安心出来る。

孫が水の中に入るのが大好きなのは両親の影響が大きい。
我が子の喜ぶ顔を見たいのもあるだろうが、自分らが泳ぎたいから行くのだ。
親子が水の中で戯れている光景はいいものだ。

我らにもそんなことがあったな、と遥か昔のことを一瞬想い出しながら、
泳ぐこともせず親子の姿をビデオに撮り続けた。

あらゆるものに関心を持つ

2007年08月01日 | 家族

久しぶりに1歳半の孫が我が家にやって来た。
自分の手の届く範囲のあらゆるものに関心を持つ。
「危ない」ということが分からない歳ごろなので、
周りの大人たちが常に気をつけていないといけない。
一瞬たりとも目が離せられないので、常に孫の後を付いて行く。

以前と変わらない関心事は電子レンジやテレビ・ビデオレコーダーなど。
電子レンジの扉を開けては色々な物を入れ、扉を閉めてボタンを押す。
テレビの電源ボタンを入れたり切ったり。リモコンをカチカチ。
ビデオレコーダーのテープ挿入口に手を入れたり出したり。

流し台の下の扉を開けては目に付く物を引っ張り出す。
そして鍋などを出しては蓋と合わせてガチャガチャ。

今回新たに電話機が目に付いた。
早速ピ、ピ、ピ、ピとボタンを押して受話器を取り耳に当てる。
ツー、ツー、ツーという音ばかりで人の声は聞こえない。
「受話器を置いて」と言うと素直に置くが、また同じことを繰り返す。

孫が来る前にちょっと山登りをして来たせいもあり、
疲れて私は何時の間にかソファに横になり眠ってしまった。
孫が何時どこで寝たのか知らないが、孫の寝起きの泣き声で目が覚めた。

「バカをしたものよ!」

2007年06月21日 | 家族

入院している兄の病室へちょっと顔を出した。
ノックして入ると、目を閉じて寝ていたのか、ノックの音で目を覚ました。
ベッドの脇に腰を下ろし右手を軽く握った。
兄も軽く握り返してきた。
痛みがあり相変わらず夜中眠れないと言う。
抗がん剤もシンドイが、毎日の放射線照射もシンドイらしい。

アイスは欲しくないかと問うと、食べてみようと言うので売店まで買いに行く。
一緒にアイスを食べていると、兄がフト「バカをしたものよ!」と苦笑いしながら言う。
何の事か真意は分からないが、私はただ笑ってそれに答えた。
「バカをした」が何の事を言っているのか、あえて聞こうとしなかった。

眠れない夜、長い長い昼間、ベッドの上で色々に考えるのであろう。
今までの自分の人生を振り返っての事かも知れない。
身体が弱ってくれば自ずから気持も萎えてくる。
しかし、今までの人生を決して否定してはならない。

食道がんの兄を見舞いに行く

2007年06月17日 | 家族
私には約3歳上の兄がいる。二人兄弟だ。
その兄が昨年1月食道がんと診断された。
放射線治療でがんが消滅したらしいが、今年の3月に再発した。
今月4日から放射線・抗がん剤治療のために入院している。
見舞いに来るのなら落ち着いてから来て欲しいとの事だったので、入院後初めて行ってきた。
毎週月曜日に抗がん剤投与をし、月曜から金曜日毎日放射線照射するとの事。

兄は若い時からお酒やタバコを飲み続けていた。
お酒やタバコを飲む人が食道がんに罹り易いらしいが、
もう後の祭りで、若い時は思いもしなかった事だと思う。
タバコについては身体に悪いからともう何十年も前から周りの者が言っていたが、
それに耳を貸すことも無く自分で自分の身体をダメにしてしまった。

インターネットなどで調べてみると、食道がんを治すのは容易ではなさそうだ。
昨年医者から食道がんと言われて自分でも色々調べているらしく、
兄は希望的観測は持っていない様子だ。
ネバーギブアップの気持にさせるのは容易な事ではない。

母親88歳の誕生日を祝う

2007年03月26日 | 家族
昨日、母親が元気に88歳の誕生日を迎えた。
兄夫婦のところに集まりささやかに誕生日を祝った。

誕生祝いを兼ねて、本人の希望で広島県福山鞆の浦へ連れて行く予定にしていたが、
足の裏がちょっと痛いので止めると急に言い出して中止した。

食べたい物は別にないと言うし、最近は少食になっている。
レストランに行っても本人はほとんど食べず、祝う方の者ばかりが食べることになるので、
わざわざレストランなどに行って食べることもないと勝手に判断した。
祝いのケーキを用意し、みんなで雑談をしながらのコーヒータイムとした。

特別身体のどこが悪いというところは無く、病気でお医者さんへ行くことも無い様子。
しかし、当然のことではあるが全体的に衰えてきている事は間違いない。
特に、脳の一部の機能の衰えが最近目立ってきた感じがする。
こればかりはもはやどうしようも無い。
今後1年1年が変わってくると思うが、緩やかな変化であって欲しいと願う。

老いは見守るより仕方ないか

2007年03月19日 | 家族
ちょっとした用事があって母親を訪ねた。
最近いつも感じる事だが、母親と話がかみ合わない事が多くなった。
それをどのように的確に表現すればいいか分からないが、
私の話している言葉が、母親の頭の中をすり抜けていく感じ。
そして、時の流れが順序だっていない感じがする。
歳相応に脳のある部分の萎縮が進行しているのかも知れない。

母親と話をしたのは30分にも満たないわずかな時間にもかかわらず、
その間に2度も「今日は何の用事で来たんだったかいね」と聞く。
わずかな時間の間に同じ話を繰り返しする事はもう大分前からだが、
話すことも聞くことも次第に空回りしている感じ。

全てが老いからくるものであろうから、素直に老いを認め、受け入れなければならない。
しかし、何やら腹立たしい、情けない、物悲しい、哀れな気持ちが交錯して、
私の心の中は非常に複雑なものがある。

母親の希望を叶えてあげたいが

2007年03月10日 | 家族
母親から久しぶりに電話がかかってきた。
「墓参りもしたいし、昼ごはんを一緒に食べよう」と言ってきたので、
「じゃ、いつもの場所で10時に待ってて」と言って電話を切った。

いつもの場所に10時5分前に行くと既に待っていた。
私もそうだが、母も予定より早目早目に待っていることが多い。
一緒に墓参りを済ませ、昼ごはんの話になるがなかなか決まらない。
なにしろ別に食べたい物がないと言うのだから難しい。
色々迷った末にファミリーレストランで食べる事にした。

食べながらの話で「湯布院温泉へ行きたい。折角行くのなら4、5日居りたい」と言う。
私が「湯布院温泉は1泊3、4万円くらいするよ」と心配して言うと、
「構わんよ。ヘンな処に泊まりたくないから」と平然と言う。
それなら付いて行こうか、という話になったがちょっと様子見。

今までは旅の話になると、話が2転3転する。
湯布院へ行きたいという話しは今までも何度か出てきたが、
その間には那智・勝浦や日光、東京、京都などの話も出てきた。
母の頭の中の様子がさっぱり分からないので困惑する。

これからが夫婦の正念場

2007年03月09日 | 家族
妻と結婚して1年後に長女が生れた。
その後私の母がやって来て同居をする。
それから次女が誕生し、家族が5人になった。
11年前には愛犬ベスが加わり5人と1匹。
これが我が家のピーク時代。

8年前、母が兄夫婦のところへ移って行った。
4年前、次女が結婚して家を出て行った。
8ヶ月前、愛犬ベスが亡くなった。
そして今月、長女が1人暮らしをすると言って家を出て行った。
家の中に残ったのは私と妻の二人だけ。

この30年間、ほんの一時だけの二人の時間はあったが、
これからの本格的な二人だけの生活は初体験のようなもの。
私ら夫婦は二人共口数が少ないので、家の中はいつも森閑としている。

妻は今まで自分から喋らなくても、母や娘や犬が話し相手になっていたが、
これからは無口な私を相手だから相当に戸惑いがありそうだ。
事の成り行き次第では夫婦の危機が出てくるかも知れないが、
これからが我ら夫婦の正念場になりそうだ。

僕は男の子だ

2007年02月20日 | 家族

久しぶりに孫が我が家にやって来た。

雛人形を見せてやろうと雛人形の前に連れて行ったが、

「僕は男の子だから興味がない」とばかりほとんど関心を示さなかった。

興味深々で人形に触れ、投げ付けられても困るのでホッとはしたが。

孫一家が雛人形の前で記念撮影をした。


孫が住んでいるところはマンションなので家の中に階段が無い。

前回来た時には我が家の階段を上がれなかったが、今回は階段を上がって2階まで行った。

まだ下りることは出来ないが、ひょっとしたら次は下りれるかも知れない。


親離れ子離れ

2007年02月19日 | 家族

何時頃から考えていたのか知らないが、上の娘が今度1人暮らしをするとの事。
昨日、住むマンションを決めてきたと言う。
概略話を聞いてみると、部屋は綺麗らしいが狭いようだ。
高い部屋代を払って物好きなものだと思ったが、多少の便利さを求めたのかも知れない。

遅かれ早かれ子供は親元から離れていくものだし、離れるべきだと思っている。
今回、結婚のため離れていくのが望ましかったが、こればかりは仕方がない。
多少の淋しさはあるが、娘もほどほどの歳だから自立した生活をするのもいいだろう。
娘も親離れしなければならないし、私ら夫婦も子離れしなければならない。

1人暮らしが自由快適で、もう少し早くすれば良かった、と娘は思うかも知れない。
私ら夫婦の少なからず監視もなくなり、また誰に遠慮をすることもなくなり、
生活が乱れなければ、と要らぬ親の心配が出てくる。