四国八十八箇所お遍路の旅。思い立ったら吉日。4月からお遍路をはじめる!と自分に誓ったので4月中にはどうしてもお詣りをスタートさせようと決めていた。
自分の誓いは神仏への約束。特に神仏への誓いは、何があっても守らないといけないと思っている。主人もお遍路は周りたいと言ってたので、前日に明日から始めようと話して、何も持たずに一番札所へ車を走らせた。一番札所までピュッ〜っと行けるので四国って良いところだとつくづく思う。突然、スタートしようと決めたけど、スタートのみ決めて、何も考えず何とかなると、何も持たず、何も調べず徳島に向かった。
高知から一番札所の霊山寺まで約2時間半。全国の神社を思い立ったら車で巡礼しているので、感覚的には遠くない。
霊山寺の売店で、すげ笠に袈裟、白衣に金剛杖、山谷袋に奉納帳などなど一式購入し、お数珠は以前プレゼントされたものを持って先ずはかたちからスタートした。自分で言うのもなんだけどなかなか様になっていた。笑
ご本尊 釈迦如来
ご真言 のうまく さんまんだ ぼだなん ばく
御詠歌 霊山の釈迦のみ前にめぐりきて よろずの罪も消え失せにけり
人間生きてきた以上、悪い事を全くしてない人もいないと思う。釈迦の御前で誓って今日よろずの罪が消え失せるとしたら、今後小さな罪も作らないように気をつけたら良い。そうやって生きたとしたら、あの世にはピカピカの御魂を持っていけるかもしれない。
霊山寺の寺伝によれば奈良時代、天平年間(729年 - 749年)に聖武天皇の勅願により、行基によって開創された。
弘仁6年(815年)に空海(弘法大師)がここを訪れ、21日間(三七日)留まって修行したという。その際、天竺(インド)の霊鷲山で釈迦が仏法を説いている姿に似た様子を感得し天竺の霊山である霊鷲山を日本、すなわち和の国に移すとの意味から竺和山霊山寺と名付け、持仏の釈迦如来を納め霊場開創祈願をしたという。
寺伝その他の言い伝えでは空海が弘仁6年(815年)に四国霊場を開き、札所と札所番号を定めたことになっているが、これは史実ではない。四国は奈良時代から山岳信仰(後の修験道)の修行地で、空海も唐に渡る前には私度僧として修行のために故郷でもある四国で修行をしたが、唐から戻って後、特定の八十八箇寺を札所として定めたことはなく、後の人々が空海ゆかりの寺々を霊場に定めたものと推定される。
以上 Wikipediaより
本堂のすぐそばに十三仏の像があった。不動明王様が一番手前にお祀りされていたのだけれどお顔が優しくて怖くないと思ってしまった。亡くなったあと四十九日の間、こんな優しいお顔のお不動様に導いてもらえたら有難い。
その横に並ぶ菩薩様や如来様や観音様に、いよいよ私もお遍路をはじめますとご挨拶をさせて頂いた。
神道と仏教を私の中では全く別とは捉えてなくて、神社が元々好きだけど、寺も凄く良くて、空海さんを感じる巡礼がスタートできて、とても嬉しいなと思った。