比叡山のお詣りを終え、二日目は、大阪に泊まりました。宿から近かったこともあり、歩いて四天王寺に向かいました。
HPの紹介によれば、
四天王寺は、推古天皇元年(593)に建立されました。今から1400年以上も前のことです。
『日本書紀』の伝えるところでは、物部守屋と蘇我馬子の合戦の折り、崇仏派の蘇我氏についた聖徳太子が形勢の不利を打開するために、自ら四天王像を彫りもし、この戦いに勝利したら、四天王を安置する寺院を建立しこの世の全ての人々を救済する」と誓願され、勝利の後その誓いを果すために、建立されました。
四天王寺は、大阪に来る度、何度も近くを通った気がしますが、寄ったことはなかったです。お詣りはいつも神社ばかりでしたから。。
お寺も良いですね。
どの宗教にも属してなくて、お遍路を始めてから、寺巡りをはじめたですが、人々が信仰して祈りを捧げてきた地は、素晴らしく思います。
小さい頃から、家には神棚と仏壇がありました。
今も神棚に朝一番ご挨拶し、そして仏壇にて先祖を祀ります。
そして、子供の頃は近くの日曜学校に通っていたという、外国ではあり得ないような日本人ならではの宗教観をもつ人生を歩んできました。
今は、宗教の枠を超え、万物を生み出した目にみえない大いなる神を心から信じています。
四天王にこの世の全ての人々を救いたいと誓願され、1400年前、聖徳太子によって平和な国づくりの為建立さた日本仏法最初の官寺が四天王寺です。
こちらが、聖徳太子を祀る聖霊院です。
文殊菩薩様です。
牛王尊も祀られています。
弁財天様です。
六時礼拝堂です。周辺には亀の池があり、沢山の亀がいました。
中心伽藍です。
300円で中に入れるので、中心伽藍に入りました。
中心伽藍は、地図上で
真南から真北まで一直線上に線を引くと、南から南大門、中門、五重塔、金堂、講堂が一直線に並んでいるようです。
金堂と五重塔の間の通路、丁度真ん中に、この石碑がありました。
十字の真ん中、中心。
こちらに龍の井戸があり、青龍さんの絵が天井に描かれてました。
東西南北は、玄武、蒼龍、朱雀、白虎が護っているといわれていますよね。
四天王寺は東西南北に門があります。
このように護っているのかもしれませんね。
「東南西北」は、五行説における春夏秋冬に対応しているといわれています。
画像はお借りしました。
五行思想とは、古代中国で生まれた世界観で、木火土金水という「五元素」の循環がこの世界を成すという考え方です。
この思想は、今から1600年ほど前の古墳時代に、日本にもたらされ、仏教や神道、聖徳太子の冠位十二階制度などもこの五行思想の影響を受けているとされています。
聖徳太子もこの思想を持って、四天王寺を建立したのかもしれません。
人間の身体にも五臓があります。
漢方などは陰陽五行の考え方を取り入れていますよね。
以前患った病などは、まさに身体の中で主要な水の循環がなされなくなり、火と水のバランスが崩れたことにより起こったと思ってます。
人の身体は小宇宙。
陰陽五行で使われる色も、神社仏閣でよくみます。その色は、全ての人間の身体にあるチャクラの色と関係があるのかもしれません。
小宇宙の身体を頂き、生まれ難きを生まれてきたのだから、その色を輝かせたいものです。
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話がそれていましました😅
こちらは阿弥陀様を祀っています。
空海さんが祀られていました。
空海さんが祀られていました。
こちら、四国八十八箇所番外霊場札所のようです。
神社を出ると托鉢をしているお坊さんがいて、この時代に凄いなと思いました。
見向きされないかもしれないところに自らを置き、こうやって手を合わせながら行き交う人々の幸せを祈り、お経を唱えながら立つ姿は美しいと思いました。
有難うございます。