平成26年5月9日(金)
朝食前、ホテルの付近を散歩する。工場・倉庫街とあって雰囲気は良くない。
何故このような場所のホテルを選んだのか、折角のツアーの印象をマイナスにしてしまう。
*
今日の最初の訪問地は、バスで30分ほどの世界遺産登録地でもあるトロギールへ。
紀元前 3世紀にできたギリシャ人植民都市が町の始まりという。
11世紀には司教地区ができ、ハンガリー王の支配下に入るが、自治権を持つ都市として繁栄したという。
その後は 1420年から1797年までベネチア、19世紀にはハプスブルグ家に支配された。
島ではあるが、陸地と橋で繋がっており、周囲は城壁で囲まれている。
中世そのままの旧市街は世界遺産に登録されており、市庁舎や時計塔、数々の教会があるが、最大の見どころ
は聖ロヴロ大聖堂。扉に彫られたアダムとイブの像は、クロアチアの宗教美術の代表作といわれているそうだ。
*
バスは島の手前にある駐車場に止まる。そこから橋を渡って島に入り、待ち受けていたガイドさんの案内で歩
くことになる。午前中早い時間でも大変な混雑だ。
下の画像左は駐車場から見たトロギール、右は北門。
*

*
橋を渡ると北門がある。門を潜ると突然中世の時代に紛れ込んだような雰囲気の街並となる。
*

*

*
この北門の先にあるのが『トロギール博物館』。
先史時代から近代までのトロギールに関する展示品を集めているという。建物の1階ではギリシャ時代の城壁の
跡がある。
博物館の前の道を東へ進むと『イヴァン・パヴォア・ドゥルギ広場』に出る。ここが観光の中心地で『聖ロヴロ
大聖堂』、『市庁舎』、『時計塔』などがある。
*

*
聖ロヴロ大聖堂
トロギールを代表する建築物。建築が始まったのは13世紀初頭だが、完成したのは17世紀になってからという。
そのため教会内には様々な建築様式が組合わされている。
鐘楼の窓を見ると各階層毎に異なる様式になつているのが分かるようだ。
*
広場から南に進むと南門があり、門を出て東にはチオヴォ島とを結ぶ橋があり、西はカメルレンゴの砦へと通じ
ている。
棕櫚の並木が海岸沿いにあり、並木に並ぶように屋台が出ている。既に多くの観光客が来ており、真夏のような
太陽の日差しを受けて、南の國にいる感じだ。
*

*
ガイドさんがこの通りにある地図で街のポイントを説明し、自由時間となる。
小生は海岸通を西に進んでカメルンレンゴの砦に向うことにする。
*

*
強い日差しの中『ドミニコ会修道院』の前から、停泊中の船舶が並ぶ海岸通を砦へと歩く。
『カメルンレンゴの砦』は、15世紀にベネチア人によってそれまであった塔を改築したものという。
1420年に始まるベネチアのダルマチア支配に対して、トロギール市民はしばしば反乱を起こしており、ベネチア
人にとってこの砦は外敵だけではなく、市民から身を守ることも目的とされていたとのことだ
*

*
その後裏通りを歩いて古き時代の街並を見ながら集合場所へと戻りましたが、暑さにたまらずアイスクリームで
喉を潤しました。
*

*
トロギール TROGIR 面積 : 39.10?、人口 : 13,322人
トロギールは 2300年に亘って続く植民都市としての伝統で人々を魅了してきた。
豊かな文化は古代ギリシャ、古代ローマ、ベネチア共和国の影響から生み出されたものである。
トロギールには小さな島の中に宮殿、教会、塔が多数、そして要塞もある。
トロギールには、アドリア海沿岸のみならず中欧でももっとも保存状態のよいロマネスク=ゴシック建築群
がある。
中世から続くトロギールの中心部は城壁で囲まれ、城、塔、住居、宮殿など、ロマネスクからゴシックルネ
サンス、バロックといったさまざまな時代の建物が保存されている。
トロギール最大の建物は聖ラウレンティウス教会で、その西正門はラドヴァンによる傑作であり、同時にク
ロアチア国内でもっとも顕著なロマネスク=ゴシック様式の作品である。 【ウィキペディア】より
*
バスは宿泊したスプリットへと戻り、改めて古代要塞都市の市内観光をすることになりました。
スプリットの街へ入ると、露店で帽子を売る店が目立ちました。また地元の子供達の遠足でしょうか、先生
に引率されたグループもありました。
*

*
我々は海岸通にある案内図の前でガイドさんから街の概要について説明を受け、宮殿の地下から観光することに
なりました。
*

*
スプリットは、アドリア海沿岸の中心都市で、クロアチア第2の都市。
293年にディオクレティヌス帝が神殿を建てたところの近くにあった主要都市サロナが異民族の侵入により放棄
され、市民が宮殿の周囲に移住してきたのが町の始まりだったとのことだ。
12~14世紀には自由都市として繁栄し、その後ベネチアの支配下に入ったという。
*
ディオクレティアヌス宮殿 : Dioklecijanova pala�a
3世紀末から 4世紀初頭にかけてディオクレティアヌス帝によって建てられたものである。
旧市街と同化しており、宮殿の一部は民家やカフェになっている。
*
海岸通にある南の門から入るとショップがあり、その先に地下が続いています。
*

*
宮殿の地下

*
ディオクレティアヌス宮殿の南半分は皇帝の私邸として使われていましたが、その地下には巨大な空間が広がっ
ています。建築上の地下室の役割は宮殿の上部を支えることで、そのため地下と地上階は同じ造りになっている
という。
つまり宮殿の本来のプランが、地下を見ることによって分かるようになっているという訳だ。
中世になると、倉庫として使われたり、ワインやオリーブオイル造りなどににも使われたが、都市化が進むにつ
れて、ゴミ捨て場として使われるようになったという。
地下室にはディオクレティアヌス帝の胸像や、中世に使われた圧搾機が置かれているほか、歴史を紹介したパネ
ルなどが置かれているが、展示品数はあまり多くない。
*
現在は花の展示会が催され、華やかな雰囲気に溢れており、見学する人も多い。
*

*
大聖堂
ロマネスク様式の聖ドムニウス大聖堂。元々ディオクレティアヌス帝の霊廟として建てられたが、後にキリスト
教の教会として利用されるようになったという。
*

*
ジュピター神殿
洗礼室となっているジュピター神殿。天井部分は美しい文様の彫刻が施されており、中央に置かれている洗礼盤
には、中世クロアチア王国の国王(クルシェミル4世、もしくはズヴォニミル)が彫られている。
入って正面には、イヴァン・メシュトロヴィッチ作の洗礼者ヨハネの像が置かれている。
*
前 庭
青銅の門から北へ向かうと、まず地下を通り,その後円形の形をした広間に抜けます。
この広間が前庭で、皇帝の私邸の玄関の役割をしていた場所。現在は天井に穴が開いていますが、かってはモザ
イクで装飾されたドームで覆われ壁の所々に開けられた窪みには彫像が置かれていたという。
ここでは男声合唱のクラバ(アカペラのコーラス)が行われていました。
その階段下の隅ではギター演奏をしている人がいて “ アルハンブラの思い出 ” を演奏していました。
ふと上空を見上げると、パラグライダーで空から見物している人を見かけました。
*

*
青空市場
ディオクレティアヌス宮殿の東側にある青空市場。銀の門を出て南東に行くとある。早朝からオープンし、昼前
には閉店となるとのこと。品揃えは豊富、野菜・花が中心で、見応えたっぷり。
*

*
また、金の門を出たところに巨大なグルグール・ニンスキーの像があり、左足の親指に触れると幸運が訪れると
いわれており、その部分がピカピカになっている。皆さんも早速触れている。
*

*
遅くなった昼食は、アドリア海に面したレストラン『グサール』で。
渇いた喉には生ビールが何より、それにアドリア海の海の幸、イカのグリルが美味しかった。
*

*
レストランの前にはアドリア海が広がり、ロケーションもいうことはありませんでした。
*

*
食後、今日の宿があるドゥブロヴニクへと向かいました。距離約 227km、約 4時間半のバスの旅です。
車窓右手にはアドリア海が見えつ隠れつして目を楽しませてくれます。
途中、トイレ休憩したG .S .は3Knのチップが必要でした。
*

*
スプリットからドゥブロヴニクへ行くにはボスニア・ヘルツェゴヴィナのネウムを通過することになる。
つまり、ドゥプロヴニクはクロアチアの飛び地ということになるとは知らなかった。
ここネウムのS.A.でトイレ休憩した際には、近くにあるスーパーでショッピング・タイムとなる。
*

*
ボスニア・ヘルツェゴヴィナ 人口 : 388万人、面積 : 51,129 ㎢
長い間オスマン朝の支配下にあったためトルコの文化的影響が強く、東西の要素が交じり合う魅力にあふれる國。
20世紀末の戦争の悲劇を乗り越え、新たな道を歩み始めている。
*
ようやく19時近くになってドゥブロヴニク・スラノ地区にあるグランドホテル・アドミラルに到着。
デラックスホテルなので、アドリア海に面した部屋は設備など申し分なし。
夕食はバイキングスタイルで、品数も豊富でした。
*

*

*
8.10.ホテル(バス) → 8.40. トロギール 10.30. → 11.10. スプリット 13.00. → 13.15. 昼食 グサール 14.35. →
15.35. G.S. 15.50. → 17.35. S.A. … 17.45. スーパー 18.15. → 18.50.グランドホテル アドミラル 115号室 泊
朝食前、ホテルの付近を散歩する。工場・倉庫街とあって雰囲気は良くない。
何故このような場所のホテルを選んだのか、折角のツアーの印象をマイナスにしてしまう。
*
今日の最初の訪問地は、バスで30分ほどの世界遺産登録地でもあるトロギールへ。
紀元前 3世紀にできたギリシャ人植民都市が町の始まりという。
11世紀には司教地区ができ、ハンガリー王の支配下に入るが、自治権を持つ都市として繁栄したという。
その後は 1420年から1797年までベネチア、19世紀にはハプスブルグ家に支配された。
島ではあるが、陸地と橋で繋がっており、周囲は城壁で囲まれている。
中世そのままの旧市街は世界遺産に登録されており、市庁舎や時計塔、数々の教会があるが、最大の見どころ
は聖ロヴロ大聖堂。扉に彫られたアダムとイブの像は、クロアチアの宗教美術の代表作といわれているそうだ。
*
バスは島の手前にある駐車場に止まる。そこから橋を渡って島に入り、待ち受けていたガイドさんの案内で歩
くことになる。午前中早い時間でも大変な混雑だ。
下の画像左は駐車場から見たトロギール、右は北門。
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橋を渡ると北門がある。門を潜ると突然中世の時代に紛れ込んだような雰囲気の街並となる。
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この北門の先にあるのが『トロギール博物館』。
先史時代から近代までのトロギールに関する展示品を集めているという。建物の1階ではギリシャ時代の城壁の
跡がある。
博物館の前の道を東へ進むと『イヴァン・パヴォア・ドゥルギ広場』に出る。ここが観光の中心地で『聖ロヴロ
大聖堂』、『市庁舎』、『時計塔』などがある。
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聖ロヴロ大聖堂
トロギールを代表する建築物。建築が始まったのは13世紀初頭だが、完成したのは17世紀になってからという。
そのため教会内には様々な建築様式が組合わされている。
鐘楼の窓を見ると各階層毎に異なる様式になつているのが分かるようだ。
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広場から南に進むと南門があり、門を出て東にはチオヴォ島とを結ぶ橋があり、西はカメルレンゴの砦へと通じ
ている。
棕櫚の並木が海岸沿いにあり、並木に並ぶように屋台が出ている。既に多くの観光客が来ており、真夏のような
太陽の日差しを受けて、南の國にいる感じだ。
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ガイドさんがこの通りにある地図で街のポイントを説明し、自由時間となる。
小生は海岸通を西に進んでカメルンレンゴの砦に向うことにする。
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強い日差しの中『ドミニコ会修道院』の前から、停泊中の船舶が並ぶ海岸通を砦へと歩く。
『カメルンレンゴの砦』は、15世紀にベネチア人によってそれまであった塔を改築したものという。
1420年に始まるベネチアのダルマチア支配に対して、トロギール市民はしばしば反乱を起こしており、ベネチア
人にとってこの砦は外敵だけではなく、市民から身を守ることも目的とされていたとのことだ
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その後裏通りを歩いて古き時代の街並を見ながら集合場所へと戻りましたが、暑さにたまらずアイスクリームで
喉を潤しました。
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トロギール TROGIR 面積 : 39.10?、人口 : 13,322人
トロギールは 2300年に亘って続く植民都市としての伝統で人々を魅了してきた。
豊かな文化は古代ギリシャ、古代ローマ、ベネチア共和国の影響から生み出されたものである。
トロギールには小さな島の中に宮殿、教会、塔が多数、そして要塞もある。
トロギールには、アドリア海沿岸のみならず中欧でももっとも保存状態のよいロマネスク=ゴシック建築群
がある。
中世から続くトロギールの中心部は城壁で囲まれ、城、塔、住居、宮殿など、ロマネスクからゴシックルネ
サンス、バロックといったさまざまな時代の建物が保存されている。
トロギール最大の建物は聖ラウレンティウス教会で、その西正門はラドヴァンによる傑作であり、同時にク
ロアチア国内でもっとも顕著なロマネスク=ゴシック様式の作品である。 【ウィキペディア】より
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バスは宿泊したスプリットへと戻り、改めて古代要塞都市の市内観光をすることになりました。
スプリットの街へ入ると、露店で帽子を売る店が目立ちました。また地元の子供達の遠足でしょうか、先生
に引率されたグループもありました。
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我々は海岸通にある案内図の前でガイドさんから街の概要について説明を受け、宮殿の地下から観光することに
なりました。
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スプリットは、アドリア海沿岸の中心都市で、クロアチア第2の都市。
293年にディオクレティヌス帝が神殿を建てたところの近くにあった主要都市サロナが異民族の侵入により放棄
され、市民が宮殿の周囲に移住してきたのが町の始まりだったとのことだ。
12~14世紀には自由都市として繁栄し、その後ベネチアの支配下に入ったという。
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ディオクレティアヌス宮殿 : Dioklecijanova pala�a
3世紀末から 4世紀初頭にかけてディオクレティアヌス帝によって建てられたものである。
旧市街と同化しており、宮殿の一部は民家やカフェになっている。
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海岸通にある南の門から入るとショップがあり、その先に地下が続いています。
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宮殿の地下


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ディオクレティアヌス宮殿の南半分は皇帝の私邸として使われていましたが、その地下には巨大な空間が広がっ
ています。建築上の地下室の役割は宮殿の上部を支えることで、そのため地下と地上階は同じ造りになっている
という。
つまり宮殿の本来のプランが、地下を見ることによって分かるようになっているという訳だ。
中世になると、倉庫として使われたり、ワインやオリーブオイル造りなどににも使われたが、都市化が進むにつ
れて、ゴミ捨て場として使われるようになったという。
地下室にはディオクレティアヌス帝の胸像や、中世に使われた圧搾機が置かれているほか、歴史を紹介したパネ
ルなどが置かれているが、展示品数はあまり多くない。
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現在は花の展示会が催され、華やかな雰囲気に溢れており、見学する人も多い。
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大聖堂
ロマネスク様式の聖ドムニウス大聖堂。元々ディオクレティアヌス帝の霊廟として建てられたが、後にキリスト
教の教会として利用されるようになったという。
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ジュピター神殿
洗礼室となっているジュピター神殿。天井部分は美しい文様の彫刻が施されており、中央に置かれている洗礼盤
には、中世クロアチア王国の国王(クルシェミル4世、もしくはズヴォニミル)が彫られている。
入って正面には、イヴァン・メシュトロヴィッチ作の洗礼者ヨハネの像が置かれている。
*
前 庭
青銅の門から北へ向かうと、まず地下を通り,その後円形の形をした広間に抜けます。
この広間が前庭で、皇帝の私邸の玄関の役割をしていた場所。現在は天井に穴が開いていますが、かってはモザ
イクで装飾されたドームで覆われ壁の所々に開けられた窪みには彫像が置かれていたという。
ここでは男声合唱のクラバ(アカペラのコーラス)が行われていました。
その階段下の隅ではギター演奏をしている人がいて “ アルハンブラの思い出 ” を演奏していました。
ふと上空を見上げると、パラグライダーで空から見物している人を見かけました。
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青空市場
ディオクレティアヌス宮殿の東側にある青空市場。銀の門を出て南東に行くとある。早朝からオープンし、昼前
には閉店となるとのこと。品揃えは豊富、野菜・花が中心で、見応えたっぷり。
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また、金の門を出たところに巨大なグルグール・ニンスキーの像があり、左足の親指に触れると幸運が訪れると
いわれており、その部分がピカピカになっている。皆さんも早速触れている。
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遅くなった昼食は、アドリア海に面したレストラン『グサール』で。
渇いた喉には生ビールが何より、それにアドリア海の海の幸、イカのグリルが美味しかった。
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レストランの前にはアドリア海が広がり、ロケーションもいうことはありませんでした。
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食後、今日の宿があるドゥブロヴニクへと向かいました。距離約 227km、約 4時間半のバスの旅です。
車窓右手にはアドリア海が見えつ隠れつして目を楽しませてくれます。
途中、トイレ休憩したG .S .は3Knのチップが必要でした。
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スプリットからドゥブロヴニクへ行くにはボスニア・ヘルツェゴヴィナのネウムを通過することになる。
つまり、ドゥプロヴニクはクロアチアの飛び地ということになるとは知らなかった。
ここネウムのS.A.でトイレ休憩した際には、近くにあるスーパーでショッピング・タイムとなる。
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ボスニア・ヘルツェゴヴィナ 人口 : 388万人、面積 : 51,129 ㎢
長い間オスマン朝の支配下にあったためトルコの文化的影響が強く、東西の要素が交じり合う魅力にあふれる國。
20世紀末の戦争の悲劇を乗り越え、新たな道を歩み始めている。
*
ようやく19時近くになってドゥブロヴニク・スラノ地区にあるグランドホテル・アドミラルに到着。
デラックスホテルなので、アドリア海に面した部屋は設備など申し分なし。
夕食はバイキングスタイルで、品数も豊富でした。
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8.10.ホテル(バス) → 8.40. トロギール 10.30. → 11.10. スプリット 13.00. → 13.15. 昼食 グサール 14.35. →
15.35. G.S. 15.50. → 17.35. S.A. … 17.45. スーパー 18.15. → 18.50.グランドホテル アドミラル 115号室 泊
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