信州スロウライフ12ヵ月

野菜や草花と暮らす生活

福島の友人

2011年07月05日 22時50分03秒 | Weblog
夕食中に電話があり郡山の友人からだった。
季節の味をと、四国から日向ミカンを送ったのが届いたようだ。

郡山は昨日はゲリラ並みの夕立があり、放射能の風評被害のため新聞紙上で
名前を度々聞くようになった。
3月の震災では屋根瓦が落ちて、タンスが倒れ、定年退職した夫は体力がなくなり、
学校からの仕事のお誘いがあるのに断り続けていると愚痴っていた。
屋根瓦は3ヶ月経ってやっと直すことができ、雨漏りから開放されたそうである。
ニュースには載らない小さな被害が周囲に山積みだそうである。
いわき方面からの被災者の受け入れもまだ続き、仮設住宅を建てても学童のいる家の
入居は断られたり車を持っていない家だったり、制限付きでごくわずかの家族しか
入居できていないそうである。

子供がいると学校がいっぱいになるからと受け入れられないようである。
郡山市内でも被害は多く、倒壊寸前でも壊すお金がなくそのままになり、行く先がなく
仕事もなく日中ぶらぶら新しく建てるには二重返済で返す宛もなく、そういった家が周りや
原発の地域ばかりでなく福島全域がみな危険だという。
原発で次々と建設が続き、反対する側は白い目で見られ村八分同然だったのに今は
皆被害者側に回った。

友人は病気を老いてから背負っているがその夫も病人上がりだ。
人間どこで人生の逆転劇が起きるかわからない。
首都圏では熱帯夜で寝付けないというが、こちらではいま寒いという表現が当たる。
半袖から出ている腕は冷たく、長袖を着たい。贅沢だ。

30代から40代の時自分は家庭の苦労で悩み福島に友人を訪ねた。
そのとき友人夫婦は元気で笑顔で生活は恵まれ、羨ましい限りであった。
ところが今は逆転し、電話であなたは元気で働いており羨ましいと言われた。
人生の生きていく先は自分でも計り知れない。
段々そういう年になってきたということだ。
同世代と話すとついつい深刻な話題になっていることに気がつくがそれに拍車をかけているのが
震災と原発である。