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信州スロウライフ12ヵ月

野菜や草花と暮らす生活

秋になった

2008年09月07日 01時17分24秒 |  日記
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ははは・・・くすぶっていた心で犬を連れて、土曜日の今日朝から散歩に出かけた。

というのもこの1ヶ月雨模様で天候不順、一日の中でも変化が激しく
いきなり雨が降ってきたりして、洗濯物は外へは出せない。
3週連続週末は雨降りだったから、犬の散歩は出来ず気の毒な状況だった。
やっと晴れ間が出て、それっと空の気分が変わらないうちにと遠出した。
みるきいパトロール隊長は身体にエンジンがつき、ぐいぐい紐を引き
1時間の道のりの半分は脇目もふらずパワー全開だったが、残りの半分は舌をべろべろ出してさすがにこの雨降りの毎日で体力も落ちたらしい。
自然の力は大きい。
雨降りやら勤務先のストレスやら、腐った心でいた自分が八ヶ岳の麓の
ひろーい田んぼや林や農家の花が咲き乱れる庭などあちこち見ながら歩いているうちにいつの間にか心は洗われて行った。
蕎麦の花は真っ白に咲き、コスモスはいたるところで咲き乱れ、そして稲はもう黄金の色に変わりかぐわしい香りを放っている。

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お陰で散歩から帰って前向きの心になって、その勢いで、畑の手入れに踏み切った。
長雨でトマトはやられてしまった。何でもトマトは上から落ちてくる水に弱いそうで病気になってしまうので、ハウスで育てるのがコツだそうだ。
今年の夏の前半は日照りだったのでトマトは勢い良く育ち、毎日取っても取っても食べきれないほどの実を付けてくれた。
自給自足は今年は体験出来、野菜は買わずに済んだ。
今日も夏が終わるので枯れかけた野菜を引っこ抜き、畑は耕し、石灰を播き、元肥の肥料を播いた。
これで半日は終了して汗水だらけで土曜日はすばやく過ぎ去った。

今夜は諏訪湖畔では新作花火大会が催され、8月ほどの規模ではないが全国の花火師が集まり、競技大会が開かれる。
昨年は息子夫婦と見に行ったが、今年は先月の15日に4万3千発の花火大会を見てしまったので、本当は心は惹かれるがあの混雑の中に行くエネルギーが無い。
諏訪湖の温泉旅館組合で7月下旬から9月7日までの間毎晩8時半から20分間諏訪湖畔で花火を上げる。
明日はそれを見に行こう。そして夏は終わりになるのだ。
今年の夏の思い出はイベント満載で忙しかったが、何といってもカナダ旅行に尽きる。撚烈



思い出のメロディ

2008年08月31日 23時25分28秒 |  日記
土曜日の7時半からNHKで第40回、思い出のメロディを見た。
昭和33年に東京タワーが出来て、丁度中学生に向かう頃の歌謡曲が、ロカビリーが、次々と歌われた。
えーっ津軽海峡冬景色から、30年、裕次郎が亡くなり20年、中学から高校生時代に聞いた曲が、当時を思い出させる。
ロカビリーの平尾昌章やミッキーカーチスや次々に出てくる当時の歌手が、随分と歳を取ったり、3,40年経っても全く当時とあまり変わっていなかったり、懐かしい。
変わったのは自分のほうかと思いながら、30年前あたりからの歌が流れると、ふっと子育てをしていた頃に瞬時に戻っていく事が出来る。
思い出というのは不思議なもので、思い出そうとしても普段は全く出て来ない。
それがメロデイを聞いた途端、ああこの時はこんなことがあったっけなどと、当時のことがはっきりと浮かび上がってくるのだ。

暫くぶりに、懐かしさや、悲しさ、などと共に過去の自分を思い出した時間だった。

その後、チャンネルを替えたら、インデペンデンスデイを土曜洋画劇場でやっており、つい最後まで見てしまった。
先週もDeep Inpakt を見て背筋が寒くなり、アメリカ合衆国が大津波に飲まれる様子を見た。
外では大雨が降り、ニュースでは洪水の災害地を映している。
やがてそう遠くないうちに大地震がやって来て相当の被害が出て、などと考えてしまうことが多くなった。

2週間もの間雨が続き、やっと一日だけ晴れ間が覗いた。
それっとばかりに洗濯機を3回大物小物を洗い、日なたでサウナに入ったくらいの汗をかき、畑や庭の草ボウボウを片付け、終わった頃に又雨が降り始めた。
トマトの木は長雨で腐ってしまった。
雨の中真っ赤に色づいているプチトマトが見えていたが、傍に行ってみたらトマトの実は裂果していた。
2週間も降り続くと野菜や草花は腐ってしまうのが悔しい。
それでもトマトは赤くなった実を摘んでみると一人では到底食べきれないほどの量が取れたのだ。

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マイみるきい回復する

2008年08月27日 21時37分44秒 |  日記
ああ驚いた。
どんなに食べてもお腹が一杯にならない我が家のあほ犬のうち、がっつきみるきいが、今朝は挙動不審だ。
昨夜、寝る寸前まで、お腹がすいてたまらないと2匹でしゃべっていた。
けれどそれを無視して寝かしつけた。
朝起きていぬは庭に出してトイレに向かったが、みるきいは暫く庭を歩き回り戻って来た。
ロゼ山は、最近庭に出ようとせず、てこでも動かない。
そして朝ごはんを催促する。
がっつきみるきいがところがおかしい。
庭を眺めてご飯を作っても寄って来ない。
ロゼ山が大急ぎで食べているがそれを横目で見てもすぐに庭に目を移し、ずっと眺めている。
ありゃりゃあお腹の調子がおかしいのだ。
みるきいは単純だからすぐにわかる。
多分昨夜庭に出したらずっと暫く帰ってこなかったので、何か外で拾って食べたか蛙でもからかったか・・・。

ご飯の器を鼻先まで持っていても、知らん顔だ。
外を見ている後姿が何故か憂いを含んでいる。
笹身まきガムをあげてもそのままで、普段なら飛びつくのに、やはり絶対におかしい。
挙句の果てロゼ山に横取りされてしまった。

仕事に出かけるので、ケージに入れて出かけたが、時々思い出しては心配していた。
夕方、心配しながら、死んでいたらどうしようなど考えている自分に腹が立つがそれほどがっつきみるきいが食欲がないというのがおかしいのだ。

家に着いたら吠えて待っていた。
そのままくらい道を散歩に出たが、いつものみるきいに戻っていた。
そして常にお腹が空いてうろうろしているみるきいがいる。

又もやみるきいには心配させられてしまった。
この子はからだが弱いし頭も弱い。蓮

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週末

2008年08月24日 13時48分17秒 |  日記
まだ8月というのに、お盆が過ぎた頃から急に気温が下がり始めた。
朝の通勤のときは涼しくていいじゃん!と喜んでいたが、帰宅する頃には肌寒く、1,150㍍の我が家に到着する頃はもう薄暗くなり、大歓迎の犬達を連れて散歩をする。
が懐中電灯をつけて、薄ら寒いのを通り越しこれは冬がいきなりやって来たわとぶるぶるだ。

それでも庭では今年の初体験だが、野菜は種から育てようと遅めの6月に種を播いたとうもろこし、かぼちゃ、モロッコインゲンが今頃になりぐんぐん育ち始めた。
苗から育てたきゅうりやトマトやナスはよく育って実をつけた。
昨年うまく行かず良く育ったのだが、実が立ち枯れになってがっかりしたトマトは今年はすごい。
金メダル
ミニトマトが毎日とってもとっても籠に山盛り、スーパーで買ったら、(多分こんなに買わないが)とほくほくしている。
なんと言っても私の野菜は無農薬で育てたので安全この上ない。
しかも庭でとって台所直結、数分後には口に入れている。
多分近所の農家の人々より、早い収穫、消費であろう。
特にトマトは毎日かなりの量を食べており、身体の中の活性酸素を消滅させる働きをするリコピンが成分のため、私の身体はおかげで元気でいられる。
仕事はその日その日で完結するため時間勝負であり、対する相手には常に真剣で、しかも医療的なミスは最も許されない、常に勤務時間内は緊張感に捉われている。
採血の時も何十人も針を刺すが、すんなり血管が浮き出ている人ばかりではない。肉の奥深くしまい込んでいる人も多い。
手探りで、探る人指し指の指先が頼りで、血管が出ないのですと言われると、どっと汗が噴出すのだ。
医療の現場は益々、ミスを防ぐための関門が緻密にはりめぐらされ、
今や法律の網が頭の上からかぶされた状態で皆勤務者は働いているのだ。
企業で働いていた時もその緊張感は同じだが、現場ではないので医療的なミスは常に背中合わせということはない。
そこで何十年も働き、移住先の土地で勤務始め、どっぷり看護技術を要求される職場で既に9ヶ月が経った。

図々しいといえば図々しい。
恐さ知らずで、リタイアした人間がリスクを背負う職場へ良く考えもせず、意欲のみで勤務始めたなと、今振り返ると、汗たらたら・・・。
勤務始めて最初の3ヶ月はへたった。
いつでもやめる心境は出来上がっていた。

けど、東京から来た人間は弱いとか、頑張りが利かないとか言われるのが悔しくて何とかここまでやって来た。
それは自分で作った野菜のお陰でもあり、毎日出会う信州の人々との保健指導を通じての人間関係が作られて来て
その中から味わう専門職だから頂く心の繋がりのためである。
毎年受けている健康診断の中身がわかっていませんでした、良くわかりました、有難うございましたと頭を下げられるがなんてこった。
頭からこうしなさいと指導され、意味もわからず又同じ生活を続け、身体はメタボ、それがこれまでの指導であり、そこに手をいれ手法を変え、来た甲斐があったと思うように送り出す、それが年季を積んできた人間のやる仕事で、目の前の受診者にその都度感謝され、深々と頭を下げられる仕事なんてそうあるまいと思う。

やっと信州へ引越しして2回目の夏が過ぎて行くが、昨年の経験と全く違った生活をしており、まだまだこの土地では私は新人だ。

雨降りのお陰で、週末は家の中でずっと過ごしたので、色々振り返ることが出来た。

さあこれから八ヶ岳を仰ぐ望岳の湯という温泉に行き、その後美容院へ行く予定で、ぶるぶる震えていた身体を暖めて来よう。

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かくして夏は過ぎ行く

2008年08月19日 23時15分02秒 |  日記
2,3日前から急に涼しさが増して、おや?いつの間に秋が目の前に来てしまったのという感じ。
今日も仕事の帰り、病院を出て駐車場まで歩いている途中、ああ諏訪湖の花火大会が終わったら秋になっていた、と身体で感じた。
2、3日前の花火が既に1ヶ月くらい経ってしまったかの錯覚に落ちいる。
遡ってみれば、1月に母を亡くし葬儀や49日を追っかけて実家に行ったりきたりしている間に春が来た。4月になってムスメの就職話が浮上し、5月はムスコの転勤が決まり送別会をしたりして6月中旬、いったんビザ申請に戻って来たムスメとシカゴへ赴任するムスコを送り出した。
忙しいまま準備も碌に出来ずに6月末から7月にムスメと一緒にカナダへ旅行に出かけた。
11日間の旅行で現実から逃避した頭で、職場に戻り時差や疲れを出せずに働き、一日だけ訳がわからないひどい腰痛にへっぴり腰でどうなることやらと不安になったが何とか持ち直した。
8月に入り毎週薪能や実家へ帰って新盆、そして先週の諏訪湖の花火大会で続いたイベントは終了した。
その間、しっかり畑を耕し農作物を作り育てた。
満足するほどの産物は出来、益々農作業が好きになった。
来週で8月は終わり、9月か・・・・と思うとこの1年の時間の過ぎ去っていったスピードは人生でもっとも速かったように思える。
田舎でのんびり過ごそうと考えた3年前、実際移り住んでみたら何ととぼけたことを考えていたのだろうと思う。
田舎生活はまさしく忙しい。
しかも充実しており、ゆっくり時間を掛けて本を読んだり、手芸をしたりと夢みた事柄は彼方へ飛んでいってしまった。
ああ私の人生、いつまで経っても、もしかしたら死ぬ寸前まで動き回ってパタリ!と逝くのかな?
今外は月明かりで煌々と空が冴えわたり、秋の虫が鳴いている。
既に気温は20度を切り、肌寒さを感じるようになってしまった。
何となくこうなると、夏の間には感じなかったわびしさが占めるようになっているなと心の隅に見出したのである。


諏訪湖上花火大会

2008年08月15日 23時11分29秒 |  日記
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毎年8月15日は諏訪湖の花火大会である。
今年は家族が離れ離れになり、毎年、あっちこっちの花火を見続けてきた息子夫婦は残念ながらアメリカに行ってしまった。
そのお陰で、ハハは家族を代表して花火を見ることにした。
インターネットでチケットの購入方法を確認し、カナダの旅行に出かける寸前に市役所宛に書留を送った。
今回もお祝い花火と称し、1万円を奮発し、ムスメとムスコ夫婦の健康を祈願した。
チケットは手に入ったが、今回の花火大会は60回目の記念すべきもので当然、見物の人々は昨年より増えるであろうし、開場も昨年の3時から2時に繰り上がったため決死の覚悟で出掛けねばならない。
今年は43,000発の打ち上げ数は全国一だそうだ。
予報では雨になると言っていたが、雨が降りそうな空模様ではなく、暑い真っ最中に駐車場までお昼過ぎに家を出発した。
今回も駐車するのは会場から程遠い、終末処理場であり、日傘を差してたっぷり汗を拭き拭き、50分は歩いた。
人ごみの中、なかなか思うように歩けず暑いわ、進まないわでいらいらしながら3時近くにようやく入場口にたどり着いた。
席は確保してあるのだが、かんかん照りの直射日光を避け様がない諏訪湖の岸で、疲れて転がって寝てみた。
背中のシートが焼けていて、30分も寝たら、かちかち山の狸の様に、背中が焼けて痒くなった。
4時間の待ち時間、良くぞ待ったものだ。
7時待ちに待った花火が打ち上げられた。市民花火協賛が何十発も次々打ち上げられ、これまで何時間も待った事もいっぺんに吹っ飛んだ。
ドドーンとお腹に響く。
わくわくする、悔しいムスコはインターネットで見るといっていたが、何といっても目の前の光景は迫力が違う。秊
今年は4万3千発の花火が打ち上げられた。
空を見上げる群集は、この時間だけは人類皆はきょうだいになり、笑ったり拍手したりしているうちにいよいよハイライトの水上スターマインになった。
これだけは毎年見たいとつくづく思う。
天気にも恵まれ、帰りの大渋滞に巻き込まれず大満足で家に帰ってきた。
一人で寂しいこともなく、達成感を充分に味わい、こころの中では、もう来年のことを考えていた。

これが終わると、信州では秋が大急ぎでやって来るのだ。




ついに・・・・

2008年08月11日 23時13分13秒 |  日記
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ムスメよ、ごめん!

ついに使い慣れたプリンターが言う事聞かなくなり、動かなくなった。
これは昨夜のこと。
今月になり、紙送りが数枚まとまって送り、はがきの印刷は失敗するほうが多くなり、A4はぐちゃぐちゃになって奥のほうで固まっていた。
そして昨夜紙送りが出来なくなり、手を突っ込んでも取れなくなり、印刷機は変な音を立てて動かなくなった。
私の手もインクで真っ黒になり、引っ張り出すことも出来ず、夜中の1時半、諦めた。
思えばムスメが8年前、中央林間に引越した際、HP社のPCとプリンターを買い使用していた。
私はそれを使わしてもらっていた。
今回諦めるしかなく、そして仕事の帰りにヤマダ電器により新しいプリンターを買ってきた。
プリンターはずいぶんと安くなり、それのほうに驚いた。
E社のプリンターを勧められ、E社は地元でもあり、毎日社員は健診に来ている。
身近なところから購入し、夕食後、セットした。
子供に頼っていたあまり、何も出来ない母親だったが、今回は歯を食いしばってでもセットしなければ印刷が出来ず、不自由この上ない。

ぱんぱかぱーん!
インストールは時間がかかっても正常にセットでき、試しの印刷は
見事に綺麗な色に印刷された。
カラーリオといっているテレビのコマーシャルどおり、写真はかってないくらい美しく印刷が出来た。

長いことお世話になったが、動かなくなって紙を食い込んだままのHP社のプリンターよ、そしてムスメよ誠に申し訳ない、新しいプリンターにバトンタッチ致しました。


仕事を通して見え始めたもの

2008年08月06日 22時32分35秒 |  日記
 
 最近、朝からきれいに晴れ上がっていても午後から暗雲立ち込め、諏訪湖は不気味な色に変わる。
そして間もなくすごい勢いで雨が降る。
この繰り返しが毎日起きている。
これまでこのような雨の降り方はなかったが、異常気象のせいだと思っている。
お陰で、健診を受けた人たちはずぶぬれになって帰るやら、やってくるやら被害も大きい。

特定健診が始まり、健康診断の受診者は毎日うなぎ昇り。
申し込んでも2ヶ月待たねば予約できないと、受診者の声。
午前中は8時から始まる健康診断だが、長野県全域から集まる対象者は
7時ごろにはもう玄関が開く前から待っているのだ。
待ち時間が長くなるのが嫌なのか、早く終わりたいのか、早く終わって職場へ仕事に戻りたいのか、様々な理由がある。
しかし早い・・・・。

問診、身体測定、採血、レントゲン、心電図や腹部エコー、眼底、心肺機能、胃カメラ、バリウムこれらは時間と共に進み、問題ない。
客観的には個人差は見えない。

しかし午後になって、健診結果の説明の段になり、結果に基づく個人面談を行なうとそこで見えてくるものが一杯ある。
個人のデーターの背後にはその人の生活が見えるのである。
男女差、年齢、職業、食事や日常生活の内容、交際範囲といった個人生活、果ては人柄までが浮き彫りになってくるのである。
そしてその個人は自分の身体をどの程度認識しているか、健康感はどのようなものか、健診結果の数値から判断していくと、あなたは占い師ですかと最近目の前の受診者から言われることが多い。
健診データーから読み取れる数年先の健康状態、果ては背負い込む病気を予測して話すと、皆びっくりして、こんなに詳しく話を聞いたのは初めてだと言いながら、神妙になる。
おどしたり褒めたり、あの手この手で病気に入り込むのを引っ張り上げている毎日だ。
1年後にどのような変化をするかの生活の改善を約束して送り出すが、
毎日、様々な職業の人たちを相手にしているため、仕事としての面白さが出てきた。
これまで企業という一つの枠の中で仕事を20年間続けてきたが、あたら
しい仕事を得て又自分の中にあるアンテナを少し高く伸ばすことが出来るようになったかなと最近、帰宅途中、病院から駐車場まで歩いている時に思うことである。

シカゴに転勤した息子夫婦が犬栄養失調になっている。
しょうがない、動き回るあほ犬にご機嫌を取り、写真を撮るが最近奴らは察しがよく、さっとカメラを向ける前に姿を消す。
取った写真はお化け状態ばかり。
苦労の賜物の写真をここに・・・。

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八ヶ岳薪能

2008年08月03日 22時49分55秒 |  日記
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8月に入り、第一週の日曜日、小淵沢の身曾岐神社の能楽殿へ薪能を観にいく。
昨年初めて引越して来てこの催し物を知った。
日本一の能楽堂があり毎年この季節になると、能の奉納が行なわれる。
昨年、平家物語に感動し、今年もチケットの購入を知人にお願いした。
午後の4時から3時間半、今年の出し物は能、半蔀 狂言、鎌腹 能葵上の3部。
入場者は1,500人とかの駐車場で苦労する人数である。
今年は源氏物語が執筆され1,000年の記念すべき年で、能もそのため源氏物語を取り上げた。
昨年初めて、舞台にすり足でゆっくり登場する面をつけたシテに鳥肌が立った。
今年は京都から金剛流と宝生流の来演で、段々日も暮れ始めた時に篝火が焚かれ、幽玄の世界へ踏み込んだ時間になった。
六条御息所の怨念で半蔀では夕顔が呪い殺され、葵上ではやはり御息所に呪い殺される場面を能の舞台で表現されるが、昨年の野村万歳と違い京都の雅やかな品格と艶が今日の身曾岐神社の幽玄な趣にぴったりだった。
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帰りは駐車場が溢れるほどの車で赤ランプの列だったが、いつの間にか
小淵沢アウトレットを過ぎたら一台も車がいなくなり、八ヶ岳方面、原村へ向かう車はなく真っ暗な闇の中、何だか不気味で背筋が寒くなりながら吹っ飛ばして戻って来た。
リゾート地の週末、まだ夜の8時だに、家に到着するまで前後を走る車が一台もないなんて初めてのことだった。
田舎は夜になると本当に真っ暗闇になる。聯


大収穫の予感

2008年07月31日 22時59分39秒 |  日記
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先日の雷での夕立では大雨に降られ、畑の折角綺麗に咲きそろった花が、コスモスが、なぎ倒され、地べたに這いずっている。
じゃがいも畑では土が流され芋があちこちに見え隠れしている。
花畑は夕方、元通りに直したが、チョットだけ遠くのじゃがいもの根っこを掘ってみた。
昨年もこれではまってしまって結局じゃがいも畑を次々に全部掘り尽くしてしまったものだ。
今年は種類を増やし、GWにJAファームから種を買い付けて、植え込んだ。
何と言っても自慢にしたいのは、アンデスという種類の赤いじゃがいもである。
キタアカリも2箱植えた。
今年は春からずっと天候不順で遅霜で野菜の苗が植えても植えても何度もとろけてしまった。
野菜作り2年目は種を播いて育てる楽しみを味わおうと、結構夏を迎えてから本腰を入れた。
先月、神奈川の義兄のところではとっくにとうもろこしを食べているというので焦った。
我が家のとうもろこしの苗はまだ20センチくらいしか伸びていない頃だった。
それが、今月カナダから帰ってきて畑を見たら、雑草もさりながら野菜たちが随分と成長をしていた。

1本だけと自分に言い聞かせ、アンデスの枯れたじゃがいもの茎を引っこ抜き、掘ってみた。

おおおおぉぉぉ・・・・子沢山

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アンデスは外見は赤く、中は黄色い。
ふかしてバターをつけて少しだけ塩を降り、熱々を食べると、それは美味しい。
そのアンデスがごろごろ出てくる。
赤くてぷりぷり太っていて、その姿にはわくわくしてしまう。
とうもろこしもきゅうりもトマトも毎日見ていてもその成長振りはすごいものがある。
いずれ本腰を入れて、じゃがいも堀をしなければならないが、昨年に比較してどのくらい収穫できるか?

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草刈と温泉

2008年07月27日 22時59分15秒 |  日記
今日するべきか、来週に延ばすか、というのも予定していた大泉に所有している林の草が伸び、ご近所の手前のばして置くわけに行かない。
鎌で刈るには150坪の広さ、休みなしで刈っていても3日間はかかると思われ。去年、きつかったので今年は機会のお世話になろうと思い、Jマートで刈り払い機を購入した。
1年にせいぜい3回くらいしか使用しないが、在るとないでは大違い。
天国と地獄。
それを積んで雨上がりのからりと晴れた既に気温がぐんぐん上がり、時間が惜しいので車に刈払い機や道具を積んで大泉に出かけた。
先週買って、取説を読んだが実際一通り扱ってみなければさっぱり判らない。
といってエンジン吹かしてやかましい音を立てるわけには行かず、人様の土地の雑草の伸びているのを刈るわけには行かず、ええい、ぶっつけ本番と行く。
原村では草刈は男の人の仕事で、女の人は危ないからと刈払い機は使わせない。何でもこの機械を使っていた人が2~3人足を切り落としたとかひどいけがをしたとかで男の仕事になっている。
我が家は男は犬しかおらず、役に立たないので私が男の役を総て行なっている。
所有している土地に到着したところ、昨夜の大雨でまだ下草が濡れていて刈るにはやりにくい。
頭に入れた手順で、ガソリンを燃料タンクに入れエンジンを掛け草刈を始めた。
思った以上に機械は重く、私のへっぴり腰では機械に負け、草を刈るより土を掘っているようなものだ。一番奥のほうから始め、順序立てて
規則的に移動しながら刈るわけでもなく、行き当たりばったり主義でやたらエンジン音ばかりがあたりに響き、自分でもやかましいと思いながら汗が流れ落ちるのも構わず、休みも碌にいれずひたすらガソリンを追加しては目に付く草を次々に刈って行った。
サングラスと帽子、手袋、完全防備の姿でベテランの男の人の使う燃料の3倍くらい使い、2時間で150坪の草を刈り終えた。
自分の姿はびしょびしょで疲労困憊。
燃料も尽きたし、完全主義を辞めたし、又もや雷の音が始まったので仕事終えた。
汗水たらし汗でぬれねずみ状態なので、帰宅途中の鉢巻道路にあるヒルサイドホテルの日帰り温泉によって、筋肉疲労の足腰が痛まないよう
ゆっくり温泉に入り、疲れを取った。機械に使われたので身体のあちこちにあざが出来ていた。
夕方、昨日に引き続き、雷雲発生、すさまじいゆう立ちが降る。
それでも今日の夕立は昨夜のように長々と降らなかったのでその後犬を連れて散歩をした。

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空気が澄んで雨雲がなくなったためすばらしい夕焼けが真っ赤に空を染めて久し振りに空を仰いだ。
今日の作業は2時間で終わり、新しい機械に使われてしまったがやり終えた満足感はとっても大きかった。

先月の今日はバンクーバーへ向かう飛行機のなかだったなぁと、思い出すとまだ1ヶ月なのに胸がじんとした。
あれからロッキーへの旅が始まったのだ。


夏スタイルの犬達

2008年07月26日 23時33分44秒 |  日記
休日の今日は予約しておいたトリミングへ出かける。
後部座席で吠えっぱなしで、後悔しながらもむさくるしい姿には勝てない。
早い時間でお願いしたので、朝ごはんも食べず、洗濯物を干し、チョッと草取りをしてから犬に声を掛けた。
通勤の路線と異なり、いったん蓼科方面に出てから、茅野方面へ。
騒いでいる犬を無視して走っていると懐かしい昔の蓼科の思い出が蘇る。
朝もまだ涼しいので、まるで都会から避暑気分でやってきたような錯覚になる。田んぼは青々と稲が育ち、小川の水が豊富に流れ、風は冷たく良い気分でミルバニハウスへ到着する。
あほ犬達はここがどこなのかはっと気付いたが、お願いしますと声を掛け、置き去りにして茅野へ向かう。
来月の実家での新盆に出かける切符を購入するが、茅野駅は夏休みの観光客で切符売り場は溢れていた。
茅野と原村は気温差が3度もあり、どんどん気温が上がり、汗がだらだら。登山客が結構多く、八ヶ岳へ登るのであろう。

すぐに時間が来て、犬を引き取りに戻るが、運動公園では中学生のスポーツ大会らしく、マラソンをしていて沿道では父母が見張り役で黄色いチョッキを着て1メートルおきに立っている。
この暑い日中、マラソンでは熱中症を起こすのではないかと、通り過ぎながら気になった。
犬達は2ヶ月ぶりのトリミングでとても垢抜けした。

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うっとおしいので思い切り短くカットしてもらい、髪飾りはひまわりにしたところ、季節感が溢れよく似合う。劣
涼しげな姿になり、家に帰った。
午後になったにもかかわらず家の中は涼しいではないか。ニュースでは
田んぼで80歳の農作業中の老人が熱中症で倒れていたそうだし、40度近くの多治見市とかもあるが申し訳ないと思う。
それでも夕方まで待って、お日様が翳ったので畑の作業を始めた。
もうカナダから帰ってきてから2週間以上経つが、全く雨が降らず土がからからに乾き野菜もうなだれている。
一通り作業を終えたところでホースで水をまいたところ雷がごろごろと始まった。
滝のような雨になり、近くに何度か雷が落ちたようでものすごい音がした。その度にあほ犬達が大声で吠えまくる。
停電にもなった。
恵みの雨だが、ひどすぎて道路は川のようになり、お陰でやる気が無くなり今夜予定していた作業は中止にした。




7月6日 10日目 バンクーバーから成田へ帰国

2008年07月22日 00時48分48秒 |  日記
来て欲しくない日が来てしまった。
初めがあれば必ず終わりがあるが、これほど毎日が短いとは予想していなかった。
7時起床。ベランダからバンクーバーの景色をバックに写真を撮り、荷物の整理を始めた。出発する時の気持ちと帰る時はまるで正反対の気分になった。と、いう事は今回の旅行は大成功だ!

8時半、ムスメとおにぎりと味噌汁で朝ごはんを食べ、先に空港へ向かうハハは怜でバスを待つ。
空港で別れるのは悲しくて泣いてしまうからとムスメは言い、ホテルの入り口で別れた。
又暫く会うことは出来ないし、この旅行の間の思い出は沢山出来たが、元気でねと抱き合った時に思わず涙が溢れた。
一人になりシーンと黙り、それからは窓の外の景色を何となく見ながら40分後バンクーバーの空港へ到着した。
バスの運転手さんがフレンドリーでバスから降りたとき、you are japanes ? 気をつけて と言われてしまった。

思えば初日にバンクーバーの空港で入国手続きの際、予測外のトラブルで、大変な目に合ったが、今回も又何かあるかも知れないと神経がピンピンと張っていた。
ムスメがJALのカウンターではチェックインで通路側に座りたい、窓側や真ん中は嫌だと英語でこう言うのよと紙に書いてくれた。
チケットも、出国も今回はどきどきなのにすんなり通過し、11時半搭乗待ちをする。
JAL16便で運行時間は8時間半、12時45分に予定通り離陸した。外が見えるわけでもないのに離陸した途端、涙が止まらず、機内食が運ばれても涙が出っ放し。
お隣の席のご夫婦に見破られないようにと思ったが、ムスメとの別れがこれまでになく悲しくて悲しくて暫く立ち直らなかった。
4時55分日付変更線を通過する。眠くなるわけでなく、ワインを頂いたが、姪から借りた園芸家の本がたまらなく面白く、周囲は皆眠っているのにずっと読みっぱなしでいたら、成田へ到着した。
13時44分成田着、荷物がなかなかやって来ず、まさかどこか紛失?と心配したが最後に廻ってきた。
成田でリムジンに乗ったがむっとする熱風でああ日本だ、カナダの空気は湿度が違っていたことに気が付いた。
21時半、中央高速バスで乗り継ぎ、原村へ戻って来た。
犬達は12日間動物病院だから、家に着いてもシーンとして物足りないが疲れもあり何もする気もせず寝るしかなかった。

今回の旅行での感想

子供達がそれぞれ独立し、おまけに二人とも海外での生活になり、残された自分は抜け殻的な日々になり仕事上のストレスと共にこれから何が生きがいかを見失っていた中、そこでカナダへ出かけたため、その結果元気になって帰って来た。
10年前にスイスへ行ったが、自分を取り巻く環境は最悪ですばらしい憧れのスイスに行っても帰ったらの事を考えると、今回の旅行は自由な身になった開放感で心から総てを楽しめたのである。
出掛けるまで時間があったにもかかわらず自分は準備不足でムスメにまかせっきりでの旅行であった。
どこへ行っても想像以上のロッキーの山々と湖、河、滝、氷河を見ながら毎日良く歩き、大自然の脅威と胸をえぐられるほどの感動を味わい、そこから貰ったエネルギーはかってないものだ。
カナダの人々のフレンドリーな国民性と、旅先でのマナーを学習し、未熟な自分を見出しまだまだ人生これからもあると、元気付けられた。

ムスメは自分が大変な仕事環境にいるのに宿泊地の予約、レンタカーの手配、チケットの手配、総てやってのけこれには参った。恐れ入った。
車の運転も全部引き受け1,600㌔走り小さいころからハハが運転したこれまでの日々はこの旅行だけで帳消しになった。
自分が疲れているのにハハの面倒を見てよく動き回り、最高の親孝行をしてくれたのである。
これまでのNZとカナダでのWH生活でのムスメの姿が見えず、今回ジャスパーで思わぬことからその苦労話が聞けた。
今の仕事での苦労続きのムスメが不憫で母親として何一つ手を貸すことが出来ず、そのことを思ってホテルで別れてから涙が止まらなかった。
独り立ちしている子供達と距離を置き、子離れしようと努力して来たが、いつになっても親としての感情はそのまま持ち越しで、バランスを如何に取るかが、死ぬまで課題だろうと、帰りの飛行機の中で考えた。

もっともっと一杯、感じたことがあるが、いつかふっと思わぬときに浮かんでくるであろう。

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7月5日 9日目 バンフからカルガリー バンクーバーへ

2008年07月20日 01時52分36秒 |  日記
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今日で氷河の山々とはお別れをして、バンフを6時35分に出発した。
昨夜は念には念を入れて何度もカルガリー空港からバンクーバーへ向かうエアーカナダの便に乗り遅れないように逆算し、朝起きて車で出発する時間を頭に覚えさせ、携帯電話の目覚ましをセットして寝た。
しかし、目覚ましが果たしてきちんと仕事をするかどうかが心配で、二人とも朝方うつらうつらで、目覚ましが鳴る前に起きた。

緊張しきってバッグの整理をして、忘れ物がないように何度も見回した。
返す返すも心残りは、昨日私の帽子が姿を消したことだ。
神隠しにあったように、いつどこで手元を離れたか2人でデジカメに映った私の帽子を見たがボウ川に着く時には姿を消していた。
娘は盛んに気に掛け残念がっていた。
一緒に山に登った帽子は日本に帰りたくなく、カナダへ残りたかったらしい。

今回の旅行では最も早い朝の出発であった。
見慣れたアイスフィールドをひた走り、3時間後にはカルガリーへ着いてレンタカーを返し、空港へ戻っていなければ、今日中にバンクーバーへいけなくなる。
何度も見ながら走ってきた氷河の山々を今度は後ろに遠ざかるのを見ながら去っていくのはとても辛いことだ。
ジャスパーまで来る時は英語で書いてある地図を読むのにも時間がかかり、山の名前と照らし合わせながら助手席で真剣に学習した。
そのお陰で帰りは山々と湖と滝と川が見覚え有り、とても身近に感じていた。
途中のケンモアは感慨ひとしおで飛び降りたかったくらいの思いが残った。
そうなると今度は過ぎ去っていくのが早くて、予定時間より早く、遥か後方の彼方にロッキーの山々を見てカルガリーの町に到着した。
行きはとてつもなく広いカルガリーの町の中を抜けてアイスフイールドに入って行ったが、帰りもすんなりと空港へ到着し、レンタカーの返却も日本での返却手続きよりずっと簡単で、ムスメは現金で精算したかったのに既にカード精算されてしまったと残念がっていた。

残念ついでに、レンタカーのバックミラーに付けて置いたロッキー国立公園の通行券を忘れて来てしまった。
1年間有効で14,000円もしたので息子夫婦に譲ろうともくろんでいたのにやはり我々親子はどこか抜けているらしい。
この間の走行距離は1600キロであった。
毎日山に登っていたのだが、その割には良く走り回っていたのだ。
誠にムスメよ、親孝行をして、毎日右側通行の運転に徹しお疲れ様でした。
成長したムスメよ有難うございます。

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カルガリーからバンクーバーには15時40分に到着した。
行きの飛行機の窓からは、ロッキー山脈が白く雪をかぶり延々と続くのが見えたが、帰りは雲が厚く天気が悪いらしい。
バンクーバーに到着すると間もなく雨が降り始め、タクシーに30分載り
ホテルに向かった。
ダウンタウンの中心部のロブソン通りにエンパイアホテルがあり、すっかりこれまでの8日間の旅の宿と異なり、大都会での1晩の泊りとなった。
雨が上がり、早速残り少ないバンクーバーの町を歩く。
大型デパートやホテル、ブランドの店、お土産や、高級レストラン、
ファーストフードが目白押し。
これまで見慣れた森や山などを見てきた目が一挙に疲れる。

ムスメは仕事用の携帯電話の店をあれこれ探し回り、4件目に気に入った品が手に入った。
その後約束のRootsのお揃いの財布を買い、ついでにポロシャツも買うことが出来お腹が空きっぱなしでまだ歩く。
来る時に持って来たムスメのスーツケースがお土産を入れたらもう入らず、結局バンクーバーで買うことにした。
空港やロブソン通りでは旅行鞄を60%や70%offで売っている。
半分嫌になりながらすきっ腹と戦い、何とかフランス製のシックな鞄を手に入れた。
息子夫婦がシカゴにいる間に出掛けようという魂胆だから、買い物も必死だ。
時期とタイミングを失うと、日本へ帰れば辺鄙な原村だからもう買う気持ちは失せてしまい、シカゴは夢のまた夢に終わってしまう。

ムスメは日本食を売っている店を見つけ下見をして明日買い物に来るという。
さすがにお腹が空きすぎてその時に一番食べたかった、ラーメンを食べに中華の店に入った。
思いがけず麺も美味しくキムチラーメンと餃子を食べた。
バンクーバーでですよ。

26階の部屋からは夜景が美しく、真向かいは港、セレブが住む高級住宅地があるノースバンクーバーがきらめき、下を覗くとぞっとするほど小さくロブソン通りが見える。
ムスメが入れてくれたバスソルトにゆっくり入り、カナダでの最後の夜は高層ビルが立ち並び、美しい夜景を見ながら、カーテンを轢くのが勿体なくそのままベットに入った。
日本へ帰りたくないが、それを口に出すともっともっとアルジェに帰りたくないムスメに申し訳なく、悲しいが心の奥でカナダよ本当に有難うとお礼を言って目をつぶった。

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7月4日 8日目 ボウ滝 カスケード公園 フェアモントバンフ スプリングス

2008年07月19日 23時16分32秒 |  日記
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今日は最終日のバンフの町で過ごす日なので朝はゆっくりと起きる。
UHではもうこの時間では誰も姿が見えず、キッチンを貸切で使わせてもらう。
朝食と、昼食のサンドウイッチを作る。
バンフに来ても食材を購入して夕食と朝食を作ってきたが、思ったより胃袋に納める量はそれほどでもなく欲張って買ってはみたが余ってしまいさあこれをバンクーバーまで持って行く訳には行かず材料をパンの上に積み上げて特大のサンドウイッチを作った。
外で食べるととても美味しく、今回はオニオンスープとパンに塗って食べるパテのようなもの、生ハム、などこれまで私の食生活になかった食材はムスメから教わった。そうそう、一番の登場は否定していた肉だ。
、山登りでムスメがしわしわになった私の顔を見てお肉を食べなくちゃと言いレイクルイーズのレストランでリブロースを食べたら暗示があるも知れないが翌日シャンとしたものだ。

医療職たるものそれを職業としながら訳あって肉を避けた食生活を続けてきた。
ムスメは疲れて風邪を引きそうだと思ったらお肉を食べるの、そうすると翌日は治っているのと言ったが何故か説得力があり、老いては子に従いのたとえどうりになった。
今回の旅行では不足がちの野菜もたっぷり食べ、毎晩地ビールを飲み3食もりもり食べた。
12時20分、静かなテラスで食事を終え、バンフの町に繰り出した。
郵便局に寄り、並んで初めて一人で切手を買い絵葉書をポストに入れ、
次なる有名なボウ滝へと出向く。

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ここはマリリン、モンロー主演の帰らざる河のロケ地となった場所で、
滝といっても先日のようなアサバスカやタカカウの滝のような落差がある訳ではなく広い広い川が渦を巻いて滝のようになっているのである。
水量が多く傍で見るとやはり恐い。
川の傍では警官が見張りをしているが観光客向けのうけが良く、客はひっきりなしに傍によっては何かを尋ねついでに記念写真を撮っている。
イギリスのチャールズ王子のような顔つきだがムスメは違うよと否定した。

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その後はボウ川から仰ぎ見る対岸のがけの上に聳えるフェアモント、バンフ、スプリングスという豪華ホテルの見学に行く。

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ローズマリーから、ラウンジから見るゴルフコースがすばらしいからと勧められたのであるが、駐車場から迷い、ホテルの棟もどこがどこか沢山有り、古城のように古い建物の目をつけ不審者に見られないように気を使いながら、ホテルの客室のベッドメーキングの人達に怪しまれないようにして大変だった。
結局ラウンジが見つからず、疲れただけでコーヒーラウンジに行くどころではなく
カナダを代表するリゾートホテルはセレブの利用する超高級ホテルでありどきどきしながらエレベーターを上がったり下がったりした我々は、問題外だ。
もう次はボウ川をはさんだ傍にあるカスケードガーデンに行こうと、超高級ホテルを後にした。
 
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色とりどりの花が咲き、広い庭園は体格の良い園芸師の女性が花の手入れをしていて、一見優雅な様に見えるが、体力勝負の仕事で、感心しながら朝作ったサンドウイッチを花一杯の庭で幸せな気分で食べた。
多分フエアモントホテルでコーヒーを飲んでいたら、落ち着かない気分で目一杯かっこつけて、このカスケードガーデンで食べたお昼より喉にとおらなかっただろう。



15時半、いよいよバンフの町で買い物だ。
これまではジャスパーでの買い物の機会があったが値段が高いので、バンフへ行ってからとムスメから諭されていた。
バンフは軽井沢のような町で端から端まで歩き、お土産を買い求め、楽しいわ楽しいわ。鍊鍊鍊
Rootsというカナダブランドのお店に入り、バッグコーナーで欲しいものが見つかった。
ムスメに今回お世話になったから、ムスメが持っているバッグとおそろいのお財布があり親子で持ったら記念になるねと店員に同じものを2つ求めたら無いという。
愛想のない受け答えで、買う気が無くなり、バンクーバーで買おうと半分がっかりしたり、半分やる気のない店員に腹を立て店を出た。
良く歩き回り、大体買い求め、UHに戻ったのが20時だった。
今夜はツアー客が昨夜の怒涛のように押し寄せることがなく、夕立もないし最後のバンフの夜は気持ちよく酔い、ムスメは先にベットに撃沈しハハは絵葉書を書き12時にベットで静かに寝た。