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12 ボードウォークな建築

生命のネットワークへの共鳴
 森のなかで樹木に囲まれているときに感じる爽快感、心の落ち着き、自由な感覚、神秘な感情・・・。これらは自然の森を訪れる人々の誰もが感じる感覚である。このような感覚を生み出すもの、それは森という曼陀羅の全域を覆う生命のネットワークへの共鳴である。
 森の中のどんな小さな場所でも生命活動が営まれ、そこに生きるすべてのものが本質的なつながりをもって結ばれている。一見雑然とし、木々の葉のざわめきと鳥のさえずり以外は動くものを感じさせない森も、実は、多くの様々ないきものたちが暮らす活気ある世界である。
 このような森の実体は、人の気配を感じさせては決して見ることのできないものであったり、たった数時間森を訪れて去っていく人々にはとうていその全貌をつかむことのできないものかもしれない。しかし生命体としてのヒトは、森に囲まれているとき、敏感にその生命のネットワークを感じとり、共鳴し、このような感覚に包まれるのである。

失われた輪(ミッシングリング)
 かつての里山では、その生命のネットワークの一環にヒトもあった。その輪からヒトが外れて久しい。一旦その輪から外れてしまうと、外から見る自然は雑然とし、混沌とし、荒廃したもののように見える。森の持つ複雑なネットワークを理解できなくなるが故にそう見えるのである。しかし実際には森は、マクロからミクロまで連続した有機的な、生態系の一つの秩序あるカオスを形成している。
 里山を復活させること、すなわち失われた輪(ミッシングリング)をヒトが取り戻すにはどうすればいいのか。森の構造を見ると大地の上に苔があり、苔の上に草が生え、潅木があり、大きな木がある。森には高さによる棲み分けがある。そこにすむ鳥や虫などのいきものたちも様々な棲み分けをおこなっている。さらにミクロの視点で見ると最下層の土壌の中のバクテリアたちの活躍も森のネットワークには欠かせない一つである。このような森の構造原理を理解し、その生命のネットワークのどの部分にヒトが参加できるのか、また参加するにはどうすればいいのかをよく考慮する必要がある。
 文明化したヒトが、ミッシングリングを取り戻し、森の生命ネットワークに参加する手段のひとつのヒントがボードウォークにある。

大地から遊離した“道”
 湿原地帯や、海岸の波打際、砂浜などに渡された板敷の遊歩道をボードウォークという。ボードウォークの特徴は、湿原や砂浜から少しばかり浮いてつくられていること。必要最小限の杭のみで、大地と接しているということにある。
 湿原に敷かれたボードウォークは、人間の足が直接的、物理的に湿原を踏み荒すのを防ぐ。大地から遊離したこの“道”の存在は、自然との間に目に見えない結界を生み出し、森の中の人間の活動に一定のルールを与えてその活動領域を限定し、無秩序な自然侵入を防止する。
 そうすることによってボードウォークはまた、自然=森の中に人々が深く踏み込んでいくことを可能にする。自然に深く踏み込むこと、そして自然とは一定の距離をおくこと。この両立が文明化したヒトと自然の接し方の重要なポイントとなる。


棲息する空間
 ボードウォークは、それ自体が陽の光を遮り、風の通り抜ける空間を大地との間に生み出す。この空間は、大海の中の海草のかたまりに、様々な魚介類が寄り添う“藻場”のように、大地に生きる様々ないきものたちが寄り添い、棲息する格好の場所となる。日陰を好み、捕食者である鳥たちからの絶好の隠れ家として様々な虫たちが集まり、またその虫たちをねらってヘビやカエルたちが集まる。“藻場”が大海の中に極めて小さな生物たちの棲息空間を発生させるように、ボードウォークと大地に囲まれた空間も、動植物のあらたな棲息空間として生命のネットワークのひとつの環をつくり出す。
 文明化したヒトがつくりだした技術は、自然の中から“モノ”を生みだしたが、その過程と結果で、その“モノ”の出自である自然自体を破壊してきた事実がある。今その技術=テクノロジーは深層化し、不可視の領域へと入りつつある。またテクノロジーが自然にディスクリート(拡散)する状況*01になりつつある。そうした中でボードウォークは、非常にシンプルな技術ではあるが、環境に目を向け、注意深くそれを利用することによって環境と共生することを可能にした技術のひとつである。
 文明化したヒトがミッシングリングを取り戻す可能性が、こうした“環境に目を向けた技術”にあることを、ボードウォークは示している。

人間と自然を近づけ分離する装置
 湿原のぬかるみに足をとられる、鋭く尖った草の葉で足を切る、砂浜の熱砂で火傷をする、寄せる波に足をとられる。このような自然と直に接することによる苦痛、不快・・。ボードウォークはまた一方で、人間が自然に近づくことによる負の部分からの逃避や離脱を可能にし、あくまで人間を傍観者の立場に押し上げることも可能にする。
 すでに文明化されて久しい人類は、獣たちのように自然に直接接することを好まない。また自然も人間と直接接することを好まない。ボードウォークという装置は、この両者をつなぎ、ぎりぎりの接点まで近づけ、かつ分離する装置である。
 人間と自然との交流の有り方、そしてそれに介在する人工物たる建築物の有り方等を考えるとき、ボードウォークの概念は、新たな視点を与えるものとなる。
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金津創作の森/IMA/1996
森の上に浮かぶ舞台=自然に近付きながら、また自然と一線を画した共生する施設
*01:ディスクリートする環境/テクノロジー 2005/01/01 宮島 照久
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