goo

09 メッセージをかたちにする 

21エモン*01の世紀
 20世紀はモダニズム「建築」の世紀であったといわれている。モダニズムの機能主義は、建物の内容(機能)と表現の一致を目指したもので、その無国籍的な性格と工業化に適していたことにより、資本主義経済の広がりとともに全世界を席捲した。その一方で機能主義の意味する範囲が、価値観の多様化にともない一般的すぎるほど広がってしまったために、逆にほとんどなんでもありの状態、100人の建築家がいれば100人の建築論があるといわれるまでに混乱した時代となった(もっとも、それは個々の民主的主張の上での混乱であり、これこそモダニズムが民主主義を体現していることの現れである、という皮肉な見方もできるが)。こうした状況を打開するためにポスト・モダニズムが指向されたが、「建築」の表層のデザインのみに捕われたために、一時の流行に終ってしまった。

21エモンの世界/上海/Photo by (c)Tomo.Yun
 1968年にかかれた藤子・F・不二雄の「21エモン」には、様々なかたちの建物が並ぶ21世紀の未来都市が登場する。上海の個を競い合った様々なかたちのビルが立ち並ぶさまは、まさに「21エモン」の世界であり、個を競い合ったモダニズム建築が席巻した20世紀は、まさに「21エモン」の世紀であった。

人工物と自然なものの垣根が取り払われる
 パソコンやインターネットの普及が人々のコミュニケーションの在り方を変えつつあるのは周知の事実である。世界中のパソコンで結ばれたインターネットのシステムを分散型のネットワークシステムというが、これは中心に命令系統がある単純で閉鎖的な従来のシステムとは違い、小さな命令系統が分散しそれらがネットワークを構成する複雑で開放的なシステムである。そして実は自然や生態系、生命、知能あるいは社会構造や経済といったものまでこの分散型のネットワークによって構成されていることがわかってきた。
 こうした事実により従来の科学で支配的であった、物事を単純で閉鎖した系に還元して解明するという考え方から、複雑で開放された系として解明するというパラダイムシフト(いままで支配的であった考え方から新しい考え方に変ること)が起きつつある。そしてこれらの考え方の発展によって、従来の科学合理主義が限界にぶつかっていたあらゆる領域にわたって、それらを凌駕する可能性が見えてきた。それだけではない。これらの考え方は人工物と自然なもの、作られたものと生れたものの垣根さえ取払おうとしている。人間の言葉を理解し、学習し、動物と同じようにスムーズに歩けるロボットのように人の手で作られたものが生物的な振舞いを示すようになってきたり、遺伝子工学のように生物が工学の対象になる機会が増えつつある。さらに、パラダイムシフトは“思想”の世界にまで及び、いままで西欧思想と対極にあると見られていた東洋思想でさえその懐に収め、“理解”し、さらには両者を統合する可能性さえ現れてきた。
 このように人工物と自然なものの垣根を取去り、作られたものと生れたものの区別をつけず一つの総体(ケヴィン・ケリーはこれをヴィヴィシステム*02と呼んでいる)として捉える考え方によって、人工生命や人工知能の研究などいままで「神の領域」と呼ばれていたものにまで手が届く可能性がでてきている。

ヴァイオスフィアとしての都市の構成
 「建築」とはもともと、立地や環境、歴史、技術、経済、構造、社会規則(法規等)など様々な周辺条件と複雑に絡み合いながら存在するもので、この複雑な関係の中にあって、「建築」をつくるという作業は、最終的にそこに一つの物理的形態という解を求めるものである。その解を求める作業はほとんどの場合、物事を単純で閉鎖した系に還元して解明するという従来の科学で支配的であった考え方と同じように、機能や経済性といった直接的な条件だけを取り上げ、それ以外の様々な定量化しにくい条件を破棄して解こうとしている。すなわち閉じた系として扱う。その結果、「機能ありき」「かたちありき」という結果になるのである。
 しかしながら、人工物と自然なものの垣根を取去り、作られたものと生れたものの区別をつけず一つの総体(ヴィヴィシステム)として見ようというパラダイムシフトのなかでは、人間の営みの一部である「建築」も、広い意味でそれを含むヴィヴィシステムの一部とみなす事ができる。そしてそれを構成する他の人工的なものや自然なものと複雑に絡み合いながら、ヴァイオスフィア(生態域)としての都市を構成しているともいえるのである。
 そこでは「建築」はそのヴァイオスフィアを構成する分散型ネットワークの一つの構成要素である。こうしたネットワークの中では、その構成要素は相互に影響しあう、複雑に入組んだ非線型の関係を構成しており、そういう意味において各構成要素は他の構成要素に対して開かれており、「公共性」を持っているといえる。ところが、閉じた系として作られた「建築」は、周辺の様々な条件を破棄して成立しているから、こうした「公共性」に対しても閉じているといわなければならない(たとえそれが公共建築という用途のものであっても)。しかしながら、こうした「公共性」の獲得の必要性は、すでに新たなパラダイムとなりつつある。

ヴァイオスフィアとしての都市*03
楽清市中心区整備計画/IMA /2001


結節点(ノード)としての「メッセージ」
 そこでこうした「公共性」を「建築」が獲得するにはどうしたらいいのだろうか。そのためには、開かれた系として「建築」を作ること。そしてそのために重要なのが、開かれた系として他の構成要素とどのような「結節点(ノード)」によって結ばれるか、ということである。このときこの結節点(ノード)は、ネットの構成要素である「建築」が、他の構成要素との相互理解を深めるための「メッセージ」と考えることができる。
 「メッセージ」とは目的を持ったプロセスである。「建築」がその構成要素となる分散型ネットワークには中心がない。「中心を持たないネットワークにおいて重要となるのは、物というよりもむしろプロセスである。“それは何か”と問うよりも、“それがどういう事柄につながり、何を目指しているのか”を問うこと、それが重要」*02になる。「建築」においても、ネットの中の“どのような構成要素と、どのような「メッセージ」によって相互接続するのか”そしてその“「メッセージ」の内容をどう「かたち」に表現するのか”が、重要なポイントになる。
todaeiji-weblog

*01:21エモン/藤子・F・不二雄/1968~1969
(私見として21エモンに出てくるモンガーは、1969年から執筆開始されたドラえもんのイメージの原型ではなかったかと思っている。)
*02:複雑系を超えて―システムを永久進化させる九つの法則/ケヴィン・ケリー/アスキー出版 1999.02.10
*03:楽清市中心区整備計画/中国淅江省楽清市/IMA /2001

21エモン (1) (小学館コロコロ文庫)
藤子・F・不二雄
小学館

このアイテムの詳細を見る
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
« 08 柔軟さと... 10 天と地の... »
 
コメント
 
コメントはありません。
コメントを投稿する
ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません
 
名前
タイトル
URL
コメント
コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。