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conscience

my diary

生死不定

2022年10月03日 | 日記
 ここ数日の間に、アントニオ猪木さんや円楽さんなどの有名人の死が伝えられた。多死社会の到来を示唆しているようでもあり、人の世の儚さを表しているようでもある。アラ古希にも関わらず若い気分のままではいる私ではあるが、他の人の訃報を聞くたびに嫌な予感が頭の片隅に去来するようになってきた。
 しかし、人の生き死には定まっておらず、特に、伝染病や理不尽な侵略戦争などが起こっている今の世の中にあっては、普通に生活していても先がどうなるかは分からないし、生物は必ず滅びる運命にあるものだ。
 私は、多くの日本人が漠然と持っているような、輪廻転生とか、死後の世界とかの考え方は持っていなくて、死亡すれば、物理的な肉体も、刺激を受けて脳の中の記憶中枢が刺激されることによって起こる思考も、ただ滅びてしまうのではないかと考えている。すなわち、死とは、無に還ることに他ならない。お大師さんや神様に縋ったり、南無阿弥陀仏・南無妙法蓮華経などと唱えてみても、その事実には逆らえないのではないか。

 しかしながら、寿命とは予め予測できるものであり、その限られた時間内に何をするかでもあろう。そんなことを最近よく考えるようになってきた。なるべく楽で、何事にも捉われない生き方をしたいと考えている。間違っているだろうか。
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