サンチョパンサの憂鬱

昼下がりのサンチョパンサ(2)……セルフ・ネグレクトの根深さ?

セルフ・ネグレクトとは個人の保健・衛生・生活環境なとに対するセルフケアが不足している状態……といわれる。

喪失感、無力感に陥る何某かのアクシデントとかによって生活のファンダメンタルズに支障、過不足を来たしている状況……。

身体が疾病で健康を損ない、医療を必要とするレベルに在っても自分で行動しない、出来ない位にメンタルが疲弊してしまっている状態……とあった。

ゴミ屋敷とか?もその典型的事例なんだそうな。
ワイドショーが取り上げてはその人に、『近所迷惑とは思わないんですか?』なぁ~んて質問(詰問?)してるの図は時折目にする……。

意外だが……若い年代にも増えているんだそうな。SNS時代を当たり前に育った彼等は生身同士のコミュニケーションに慣れていないから人に対して援助を頼めない事が大きいのだとか。

ゴミの山とか?引き籠もって配達された新聞がそのまんまになってるとか?……が兆候として現れる。

こんな可視化で確認出来る『セルフ・ネグレクト』はまだ救いがあるのかもね?……ふとそんな事を思った。

快活に……何処かに出掛け、SNSでコミュニケーションし、学業とか仕事も『ソコソコこなしている人達』と対面する時……何か妙に座りの悪いソワソワする様な違和感を覚える事が増えた……。 

その時間を『義務感で消化してる?』様な、単に『会話の為に会話してる感』が原因だろう。
就職面接でもなく、何の義務もないオフタイムのフリートークの機会にさえ……『凄くヘビーな作為の感覚』を受信するのである。

『自分の価値観・本意本心』によって『自分の体験として』時間を積み上げていない、タイトで分厚いペルソナ(仮面)装着状態の人達。

ビジュアルでは仲良く見える家族に対しても、恐らく彼・彼女のそのペルソナ(仮面)は外される事はないんだろうな……?
そんな強迫観念に静かに衝き動かされているニュアンスを受信するのである。

当たり前の話だけど……それぞれのDNAを使って判断、決定し実行してこそ生き抜ける様に設定されているそれぞれの人の人生である。

『イイ歳をしたイイ学歴の人』が『安定した職業』を失って余りある暴挙・失態に、ある日突然突っ走る?……そんなニュースがもう珍しくなくなりスッカリ日常化している。

『目に見えない自分の価値観』、『点数つけて評価して貰えない自分の価値観』……しかしソレが自分の長い人生にその人特有の染色を施していく……。

ついつい人は、そんな保証も安定も約束してくれない『自分の価値観・判断』を『ネグレクト』して『周囲のみんなの目』によって『自分を確かめる』様になるんだと思う。

カネ、食い物という数量の世界のネグレクトならば『人様のお節介』も期待が出来る。
しかし『自分の質』を支える『価値観とかポリシー』をセルフ・ネグレクトしたって誰も気付いてはくれない。

何しろ、自分で自分に嘘を付き、『偽物の自分の演技』を強要しているのだから……。
その嘘による『ホントの自分の質・意味』の過不足が少しずつユックリ積み上がっていく。

そしてある日突然迎える『自分の嘘が暴かれる日』であり『偽物の自分の限界・破壊』が行われる日……。

ある日突然にみえる暴挙ってそんなメカニズムで長い時間の中で積み上がった『自分を意味しない自分』の限界の日?なのかも知れない。
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