サンチョパンサの憂鬱

サンチョパンサの食卓(45)……イイ人の品格

何時の世も多数派を形成するのは『イイ人達』である。

今やこの国は『イイ人達』が溢れかえっているかの如しなのに何故か?国力は衰退し、至る所で弱者が追い詰められ時として、死の選択に行き着く場合も多い。

『イイ人』の基準が劣化し、『見映え』と『聞こえ』と『瞬間刹那のポーズ』さえ整えておけばイイ人の一丁上がりってな世相が安上がりのイイ人を量産する毎日。

自分より弱かったり不利な状況に在る人を選んで不遜尊大に振る舞い、役職の微細な差異によって卑屈に媚を売っても見せるイイ人達……。

そんな風潮に横行するのは『欠席裁判』である。
ソコではたった一つの真実が語り手達の都合によってアカラサマに様々な事実が捏造される。

そんなイイ人達のエネルギー源は『人の不幸』である。(シャーデンフロイデ)
だから彼等の貪欲でサディスティックなメンタルは、次々に人の不幸や不都合を必要とする。
例えソレが無ければ口一つ使って面白可笑しく脚本を書けば良いのである。

そんな人達の環境は変化に乏しい。
何時もの人間と何時もの場所で、何時もの話題で事足りるからである。
トンネル・ビジョンを毎日観賞し、何時もの会話によってエコーチェンバーを得る。

自分のウリが何時しか『頑迷』しか無くなっていることに彼等は気付けない。
自分達の何時もの運びにNOを言う人間が現れれば、彼等は即刻『トンネル内世論』を形成して攻撃に入る。

イジメの事実を申告された学校、教育委員会が
被害の当事者をクレイマーと決定して自分達が被害者に転じる手法なんかがその典型的マニュアルである。

そんな人達は多数派だと慢心しているけれど実のところ、安心なんて欠片もない。
欠席裁判の被告にならぬ様に汲々としながら何時も張り詰めて暮らしている。

昔からこんな連中は烏合の衆と呼ばれ軽蔑の対象なのである。
その理由は簡単。
彼等は自分を語らない。語るほどの自分を持っていないのである。

他者を語り、他者を批判し、他者に媚びる暮らし。
その人のどこを探しても本人自身が行方不明なのである。

そろそろ、人の為のイイ人じゃなく、自分の命、人生にとってイイ人にならなくちゃね?
自分を守るってねよく言うけれど……『大切な自分』にならなきゃ無理なんです。
 
幾ら人を悪者に仕立て上げたって、自分には何一つ良い事なんて起きない。
小学生の頃を思い出して欲しいと思います。
そんなこと、みんな知ってた筈でしょ?

何時から?自分は行方不明になっちまったのでしょうか?
悪意吹き荒れる集団から離れ、自分の捜索に出掛けましょう。自分に淋しい思いをさせる人が人を幸せになんか出来っこないのですから……。
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