動物園の横を通って

2013-09-07 23:02:57 | 日記
本当に久しぶりに、動物園の横を車で通った。知らない間に園の裏にも入口ができていた。(前は出口専用だったっけ)動物園にも、ご無沙汰だ。動物園は動物がいて、「楽しいところ」と小さな私は、思った。うさぎやモルモットを抱かせてくれた。子牛を初めて見たのも、動物園だ。(なんと子牛は大きいのだろう、口はよだれだらけで、「牛がよだれを垂れるって本当なんだ」とびっくりした。)
そのうち、「動物はくさい」とか、「動物は怖い」とか、「動物は噛んだり、何をするかわからない」とか、人が言うのを聞いて、「そうなんだ」あるいは「そうかも」と思うようになり、森の動物と仲良しな白雪姫は、お話の世界になった。動物と話ができることに憧れた女の子は、大人になった。
そして、母となった今、思うことは、「野生の動物はなんてきれいなのだろう」と。それは「生きている」「命」だから。地球は青い、命の船、それは大切に守るべきもの。


2013-09-06 23:26:46 | 日記
ギギギギ、こおろぎが鳴いている。リーリリリという、えんまこおろぎさんではない。近所の空き地に、草むしりの後の草を積んであるところがあった。ウチの子どもが小さかったとき、夏、こおろぎを採りに行った。ウチの小さな庭に放し、こおろぎさんに鳴いてもらった。枯れ草に、こおろぎたちはいっぱい、隠れていた。秋になると、こおろぎさんはウチのすぐ近くで鳴いてくれた。
夫もえんまこおろぎの声が好きだという。子どもと共に、虫とりをしたのは、楽しかった。
春はおたまじゃくしやかぶとエビをすくい、みかんの樹にアゲハの幼虫がいれば、枝ごと持ち帰り、チョウになるのを見た。もっともっと、毎日、いろいろなことを感じていたような気がする。こおろぎだって、見つければ、喜んで家にもって帰った。子どもに見せてやりたいと思い、親の私が四季の風を楽しんだ。
今も、いつも、風は街の上を、山の上を、野の上を巡る。私も大きな空を飛んでみたい。

9月9日

2013-09-06 06:43:35 | 日記
もう直ぐ、秋の名月、上の子どもの誕生日がくる。もう、そろそろ一人前かな。大きくなった。うちの子の誕生日がくるということは、また、あの人にとっては、命日がくるということ。 
お元気にされていますでしょうか?あれから、お子さんはおできになりましたでしょうか?私は、あなたと産婦人科でよく、お話をさせていただいた妊婦です。毎年、息子の誕生日には、あなたのことが思い出され、いかがお過ごしかと思います。(私は息子を出産した、そして息子は今、普通に大きくなった。)
最後にあなたにお会いしたとき、(私の子は新生児室にいて)あなたと、病棟内のティルーム?椅子のあるところであった。私は自分の子が男の子だとあなたに言い、一緒だねと言った。あなたは、横の赤ちゃんを抱く人を見ながら、「みんな、かわいいね。」と言った。あなたの顔は穏やかで、私と同じと思っていた。なのに、その後、私はあなたの赤ちゃんが新生児室にいないことに気づいた。おかしいな??私は、ついに、たまたま私についていた助産師を目指す実習生に聞いた。「あの人の赤ちゃんはどこ?」と。「出産時、亡くなった」と聞く。
事実を知った後、あなたには会うことはなかった。どうすることも、どうすることがよいかもわからず、病院内の花屋で小さな花を買い、恐る恐るあなたの部屋に行った。あなたがいないので、正直ほっとし、花だけ置いた。あなたに会ったなら、私はなんとあなたに言っただろうか?あなたに会わなくて、よかったと思った。
今、あなたはどう、お過ごしですか。あなたの子どもの命日と私の子どもの誕生日が巡ってきます。


お隣りさん

2013-09-04 23:02:01 | 日記
日曜日、夕方、夫と買い物から帰ると、ご近所の方、2、3人が立ち話している。また、何か、ゴミ捨ての問題か?と会釈だけして、家に入る。しばらくして、インターホンが鳴る。出ると、先程出会ったうちの1人。「(私の家の)お隣さん(おひとり暮らしのおばあさん)、亡くなったそうです。病院からどこか施設に入っておられたと聞きました。」とのと。「お通夜が今晩、近くの葬儀ホール、お知らせだけと思って。」と伝えられる。夫に、お参りをどうしようと相談すると、「(世話になったので、お参りさせてもらったら。」という。しばらくして、帰って来た娘に「お通夜に行く?」と聞くと、「行く」と、すぐに返事する。
庭で草むしりするうちの母(娘にとって祖母)とよく話をしているお隣さんを、娘は幼いとき、見近に見ていたのだろうか。お隣なので、お菓子のおすそ分けをもらっていたのかも。お隣さんが、娘にとって、ごくごく身近な人だったのか、と改めて気づく。そういえば、うちの母も(反対側のお隣の子どもたちが小さかったとき)、フェンス越しによくお隣の子どもたちとおしゃべりをしていた。お隣の小さな子どもたちと話をしている母は、とても楽しそうだった。大人の私は不思議な気持ちで母を見ていた。大人の私にとって母は、口うるさく、うるさいだけの存在だった。母のようにはなりたくない、そう思っていた。
お隣さんのお通夜は、夫と娘と三人でお参りさせていただいた。きっと娘は、小さかったとき(私が働いている間)、いろいろお世話になったに違いない。娘もお参りさせていただけてよかった。ご冥福をお祈りいたします。

秋、柿屋さんの柿

2013-09-04 00:11:58 | 日記
職場の窓を閉めようとして、ふと見れば、柿が色づいている。秋、実感。雨上がりだからか、本当にきれい。ふふ、私は柿が好き。母が家にいるときは、よく柿屋さんが柿を売りに来た。そう、「柿屋さん」と母は呼んでいた。ちょっと遠くから、ライトバンで売りに来ていた。小さな柿だったが、甘く、おいしかった。一人でいくつも食べられないのに、母は柿を2袋、みかんを 2袋買った。そして、私に1袋ずつくれた。小さな柿は、皮を剥くのが面倒で、気づいたら、柔らかい柿になってしまっていた。母は、柿はお腹を冷やすといい、あまり食べない。そのうち、また柿屋さんがやって来て、また、母は 2袋ずつ、買う。母の家も、私の家も、柿とみかんでいっぱいになった。娘の私が、「(柿やみかんが)腐りそう」と文句を言うと、翌日、皿いっぱいにむかれた柿が、(仕事を終えて家に帰ると)置いてあった。そんなことを何度も繰り返し、そのうち、柿がなくなり、みかんだけになり、そして正月になった。母にぶつぶつ文句言いながら食べたけれども、皿いっぱいの柿屋さんの柿は、本当は、とてもおいしかった。母が居なくなり、昼間は誰もいない家、柿屋さんはもう、売りに来ない。