仲秋の名月

2013-09-19 09:26:33 | 日記
今日は、研修の日。いつもは、自転車通勤だが、今日は電車に乗った。駅降りると、エレベーターで着物姿の女性と一緒になる。袋から、すすきが飛び出ている。のぞいて見ると、紫の萩と白萩と他にも花がはいっているようだ。花を持っていた人の薄茶の帯に描かれた花は何の花だろう?2輪の花、槿(むくげ)ではなし、月見草でなし、アネモネでもない。気になってしかたがない。
夕方、研修終わって、やれやれ。折角なので、京都駅近くのぶらりを楽しむ。もう、ハロウィンの品々が目を引く。別にハロウィンだからと、身の回りで何もあるわけではないが、赤いカボチャお化けは、かわいい。もう少しして10月になれば、お菓子を買っておくつもり。今日は、月見団子を買わないと。デパートの地下で、見つけたよ。私が欲しかった(衣かつぎ)の月見団子とうさぎの饅頭(赤い目がちょん、ちょっと長く形を整えて、耳の型がうっすらついている……、 雪うさぎのような形している)。うさぎと団子を並べてあったので、つい両方買ってしまった。
ふと、月の出を確認すると、5時半過ぎ。山の端から出る月を見たくなった。もう直ぐだ。どこから、見えるかな?京都駅から東を見れば、見えるかも。まだ、夕日の光が空にある中、東山に丸い月が出た。まだ、あたりは明るいので、うすいオレンジ色している。そうなのだ、まだ、まわりは夕暮れの空気なのだ。から出る月をああ見るのは、いつ以来だろう。今日の主役の月は、静かに上がる、うす青の空に。餅をつくうさぎがいる月、かぐや姫が帰っていくところ、月の出を見ることができ、うれしい。もう少し、すてきな場所の方がよかったけれども。
京都駅大階段を通って、帰ろっと。


月見団子

2013-09-18 22:52:28 | 日記
明日は、仲秋の名月の日か…。なんでか、娘が昨日、「餡ころ餅食べたい」と言う。月見団子と同じようなものか、と私は思い、「19日にね(買ってあげる)」と答えた。私の頭に浮かんだのは、「衣かつぎ」風の月見団子。もっとも、私はこれが「月見団子」と思っていたので、丸い白い団子も、月見団子と知ったときは、本当に驚いた。三方にのせた丸い団子は、お話の中のもので、お月様にお供えする団子であるものと小さい私は思っていた。あんこがのった長細い団子を、月見の時に食べるものだと信じ、月見の日に、団子を食べていた。
さて、娘の思っている「餡ころ餅」は、どんなものだろう?(明日の月見団子を見て、「あんころ」と言うような気がする。…できるだけ、季節の菓子を一緒に食べてはいるけども)私は、粒あんが好きなのだ。こしあんは、好まない。だから、月見団子もまぁまぁで、でも、土台の団子部分が好きなのだ。桜餅が粒あんなら、最高なのにと思う「粒あん派」だが、月見の日には、(衣かつぎの)月見団子が食べたい。
きっと、きれいな月が上るだろう。月見団子をお月様にお供えしなくては。



台風一過

2013-09-17 23:15:08 | 日記
台風一過、秋晴れ。風が涼しく、秋の気配がいっぱい。今日の夕方、近くの川を見たら、薄暗闇の川をよたよたとカメが泳いでいる。一匹、二匹、見つけた、と思うと、また水に潜って見えなくなる。いつも、日中は甲羅干ししているカメたちだが、夜はどうしていたのだろう。川の水かさが増したので、陸に上がれず困っているのかもと、私はカメたちの泳ぎを見て心配だ。まだまだ、川は濁り、水量が多い。町の外来種のカメたちも、この台風でえらい目にあったようだ。川に生きるもの、山に生きるもの、海に生きるの、みな、自然の力に苛まれ、生きようともがく。昨日、川の土手に行った人が話していた。土手に、虫やトカゲやら、いっぱいいた。たぶん、みな、草の住処を(川の水に)追われて、土手に上がってきたに違いない。昨日、小さな命たちは、風に怯え、雨に追われた。人もまた、避難勧告などが出て、避難した。
人は「思いもよらぬ50年に一度の天」と言いながら、天を睨んで逃げていく。自然の生き物たちは、ただ自分の内なる本能に耳を傾け天に従い、逃げる。 
天と一つになって逃げたものは、今ある生かされた命に感謝しているだろう。天を睨んだ人間は、無情な天を恨み、失ったものを数える、身ひとつで生きて行けぬので。
 

台風の夜は

2013-09-16 13:54:16 | 日記
京都を台風が過ぎ行く。昨日の夜は、警報のメールが次々と入る。避難勧告が出た地域もある。皆様、どのような思いで一夜を過ごされましたでしょうか。
ウチのバカ息子は、夜、車で遊びに行きました。雨の中を走りたかったのか、親の制止も聞かず、出て行った。(バカ娘は、友だちと遊んで夜を過ごすそうで、家には本日、帰りません。)
雨音が強く、私は眠れません。バカ子たちは、自己責任で、自分自身を危険にさらしている。やってきた災害に立ちすくむ方々がおられるそのとき、何も思わず、何も感じず、ただ、自分の快楽を求め、遊ぶ。バカどもの身を心配する必要は、もうまったくない。「放っておけ」と私の理性が叫ぶ。でも、…心配なのだ。「アホらし」、本当にアホらしい。眠れないので、ビデオを見て、無為に過ごす。雨の音が高まり、風のぶつかる音がして、その狭間に時が落ちる。
まだ、息子が 2、 3才の頃、私たちは二階建てのアパートの一階に住んでいた。ある夜は台風が通過のときだった。いつもより早く、夜の 8時頃、夫は家に帰ってきた。「やれやれ、夫が帰ってきた」とほっとし、うれしかった。夫は外回りの仕事だ、心配だった。「早く、お風呂に入って、ご飯食べて、(台風くると大変だから)早よ寝よう」と私は言った。夫は帰ると真っ先に、風の強まっている外へ、また出た。小さかった息子を抱き上げて、「台風さん来てはるで。会いに行こうか?」と、外に出た。
ずっとずっと前のことなのに、はっきり覚えている。一瞬であったけども、よくも小さな息子を外に連れ出し、何も知らない息子に「台風さん」を教えるなんて。アホな夫だ、と私は思った。「台風さん来てはったなぁ。」と夫は息子に聞く。「台風さん、どこに居はるん?」と息子が父に聞いたと思う。「アホ、言うからや。」と私はその時、思った。
時を経た今、バカ息子が自ら、台風を見に出かけた。 


茗荷(みようが)採り

2013-09-15 21:34:10 | 日記
今日は、雨(台風やってくる)。朝のうちは大丈夫だろうと、夫と出かける。行き先は、夫の友人の家の庭。その家は、今は半ば、空き家。夫の友人のご両親は、息子宅の近くに引っ越しされ、誰も住んではいない丹後の家。まわりには田んぼが広がる小さな集落で、少し歩くと村の神社もある。夫は、年に数回、その家に友人たちが集まるとき、声をかけてもらい、皆で遊んでいる。
今日は、私たち二人だけで、そのお庭で遊ばせていただくのです。(もちろん、持ち主様に許可いただいてますょ。)その庭は、裏山へと続いていて、野山の一部分。茗荷(みょうが)があるのです。夫と共にこの家に来させていただくまで、私はみようが採りなど、したことがなかった。そう、このお庭は素敵。茗荷があって、蕗(ふき)があって、梅の木(梅の実)、銀杏(ぎんなん)がある。自然の恵みがいっぱいで、これが自給自足していた昔の人の生活の知恵だと思う。なんて、豊かな生活でしょうか。
都会人の(夫と)私は、本当に茗荷(みょうが)採りにワクワクする。茗荷の葉の根元を少しかき分ければ、茗荷が顔を出している。土と似た色なので、最初はなかなか見つからない。でも中には、もう(黄色い)花の咲いたものもあり、それが目印となって、だんだん、眼が慣れるのか、いっぱい茗荷があるのがよく見えてくる。茗荷を手に包み、ポキンと採れば、茗荷の香りが強く鼻をかすめ、そして土のにおいにつつまれる。なんて、うれしい時だろう。茗荷と土のにおいの中に、私はいる。(いやしんぼの心は、「(みょうがを)(刻んで豆腐にのせ、かつお節かけると最高とか、冷たいそうめんの薬味がよいか」などと、ありありとその食べる瞬間を想像している)
(土と茗荷の)におい楽しみ、「食べると美味しい」というのを思い浮かべ、必死に得物を探す。当に幸せな時間ですょ。
(これはおまけ、ナンバンキセルかしら…)