azusa flutter

ayami yasuyhoのダンサー・栃本あずさが時々思ったオモイ。

十牛図

2017-11-27 | 稽古日誌
今日はお天気も良く、気候にも恵まれ、京都・今出川にあります相国寺の承天閣美術館へ行って来ました。

その展示の中で観たかったものは「十牛図」です。

十牛図との出会いは7年前に私が心から尊敬しております日本舞踊家の西川千麗先生が最後に舞われた舞台、

「十牛図」で初めて知りました。


先生との出会いはずいぶんと昔の14年前で、私がバレエ団に所属していた時代でした。

ちょうどその時期は私にとってバレエの考え方、生き方が辛く、何か歯車が狂い始めたような感覚を日々抱えていた頃でした。

あのころ先生がお話してくださった言葉が私の心の中に固まっていた・・・、凍っていた何かを溶かして、

涙となって出ていく体験を何度かしました。

私自身さえ知らない私の心の中にある固まった、凍りついた何かを涙として見たときに、私はわたしがいることを知りました。


それから私は私なりにわたしを知っていくことをしていきました。

どうしたらわたしを知ることができるのだろう・・・・???

あの時の千麗先生の言葉はそんな暗闇のような場所にいる私を大きく動かしてくれました。

私の心の中を見通すような澄んだ目でじっと見つめ肩にポンと手を置いた先生が心で何かを伝えてくれました。

その度に涙がどこからか現れました。

そしてその涙が何を意味するのか、それはなんなのか?私は考えることをしていきました。

辛くて重い身体を引きずりながら日々考えることをしていきました。


そんな先生の最後に舞われた「十牛図」。今でもあのラストシーンの先生のお姿ははっきりと覚えています。


その絵を実際に初めて観ました。

絵巻物に描かれていていて、タッチも繊細で小さいモノでしたが、その作品の奥に吸い込まれそうな感じがする力強いものでした。

先生のことを想いました。先生の生き方を想像しました。



今でも時々、先生が目の前に現れ、私の肩に手を置いて心を見通すような澄んだ目で、「あずささん。・・・ですよ。」

と、教えられることがたくさんあります。

昔におっしゃっていた言葉の意味が今頃にようやくわかることもあります。

その時は体中が熱くなり、震えるように何かが体内から絞り出され、今の私にとって大事な何かを気づかせてくれます。



これからも、どう生きていきたいのか?踊りとは何なのか?私はなぜ踊るのか?

という問いと向き合い、問うことをあきらめないで生きていきたいです。


日々の日常は毎日、毎日必ずやってきます。

時間は私が息をしなくなるまで続きます。

私が息をしている間は私は確実に生きています。

その生き方は私が日々決定していきます。

それにはかなりのエネルギーが必要であり、簡単にできることではないと思います。

それでも生きていきたい。踊りたい。伝えたい。

周りに流されないで心の気づきに気づき、焦らないで一つ一つ行動していく。

行動の結果が手に取るようにわからなくても、そのことをあきらめないで続けていく。

力のいることだけど、積み重ねていくこと。日々は大きく変動しないことを知っていくこと。

奇跡は起こらない。

自分の呼吸を信じて、呼吸がし続ける限り、一歩一歩生きていきたい。

踊りたい。伝えたい。






7年前に十牛図について書いたブログ「ヒカリ」と「内側から」です。

そして私にできることとは・・・です。



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